わりとくだらない内容の記事かもしれない・・・とやや不安になりつつも書いているが、これはいちおう Radiohead の音楽についての感想です。

 現在、夕飯の準備をしたりしながら、 Radiohead を大きな音でかけている。雨は少し小ぶりになっただろうか。

 明日は特に支障がなければ彼らのライブを観ているはずなので、そのイメージトレーニング的?意味合いもある。もちろんかけているのは、『A Moon Shaped Pool 』です。

 この、前衛性と洗練されたポップ・ソングの感覚を同居させた卓抜なアルバム、しかしどこがどういう風にいいのか、自分でもよくわからなかった。

 実をいえば、それはけっこう前から・・・『In Rainbows』とか、いやもっとその前から感じていたことかもしれないのだ。かっこいいといえばかっこいい。いけてるといえばいけてる、うーむしかし、それだけなのか。

 もちろん音楽を聴いてどう思うかは個人でずいぶん異なるだろうから、これもまた個人的な感想でしかないのだが。

 Radiohead の魅力の本質は、かわいさにこそある。もっというと、キモかわいい。

 『A Moon 〜』だったり、それ以前の、たぶん『Kid A』くらいからの Radiohead の音楽に対して感じていた不思議な魅力の正体は、それだった。

 「キモかわいい」の意味は、ネット上の「実用日本語表現辞典」では、下のように定義されている。

キモかわいい
見た目の印象が気持ち悪い、かつ、どことなく愛嬌・可愛らしさも感じられるさま。キモくてカワイイ様子。

 こんな感じかなあ。

 『A Moon Shaped Pool』の1曲目「Burn the Witch」、弦楽器が刻む不思議なイントロからして、きもかわいい。このアルバムは、そのベクトルでいうと、10年ぶりくらいに振りきっている集大成という感もある。

 Radiohead を検索でひくと、凄いとか傑作とか、その音楽性の卓越をたたえる言葉は簡単に見つかるが、彼らの音楽そのものをかわいい、あるいはキモかわいいとする文章はあまり目に入らなかった(ボーカルのトム・ヨークをかわいいとする発言はしばしば見かけた)。聴覚的ではなくて視覚的なものに使う形容詞だからかもしれない。

 このかわいい、あるいはキモかわいさを、無理やりにわかりやすいところで例えると、ティム・バートンの演出するビジュアルや、描かれたイラストに対してふと抱く感慨、これをもっと抽象的な(音楽なので)感じにしたら、わりに近いかもしれない。

 (もちろん、かわいさの上にふりかけてあるもの、その下に埋服しているものは、いろいろとあるだろう)

 これがどういうことかというと、 Radiohead の1曲1曲を、ぼくは自然に頭あり尻尾ありのキャラクターとして捉えようとしているということだ。時間の経過とともに全貌を現す、あるいは姿を変えうる奇形の怪物。

 ポップソングを、キャラクターとして捉えるということが自然なことなのか、そうでもないかはよくわからない。べつに当たり前のことかもしれない。

 しかし、Radiohead だけは、やはり妙に色気のある、キモかわいさを振りまいてくる。その特別な座はいまのところ、ほかの音楽に譲るべくもないものだと感じる。

 人間にはときどき、備えを超える、いわゆる「想定外」の事態がふってわくものです。

 東京湾に、巨大不明生物が現れる映画「シン・ゴジラ」のように・・・。あの映画(面白かった!)ほどではないけれど、ぼくにも時折、想定外事態がおきる。

 強い雨が断続的にふっている。

 スマートフォンの画面に、大雨注意報みたいな知らせがときどき入ってくる。地域によっては、100ミリを超える大雨となっている。

 注意報がくると、やがて、雨音が強くなる。注意報は問題なく機能しているようだけれど、このような天気では外に出る事もままならない。うっかり外など歩こうものなら、体の下半分がびしょぬれになってしまう。

 しかし今日はどうしてもコンビニまでいかないといけない用があったので、正午ころになって、しぶしぶ外に出た。

 多少ぬれてもいいように、下はサンダルと、ハーフパンツ。

 コンビニまでは、歩いて何分かかかる道のりで、雨は強かったけれど、まだそれほどには濡れてない。

 よしよし、と思った瞬間、目の前の巨大な水たまりに、高速度で走る対向車の左前輪がつっこんだ。

 瞬間、東京ディズニーランドのスプラッシュマウンテンもかくや、と思わせる水しぶきがあがり、体の前側、胸のあたりまで、泥水に染まることとなった。傘で防ぐような余裕もなく。

 敵は雨だけではなかった・・・。

 こういう場合、水を跳ね散らかした車は悪い、ということになるのか、よくわからない。さいわい高価な衣服は一切身に付けていなかったから、よかったけれど。

 とりあえず台風ははやく過ぎ去ってほしい。

 「こんな姿勢で寝ていると、しわが増えるかもしれません

 仰向け、横向きで眠ると、顔の皮膚にに圧力がかかって、長い目でみると、しわの原因になる。

 (つまり、しわ寄せがくるということですね。)

 それはともかく、これを防ぐには、仰向けになって寝ていたほうがいいとのことだ。

 寝ているあいだにかかっている圧が、顔のしわに影響する、というのが新鮮な発見だった。言われてみれば、そうかなという感じもする。また顔がそうだということは、体の各部分が、さまざまに圧の影響を受けていそうだなという気もする。

 個人的な意見としては、人間は寝返りをうちながら動くのが自然かと思うので、あまりこのことを気にしても仕方がないと思う。うつぶせで寝る方が、体にとって良い、と提唱するお医者さんもいるわけだし。

 ビーチ・ボーイズの音楽的な牽引者だったブライアン・ウィルソンの自伝的映画。

 たいへん面白かった。

 これを観ると、ブライアンの天才がありありとわかります。

 ファンであるならば、よく慣れ親しんだ楽曲とそこに含まれる印象的なサウンドが、どのような過程を経て創造されたのか。まずはその過程を追体験するドキュメンタリーとして楽しめると思う。

 たとえば You still believe in me のイントロで鳴っている、あの硬い弦の響き。あれは、グランドピアノの内側にもぐったブライアンが、ヘアピンを転がしながらピアノ線を直接弾いていた。

 そんなやり方、よく思いつくわ。

 はたから見ると、「気がふれたのではないか?」とも思える風景だが、彼がそれを意に介する様子はみられない。それが彼にとっての自然なあり方なのだろう。

 作中、「ぶっ飛んでいる」と評されることもあるブライアンだが、彼の創造性の一端は、楽器や演奏に対するアプローチの自由さにあったのだな、と。

 グッド・ヴァイブレーションでは、チェリストに、エンジンの音のように弾け、という指示を出している。転調する時には、ギアチェンジをするように。

 これも、常識的なチェロ奏法の概念からは外れている。演奏者も困惑しただろう。

 これらの試みが、音楽的には多大な成果をうみだしたということになる。しかし、有名な話ではあるのだが、既存の枠組みから外れたところで創造を行うブライアンの姿は、周囲の人間から必ずしも理解されたとは言いがたかった。

 彼はバンドメンバーのマイク・ラブと衝突したり、父親との軋轢を深めていくたび、大きなストレスをかかえ、次第に錯乱の度を増していく。

 そこには、トラウマ的ななにか(幼少時に父から暴行を受けていたこと)も素質として影響していたのだろうが、映画を観た限りでは、社会への適応困難からくる負荷が蓄積していったことが原因のように思えた。

 離反するものが増えるにつれ、ブライアンの錯乱もひどくなっていく。

 後になって、妻となるメリンダに救いだされるまで、ブライアンはバンドから離れ、悪徳(?)精神科医に軟禁され、とひどい状態がつづいていた。

 ブライアンにとってのメリンダは映画の中でほとんど唯一の支持者であり、だましや嘘といったものからは無縁な存在だ。彼女の支持を得たことで、彼が少しずつ安定を取り戻すためのきっかけをつかんだことは、もちろん言うまでもないことだ。

 この映画を観ると、ブライアンのようにたぐいまれなる才能をもった個人が、その天才を発揮するために、どのようなことを必要としていたかがよくわかる。また、才能という「呪い」のようなものから、いかに自分自身を救いあげるべきなのかも。

 「The Bachbot Challange」というのをやってみました。

 バッハの曲と、人工知能がバッハの曲を学習して作り上げた「バッハ風の曲」を聴き比べて、どちらがオリジナルか、当てる。

 ためしたところ、正解率は80%(5問中4問正解)でした。

 ちなみにぼくはバッハは全曲網羅して聴いているわけではないけれど、好きな曲はしつこく聴きこんでいる、というくらいのファンです。

 1問間違えておいてこう書くのもなんだけど、はっきりと「これはバッハじゃない」とわかるものもあった。和声感があきらかに雑っぽいニセモノ。

 一方で、ほとんど直感レベルで「よくわからんけど、こっちかな?」と答えたものもあった。

 もうすこしAIが洗練されてきたら、本当に分からなくなるのかもしれないけれど、そしたら、仕方ない。新たなる名曲の誕生を喜びましょう。

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