parade 0.5

いわゆる、ライフログというものです。

 ねこの世界にも、ライオンと似た仔殺しの習慣があると知って驚愕しているこの頃です。

 今日はお昼にフランス料理屋のランチパスタセットを食べた(唐辛子入りのトマト・ソース・パスタ)のだが、お世辞抜きでいままで食べたどのパスタよりも美味だった。こんな繊細なパスタが世の中にあったのか・・・!と。値段も、サラダとコーヒーがついて1000円未満で済むくらいで、家の近所にある店だったのにいままでどうして通わなかったのかとちょっと後悔。

 たまに近くにそういう店があるのを知ると嬉しいものだなと。

 編集するということは、どんなにテーマや方針に沿ったとしても(そのテーマの決めかたからして)どこかに恣意的な要素が入ってしまう。もちろんこのブログもそうで、筆者の気の向くままに勝手に内容が定められ、気の向いた時に更新されていく。

 しかし、逆から見ると、完全に無私で客観的な人はいない。もしもそんな人がいたとしても、その人は編集に必要な取捨選択作業を行うことができないだろう。人間は恣意性から逃れられないのだから、せめてできるだけ公平に、優しい目線で物事を捉えることができたらいいのではあるが。

 ネットで取り上げられるニュースは、とくに恣意性がつよい場合があり、ちょっとした発言や文章が思わぬところから火種になって拡がることがある。いまの時代の有名人は大変だと思う。村上春樹さんが、「村上さんのところ」という読者交流サイトを期間限定でやっているけれど、勇気がいることだと思った。無事に最後まで走り抜けてくれればなあと思う。

 そういえば、新情報が入った。鎌倉幕府の開府って、1192でも1190でもなく、1185なのか。

 「イイハコ作ろう〜」って、語呂はあまり良くないね。

 とても寒い。2月なので当たり前だけど。でもなぜか、今日は昼間がとても暖かく、風のない場所では半そででいても熱い(!)という驚くような陽気だった。2月にぽっかり穴があいて初夏が来たのではないかと、思わず錯覚。

 ・・・ところで、いまiTunesでレキシを聴いていて思うのだけれど、「いい暮れ(1190)迎える鎌倉幕府」って、いい覚え方だな。鎌倉幕府は、多くの人がそう覚えたように僕も1192(イイクニ)年の開府だと思っていたのだが、これっていつ訂正になったのだろうか?・・・とどうでもいいことが気になるのであった。

 音楽とともに読む本、というのは個人的にすごく良いなと思う。たくさんのディスクと一緒に、めまぐるしく音楽談義をしていく本、歴史やキーワードについて語る本。
 なかでも、ぼくはひとつの曲について延々と語るようなタイプの本が好きなようだ。

 たとえば、最近出た本だと小澤征爾さんと村上春樹さんの「小澤征爾さんと、音楽について話をする」という本だったりする。かなり古い本になるけれど「音楽家訪問」(アラン、杉本秀太郎訳)もいい。

 この2冊はどちらも、著者と識者との対話形式、という形をとっているのだが、実際に音楽に耳をすませながら読むことで、リアルタイム?で音楽の構造が立体的に見えてきたり、新しい聴き方の視点を獲得できる(ような気になる)。

 しかし、アランの「音楽家訪問」は1921年の発表で、解説にもあるようにプラトンっぽい感じの対話。ロマン的であったり、意志の力(自然対意志の2元論)を重視していたり、解釈が散文的であるのに対して、小澤征爾と村上春樹の本はより現実の音楽に寄りそっているというか、ほかの音源と比較してこう、とかファクト重視なところがある(どちらが優れているとかいうことではないんですが)。あわせて読むと面白い。どちらも、勉強になります。



 「音楽家訪問」(アラン、杉本秀太郎訳 岩波書店)を読んでる。

 本のはじめのほうの会話で、音楽の調性についての話。

 たとえば(これはぼくが考えた例)カラオケとかで歌っているとき、高さが合わないと、リモコンで曲の高さを変えてしまうけれど、このとき「調性の変化」というものが起こっている。

 本の中の議論では、音楽において、いちばん自然な調性はハ長調だ、としている。

最も自然な調整が、ある一定の高さに固定されているのは偶然ではないので、これはすべての人間に共通している身体構造というものと無関係ではないだろう。普通の人が普通の状態で歌を歌うと、きっとそれはハ調になる。(p.18)

 自然なのはハ長調で、そして問題はそれから外れた音楽だ、と(ベートーヴェンの曲のことを言っている)。

 著者であり、ここでの話し手であるアランは、ハ長調を選択することは自然な傾向に従うことである、としていて、たとえばベートーヴェンのソナタなど、ハ調以外で書かれたものには意味があるに違いない、と言っている。

 もっというと、「最も自然な」ハ長調と違う調性を選ぶところに、作曲家の自然にあらがう意志を感じる、ということのようだ。

 音の高さや、曲の調性が、それぞれに違う感じをともなって聞こえるというのは日ごろ感じるところ。
 ハ調と、ト調は違うし、ましてやホ調とも違う・・・。

ト調は、われわれすべての始まりがそうであるように、子供であるということさ。だが、ニ調というのは、反省、こころの用意、確信によって、はやくも成年にまで成長している姿なのだ。イ調となると、私にはすでにあの幸福な慣れというものが聞こえる。(・・・)ホ調、これはオリンポス神の調なのだね。英知などなくて済ませるあのゼウスの調なのだよ。(p.19)

 オリンポス神の調・・・。というのはよくわからないのだが、なんとなく聞こえる音の感じと合っているような気がする。荘厳で、妙なる感じ?
 とこのように非常に感覚的な議論なのだが(ならざるを得ないというか)、時にはっとさせられる。

 少し戻るけれど、ハ長調が人間の身体構造とつながっているというのは面白いなと思う。これはどういうことなのだろう。
 読んでいてふとKANさんを思い出した。彼の曲は、けっこうト調で書かれたものが多いなと思う。けして子どもだと言いたいわけではないのだが、作曲家によって、得意とする調性があったりするのだろう。


 「小説 仮面ライダーディケイド」を読み終わりました。TV版を見終わった時のようなモヤモヤ感(それはそれで魅力だったのだが)はなかったのですっきりとした読了感が得られました。士だけではなくて、サブキャラの夏海や海東、鳴滝の内面を掘り下げる形できっちり描いているので、文庫版の独自設定とは言え、あの謎が小骨のように喉にひっかかってた人には納得感のある一冊です。

 それぞれの「ライダーの世界」も面白かった。カブトは見てないんだけど、天道総司のキャラクターはすごくいいですね。俺様キャラでは士に負けてない。テレビ版でも、もしも士と並んだらば、こんな力関係になるんだろうか・・・。

 ところで、カブト編に出てくる、魚料理がおいしそうだった。「鱧(はも)の湯引き」とか。自分は知らなかったのだけど、鱧は関西方面の人であれば夏にかけて連日目にする魚なんですね。小説で目にしたからというのもあるけど、唐突に食べたくなった。

そういえば、ディケイドはTVでもよく食卓を囲んでいたなあと。疑似的かもしれないが「家族」というのはディケイドのテーマのひとつかもしれない。

 小説版の仮面ライダーはこれがはじめてなんだけど、ネットで評判をみつつ、他にも試してみようかなと思った次第でした。

関連:もう一人の門矢士

 「小説 仮面ライダーディケイド」を読んでいるのだけれど、これがけっこう面白いです。

 これを読もうという人は大体がテレビで放映を見てた人ということになるはずだけれど、テレビ版とは微妙に違うスピンオフ作品になっていて、また違う味わいがある。

 たとえば、主人公の士(つかさ)が、怪人や仮面ライダーの登場しない「現実世界」では「胎内回帰願望」(!)をもつ冴えない青年であったりする。クウガやカブトに変身するのが、TV版のオリジナルキャストだったりする。自分探しをして別世界に旅立ち、ディケイドに変身することで変身願望を満たす。これはテレビ版の士とはずいぶん違う雰囲気である。

 しかし・・・胎内回帰願望って。

 この現実に向き合えない士が、テレビ版のように「世界を滅ぼす戦士」となることを、示唆する文章があって、このくだりは妙に迫力がある。

人間も動物も草木も食いつくしてしまうと怪物は共食いをはじめる。
度重なる共食いの末に残るのは無ばかり。この世のすべてが一体となった無だ。
その究極の共栄状態こそ、士の望むものだった(p.81)

 ここでの「怪物」というのは、暗に仮面ライダーのことを指しているのかもしれない。

 まだ物語は読書の途中なんだけれど、この実は情けなかった、、という意外なキャラを見せる士がどう「世界を引き受ける」かが、重要なキーポイントになることは間違いないのかなと思う。

関連:ディケイド、読了


 Helloween の The Master of the Rings に入っている The Game is on という曲を聴いてる。

the game is fun
But when it has won
All you ever hear is what it says

 この曲はたぶんシンプルな反ビデオ・ゲーム・ソングで、ゲームばかりやってると、頭があっちにいっちゃうぞ、という子どもたちへの警告なのだと思う。現実世界で生きようぜ、と言いたいのかもしれない。しかし、曲調がすごく、楽しそうなので、ぱっと聴いた感じぜんぜんそんな曲だと思わない(笑)つかわれているシンセも、微妙に8-bitなピコピコ感があって楽しい。揶揄するために入れてるんだとは思うけれど。

 しかしぼくは個人的には自分のことをゲーマーだと思っていて、この曲の歌詞の内容に賛成ではない(笑)

 ところでこの曲が入ってる The Master of the Rings は1990年代のメタル・アルバムの名盤と世評が高い。とても勢いがあってメロディもよいので、久しぶりに聴いてメタル・キッズ心に火がつきました。ドライブとかしながら聴いたら楽しそうだな。


 押入れから引っ張り出してきた古いCDをいくつか聴いてる。スペースの関係で処分しなければいけないものもある・・・。そのなかの一枚がIron Maidenの「Virtual XI」というメタル・アルバムなのだが、これは中古屋さんで安く売られていたのを買ってきたのだと思う。買った当時は、なんじゃこりゃ的な肩すかし感があったのを覚えている。けれど聴いてみると、意外にスルメ的に格好良くなるアルバムである。

 ブレイズ・ベイリーというシンガーの男くさい歌唱と、ごりごりいうベースと、反復されるシンプルなフレーズ。メロディが格好いい曲も多い。アレンジは簡素というか、シンプル極まりないが、逆にそれぞれの楽器の音質や、微妙な味わいが感じ取られるのではないかと思う。逆に、スター・バンド的な華やかさや、多重録音の妙味や豪華さとは、ほぼ無縁。


 CDとしては珍しく、ホログラムで立体的に表現したジャケットが入ってて、不思議な力の入れようを感じる。一枚のカードになっているので、それだけを部屋に飾っておいてもよさそうな(?)感じ。

 また、8曲しか曲が入ってないのに「XI」とはこれいかに・・・と不思議だったのだが、ジャケットの冊子をめくってみると、サッカーチームに扮したメンバーの写真が写っており、なるほどそれでか、と。


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