「響け!ユーフォニアム」のアニメシーズン1と、総集編ともいえる劇場版を一通り見終わった。

 テレビ放映分は、長尺(全話みると4時間を超える)をじっくり見ることができ、劇場版は、作品のおいしいとこどりがブラッシュアップされた映像と音声で観ることができる。あとこの作品の肝ともいえる演奏シーンを完全版?の長さで楽しめる・・・ということで、それぞれに違ったよさがあった。

 作品はテレビ放映のときから、細かい仕草や心理描写の作り込みがとにかく細かく、作画もよくて、平均的な深夜アニメの水準を大きく超えていたと思われる。

 劇場版で足早に過ぎていくエピソードを見ながら、ここに圧縮される前のテレビ版の展開するリズムやテンポが思い出されて、変になつかしい気持ちになったりした。

 そろそろ第2期がはじまるということなので、今から楽しみにしてます。

 赤レンガ近くの桟橋に、水上バスがついてからは、少しまたぶらぶら散歩。いつのまにか日が落ちていた。

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 赤レンガ内のお店で服を見たりとか、まあそんな感じで。けっきょく夜も、建物内にある、ブルーノート東京がやっているモーションブルーというお店で食べました。ビル・ウィザーズのハーレムとかが、かかってたのを覚えてる。

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 その後は馬車道駅まで歩いて、わがやへと帰投したのでした。

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 夜の横浜はネオンがきれいでした。いいなあと思いながらのんびり歩いていたら、橋の手すりの上に、なぜかコダックが出てきたのだった。

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 「ショートターム」という映画をみた。これは、舞台がアメリカの18歳未満の児童を保護収容するための施設で、そこにいる子供たちと世話役の青年たちとの交流を描いている。

 とてもよかった。ひとつには、製作者が登場人物に向けるまなざしが温かかったからだ。この映画に出てくる子どもは、自閉症的であったり、自傷癖があったり、一筋縄ではいかない、たいへんな曲者ぞろいである。

 ショートターム12の施設では、毎日が波乱の連続だといえる。脱走、暴力、とんでもない修羅場を何度も体験する。この世を呪いたくなるような。しかし、パニックになりそうな事件の裏で、ふと心温まるやりとりが垣間見られたりすることで、画面の中の彼らだけでなく見ている自分たちも、ふと救われた気持ちになる。

 また、施設の中では、青年たちは子どもたちを世話する側だが、だからといってまったく上位に立っているわけではなく、問題を抱えた子どもたちと同じように、解決しなければならない課題をもっている。

 この辺のさじ加減があるおかげで、この話はぼくたちにも無縁の出来事ではないと知る。

 みていてなにか、以前にみた映画に似たテイストだな、とふと感じた。あとになって思い出したのだがそれは「かいじゅうたちのいるところ」という映画で、あの作品を見たときも、同じようにやり場のない気持ち、ふと救われるような気持ちを同時に体験したのだった。

 9月も気がつけば半ばを過ぎている。あと1週間ほどで、FF13とのコラボ企画「ライトニング・リザレクション」も終了する。

 9月上旬のメビウスデーでは、このコラボでしか(現在のところ)手に入らないと思われるカードのアビリティ・レベルをひたすらにあげた。手持ちのカードで対象となっているほとんどのカードは、この機会にマックスにしてしまった。なにをやってるんだか。

 経験的には、いま要らないと思っているカードも、あたらしいジョブカードを引いたりするのを機に陽の目をみることがある。だから、すぐには使わないのだが、とりあえず育てておくことにはゲームを続けるうえでは意味がある。

 そういう枠に入っているのは、「ケンタウロス」(戦士系、闇属性)のカードとか。めんどうだけど、マックスにしました。

 ホープ、スノウ、ヴァニラ、ジダン、イーリス、ガーゴイルといったあたりはマックスに。ライトニングは、戦ううちに強くなりすぎて手が出なくなってしまった。

 さて、そうこうしている間にもう一方の、星のドラゴンクエストとのコラボ・リージョンもすすめた。このコラボでは、「ぶとうか」ということで「モンク」系のジョブやアビリティも育てておかないと進めない場面があるのだが、これがなかなかに、やっかい。なぜなら、これまでに僕は一切のモンクに手をつけずにきたから。

 仕方がないので、手持ちでいちばん強そうなグラップラーというジョブを選び(つまり、不屈のヒーローはもってない)、能力の上限まで育てきる。

 グラップラーは「ライトニング」コラボの、スノウという攻撃型カードも使えるので、とりあえずそれと、星ドラのコラボで得たカンダタ、パズドラのコラボで得たノアなどをつけて、なんとか進む。

 星のドラゴンクエストは、ガチャをぜんぶで4回引いた。目玉の「伝説の勇者」などのジョブは一切でなかった。かわりに、はぐれメタル、あくましんかん、伝説の竜王など、めぼしいアビリティカードは引けたので、ひとまずそこで満足する。

 今回はいちおうマルチもやっています。りゅうおうと、正体をあらわしたほうの竜王をなんども倒し、やっとメタスラダガーが真打に。あとの武器は・・・どうしようかな・・・。

 『ジャズメンとの約束』という本を読んでいて、スタン・ゲッツが再三にわたって、著者の中山康樹と交わした写真撮影の約束を破り続ける、というエピソードがあった。約束を破った理由は、日本(人)が嫌いだから、ということらしい。

 著者は、「それこそが、スタン・ゲッツ」なのだ。と書いて、強く責めるような気配はない。

 それどころか、むしろ、そのことにより、スタン・ゲッツは何をしても許される、と称賛するような書き方をしている。なぜなら、天才だから。

 現代だったら、そんな出来事があれば、すぐにニュースとなり炎上し、著者と日本人に謝罪しろという圧迫が、つよくこのテナー・サックス奏者に迫っていたことだろう。

 横暴だけど、それでいいんじゃないか、天才なんだから。と飲み込むことができるのは、信頼、あるいは愛のなせる業である。

 才能に関係なく、誰かがなにかで炎上する場面を日々見て過ごしているからか、このエッセイの顛末を読んだ時には、とても新鮮に感じた。

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