parade 0.5

 いわゆる、ライフログというものです。

音楽の趣味で、その人の脳の仕組みが分かる(ケンブリッジ大学の研究結果)」というニュースが出ていた。

 それによれば、

感情移入しやすい人はR&B/ソウル、アダルト・コンテンポラリー、ソフトロックなどの「メロウ」な音楽を好み、論理的な考え方をする傾向にある人は、パンク、ヘビーメタル、ハードロックなどのより「激しい」音楽を好む傾向にあることが分かった。

 とのこと。また、

研究者グループは、人は自身の精神状態を反映し、それを強化する音楽を求めるという仮説を立てている。
「人は、自分自身を表す音楽を選ぶようです」と、グリーンバーグ氏は語った。

 けっこう面白い結果で、さらなる研究が待たれる。クラシックやジャズなどの他ジャンルであったり、歌詞のあり/なしでどう変わるか、など、細かい傾向が出るんじゃないだろうか。なんて。

 自分は少年時代には、この研究でいうところの「論理的」音楽ばっかり聴いていた。のちになって嗜好が代わり、ソウルやR &B 系の比重がかなり増えている。

 ふたつめの、「自分自身を表す音楽」というのは、とてもよくわかる。自分はエネルギーが有り余っているときは、アッパーな曲や、ハードな曲をガシガシかける。元気がない時や疲れた時は、小さめの音量で室内楽を聴いたりする。

THE PIER (通常盤)

 ジャケットは、桟橋・埠頭(pier)に立っている、くるりのメンバーと思しき人物たちの姿。歌詞に出てくる、旅立ちや別れを思わせる歌詞。異様な多ジャンルからの音楽的参照。

 村から出て、旅人になり、音楽的冒険をするという意志表示ですな。

 去年くらいに聴いて1、2を争う衝撃を受けたのが、このアルバムにも入っている「Liberty & Gravity」という曲。PVの奇想天外な印象もあり、筒井康隆の曲なんじゃないかと(冗談)思うくらいのインパクトだった。

 マーチ風のリズムでスタートするイントロ。乗っかってくる印象的な旋律はエレクトリック・シタールという楽器で、そこにホーンが合いの手を入れてくる。という、あまり聴いたことのない独創的な配置。

 歌に入ると、いつのまにか裏ノリに導かれており、ダンス・ミュージックに姿を変えている。音楽的に不自然な感じもしない。こんな曲想がありなんだ!と驚く。

 くるりがこのアルバムで試みていることは、散在する広大な音楽的リソース(それは当然、日本に留まらない)の渉猟と、それらを音楽的にミクスチャーしつづけることで、より広い世界(音楽の歴史みたいなもの)に接続していこうという壮大な企てなのかもしれない。「Liberty & Gravity」だけではなくて、アルバムに収録された多くの曲から受ける印象(部分によっては、要素同士がかみ合わず、少しちぐはぐな印象を受けることもあるけれど)。

 どんなに新しい意匠をまとっても、「日本語ロック」という枠組みはかわらないけれど、それ自体は大した問題ではないだろうと思う。それ以上に、強い音楽的な野心を感じる力作だと思った。

 編集者的野心。

 アルバムに入っているそれ以外の曲では、「最後のメリークリスマス」という曲がけっこう好きです。

SHE スウィート・ハートエイク

 ジャケットがクールですね。
この「She」というアルバムはすごく気に入って、ジャケットが気に入ったのもあって、アナログ盤まで買ってしまった。

 しっとりとした欧州的情緒(?)を漂わせるフレンチ・ポップの名作。

 これは1985年に発表されたアルバムだそうで、日本でも短い期間ながら人気が出たそうだけれど、ぼくは全く記憶になく、後追いで知っていいなと思った。

 どれか1曲挙げてと言われたら、やはり2曲目の「Sweet,Soft N Lazy」かなという気はしている。ちょっとボサノヴァ風の、風を孕んだような軽めの曲想なのだが、タイトル通りちょっと気だるい感じも出ていて、不思議な魅力がある良い曲です。

 他にもいい曲はあります。サックスが渋く伴奏する「Canoe Rose」のような、欧州的な哀調を帯びたバラードもいい。ベタだけど、そこがいいんだよな。

 その他にも、当時先端的だった(と思われる)シンセ・サウンドの入った曲、ダンス・ミュージックの音を取り入れながら、伝統的なシャンソンの情緒も強く感じさせる曲・・・という感じで、聴いていて飽きない。
 今振り返ると、様々な音楽がけっこう面白い混ざり方をしていて、新鮮に聞こえるのではないだろうか。

 ヴォーカルをつとめる、まだ25歳のヴィクター・ラズロは、しなやかで少し湿った、とても艶っぽい声をしている。年の割に貫禄がある。ポップ・ヴォーカルとしても、シャンソン歌手としても、しっかりとした表現力のある歌手だと思う。

 個人的にはフランスのポピュラー音楽は(シャンソンなどいくつか聴いてきているけれど)わりに未開拓なので、これからちょっとずつ聴いていこうかと思っている。

 当たり前だけれどはっとしたこと。

 本は、私たちにある種の自由を与えてくれる。本を読むとき、精神的に活動的になることができる。私たちは物語の(思い描く行為の)正真正銘の参加者なのである。
 メンデルサンドは、彼の本の中でこんな風に言った。

 自分たちは、映画やテレビなどからあまりに多くの刺激を受け過ぎて、想像する力が衰えてきているのではないか・・・。
 (その是非は僕にはわからない)

 しかし、映画やテレビや、携帯デバイスからの視覚的イメージが増えたからと言って、自分たちは本を読まなくなったわけではない。押しつけられるように与えられる視覚的情報を「見る」のではなく、読書によって自分たちで自前で視覚イメージを立ち上げる。

 それこそが、本を読む者に与えられた自由なのだと、彼は言う。

 本はその点で、想像力を養うのにはちょうどいい、ということになるだろう。

 そしてまた、物語の「体験の深さ」も、自前の想像力が必要とされる「読書」のほうが、イメージの精確さには欠けるかもしれないが、他のメディアにおけるそれよりも「深い」ということになるのかもしれない。

 ぼくは、テレビより文学が偉いとか、別にそういうことを言いたいわけではない。それよりも、「人はどうして本を読むのか(テレビや映画があふれている時代に)」ということがずっと気になっているので、上の引用のような文章を読むと、「なるほど、そういうことか」とひざを打ちたくなるのだった。

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