12月の、ながいメビウスデーの真っ最中です。

 前回が主にマルチ(協力プレイ)の話だったので、今回はソロについて書きます。

 メインストーリーは、6章後半まで辿り着いた。異端の魔女メイアと主人公がようやっと巡り会い、手分け、もしくは協力してストーリーを進めていくことになった。

 めんどくさい。。

 ・・・思わず本音が出てしまった。デッキを組むのが、めんどくさい。

 まあしかし、めんどくさいのは今に始まったことではないので、粛々と指示のとおりに進めていくしかない。

 6章くらいまでくると、戦闘そのものに新鮮な感覚ってほとんどなくて、だいたいはフルオート(AIに戦闘おまかせ)でこなしていく。

 新カードを育てる作業も、なんだか既視感ばかり強い。以前のように、★4カードが最強の★5カードにランクアップした時のような感動も薄い。

 はっきり言ってマンネリ。こういうプレイヤーは多いのではないかと推察される。制作側としては、これからどうやって新味を出していくかが難しいところなのではないかと推察される。

 たぶん6章では、そういうこともあり、プレイ感覚に変化をつけるために、それぞれのエリアに「クリア条件」を課すことになったのだろうと思う。

 6章のリリース後は大変ハードな条件ばかりだったけれど、難易度調整もなされ、ちょっとデッキをいじれば条件クリアできるくらいになったのは、よかったと思う。

 むむむ。

 さて、1年ぶりに復刻されたスペシャルリージョンの「FF7 Remake」は、参番魔晄炉の下層まできたところ。

 ダダルマー班を沢山たおして、★5ランクのダダルマーを2枚作った。ついでに、マーメイド班も出てくるので、マーメイドも★5。

 一年前に中途半端に育てたところで終了してしまい涙を飲んだ、ジェシーのカードもめでたくマックスに。

 あとは、バレットを育てればやること終わり。

 まさか、FF7のリージョンが1年越しに復活するとは思わなかったけれど、これは個人的にはありだと思う。せっかくのコンテンツなんだしね。でも一年後にもう一回やりたいかと言われたら、それはわからない。それはともかく、一応素材カードとかも1年間捨てずにとっておいて、よかったなあ。

 メビウスデーは、カード育成がかなりはかどるので、あまりストレスなくさまざまなカードが育っております。

 特筆すべきは、エキスパンドスキルの覚醒しやすさで、2つくらいしかエキスパンド覚醒してなかったサポートカードが、あっというまに何枚か全開放に辿り着いたのには、びっくりした。

 育てるなら今のうち、という感じ。

 最後に、武器強化について。全容がよくわかってないので、いちばん強化しやすい「HP」をあげて、回数をこなすことで可能となる「武器改造」、これをさきにどんどんやってみよう、という方針でやってます。そのうちに、どの武器を育てるといいとかいう情報も入ってくるかなと。

 現在はダムゼルウイングと村正の2スロットで、ぼちぼちやっているところ。

 そのうちまた報告します。

 漫画『BLUE GIANT』2巻では、テナーサックスを手に世界一のジャズプレイヤーを目指す大の前に、師匠が現れる。

 圧倒的な躍動感を持つが無軌道な大が、音のコントロールに長けた師匠のエッセンスを吸収することで、弁証法的にビルドアップされ、一段高次のステージに立てる・・・ということなのだろうか。

 しかし。師匠は、大からすれば「すごいプレイヤー」なのだが、人のこころに届く音楽を鳴らせない点で、自分は全然ダメだという。

 複雑な音階を、正確無比に吹きこなす、という離れ業を持つ師匠。統制そのもの、というイメージだ。それをいきなり、そんなにぽっきり「全然ダメ」などと折れなくても・・・と思うのだが。

 「師匠がいきなり負けている」という登場をするところがなんか新鮮だ。

 大の音楽的なアイデンティティであるところの、熱さ、激しさ、躍動感、というのは、これまでのところ、作品世界のなかで基本的には肯定的に包み込まれていて、そこに陰影のようなものは描かれていない。本質的な敵は見つからない。

 周囲の無理解といったものも、あるいみ雑音の域を出ないし、アンチとなるべき師匠は初めから折れてしまっている。

 うーむ。いまいち、つかみきれん。

 そんなわけで、個人的にはまだ物語に「乗る」というところにまでは至っていないのです。

 2巻のなかで、大の感情的なコンディションが演奏に反映される、という描写がちらっと見られるのは、今後やってくる起伏のあるドラマの存在を示唆しているのかもしれない。

 家族をめぐるドラマ、恋人をめぐるドラマ。

 そういうものがこの先描かれるのだとしたら、それによって大の演奏がどんな風に変わっていくのか、というようなことが気になっている。

 プリニウスは、博物学者として領域を限定せずに、世の中のいろいろな事象についての知識を収拾した人物だった。

 超大量の情報が生み出され続ける現代では、ひとりの人間が収集できる情報は、たかが知れているし、すぐに時間と体の限界にぶちあたってしまうことになるが、古代ローマではそうではなかった(のだと思う)。

 だから、ひとりの卓越した知識人が、体を張って、世界の不思議に挑むことができた。

 漫画『プリニウス』には、火山や雷といった危険な自然現象を目前に、危険であることもわすれて見入ってしまう様子が時々、出てくる。(1巻まで読んだところ)

 漫画の中では、プリニウスが生きた時代の習俗などが豊富に描かれていて、(とり・みきさんが細密に背景を描いていることもあり)実際の古代ローマはこんな感じだったのかも。そんな風に感じることのできる、リアリティがある。

 同時に、古く歴史をさかのぼるとは、ファンタジー世界に入っていくことにも似ている。

 歴史的に、細部の細部までは、伝えられていなかったりで、よくわからなかったりする。

 古代の人たちは、未知なるものをどのように捉えていたのか?

 そこを補うのは、今の時代から歴史を掘り下げる人の想像力にかかっている。

 想像力のなかでは、いろいろな事が起きる。だから、歴史的な考証のなかで、幻想の産物としか思えないようなものに出会うことは、不思議なことではない。

 むしろそこが、昔の人の心の覗き窓であったりするのかもしれない。

 ということで、すごく変わった漫画であると思います。

 虚実のはざまでゆらゆら揺られるようにこの漫画を読んだ。たぶん、当時のプリニウスたちも、キマイラなどよく分からないものを前に、なにがこの世界の真実なのか、揺れ動いていたのかも。

 というようなことを思った。

 いま、ジャズに憧れる人って、どういうところを向くのだろうか。

 古典的なジャズは、もはや伝統芸能と認識されることもある。洗練の果てにスタイルは出尽くし、その枠の中でなんとか続けられている古びたジャンル、というような。

 そのため、新世代のジャズ・ミュージシャンは、生き延びるためにも、積極的に多ジャンルとのクロスオーバーをもくろむ流れが進んできている。

 たとえばヒップホップと融合し、時代の流れに沿った音楽を作ろうとするミュージシャンもいる。

 漫画『BLUE GIANT』の主人公の大は、世界一のジャズ・ミュージシャンに憧れて、テナーサックスを吹きながら、高校生活を送る。

 彼が出会うのは、周囲の人たちのジャズに対する無理解だった。聴いてもよくわからない、メロディが取りづらい、古臭い。それか、おしゃれ、大人の、とかいうものばかりだった。これらは、いつでもどこでも、ショッピングモールでも居酒屋でもジャズが流れてくる時代の、表面的で通俗的な理解あるいは無理解に過ぎず、大にとってはとても納得できない。

 楽器屋の店主の理解を得て、はじめてライブの場にたつけれど、そこでも、聴衆のもとめるものは「静かな大人のジャズ」だった。

 ジャズに「熱くてハゲしい」プリミティブな魅力を感じる大にとっての定義は、「ジャズは感情の音楽」だった。もっというと、音に乗った感情をリスナーにも伝播させ、共振するようなもの、として捉えているのだと思う。

 だから大の演奏は下手だけど、心に届く。友を奮い立たせ、また泣かせる。そういうものとして描かれてる。

 ジャズのレガシーを模範にして、彼のやろうとしていることは、古き良きジャズのエッセンスを取り出して、現代に復活させるということなのかもしれない。ジャズを伝統芸能とは呼ばせない、というような。

 一巻が終わるころには、彼は成長して、一丁前の帽子をかぶって演奏をするようになった(成長した未来のワン・シーン?)。

 この話はどう転んでいくんだろう。続きを読むのがとても楽しみだ。

 『仁』の5巻を読み始めて、軽くがっかりしてしまったのは、「結局、やらなかった」ということだった。あそこまで距離が縮まっていたというのに。

 もちろん、どんどんやってしまえばいいという話ではなくて、あそこまでの引きを作っておいて、ないのか、ということだ。おじさんこのまま、いいやつで終わっちゃうぞ。

 あそこで火事が広がる必然性とはなんだったのだろうか・・・。

 しかしそれ以降、彼に思いを寄せる二人の女性のドラマが展開し、仁医師も自らの生き方を内省することになる。そこに至り、はじめてあの火事の夜がなんだったのか、読者にもわかってくる。

 相変わらずおもしろいです。

 仁医師ひとりが神々しく立ち回るというのではなくて、今回は佐分利医師が、「カッ」と眼光を発し、特殊技能を発揮する活躍もあったりで。

 さて、この漫画は一種の「可能世界」もので、その中で、現代の医学(器具などの制限付き)を江戸時代に適応したらどうなるかという思考実験が、ひとつの魅力になっていると思う。

 この可能世界が、仁にとってどのような位置にあるのかは、その心の揺れ動きが、個人的には読んでいて面白いです。

 もともとは、現代の世界が彼の帰る場所なのであるし、実際に仁は何度か、現代に戻ろうとするが、謎の力によって引き戻されたりする。

 歴史が改変され、パラレルワールドとなった江戸時代で暮らすうちに、少しずつ仁はなじんでくる。

 誰も愛さないとか言いながらも、思慕の対象も見つかる。

 結局、結末では、仁は現代に帰ってしまうのかもしれない。

 しかしそれでは面白くない。可能世界も世界なのだから、江戸に居ついてしまえばいいのに、と思う。

 タイムスリップのかも引き金を作ったと思われる、謎の赤ん坊の正体は、5巻では明かされなかった。きっと、もっと後になってる判明する、物語の根幹にかかわるものなんでしょうね。

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