明けましておめでとうございます。

February 09, 2016

新年一発目の更新ですが2/27に引退する一番弟子の白井祐矢について書きたいと思います。

自分と滑川さんでチームMADを立ち上げ最初に合流したのが白井でした。
まだ若手だったのでアルバイトしながら格闘技をやるというスタンスでこれから頑張っていこうと言ってた矢先、「すいません彼女が妊娠しました」
皆が彼女すらろくにいなかった時代、「えぇ〜〜っ」って感じで練習仲間で驚きました。

どうすんだこれから?
と困っていた時にPRIDEでバリバリ試合していた吉田秀彦さんが拾ってくれました。
格闘技をしながら専属運転手に使ってもらえたのです。

無計画でしたが父親となり格闘家として成功する事を夢見て俺や中村カズの背中を追っていました。
吉田道場でもRIKIXでも必ず自分についてきてました。
俺の弟子なのに酒は飲めません。1回だけウーロンハイ飲ませたら顔が紫になって死にかけていました。代わりにその晩、三浦広光が大暴れしていたのも今となっては良い思い出です。」

選手としては苦しい戦いを続けていましたがいつもあと一歩のところで星を落としてました。
あがり症なところもあってかこの一戦で全てを変えれるという時こそしっかり負けました。
そんな彼を人は練習番長と呼びます。
網膜剥離になったりバイクを2度も盗まれたり運も彼にはついてきません。

YO3_6005しかし長く身近に接してきて本当に成長したと思います。
前はインタビューもろくに喋れなかったのでいつも自分が考えてあげていました。
するとセリフがオリジナルではないので全然熱意が伝わってきません。

地味強ファイターとしてのポジションを維持していたのですが昨年は後輩の渡辺悠太に敗北しました。
実はその時はリカバリーを失敗し全身が攣ってしまい酷い状況でした。
痛み止めを打って極限の中で試合をしたのですが持っている男だったらそんな状況でこそ勝つはずです。
でもやっぱり白井でした。
見事にのされて引退を決意。

そこから間に自分への恩返ししてくれたTTFでの一試合を挟んで今月27日に引退です。

対戦相手はミノワマンです。
最後はやりたい相手と戦ったら?と本人に話しました。
多分本人は勝ててなかった外人ファイターとやりたかったようです。
でもミノワマンの名前が浮上して白井はミノワマンを選択しました。

それは応援に来てくれる人達がミノワマンだったら有名で喜ぶからというのが理由でした。
PRIDEが盛り上がってた時に活躍した選手、自分がいけなかった舞台で活躍していた選手、最後の試合で周りへの恩をしっかり試合で返して欲しいと思うし自分は勝利で次なるステージに送ってあげたいと思います。

この試合に向けてSNSでスポンサーを集めました。
手を挙げてくれる人が多く本当に感謝しております。

最後になりますが我弟子の応援よろしくお願い致します。
満員の後楽園で試合させてやりたいです。

【DEEP 75 IMPACT】白井祐矢引退試合
DEEPウェルター級(77.1kg以下) 
白井祐矢(TRIBE TOKYO M.M.A) VS ミノワマン(フリー)

開催名: DEEP 75 IMPACT〜DEEP15周年大会〜
日時:2016年2月27日(土)OPEN/17:30  START/18:00
※オープニングファイトは17:40開始予定
会場:後楽園ホール 
チケットはTRIBE TOKYO M.M.Aでも取り扱います。

TTFでのインタビュー  
Posted by ryo_chonan at 16:47

戦う事3

December 17, 2015

長々と自分の体験談を書いてしまったが自分のやってきたことを弟子達にやって欲しいとは思っていない。
怪我が酷ければ断ってもいいし対戦相手は選ぶことも必要だと思って自分はマネージメントしている。

現在うちは所属選手にコンスタントに試合の機会を作れている状況だ。
選手からは月謝しかもらってないのでトレーナー雇ったりセコンド行ったりしている事自体支出の面から赤字である。
何故そんな事を続けてるのかと言うと自分が引退した今でも戦いの中に身をおいておきたいから。
結局この競技が好きだし選手と共に挑戦したいから。

なのに試合で負けてまた頑張ります。
負けるのは勝負事だから仕方がない。
しかしまた頑張ります。また頑張ります。なんて言葉は下手な鉄砲も数打ちゃ当たるようなもんで流石にいつかは勝つだろう。
好きだから続けているのかも知れないが自己満足の世界にわざわざ俺は付き合ってはいられない。

覚悟がそこにあるのか?
沢山応援に来てくれてるだろう。皆が何かを期待して来てくれてるだろう。
お前らが返す事はありがとうとか言う言葉ではなく試合の内容と勝利に賭ける気持ちである。
その思いが強ければ応援団以外にも伝わるだろうしこんな時代でも大きなものを勝ち取る事が出来るはずだと思う。
こんな風に書いてると根性先生みたいに思われるかも知れないが自分はジムでは技術や作戦に徹している。
気持ちの面は自分で作るものだとそれぞれに任せている。

勇気や覚悟の指導法を俺は知らない。
ただ自分の歩んできた格闘技と弟子達の歩むこれからの格闘技が同一線上であって欲しいと思っている。

終わり
  
Posted by ryo_chonan at 07:09

戦う事2

リングにおける自分が何なのかをよく考えた。
自分なんてアマチュアから這い上がってきた人間でもないのにプロのリングで試合していいのかいう葛藤がいつもあった。
誰でもぶち殺す気持ちはあったけど格闘技の凄いファンだったからこそリスペクトが強すぎて須田さんやマッハさんにはやられておしまい的な事は普通に思っていた。

当時の格闘技ファンの俺からすると修斗こそ最強だったし俺みたいな奴が手を合わせて貰えるだけでラッキーな感覚があった。

でも周りを見てると皆が期待してくれてた。
地元から、仕事の同僚から、練習仲間が、皆好きな人達だったから裏切りたくなくて命を振り絞った。
俺なんか死んでも良いけど皆には悲しい思いはさせたくないと。

今思えば格闘技ファンだった頃に自分が理想とするような選手に自分を近づけようと必死だったのかと思う。
相手を選ばず誰が相手でも戦い決して引かない。

自分の言った言葉に責任を持たなければいけないと。
と言った感じで試合前のインタビュー等で言わなくても良いようなビックマウスをよく放ったと思う。殺らなければ殺られる(恥をかく)ような状況を自分で作ったのだ。

勝てそうなところを狙って試合するような選手は好きじゃなかったし実際自分がモチベーションの上がらない相手は断った事もある。
PRIDEの時はほぼ中毒症状になり自分よりデカい相手との試合で皆が避けたいところを自ら選択して進もうとしていた。
その代償が試合で負った頬骨陥没骨折という怪我で顔にプレート2箇所のプレートを入れるような大手術をする事になり10年以上経った今でも左側の歯茎付近はずっと痺れている。
ずっと殺す殺す言ってた人間だから生きてる事でさえありがたいとは思ったが当時は痛みと顔のビリビリした感覚が酷くて気持ちが折れそうになる事もあった。

試合をキャンセルしたのは1回しかない。
普通の選手だったら断ってるし自分の弟子だったら試合をさせないような状況でも自分は試合をした。
理由は簡単だった。
殺すと言ってる人間が怪我で休みますでは筋が通らないだろと。
ただそんな怪我をしている無茶な状況こそ結果は良かったりした。
命懸けで戦えていたのだと思う。
キャンセルはUFCでの1回のみ。
アメリカ滞在中に肋骨を折ってしまい練習が出来なくなったのだが、やれる事をやって試合2週間前に再び対人練習をしてみると腹を押されただけで激痛が走り床を転がりまくった。
それを見た当時のクエストのマネージャーがその場でジョーシルバに電話して「チョーナンは怪我で試合は出来ない。でも奴はプッシーじゃない」と言ってたのだが次の日には変わりの対戦相手が即発表されていた。代役が見つかり難い日本のイベントと違い世界中のファイターが列を作って待ってるUFCの層の厚さを感じた。

続く
  
Posted by ryo_chonan at 00:58

戦う事

December 16, 2015

最近のうちの選手の試合の件で思うことがあったので書きたいと思います。
まぁ選手たちも見てるし普段選手たちに直接言ってる事も多いけど文章を読んで考えて欲しいと。

自分が引退して2年、現役時代を振り返る。
試合の時はいつも殺す気だった。
本気だった。
ルールに沿ってれば相手は死んでさえいいと思っていた。
逆に殺されても仕方ないという覚悟もあった。

殺す気でもルールは守っていた。ロープやケージを掴んだことは1回もないし勿論体重はしっかり守る。
殺し合いにおける最低限の約束だった。

試合時入場時間近くになると殺気が上がる。
後楽園とかでお客さんが盛り上がってると血が沸騰するような感覚になる。
試合前の緊張はいつもそんなにしなかった。
本当に試合なのか今日は?ぐらいに緊張感がない日も多かったと思う。
その分仲間やお客さんの応援やリングの空気で自分を奮い立たせて集中していた。

しかし何故緊張しなかったのか?
答えははっきり解る。
格闘技を始める前、山形から19歳で上京して沢山の夢があったはずなのに仕事して生きるだけの生活を5年も続けていた。実家で甘い生活を送ってたツケなのかとても好きな事をやるような余裕はない。
年も23歳になった。
ただ当たり前に働いて周りの人には若いのに偉いねと言われていたが何も嬉しくなかったし精神的にはどん底だった。
田舎の友人たちとも離れ離れで現場のおっさんたちに囲まれ何もない働くだけの日々、休日を待つだけの日々。待っていたはずの休日でさえ朝起きなくていいだけでする事がない。
死んでもいいかなと思っていた時期もあった。

死んでも死にきれないから勇気を出して一歩進んで始めたのが格闘技。
毎日が仕事と練習でかなり辛い生活だったはずなのに嫌だとは一切思わなかった。
練習も妥協しなかったし仕事も変わらず続けていた。
型枠大工一本の時と違って仲間も世代を超えてどんどん増えていった。
肉体は悲鳴をあげていたけど気持ちは反対で毎日が楽しくて仕方がなかった。

格闘技を始めてから1年後にプロになってずっと読み続けていた格闘技雑誌の中に入る事が出来た。
大工の寮生活での地獄の日々を振り返ると試合や相手は何も怖くなかった。
リング上でギラギラしていたのは5年間溜め込んでいた自分の気持ちの開放だった。


生きる実感を初めて得ることができた。

続く  
Posted by ryo_chonan at 22:28

ライカ

September 25, 2015

まずは9/23 TTE CHALLENGE 05沢山の来場と声援ありがとうございました。

大会準備から振り返るといろいろあり過ぎてブログじゃ無理なので心に残ったライカの戦いを書きたいと思います。

昨年の大晦日にDEEPに出場して何も出来ずに敗北したライカ。
自分はその時多数の選手のサポートでアリーナの控え室にいたのだが、その試合をモニターから眺めていた。
感想は「ふ〜ん」って感じで変わった人もいるもんだなと思った。

それから少ししてボクシングコーチをしてくれている臼井さんの紹介でライカが練習に来る事になった。正直言うと面倒くさって思ったのだがお世話になってる臼井さんのお願いだったのでとりあえず指導してみる事にした。

現れた時の髪型は大晦日の赤い髪がそのまま劣化した枯れ葉のようなボサボサ頭。
服装もなんか変だ。
これは予想以上に危険な感じが…

そして俺の名前すら知らず他の人が長南さんと読んでるのを盗み聞きして「チョーノさん」と俺に話しかけて来る始末。
初診のカルテのように練習環境、生活について聞き始めた。
現在通っているジムは「ターゲット、クレイジービー、イエローマンズ、それとそれと…」
まぁ沢山のところで迷惑かけているのだろうと予想した。
初日にちゃんと来るなら指導はすると言ったのだが毎日あちこち行って練習来ないのでとりあえず叱った。
「あっちこっち行っても結局大晦日何も出来てなかっただろう?」
それを言われあっちこっちに退会しに行ったライカ。
指導して頂いてた皆さんが「あっそう」ぐらいのリアクションだっただろうとは簡単に予測出来る。

それからは1日2回来る日も多かった。
右左も解らず靴下も左右違い、マススパーをするとだんだんヒートして襲いかかって来るのでボディブロー一閃。床を畜生と言いながら転がりまくり起き上がってってはまた獣のように拳を振るいまた床に崩れ落ちる。ライカと関わって驚く事の連続だった。

身体能力はなかなか高いのだが反対に頭がかなり…だったので細かい技術よりも彼女がやるべき事とスタイルを叩き込む指導を続ける。

そうして時間は半年が経ち気がつけば総合2連勝。

練習はしているものの国内に同階級の相手がいないので少々賭けではあったがDEEPに話して海外からTTFに選手を呼べないかお願いした。
ライカは試合の場と相手を用意してくれた事を非常に喜んでくれた。
練習も頑張っていたと思う。
ボクシングを辞めろと言われても戦う事が好きで何故辞めなければいけないとキックや総合に転向。
総合ではボクシングで許される全ての技が使える。
当初期待していなかったがチケットの販売力も凄くてイベント的にも助けられた。

相手となるジェシー・ジェス選手はオーストラリアのチャンピオン。
公式レコードでは2敗となってるがそれは間違いらしくインヴィクタでの1敗しか負けはない選手。
敗北を受けての階級変更。
TTFのライカ戦がその1試合目となる。

計量前日空港にジェシーを迎えに行くと強そうなその容姿に少し心配になる。
体重を聞くと3kgオーバーだと言うそれも心配だ。
翌日の午前中にサウナに車で送り夕方からの計量の準備をしていた。
マネージャーより連絡が来る。
「汗が出ない」
TTFでは過去4回軽量失格者は出た事がなかった。

今回はジェシーに加え計量に無断欠席する輩まで出没。
英文のDEEPの契約書をスライドで利用したのだが2kg以内は罰金とレッドカードで試合成立となっていた。しかし2kgを700オーバーの状態で汗は出なくなっていた。
至急ライカに電話してリミットで体重を抑えていたので水分を取らせた。

明らかにジェシーは1階級上の体つき。
「ギャラはいらないけど試合はしたい」
彼女もまた闘争心が強いようで減量で弱って試合を投げるようなタイプではない。
だったら体重はちゃんとして欲しいのだが。

計量を終え必要書類を記入したライカはリカバリーに帰って行った。
それからは試合の交渉。
ギャラの全額没収、当日の選手入りまで63kgに抑える事。
ライカはリカバリー後60ちょっとしかないがジェシーが計量後にリカバリーする事を考えるとかなり厳しい対格差になる。
ライカもライカで「私が戦わないという選択肢はない」と言う。
自分自身はイベントがどうなろうと試合を中止したかったのだが、両者が試合を強く望む為にライカが敗れた場合はノーコンテストと言うルールで試合をすると言う決断をした。

そして声援に迎えられたライカがリングに立つ。
向き合う両者は見事に対格差が現れてる。
初回から激しい打ち合い。
ボクシング世界チャンピオンに引けを取らないジェシーのパンチ。
お互いに被弾しても一歩も引かない。
打ち合ってるライカは生きる実感を感じてるか楽しそうに見える。

しかしこれは総合だ。
ジェシーがテイクダウンを奪いグランドでコントロールしようとする。
俺の教えた技術で立ち上がりまたパンチを奮うライカ。
ライカは3回ぐらいは立ち上がっただろうかしかし徐々に削られグランドの抵抗が弱くなってきた。

本部席にいた俺も思わず声を出した。
いつもはやらない事だが体重も違い不公平な状態だったので殴られるライカに声を出せずにはいられなかった。
最後はもう動けなかった。
臼井さんがタオルを投げようか俺と目が合うシーンがあった。
ライカはまた立ち上がるんじゃないかと思い大丈夫じゃないか?と合図した。
しかし直後にレフェリーストップ。

メインの白井の試合が終わり控え室に戻る。
ライカはボコボコの顔で寝ながらアイシングしていた。
今度はちゃんと同階級の相手と試合組むからごめんよ的な事をライカに言ったと思う。
ライカは「絶対ですよ」と言いながら喜んでいた。
すぐ練習したいとも言ってた。ちゃんと休んで回復するように伝える。
沢山の人達が心配してライカの控室に訪れた。

きっといつまでも戦っていたいのだろう。
年齢も年齢だが体が動いてちゃんと言葉が発せるうちは練習と試合の面倒を見ようかと思う。

9/23はライカの戦う姿勢に皆が感動した。
うちの若手に足りないものを背中で魅せた。

昨日親子会員のお父さんに観戦の感想を聞いたら息子がライカに大興奮していたと言っていた。
そう言われると息子さん夕方のキッズクラスでは張り切って練習していた。
自分的には苦しいイベントだったが開催して良かったと心から思う。
臼井さんに連れられライカが初めて来た時、彼女に俺が感謝する時が来るなんて思ってもいなかったなぁ〜。
YAMA2217


  
Posted by ryo_chonan at 16:58

親友の結婚式

August 09, 2015

地元の人はtwitterとかあまりやっていないのでこっちで書こう。

昨日は故郷山形で小学校3年からの連れの結婚式がありました。
嫁さんは若くて奇麗でなんで禿げてきたアラフォーと結婚するか?は謎でしたが友人は優しい奴なので多分そこが好きなのではないかと思う。

30年来の親友である私はスピーチをやらせて頂きましたが出番を前にして同じテーブルの友人一同が「緊張してる、緊張してる」とからかいます。
40000人の前で試合したりテレビに出演する事もある私がこれしきの舞台であがるはずもなく、前夜祭で飲み過ぎた故に強烈な吐き気と戦っていました。

スピーチでは彼との思い出を語りました。
内容はこんな感じです。ちょっと足りない部分を付け足しつつ記しておきます。

小学校から家族ぐるみの付き合いで仲の良かった我々は中学校になると夢を抱きました。
私は格闘家。
彼はF1レーサー。
二人でランニングしたりママチャリで山を登って下りでコーナリングを競ったり、腕立て何回やれるか勝負したり意味不明のトレーニングでお互い切磋琢磨していた。

高校は別々の学校になったものの彼はバイトを沢山しながら週末はカートのレースを始めました。
同時期に自分は極真を週1回通って車庫で自主トレをしていた。


彼の方が頑張ってるとその時期は思いました。
自分に対して悔しかったし彼がとても輝いて見えました。
負けたくないと思いつつも彼の事を尊敬してました。
その後就職シーズンとなり私は何をすればいいのかも解らずバイクを乗り回しブラブラしている一方、
彼はバイト先が応援してくれるという話でレースを続けながらそのバイト先に就職をしました。

しかし少し時間が経つと眩しかった彼もF1というとてつもない大きな夢に力及ばず早々と挫折をしました。多分バイクの運転も下手だったので才能がなかったのでしょう。
すると彼は保身の為にある事ない事ホラを吹き始めました。
スポンサーがどうとかスケールがデカい事を言うのですが流石に誰も騙されませんでした。

一方その頃私は上京して型枠大工職人として一心不乱に働いてました。

休暇で鶴岡に帰郷するたびに奈落した彼の生活に腹が立ちました。
自分が彼に文句を言うのはいいのですが誰かが彼の事を馬鹿にすると余計にムカついたし周りに見下される彼に頭がきました。

飲んで私が怒って彼をボコボコに殴った事もありました。
彼は一切反撃してきませんでした。
そのうえを昨日はスピーチの中で初めて謝罪しました。

23の時、私が格闘技を始めて1年後にデビューすると彼はとても応援してくれました。
年齢を重ねるに連れ飲んで揉める事はなくなり食事もよく行きました。
そもそも彼は優しい男なので。
私が帰郷するたびに何処からか聞きつけ連絡してきてくれます。
彼が趣味でやっていたボディビルのジムにお邪魔して一緒にトレーニングしたり昔のように金蜂山を登って走る位に元の二人の距離は戻っていきました。
山登りはあの頃と違って現役選手の私の相手にはなりませんでしたが…


IMG_0022彼と励まし合い競い合い成長して、彼に厳しく当たったりした事もあったけど同時に自分はしっかりしなければと自分に言い聞かせ、ずっと少年期の思いを捨てれずに今も私は生きている。
彼がいなければ今の俺はなかっただろうし彼もきっとそうだろう。
そんな彼が生涯のパートナーを見つけ家庭を守り生きる事を決めてくれたのがとても嬉しい。
もう俺の心配は不要かな。


この夜は同窓会みたいに皆が語り合い騒いだ。
結婚本当におめでとう。素晴らしい会をありがとう。
※写真は奥さんではなく10年ぶりぐらいに再会したお世話になった彼の母。


酒はほどほどにして今日は早起きして関越道を走りディファ有明まで。
連勝中の佐藤天のセコンド。
結果は1RKO負け。
昨日までの2日間がまるで夢だったかのように現実に引き戻された。
だがこれも青春まっ只中である。

這い上がれ天!



  
Posted by ryo_chonan at 21:44

食卓の方程式 #ayagohan

June 04, 2015

ジムでボクシングを教えてくれている臼井さんの奥さんが本を出版しました。
全国の書店やamazonで買えます。

自分用にプレゼント用に皆さんご購入よろしくお願い致します。

臼井さん毎日沢山いいもの食べてるようで羨ましい限りです。

  
Posted by ryo_chonan at 15:16