戦う事2

December 17, 2015

リングにおける自分が何なのかをよく考えた。
自分なんてアマチュアから這い上がってきた人間でもないのにプロのリングで試合していいのかいう葛藤がいつもあった。
誰でもぶち殺す気持ちはあったけど格闘技の凄いファンだったからこそリスペクトが強すぎて須田さんやマッハさんにはやられておしまい的な事は普通に思っていた。

当時の格闘技ファンの俺からすると修斗こそ最強だったし俺みたいな奴が手を合わせて貰えるだけでラッキーな感覚があった。

でも周りを見てると皆が期待してくれてた。
地元から、仕事の同僚から、練習仲間が、皆好きな人達だったから裏切りたくなくて命を振り絞った。
俺なんか死んでも良いけど皆には悲しい思いはさせたくないと。

今思えば格闘技ファンだった頃に自分が理想とするような選手に自分を近づけようと必死だったのかと思う。
相手を選ばず誰が相手でも戦い決して引かない。

自分の言った言葉に責任を持たなければいけないと。
と言った感じで試合前のインタビュー等で言わなくても良いようなビックマウスをよく放ったと思う。殺らなければ殺られる(恥をかく)ような状況を自分で作ったのだ。

勝てそうなところを狙って試合するような選手は好きじゃなかったし実際自分がモチベーションの上がらない相手は断った事もある。
PRIDEの時はほぼ中毒症状になり自分よりデカい相手との試合で皆が避けたいところを自ら選択して進もうとしていた。
その代償が試合で負った頬骨陥没骨折という怪我で顔にプレート2箇所のプレートを入れるような大手術をする事になり10年以上経った今でも左側の歯茎付近はずっと痺れている。
ずっと殺す殺す言ってた人間だから生きてる事でさえありがたいとは思ったが当時は痛みと顔のビリビリした感覚が酷くて気持ちが折れそうになる事もあった。

試合をキャンセルしたのは1回しかない。
普通の選手だったら断ってるし自分の弟子だったら試合をさせないような状況でも自分は試合をした。
理由は簡単だった。
殺すと言ってる人間が怪我で休みますでは筋が通らないだろと。
ただそんな怪我をしている無茶な状況こそ結果は良かったりした。
命懸けで戦えていたのだと思う。
キャンセルはUFCでの1回のみ。
アメリカ滞在中に肋骨を折ってしまい練習が出来なくなったのだが、やれる事をやって試合2週間前に再び対人練習をしてみると腹を押されただけで激痛が走り床を転がりまくった。
それを見た当時のクエストのマネージャーがその場でジョーシルバに電話して「チョーナンは怪我で試合は出来ない。でも奴はプッシーじゃない」と言ってたのだが次の日には変わりの対戦相手が即発表されていた。代役が見つかり難い日本のイベントと違い世界中のファイターが列を作って待ってるUFCの層の厚さを感じた。

続く


Posted by ryo_chonan at 00:58