桂木嶺の GO TO THE THEATER!!

こんにちわ!演劇の批評をしている、桂木嶺(かつらぎ・りょう)のブログです。歌舞伎・演劇・クラシック音楽・美術・映画を中心に感想をまとめています。 横浜の海や花を眺めるのも大好きです。おだやかな日々を送りたいと思います。 たのしく元気よく、ユーモアもわずれず、いろいろおしゃべりをしていきたいと思います。どうぞ楽しくお立ち寄りくださいませ。

4月22日、父の82回目の誕生日に、歌舞伎学会の紀要誌「歌舞伎 研究と批評」第58巻に論文を掲載いたしました!「平成歌舞伎の発展のために〜二世中村吉右衛門論〜」というタイトルです。雄山閣出版から出ますので、ぜひご高覧ください!

きのうは、おまちかね、俳優祭のテレビ放送がNHKEテレでありました。
(北海道地区のみなさまには、お見舞い申し上げます。地震大丈夫だったでしょうか?)
大変たのしい内容で、俳優祭に行かれなかった方も、とても楽しくごらんいただけたのではないでしょうか。実際に初めて見に行けた私も、とてもうれしく楽しく見ることができました(^_^)/

さて、第1部・模擬店・第2部と構成されたこの俳優祭、せっかく私もレビューをアップしますので、私も「劇評版・俳優祭」と銘打ち、諸先生に敬意を表して、ちょっとたのしく書いてみたいと思います。諸先生方、ごめんなさい<m(__)m> あたたかい広い目でみてくださいませ(^_^)/

第1部 舞踊二題 「二つ巴」「石橋」 〜上村以和於先生風に〜

素踊りというのは俳優の個性が大いに発揮され、あるいは実力を試される意味において、もっともアンビバレントな芸として存在するが、芝翫の由良之助はそのますらおぶりを大いに発揮し、魅力あふれ、「われらの由良之助」としての地位を確固たるものにした。芝翫の七段目・十一段目も、われわれは今後ずっと見ていくことになるであろうけれども、ふっくらとした色気をたたえ、扇雀のおかると舞う姿に、未来の「大芝翫」の可能性を見出すことができたのは収穫であったろう。とはいえ、若手中堅勢ぞろいの「忠臣蔵」に、次代の花形誕生のことほぎを見出すとともに、一抹の寂しさも感じなかったわけではない。勘三郎・三津五郎・團十郎の亡きあとの大きな「空洞」は、ようやく埋められつつあるのかもしれない。

スタア登場の予感のする「石橋」であるが、亀三郎、いやもう新・彦三郎というべきか、彼のリーダーシップに負うところの大きい新鮮な舞台が誕生した。松也・巳之助・壱太郎・尾上右近・隼人・米吉などが堂々と歌舞伎座の大舞台に一座する姿は、胸の熱くなる思いがするし、これはこれでひとつの未来の歌舞伎のありようなのだろう。毛振りの数が何十回いったとか、そういうことが話題にのぼるけれども、本来は実は毛を振る形にその極意があるのだ、とここで力説しても、若い読者にはどれだけわかるだろう。六代目が見たら、かれらの獅子を見て、苦笑いをうかべるか、やはり、ふんどしひとつでしっかり踊るように、と鍛えるかもしれない。しかし、いまはそうした指導環境が払底であるのは皮肉である。

第2部 模擬店 〜長谷部浩先生風に〜

春宵一刻値千金。
一夜の祭典に集う観客の嬌声こだまする中、熱気あふれる歌舞伎座ロビーの中をゆく。各俳優の人気のすさまじさに、歌舞伎の未来の盤石ぶりを思うし、心強いものがある。ただ、あくまでも模擬店は模擬店としての品格をしめすものでありたい。特に菊之助と鴈治郎の模擬店には、歌舞伎役者としての本分をわきまえつつも、たくまざるサーヴィス精神が横溢し、菊之助の観音菩薩のような横顔に、ふと祖父・梅幸の面影がよぎる。歌六の人形焼きにおける洒脱な個性、又五郎の好人物ぶり、松緑のバーテンダーのリアルな魅力も捨てがたい。役者と観客のふれあいの中に、俳優祭の醍醐味があると信じたい。

第3部 月光姫恋暫(かぐやひめ こいのしばらく)」(菊之助・海老蔵監修、京蔵・咲十郎作、菊之丞振付)
〜渡辺保先生風に〜

猿之助のかぐや姫、勘九郎の山男が傑作である。
こと勘九郎については、父の勘三郎も、俳優祭にはなくてはならなかったが、勘九郎は、俳優祭という大舞台で、父も祖父もなしえなかったあらたな芸境を開拓した。

私がこの山男を推奨する理由は三つ。
まず第一に荒事・義太夫の骨法が明確となり、「型」の美しさを最大限引き出したことにある。この山男は、明らかに「国性爺合戦」「暫」そしてオペラ「トゥーランドット」のカラフのパロディである。が、勘九郎の身体の中に、「型」がしっかりと入り込んでいるため、「月光姫恋暫」の世界をスケール豊かなものにしている。
第二に、恋ダンスにおける見事な六法の再現である。恋ダンスとは明らかに現代の舞踊だが、それを花道で六法で引っ込むというところに、勘九郎のセンスのゆたかさ、歌舞伎の奥深さをあらためて感じる。
たとえば、勘九郎の「みぞみぞする」というスマートな現代感覚も、親父さんやお祖父さんにはなかったもので、このスマートさと荒事の魅力が内在するのが、当代勘九郎の強みである。
第三に、以上の結果、山男の恋情が、パロディの域をこえて、リアルにわれわれに伝わってくる。かぐや姫に第三の質問を問われて、まようことなく、「それはあなただ、かぐや姫」とさけぶ姿は、彼の愛情のほとばしりを私たち現代人の身近な鮮やかさで感じさせる。
以上三点、勘九郎の芸境の進歩である。

もちろん、問題がなかったわけではない。たとえば、染五郎の竹林以下俳優陣の味わいであるが、これも一歩間違えたらドリフのコントである。ドリフのコントがいけない、というのではない。これもひとつの芸である。しかし、先人たちはドリフのコントに頼ることなく、おかしみ、飄逸さをみせたのである。もっと研究してほしい。



〜以下、あとはいつもの「かつらぎ」風です(^_-)☆まじめにかきますね!〜

「竹取物語」という日本の古典の中に、プッチーニの「トゥーランドット」の世界観を内包した「月光姫恋暫」は、俳優祭の枠を超え、歌舞伎の新たな可能性を切り開くのに成功した。

こと、猿之助のかぐや姫、勘九郎の山男が素晴らしい。
勘九郎の山男については先述した通りであるが、剛直で一本気な魅力は得難く、また荒事の骨法をとりいれた演技は殊勲賞もの。古怪なマスクの立派さも、義太夫狂言に本格的にいずれチャレンジしてほしいと思わせる。

また猿之助のかぐや姫は、たおやかな女形の芸のなかに、強靭な精神をもつ、ひとりの現代的な女性の魅力をにじませ、21世紀の女形芸の新たな境地を見せている。「花婿はIQ100以上のイケメンに限る」という荒唐無稽な設定も、現代の女性からすればリアルな実感をともなうものであるし、これを成功させたのも、猿之助のたぐいまれなる個性故であろう。できれば、当たり役として、今後も本を洗い直し、かぐや姫を持ち役にして、宙乗りの手法でもって魅了してほしい。

染五郎の竹林は、「関の扉」のぶっかえりを自ら魅せるというパロディー精神を標榜しながら歌舞伎の手法を楽しく観客に呈示し、きっちりと俳優祭の精神を伝えている。「かさね」の連理引き、そして、「暫」の道化役、「四の切」の狐忠信・・・・とさまざまな魅力を魅せ、大奮闘である。染五郎の身体能力に感嘆する思いである。

「月光姫恋暫」の監修担当でもある海老蔵・菊之助コンビであるが、輝くばかりの美貌をそれぞれ封印して、たのしげに翁・媼を演じている。当世美女のまつエクも、海老蔵のたくまざるユーモアの中では、コメディーの道具に早変わり。銀座でのブランドあさりも、立派な現代歌舞伎の諧謔精神の発露である。

獅童・松也の「あらしのよる」のがぶとめいも、ここでは立派にパラレルワールドの住人である。だんまりをEXILE風に魅せたのも、現代の青年たちの生活実感を思わせて微笑ましい。

左團次の放送事故的な芸はもはや至芸、貴重である。東大卒・「平成教育委員会」のレギュラーだった中車に、こんなクイズを出すことのおかしみ、また鴈治郎のえも言われぬ愛嬌。市蔵のめずらしや「まつり」の熱唱など、個性豊かなイケメンたちの姿の描出に作者(京蔵・咲十郎)のするどい視点と愛情を感じる。

「トゥーランドット」のピン・ポン・パンを猿弥・弘太郎・片岡亀蔵がそれぞれ好演。歌舞伎をささえる立派な脇役としての彩をそえる。大真面目で演じる吉之丞がかえっておかしい。

この笑いに満ちたドラマの中で異彩を放つのが、七之助と彌十郎だが、立派に大歌舞伎になっている。こと七之助にはいつか小万を演じてもらいたい。魁春・雀右衛門が花を添える。

大幹部の思わぬ一面を見られるのも俳優祭の魅力のひとつ。菊五郎の帝がアドリブともつかぬハプニングで笑わせ、吉右衛門が見事なテノールを披露し超満員の歌舞伎座を沸かせる。また幸四郎は洒脱にギャルソン風に登場。梅玉は進行も含めてご苦労さまである。仁左衛門・玉三郎の究極の美のコンビは、場内の熱狂的な歓声で迎えられた。王朝絵巻物も、また歌舞伎座で見たいと思わせる。

最後に挨拶の藤十郎と手締めの菊五郎。もちろん、忘れてはいけない、新・彦三郎の活躍も、かれの人徳であろう。

歌舞伎の未来はまたも安泰であると確信した、東銀座の夜であった。


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というわけでようやくネタバレ解禁となりましたが、いかがでしたか?(^^)
やっぱりこのくらいおなか一杯で楽しく歌舞伎を堪能したいですね!
劇評もこうしてパロディでやってみると、意外にむずかしくて、
先生方の文体を改めて書いてみると、自分の劇評の底の浅さがわかるし、
先生方が歌舞伎のどこを見ておられるのかよくわかって
大変勉強になりました!!(^_^)/

以上、たのしい俳優祭レポートでした!またいつかお会いしましょう!!!

きょうは夫の話をします。いつも単なるヨッパライ?と思われがちですが(笑)私が、夫のすきなところをオハナシし、「かつらぎさんがいいと思う役者さん像、人間像って・・」というところを想像していただければと思います。

正直言うと、強引な人、マイペースな人はキライです。


わたしの夫はその点でやさしくて、わたしを小さな人間として見てくれるので、ありがたいですね♪♪♪

あと学閥にこだわる人もキライですね。まあ、誰だってそうですが、意外にこれにこだわる御仁もいるので困りますね。


夫はものの見方が独特です。べつに芝居好きではないので、芝居というものをフラットに考えています。13000円で買えるもの、というブログの記事は、彼の影響に負うことが大きいです。「芝居にこられない人の生活を考えてみてごらん。もし彼らが手抜きの芝居を見せられたら怒るだろう?」と夫は言います。


「めったに芝居にこられない人たちが、120%満足するものを、演劇に携わる人たちはつくらきゃね」と夫は申します。まさに芝居は一期一会だからです。私もそう思います。


たとえば、三日御定法、という言葉は、夫には通用しません。プロなのだから、最高のものを見せるのは当然だし、セリフをおぼえてこないのはもってのほかです。私よりきびしい批評眼を持っています。


人間国宝だからすごい、御曹司だからすごい、という考え方を、夫は全くしません。プロとして当然の努力と、観客に夢を与えられ、勇気づけようという気概がある人を評価します。どんな役者さんだろうと、どんな人だろうと謙虚に努力する人を彼は評価します。傲慢な人は才能があっても認めませんね。権威には毅然とした態度をとるひとです。


夫のそういう公明正大なところが、わたしは大好きです!


朝からおのろけ話で失礼しました!!

気が付けば、28万アクセス突破しておりました!ありがとうございます(^_^)/

(こういう事情でアクセスが増えるというのも、いいのかな?という気もしますが・・・
別にアクセス稼ぎのために毎日書いているわけではないのですけど、
自分の中に、すごく湧き上がるものがあるので、書いているだけなんですね)

ご来場いただいたみなさまにお礼を申し上げます。

コツコツやってきて、この数字になったのですが、
今回は、論文も発表できて、本当によかったなとおもっております。

いろいろ論文の反響などもかえってきつつあって、感謝しております。
吉右衛門さんがすごいひとなんですね、というリアクションもあれば、
歌舞伎の可能性ってこんなにひろがるんですね、というご感想もいただいたり、
「平成」という時代はなんだったのか、というひとつの検証にもなっていたり、
「平和国家・ニッポン」のこれからの在り方ってなんだろう・・・・ということを考えたり、
演劇批評のみならず、さまざまな切り口での反響をいただいて、
本当に思い切って書いてみてよかったなと思います。

ひょんなことから、「劇評とは何か」ということを考えさせられたり、
すぐれた舞台をたくさん見ることができて、その誕生の瞬間にたちあえたり、
いろいろな作家さんとの交流もうまれて、
このブログがどんどん、演劇シーンを元気にしていく、
ひとつの起爆剤というか、問題提起になってくれたことに感謝しております。

もちろん、ひとりひとりの読者のみなさまのおかげ、諸先輩、同期、後輩のみなさん、
友人たちのみなさんのおかげです。
ツイッターから、Facebookから、さまざまな検索ページからご来訪いただくかと思いますが、
これからも、現状に甘んじることなく、がんばりたいと思います。

どうぞよろしくご愛顧くださいませ。

いろいろ、今回反響をいただいて、自省するところもあり、しかし、いうべきところはきっちり言おうと思うところあり、考えさせられるものでありました。ことに私がただネットで書いているだけでなく、紙媒体で書くように再びなったので、それで責任も一層重くなったと感じています。

劇評の在り方についても、ずいぶん考えさせられました。
(「歌舞伎四〇〇年の言葉」の記事は、削除させていただきましたので、ご安心いただきたいと思います。堀越さまにもご配慮いただいて、感謝しています)

いま、紙媒体もけっして部数を伸ばしていない今、ネットでSNSで雨後の筍のごとく登場する観劇レビューを前に、(私のブログもどういうジャンルになるのだろう?と思うのですが)劇評とはどんな意味をなしているのでしょうか?

こういうときは、なぜ私は劇評を始めたのか、振り返る必要がありますね。

それは、新之助さん(現・海老蔵丈)の「助六」の初役を2000年の1月8日(もうわすれもしません)を見た時のことでした。これも大変にショッキングな舞台でした。あらゆる意味で、素晴らしい舞台でしたし、感動的でしたし、私はそのとき演舞場の3階席のいちばん後ろの席で見ていましたが、それでも海老蔵さんのすばらしさはよく伝わってきました。ある意味、「事件」でもありました。

ところが、どの劇評を読んでも、私の思いや感動、受けた衝撃を言い表しているものは見当たりませんでした。みなさん一様にほめていましたが、爆発度は全く違いました。みなさん、感動をうまく言い表せないようでした。

そこで、思い切って、「テアトロ」の懸賞劇評に投稿させていただいた次第でした。結果は700号懸賞劇評の佳作に入選させていただき、2001年の1月号に掲載されておりますので、バックナンバーをお読みいただくといいかと思います。そして、渡辺保先生の劇評の講座に通う日々となりました。先生はくわしく「型」を教えてくださり、私は必死でノートをとりました。

それから、私の劇評人生が始まりました。

さまざまな舞台を観劇していましたが、いつも感動と興奮の連続で、言葉が面白いように繰り出されていきました。本当に素晴らしい舞台の数々に出会えたことは感謝しています。「テアトロ」でも現代劇を書かせていただきましたが、こちらもとても好きな舞台ばかりでしたので、必死に書いていました。犬丸治先生とも知り合えたのは、このころです。感謝しています!

そして、「演劇界」に書かせていただけることになりました。題材は、尊敬していた吉右衛門さんの「俊寛」です。もう身震いするようでした。

NHKホールで古典芸能鑑賞会を拝見したのですが、そのときの感動たるや忘れられません。あこがれの劇評家の先生方にまじってご招待券をいただき、とてもいいお席で観劇できるのです。

その期待や裏切られませんでした。そのときの感動も戦慄を覚えるほどの衝撃でした。吉右衛門さんの魂の絶唱がいまだによみがえるほどです。この舞台で「演劇界」デビューを飾ることができて、本当に幸せでした。

ところが、私が、2002年の7月に、大病をわずらいました。
いまだに、通院・加療しています。かなり治ってきていますが、それでも一生通院しなければならないのが実情です。妊娠もしないでくれといわれ、私は人生の絶望のどん底に立たされました。

病名は明かすことはできませんが、長時間の観劇をするのは困難、ましてや外出することも、電車にのることも困難なほどの病状でした。3か月会社を休職しました。

しかし、その間に、当時の「演劇界」の編集部の方がお声かけくださり、我當さん、秀太郎さん、愛之助さんの「修善寺物語」を書かせていただきました。ところが観劇中に発作が起こり、七転八倒しながらの観劇となりました。それでも必死に書きました。療養中、私を助けてくれたのは、夫の母でした。原稿を書くために、椅子に腰かけるのもやっとの私を、励ましてくれ、原稿もチェックしてくれ、アドバイスもくれたのは彼女でした。

大病を得て、人生の絶望に立たされましたが、家族の絆はふかまりました。
両親も、夫も、義母も、一致団結して、私を応援してくれることになったのです。
人間なにが幸いするかわからないものだと思いました。

2002年の10月に、東宝の映画・演劇の台本や資料を扱う部署に復帰しました。この時も薬のつよい副作用や、発作に見舞われ、苦しい日々でしたが、当時の上司が大変理解の深いひとで、「演劇界」への執筆を許してくれ、しかも国立劇場や早稲田大学の演劇博物館、松竹さんの大谷図書館の視察も積極的にしてくださいました。このとき、水落潔先生や、藤田洋先生、近藤瑞男先生、児玉竜一先生などと知己を得ることができたのも幸せなことでした。

大病を得ましたが、私の劇評人生には、大変実り豊かな時期が訪れたのでした。

2003年10月、東宝の広報室に異動となり、以後はブログを読んでいただいた通りです。

ここでの出会い・経験は一生忘れ難いほど、鮮烈な記憶となっています。
私が、ふつうに演劇部に配属になっていたら、いまのような価値観はきっと持てなかっただろうと思います。演劇には詳しくなったかもしれませんが、もう批評は無理だったかもしれません。

広報で、企業広報と社内広報を経験し、俳優・監督のインタビューをし、東宝社内を活性化すべく奔走し、そして、企業としての東宝をみたことで、私の中に「経営とは」という観点がうまれたのでした。東京証券取引所に行き、業界記者会見をひらき、東宝の役員の取材のセッティングをしたことで、「経営」とはなにか、日本経済とはなにか、お客様の満足を得るということはどういうことか、という観点が私の中に生まれました。私の氏育ちを考えれば、びっくりするほどの立場だったのでした。

劇評はあまりの多忙さに中断されましたが、なにものにも得難い体験をしました。
管理職に昇格し、女性社員としては当時異例の抜擢人事で、役員・部長につぐポジションとなりました。

そして、NHK大河ドラマの衣裳部に出向となり、「風林火山」「篤姫」「坂の上の雲」という作品と出会ったのでした。特に「篤姫」の成功は忘れ難く、徳川家・島津家の後継者の女性の方から、お礼のことばをいただいたのでした。大病をえたことで、ちいさな存在の私が、こんな経験もできたのでした。神さまのなさるみわざに、感謝したいと思っています。

そして、東宝を退職して、専業主婦を数年間経験しました。劇評はもう無理かもしれないと思いつつ、
観劇仲間に恵まれ、Facebookでの活動もスタートし、あらたな人脈を得ることができたのも、本当に幸せでした。

そして、2016年から今年。ようやく劇評家として、再スタートを切ることができました。
辛抱つよくみてくださった劇評家のみなさま、そして、読者のみなさまのおかげだと思っています。

劇評がなぜ必要なのか、とよく専業主婦をしながら考えておりました。
で、いま論文を書き終えてみて、やはりこういうことだと思っています。

 「助六」や昨年の「吉野川」のような観劇体験を、観客の方々と共有し、さらに観劇を通して、人生の勇気やはげまし、芝居をみることの意義を観客のみなさんに提示するのが、劇評のまず第1の役割だと思っています。また、役者さん・スタッフのみなさんへのひとつの応援でもあり、忌憚のない意見でもあり、建設的に演劇ビジネスの経営を発展させるための提言もすることが第2の役割。そして、演劇の記録を付ける冷静な観察者でもある、ということだと思います。

そして、演劇界の位置づけを日本の社会のなかでさらに活性化させ、社会の在り方そのものにも切り込んでいくことが大切で、実りあるものにしていく役割をになっているのではないかと思っています。

そういう意味で、劇評は、すぐれた舞台については賞賛をおしまず、また、問題のある舞台については、しっかりと批判することで、さらによりよい舞台づくりの一助になるようにしていかなくてはならないと考えています。

「○○さんかっこいい〜」的な感想も、もちろんあっていいのです。ブログはそれでいいでしょう。SNSもそれでいいと思います。

しかし、今回の拙稿である「二世中村吉右衛門論」を読んでいただくとわかるのですが、もっともっとテーマは深淵ですし、大きいものです。一俳優論にとどまらず、日本の芸能・経済・政治・文化が、どう密接にかかわりあいつつ、いかに日本を成長させていくべきか、ということを考えています。

劇評のもつ可能性を、もっとさらに広げたい、と改めて思うようになりました。

どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。






きのうはミューザ川崎にて、N響のクラシックコンサートに行ってまいりました。
指揮は広上淳一さんです。初めてかれの指揮を聴きましたが、大変迫力があり、ダイナミックで
すばらしかったです!

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特に素晴らしかったのは、後半の2曲。ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26と、ベートーヴェンの交響曲第7番が見事な成果をあげました。

前者のほうでは、ヴァイオリンのダニエル・ホープさんがダイナミックな演奏を聴かせ、圧倒的な超絶演奏を披露されました。アンコールもすばらしかった!

そして後者では、私の大好きなベートーヴェンの第7番。格調高く始まる第1楽章を、広上さんが優美にリードしていきます。高みにのぼっていく旋律が、栄光への道をしめしているかのようです。第2楽章は暗鬱な雰囲気ながら、荘重に、第3楽章はかろやかに、そして、第4楽章は剛毅にスケール大きく聞かせます。広上さんは特に第4楽章に力強く力点をおき、精力的な演奏をみせスピード感をみなぎらせました。緊迫感がいやがうえにも高まり、完成度の高い演奏をみせてくれました。

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川崎でのN響のコンサートは、月2回、水曜夜と木曜昼に行われますので、ぜひ近隣の方はおとずれていただくことをお勧めいたします。すばらしい演奏で、心を豊かにしていきたいものです!

さて、5月の歌舞伎座と明治座のご案内をしましょう♪
(一部、私の別のブログの転載をしています)

きょうは歌舞伎座の演目からおとどけします

5月は毎年、九代目團十郎丈と、五代目菊五郎丈を顕彰して、

「團菊祭(だんきくさい)」というものを歌舞伎座で開催しています

これが毎年、大変たのしく、またゴールデンウィークもはさみますので

「歌舞伎座デビュー、どうしよう・・・」と思っている方には、

まさにうってつけの演目ぞろい、ともいえます。
團菊祭 5月


また、今年はおめでたいことがいろいろ重なり、

坂東彦三郎さんが、初代楽善(らくぜん)を、

また、亀三郎さんが、九代目彦三郎を、

そして、弟の亀寿さんが、三代目坂東亀蔵さんを、それぞれ襲名されます。

そして、彦三郎さんの長男が亀三郎で初舞台を、
菊五郎さんのお孫さんでもあり、寺島しのぶさんの愛息・眞秀(まほろ)くんが、

初お目見得となります。

 

演目について観劇ポイントをみていきましょう!



<昼の部> 

梶原平三誉石切(かじわらへいざほまれのいしきり)

通称「石切梶原」とも呼ばれている、人気狂言です。

主役の梶原平三を、新・彦三郎さんが演じる話題の舞台です。

 

こちらのいちばんむかって右側にいらっしゃるのが、新・彦三郎さんです!

大変、大変、美声で、口跡のいい方で、舞台姿もよく、期待の花形です。

私も大変大好きな役者さんのひとりです。

先日の俳優祭もたのしい名幹事ぶりを披露して、大人気となりました。

また、大変なスワローズファンでもいらっしゃいます

今回の型は、十五代目羽左衛門の型で、梶原を演じられるそうです。

ぜひ、かれの舞台をご覧になった際、皆さんでおっしゃっていただきたいのが、

彦三郎さんが「剣も剣」、六郎太夫を團蔵さんという方が演じられ、「斬り手も斬り手」といいますので

「役者も役者!」と大向こうをかけていただきたいんです

(特に男性のみなさま、よろしくお願いします^^)

大いに舞台がもりあがりますので、ぜひぜひたのしく盛り上げましょう!

こちらのポスターも、都内などの地下鉄などにはられているそうですので、

ぜひぜひチェックしていただいて、みなさま宣伝してください(^_^)/

 

義経千本桜 吉野山(よしつねせんぼんざくら よしのやま)

佐藤忠信じつは源九郎狐と義経の愛妾・静御前・・・

この究極の美男美女カップルを、海老蔵さん・菊之助さんのコンビで演じます。

さぞやお似合いだろうと思います(^^)

ふたり旅をする忠信と静御前ですが、忠信は「壇之浦の合戦」に思いをはせ、

ひとり戦物語を舞い始めます。

そして、静との連れ舞いもまた一幅の絵。美しいことこの上なしです。

珠玉の道行をおたのしみあれ(^^)

 

魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)


河竹黙阿弥の傑作で、菊五郎劇団の大事な財産ともいうべき作品です。

当代菊五郎さんが江戸っ子気質たっぷりに演じてくださいますので必見です。

またこの舞台で、孫の眞秀くんが登場しますので、要チェックです!

妹・お蔦が妾になった殿様・磯部主計(かずえ)之助によって手討ちとなり、

かなしみにくれていた主人公の宗五郎(菊五郎さん)でしたが、

ひどい事情をきいたので、殿様に一泡ふかすべく、ずっと断っていた酒を

とうとうたらふく飲んでしまって、大トラになり、酔って暴れたあげくに

殿様のところへ乗り込む・・・というストーリー。

江戸庶民の哀歓と、酒乱になる宗五郎の酔った演技、

ち密な劇団の型の集積をおたのしみください(^_^)/

 

<夜の部>

壽曽我対面(ことぶきそがのたいめん)


こちらも襲名披露狂言。新・楽善、新・彦三郎、新・亀蔵、そして彦三郎の長男・新・亀三郎が

登場する、話題の舞台です。

こちらは、いつもお正月などに上演され、江戸の祝祭劇として発展しました。

座頭の工藤祐経(菊五郎さん)、荒事の曽我五郎(彦三郎さん)、

和事の曽我十郎(時蔵さん)、立女形の大磯の虎(萬次郎さん)、

二枚目の女形の化粧坂(けわいざか)の少将(梅枝さん)・・といったぐあいに

一座の構成や、役者さんの位置づけがわかる舞台です。

父の敵と祐経をねらう五郎と十郎ですが、「友切丸(名刀ですね)を持ってくるまではまて」と

さとす祐経。そこへ鬼王新左衛門(権十郎さん)があらわれて友切丸を持ってくるので、

祐経は、富士の狩場での再会を、五郎十郎と約束するのでした・・・・というストーリーです。

大変はなやかな舞台なので、こちらもたのしみたいですね!

 

伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)御殿・床下・対決・刃傷


これは、伊達騒動をモデルに描かれたお家騒動の傑作です。

菊之助さんが政岡を、海老蔵さんが仁木弾正を、また松緑さんが荒獅子男之助を演じる

大変話題の舞台です。

ちょっと・・・・ちいさいお子さんがいらっしゃる方には、

このお話がむごく思えるかもしれませんね。

ヒロイン・政岡が、忠義のために自分の一子・千松をなぶり殺しにされても

顔色ひとつ変えない演技をするからです。

でも、その耐える姿と、子供たちのいじらしさ、そして、

女同士のすさまじいバトル(八汐というお局のおっかない人があらわれます。

これは加役といって、大体が立役が演じます。今回は歌六さんが演じられます)を見て、

昔のひとは「やれやれ、どこも大変だなぁ」とため息をついていたのですね。

そして、稀代の悪役・仁木弾正を海老蔵さんが演じるので、こちらも期待が持てます。

海老蔵さんのおじいさま・十一代目團十郎丈も大変得意とされたお役でした。

やはり立役にとっては、あこがれの役ともいえます。

「床下」では、冷気をただよわせてすーっと現れ、妖術をつかって去りますし、

「対決」では弁舌術を、そして、「刃傷」では壮絶な大立ち回りを見せるからです。

かならず、左の額につけぼくろをつけますが、これはこの役を得意とした、

五代目幸四郎がほくろのあるひとだったので、それに敬意を表したものとなっています。

 

四変化 弥生の花浅草祭(やよいのはな あさくさまつり)


こちらは、亀蔵さんの襲名披露狂言です。松緑さんと一緒に踊ります。

私は未見なので、どんな舞台かとてもたのしみにしております。

早替わりがあるようなので、ドキドキしています(^^)

 

というわけで、ご紹介した、以上歌舞伎座の舞台でした

みなさまも、素敵なゴールデンウィークで、

楽しく歌舞伎をご堪能くださいね!

 

 

 

一度載せておりますが、来月の観劇予定です(^^)

5月3日(祝・水) 蝉の詩
5月5日(祝・金) 歌舞伎座夜の部(夫とまいります♪)
5月8日(月)   明治座昼・夜 通し
5月12日(金)  歌舞伎座 昼の部(友人とまいります)
5月15日(月) 文楽第1部
5月19日(金) N響 NHKホール
5月27日(土)  帝劇「レ・ミゼラブル」

というスケジュールです。
ご一緒できる方はおこえかけくださいませ(^_^)/

5月はちょっと論文の執筆があるのと、
先月かなりハードスケジュールだったのと、前述しましたが、体調の問題があるので、
毎日観劇、というわけにはいかないところがあります。

来月もいい芝居との出会いを楽しみにしております!

きょうはのんびり家で休んでおります。
スポーツクラブに行く予定でしたが、
考えてみたら、10日間ぐらい連続でずっと外出していたので
ちょっとクタクタになってしまいました(^^)
しっかり休養をとって、気持ちを切り替えたいと思います♪

きょうの動き。

1) 区役所に行き、もろもろの手続きをする。

4月は家のことで、いろいろ煩雑な手続きもしなくてはなりません
慣れぬ役所周りに苦労するものの、
なんとか無事に用事をすませました。
職員の方のおだやかな対応に感謝。

2)横浜美術館にいく。「ファッションとアート 麗しき東西交流」を
見てきました
うつくしい洋装・和装の衣裳がさまざまあり、心が癒されました
一部写真撮影ができたので、さっそくパチリ♪

3)ランチをマークイズみなとみらいでいただく。

ハンバーグランチをいただきました。おいしかった!
となりにすわった女性が、ずっと携帯で仕事の電話をしており、
ちょっとおちつかなかったですかね。
まぁ、私も会社勤めをしているときは、そんなこともありましたので、
「がんばれよ〜(^_^)/」という気持ちでみていました。


4)近所でおかいもの。

久々にほっこり。スーパーのおばさまたちとたのしく会話。
おだやかな時間がながれますね(^^) ありがたい♪
やっぱりこの街は住み心地がいいなぁと思いますね。

5)夫の給料日がきのうだったので、
きょうは銀行も回る。今月もなんとか黒字でほっと一息。

テクテクと散歩しつつ帰宅しました。

さて、ちょっとお昼寝をするかな(^^)
夫が帰ってくるまで、ちょっと晩御飯のメニューを考えます〜(^_^)/





何人の方から、コメント欄に、今回の中村屋さんの舞台に関するご意見、ご感想を伺いました。
個別にお返事というより、私の意見を補足すべきだろうと考え、白玉あんみつさんへの回答ということで、下記の形で書かせていただきましたので、ご照覧ください。

************************************

一幕で帰ってしまった・・・たしかに普通に考えればもったいない、かもしれませんね。でもまさにブログのタイトル通りで「13000円で、何ができるか?」なのです。中村屋さんのお芝居が好きな方にとっては13000円は中村屋の芝居を観たい、と思うでしょうが、ものの価値とは、もっと多様なものですよね。
ふつうは、これで一泊旅行に行けたり、新幹線で新横浜〜大阪までいけたり、ファッションが好きな方は、これで素敵なお洋服を買えたり、あるいは、誰かにプレゼントをできたりする値段です。あるいは、超豪華なディナーが食べられる、そういう値段です。つまりはそれだけ贅沢かつ高額な商品である、ということなんです。観劇というものはですね。

つまり、それだけの満足度の高いものを、かならず120%は保証できる舞台に仕上げる義務が、興行・役者・演出側に生じると、私は考えています。すくなくとも歌舞伎や商業演劇に携わる方々はです。きびしいようですが、これが現実です。

ちなみに、帝劇の「王家の紋章」のS席のお値段は、13500円でしたが、私はA席で見て、十分満足でしたし、ブログをおよみいただくとわかりますが、みんな大体4000〜7000円台の舞台で、びっくりするほどすばらし成果をあげる舞台ばかりでした。オペラだって、10000円で見ているんですね。でも素晴らしかったです。

ものの価値とはこういうことなんですね。

歌舞伎の興行、特に中村屋さんの興行をみていて、「なんでこういうことをするかなぁ?」と思うのは、この値段の付け方に、とてもプロダクト・アウト(product outとは、企業が商品開発や生産を行う上で、作り手の理論を優先させる方法のことです。「作り手がいいと思うものを作る」「作ったものを売る」という考え方で、たとえば、従来の大量生産がこのやり方に当たります)、つまり興行側の理屈しか考えていないなぁということを痛感します。平成中村座のお大尽席などが象徴的ですね。お客様の事情はもっと顧みてもいいはずだと思いますが、中村屋さんの場合、これで劇場がいっぱいになってしまうから、「ああ、これでいいんだ」と興行側も役者も思ってしまう危険性があるということなんです。で、いいものが生まれてくれればいいのですが、決して満足度は高くない。

これが4000円の席で見られたのなら、私も文句はいいません。しかし、13000円もだして、「ダメでどうしようもない愚図で、借金だらけで」なんて男と女の人生をみせつけられて(興行と役者の単なる思い入れだけでです)、現代語でピアノの下座で・・・これはかれらの自己満足以外なにものでもないわけです。中村屋好きの方は、なんでも彼らがでているならいいでしょう。でも、「歌舞伎」を見に来たつもりの他の歌舞伎ファンは、もっとひややかな目で見ていることを、知っておいたほうがいいと思います。今後の中村屋のお二人の成長も阻んでしまうし、白玉あんみつさまがまさにおっしゃった、「古典をきちんと体に叩き込む機会」がなくなって、かれらの芸の薄さが露呈してしまう危険性も、わたしは劇評家として、危惧しています。

特に勘九郎さんには、古典をきっちりがんばってもらって、18代目がなしえなかった荒事、そして、義太夫の大役
(昨年の松王などもよかったですね)も手掛けて、いっそうスケールの大きな役者さんになってもらいたい、と(中村屋ひいき以外の)歌舞伎ファンは願っています。

七之助さんには、玉三郎さんたちにもよく教わって、いつか菊之助さんに続くような、古典の大役をできるような立女形になってもらいたい。しかし、こういう赤坂「大歌舞伎」なるものに埋没し、いらぬ労力を使うようでは、芸が荒れてしまうのではないか、という思いも、ずっと観劇中頭を離れなかったですね。

松竹さんがどう考えておられるかは、私はよくわかりませんし、部外者の私がそこまで立ち入ったことはいうべきではないと思いましたので、当初はこの劇評をアップすまいと思っていました。ところがツイッターの私のちいさなつぶやきから、「もっと苦言を呈してほしい」というご要望がありましたので、書いてみたということです。
太郎の役は、もっと掘り下げればさまざまな可能性も秘めていたのかもしれませんが、正直消化不足でした。「肘付き」という言葉を若き勘九郎さんや七之助さんに送りたいと思います。(いくどもこのブログで紹介していますが)昔、渥美清さんという名優がいました。彼は実にさまざまな舞台・映画を見ていて、並みの批評家より厳しいところがありました。開演して15分で、まったくつまらず、ドラマになんの展開もないと、隣にいる友人に、肘でちょんちょんとつついて「おい、もう帰ろうぜ」と言って途中で帰るのだそうです。浅草の厳しい芸の競い合いの中で育ってきた渥美さんは、「初めの15分で満足させられないような役者はダメだ」というのが持論だったそうです。15分は極端かもしれませんが、一幕みて、ドラマの進行や核が見えない商業演劇の舞台は、それはやはり商業演劇失格といわざるをえません。


ましてや、「歌舞伎」らしさとはなにか、です。なにをもって「歌舞伎」とするかです。それは、永遠のテーマでもあるし、もっと興行側もわたしたちも真摯に考えなくてはならないことでしょう。

きびしいようですが、私も、きちんと態度を示すべきだと思い、退席した次第です。

これが再演され、もっとブラッシュアップされ、「どうしても桂木さん、見に来てください」ということでしたら、拝見しますが、まぁそうでもなければ、すぐに忘れて次の舞台との出会いを大切にしたいですね。

もっとも、13000円という値段は、ふつうの(芝居を普段見ない方にとっては)しょっちゅう払える金額ではない、ということを、私も心したいと思っています。

あまり的確な回答ではありませんが、よろしくご理解くださいませ。

ちょっと起きだして、書いております。
いやはや、さんざんな一日だったなぁ

あの世で、勘三郎さんがヤキモチでもやいてるんでしょうかね(笑)

きょうの私の行動です。

朝。病院へいく。もう15年になる、私の持病の診断書をもらいにいく。
当初、この病気になり、いろいろ調べた時には、目の前が真っ暗になったし、
大ショックで、毎日泣いたものでしたっけ。

芝居を見に行った時、昔ずいぶん勘三郎さんと福助さんが、私の病気のことを
いろいろ揶揄してくれて、本当にすごく傷ついたのです。

でも、神様は、結果的に、私に味方してくれたんだな、と思っています。
天に唾を吐けば、必ず自分にもどってくるし、
「ちいさいものにしたことは、私にしたのである」という神様の言葉はただしいと思っています。

私もあれから15年。とてもつよくなりました。
芝居で私の病気のことをいう人がいたって、
「あら、そう?だからどうしたの?(^^)まぁ、そんなこともありましたね」と思えるようになりましたし、
いいたい人には言わせておけばいいんだな、と馬耳東風の心境になりました(^^)

わたしの人生を、いったい誰がわかっているでしょうか。
いや、100%理解することなんて、お互い無理に決まってるんですから、
最低限、おたがい、不愉快な思いをしない程度に生きていけばいいんじゃないでしょうか

病院の先生に、私が書いた論文をお渡ししてきました。
先生が喜んでくださるといいですね(^^)
わたしとおなじ病気で悩む方々への、ひとつの励ましになればいいなと思っています。
こんなに回復できるんだし、社会復帰だって、ちゃんとできるんですよね(^^)
そのために、たくさんの方々が応援してくださったことに感謝したいと思います。

病院のあと、食事をし、中村屋の芝居を観る。

・・・・・正直、とても気分が悪くなったのは事実。
でも、もういいたいことは言いましたから、スッキリしています。

一応、こっちは病人ですからね(^_-)-☆
健康なひとばかりが芝居を見に来るわけじゃない、ということを
劇場も作家も役者さんも考えていただきたいですね(^_-)-☆

ま、いいわけにすぎませんが、
「君子危うきに近寄らず」で、当面中村屋さんの芝居は
観ないことにしましたので、中村屋ファンの方はご安心ください。

おやすみなさい♪
明日は、気分をかえて、がんばります(^_^)/




きょうは、赤坂ACTシアターにて、中村屋さんの芝居を、一幕だけ見てきました。

二幕目はどうしたか?そうですね、正直にいいましょう、あまりの芝居のひどさに、さすがの私も立腹して帰ってきたのでした。がまんできなかったというべきでしょうか。
いわゆる「肘付き」の舞台で、最初の15分でかえろうかとも思いましたが、なんとかがんばって1幕で帰ることにいたしました。

これが千穐楽でよかったですね。これが中日だったら、大変なことになるところでした。でも、私も自腹を切っていますので、13000円の席代と、無為な時間をすごした1時間ちょっとの時間を返してほしいです。私の時間給、むかし換算したことがありますが、最高で一時間あたり、約2800円でした。いやいや、訂正。ひと月20日で計算したら、4166円でした(笑)

すくなくとも、この金額はかえしてほしいくらいです。あと、1500円のプログラム代も、正直むだな買い物だったので、かえしてほしいくらいです。

と、なぜそんなに立腹しているのか、特に中村屋のファンの方にはおわかりにならないようなので、わたしがなるべく冷静にお話します。

大変申し訳ありませんが、まず、この芝居を「赤坂大歌舞伎」と銘打ち、中村屋の定式幕を掲げ、一等席13000円をとるならば、ちゃんとした「歌舞伎」をつくってほしいです。蓬莱竜太さんの脚本は初めて見たのですが、これが小劇場の役者さんと劇場とそれなりのお値段(3000円〜4000円というところでしょうか?)だったら、私も納得してみていたと思います。そういう、ある一定の底辺に生きている人間像をえぐりだすことは、やはり大事なことだからです。でも、13000円もだして、赤坂という一等地の劇場にくるお客様に対しては、この作劇はかえって観客を小ばかにしているのでは?と思えてなりません。「こんな人生、おまえたちは知らないだろう」と蓬莱氏の嘲笑が聞こえるようです。でも、大変申し訳ありませんが、太郎や歌のような「底辺」に生きる人のすさまじい生き方は、ほんとうの歌舞伎だったら、もっともっと鋭く描き切っているものが多いので、そこをきちんと勉強してから、この「夢幻恋草紙 赤目の転生」を書くべきだったと私は思います。

たとえば、「いがみの権太」などもよく研究してほしかったですね。あの権太の「木の実」のすさみきった生活と人生観を、もっとよく見れば、この芝居もいっそうリアルなものになったと思っています。

太郎の人生は、幾度となく転生を繰り返しますが、そのたびごとに、彼はどんどん鼻持ちならない人物になっていきます。歌も、はじめは可憐な少女でありながら、やはり酒におぼれたすさんだ人生を歩むようになるわけです。
でも、勘九郎さんも七之助さんも、人物造型が中途半端なので、その人物のいやらしさ、なさけなさが、希薄なわけです。本当に金に行き詰まった人間の生き方は、あまり、この若き中村屋の御曹司はしらないほうがいいと思いますが、もっともっと目が血走っていて、狂気に満ちていて、そばに近寄るのもおそろしいほどです。それをよく知っておいて、役作りをすべきだったと、私は思います。

太郎と歌、ふたりの主人公の「核」が1幕の最後になっても見えてこないので、まわりの人物(亀蔵さん、猿弥さん、亀鶴さん、鶴松さん、いてうさんなど)のキャラクターも、それぞれの演技のうまさでみせるものの、脚本が弱いために、面白さがいまひとつ伝わってこないのです。現代語でピアノで下座をやるから歌舞伎じゃなくてけしからん、というわけではなく、やはり、蓬莱さんの脚本がよわいのだといわざるを得ません。

なによりの欠陥は、なぜ「歌」という女性に、これだけ太郎も、剛太も、静も、末吉もひかれていくのか、その造形が弱いのです。歌という女性が、ファム・ファタール(運命の女)たるゆえんが、描き切れていないのです。ゆえに、転生を繰り返す太郎達が、ただのでくの坊に見えてしまいます。これでは、3時間半のドラマを引っ張るのは、大変むずかしいですし、それを役者たちに要求するのも酷だったと私は思います。製作側の猛省を促したいところです。

最後まで見れば、もっといい結末がまっていたのか・・・といえば、そうでもなさそうですね。

でも、これは歌舞伎、商業演劇です。大枚はたいて、わざわざ劇場にお越しになるお客様方に、夢を魅せるのも大事なつとめだと私は思いますので、あえて、苦言を呈する次第です。

中村屋さんはおふたりとも才能ある方々なので、こういうほろ苦い経験もしたうえで、さらにブラッシュアップした舞台を見せていただきたいですし、ほんとうの「歌舞伎」とはなにか、ということを、よくかんがえてほしいと思います。そのいいきっかけになったと思います。

蓬莱竜太さんは、才気あふれる作家と聞きましたが、いまの段階では、かれの舞台をまた見たいとは思えません。でも、歌舞伎にもチャレンジしたからには、これを機会に、歌舞伎の舞台や戯曲を研究していただいて、さらに傑作をものにできるようにがんばっていただきたいと思います。13000円をとる舞台で「傑作」と言われるものを作り出すためには、尋常ならざる努力が、もっともっと必要です。

ひさびさに辛口になりましたが、私の信じるところを申し上げた次第です。


きのうは、無事に論文がでましたので、
関係各方面に、お礼のご挨拶まわりにいってきました
関係者、劇場のみなさま、ありがとうございました

まず、出版社にうかがいまして、
編集の方とご挨拶(^^)
とてもやさしそうな方でうれしかったです。
なかなか刊行できなかったので、恐縮されておられましたが、
実際に特集を拝見すると、
これだけのボリューム、かつさまざまな考証、論証を
きちんとしていく作業は気が遠くなるようなものだと
おもわれます。
本当に、関係各位の労作には頭がさがる思いでした。
いろいろお世話になった方に直送をお願いして、
帰ってまいりました。
週末にはお手元に届くと思いますので、
どうぞみなさまお楽しみにおまちくださいませ

次にうかがったのは、早稲田大学内にある、
歌舞伎学会の事務局と、演劇博物館の事務所です。
やはりきちんとご挨拶しなくては、ということで
うかがわせていただきました。
知己になったスタッフの方がいらして、
いろいろお話をさせていただき、感謝しております。

で、何か所かの本屋さんに寄ったのですが、
やはり学術誌ということで、図書館にはおいてあるようなのですが、
なかなか普通の書店さんではお取り扱いがないようなのですね。
実際に読んでいただいて、お取り置きをお願いしておきました。
執筆者みずから書店周りするって、いいのかな?
でしゃばりすぎかな?と思ったのですが、
やはり、せっかく書いた論文だし、たくさんの方に読んでいただきたいし、
登場していただいた吉右衛門さんや関係者の方々のためにも
がんばろう!とおもっております。

このブログをお読みの書店の担当者のみなさま、
ぜひ、「歌舞伎 研究と批評 58巻」を販売していただけますよう、
宜しくお願いいたします

それから最後に、歌舞伎座に参りまして、
吉右衛門さんの奥様と番頭さんにご挨拶をさせていただきました。
(幕見を拝見して、その前後で掲載誌をおわたしできました^^)

奥様と番頭さんについてお話しますと、今回の論文執筆にあたって、
1年がかりですが、ずっと背中をいろいろな意味で押してくださったので、
本当に、ふかく感謝しております。
(なかなかこのブログで書けなくて申し訳ありませんでした!)

奥様については、こんなヒヨコ劇評家のために、
わざわざ時間をさいてくださって、感謝しております。
いろいろ、人を育ててくださる気概のある方なのだと思いました。
タイトルについても貴重なアドバイスをくださいまして、
(それは吉右衛門さんからのご助言でもあったそうなのですが^^!恐縮です!!)
それで、実はこんなすごいタイトルになりました

じつは1年以上前に、(わたしは劇場で奥様をおみかけする機会がありましたが^^)
奥様とご挨拶させていただいて、まぁ、なんとか、桂木嶺という人間を信頼していただきまして、
取材させていただいた、ということもございました。
わたしがときどき、ぶしつけな質問をするのですが、
奥様が嫌な顔ひとつせずに、おはなししてくださって、
ふところのひろさに感謝しております!

また、舞台を拝見するたびに、いつも感想をきいてくださった
やさしい番頭さん(女性の方ですね。大変聡明な方ですね^^)にも
お礼申し上げます。
いろいろな手続きについても、親切に教えてくださったので、
ありがたいとおもっております。

事務所のお電話に出られる、これもまた大変やさしい女性のスタッフの方が
おられますが、彼女にも、本当に助けられました。
いろいろはげましてくださったので、うれしかったですね!(^^)

それから、お名前をあげていいのかどうかわかりませんが、
いろいろな意味で、アドバイスをくださり、はげましていただき、
応援してくださった、犬丸治先生、渡辺保先生、長谷部浩先生、諸先生方に、
こころから篤くお礼申し上げます!!
特に、犬丸先生には、なんとお礼を申し上げてよいかわかりません。
このテーマだったら、ご自分が書きたいくらいだと思うのですが、
いろいろ切り口や論考の進め方も含めて、
丁寧に教えてくださり、なんてやさしい方なのだろうと感激しております。

劇評の世界も、実はなかなか若い方がたくさんはいらっしゃらないので、
わたしのような者でも、応援していただけるのが
本当にありがたく、ご縁の大切さをかんじております。

ひとを育てようという気概、伝統のようなものが
歌舞伎にはあり、私もそこで育てていただいて、うれしく思っております。

そんな歌舞伎愛がたくさん満ち、たくさんの叡智が結集した論文なので、
ぜひ、たくさんの方にご覧いただき、吉右衛門さんの舞台のすばらしさのみならず、
歌舞伎の未来について、思いをはせ、希望をもって
ご覧いただきたいとねがっております。

そして、いつも私を温かくみまもってくださる、
歌舞伎座、国立劇場、演舞場等のスタッフのみなさまにも
こころからお礼を申し上げます!!!

この論文は、わたしひとりでつくったのではなく、
みんなでつくった論文です!
ありがとう!!









きょうの午後は、慶応大学日吉キャンパス内にある、来往舎(らいおうしゃ)にて、読売新聞やテアトロなどの歌舞伎劇評でおなじみ、演劇評論家の犬丸治先生による、「歌舞伎のみかた・味わい方」という講義を受講してまいりました。

これは同大学の歌舞伎研究会主催によるものでしたが、歌舞伎をこれからご覧になりたい方、いろいろ深く味わいたい方むけの講義として、大変すばらしい内容だったので、ご紹介させていただきます。

まず、慶応大学歌舞伎研究会の歴史についてのお話がありました。
(犬丸先生も同研究会のOBでいらっしゃいます。)

慶應の文学の歴史は、森鴎外を教授に迎え、また「三田文学」は永井荷風・小山内薫を編集に迎え、文学・演劇研究をしたことに始まります。歌舞伎研究会は大正11年(1922年)秋に設立され、大正14年8月末に、三田歌舞伎研究会として発足。岡鬼太郎など、著名な劇評家や松竹の重役だった人物が顧問になるなど、恵まれたスタートをきりました。役者の座談会や会報発行などをしておりました。
昭和6年から、脚本朗読会を始め、これがのちに「せりふ会」に発展していきます。
戦後は歌舞伎の実演を学生たちが実際にやることが始まりました。(1959年(昭和34年))。演目は、忠臣蔵の道行、五・六段目だったそうです。
慶應と歌舞伎の関連でいうと、福沢諭吉も、娘たちに三味線を習わせていたり、イギリス人のスペンサーがガス気球にのって、横浜・神戸などを飛んだ折、それを歌舞伎化した、五世菊五郎の英語の口上の翻訳を、諭吉の親族がしていたり、という縁があるそうです。また三田キャンパス内にも小山内薫の銅像があるそうです。

そして、本題の歌舞伎のみかた・味わい方ですが、
1)まずは見てみよう。
というテーマを語られました。

平成歌舞伎はまさに百花繚乱ですが、歌舞伎は江戸時代においては、「現代劇」でありました。そして明治以降「旧劇」として、幾度の存亡の危機を乗り越えて、さらにたくましく育ち、現代の発展につながりました。
平成のはじめに、二世松緑、六世歌右衛門、17世勘三郎と相次ぐ名優の死がありましたが、戦中・戦後生まれの吉右衛門・仁左衛門・菊五郎・玉三郎らの活躍によって、今まさに見なければ損である、という円熟を呈しているといえましょう。

しかし、歌舞伎を実際に見る機会は、若い方々ほど減っているのではないか、という危機感はあるそうです。そこで、

2)来月以降の歌舞伎
というテーマになりました。

来月はまずなんといっても團菊祭(だんきくさい、とよみます)があります。五世菊五郎と九世團十郎を偲んでの公演です。そして今年は、七世梅幸、十七世羽左衛門の追善興行であると同時に、楽善・彦三郎・亀蔵・亀三郎の襲名披露でもあります。この追善と襲名が歌舞伎の興行の両輪であります。

そして、明治座の愛之助と若手の奮闘公演があります。こちらは学割もあり、若い方に見やすいかと思います。
次に、再来月の国立劇場の歌舞伎鑑賞教室。「毛抜」は大変わかりやすいので、若い方にも訴求しやすいと思います。

またもうひとつ見逃せないのは、文楽(5月国立小劇場)です。呂太夫の襲名披露です。現在歌舞伎は6割がこの義太夫狂言であり、この素養が歌舞伎役者には必須であるといわれています。

3)演目別に分析をしました。

A)魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)

黙阿弥の世話物の傑作です。世話物でありながら、セリフ回しに様式美があり、時代がかっています。
ここでDVDを一部鑑賞しながらの解説となりました。DVDは昭和43年、スタジオ歌舞伎で、二世松緑・七世梅幸・九世三津五郎、先代の門之助、助高屋小伝次などの出演です。
いま主に演じられる「魚屋宗五郎」と比べてみても、非常に淡々としていながら、テンポよく、小気味よく、芝居を二世松緑丈が運んでいることがわかります。ひとつひとつが「型」の緻密な集積であり、役者の「芸」が問われます。

B)石切梶原(いしきりかじわら)

ここでは当代の吉右衛門・富十郎・左團次・時蔵が出演するDVD(いまから十数年前のもの)をみながら解説。
まず義太夫狂言なので、吉右衛門は、イトにのりながらセリフを言ったり動いたりするのですが、これが大変にすばらしいです。祖父である初代吉右衛門以来の味わいであり、逸材、と犬丸先生はおっしゃいます。花道を引っ込むときの色気、味わい、役者としての華も申し分ありません。

この物語は形容本位でありながら、義経の失脚を図った、敵役であるはずの梶原景時の「歴史のもしも」を想像させ、二枚目である生締め姿で登場させ、歴史の裏側を描いています。歌舞伎の無尽蔵の魅力でもあります。

4)どんな形で楽しむか?

A)同じ役者をずっと見続けてみる。

B)同じ作品をいろいろな役者で見てみる。

などの楽しみ方のほかに、

C)本などで調べる。

D)実際に演じてみる。

というやり方がそれぞれあります。ことにDは、型を知ることで、芸の奥深さを知り、一生の宝となるでしょう、と犬丸先生は語られます。

5)現代の歌舞伎、その未来は?

勘三郎・團十郎・三津五郎となくなったおり、歌舞伎の危機と言われたが、いまは、先に挙げた吉右衛門・仁左衛門・玉三郎・菊五郎らのあとに、芝翫らがつづいており、さらにその下に、海老蔵・菊之助・勘九郎などがいると、犬丸先生は結びました。10年後、どんな歌舞伎の未来像になっているか、たのしみであるということでした。

大変わかりやすく、明快な論旨で、歌舞伎の魅力を語っていただき、私も大変勉強になりました。
真摯な気持ちで歌舞伎に向かい合う、犬丸先生の姿勢を見習いたいと、思っております!

新緑がまぶしい、日吉の午後でした!

すでに別項で書かせていただきましたが、本日、歌舞伎学会の紀要「歌舞伎 研究と批評」第58巻が刊行されました。こちらで、拙稿「平成歌舞伎の発展のために〜二世中村吉右衛門論〜」を掲載していただきました。歌舞伎学会のみなさま、編集委員会のみなさま、出版社の方々、そして応援してくださいました、お友達のみなさま、劇評家の先生方、たくさんのお仲間たち、関係各位に心からお礼申し上げます!

また取材にご協力いただいた、中村吉右衛門丈・奥様・事務所のみなさま、こころより御礼を申し上げます!!

まだ、手元に掲載誌が来ておりませんので、まだ実感はわかないのですが、すでにお読みいただいた方に弁解を申し上げると、1年前に寄稿したものなので、情報がちょっと古くなってしまったかな、という反省はあります。また、投稿したのが実に14年ぶりなので、かなり肩に力が入ってしまい、若干文学青年臭い論調になったことを反省しております。

また、当代の吉右衛門丈の活躍を述べておりますが、私の観劇史に即しておりますので、丈の東宝時代のことはふれておりません。(なぜなら、その当時の丈の舞台は、平成3年(1991年)に東宝に入社した私は、当然ながらみてないからなのです^^)平成歌舞伎のひとつの流れの中に、吉右衛門丈を中心に、俳優諸氏、作家がどのような役割を果たしたか、論証していく結果となったことをあらかじめおはなししておきたいと思います。

いずれにせよ、ひとつの論文で、これだけたくさんの方に応援していただき、また内容も含めていろいろブラッシュアップさせ、現代歌舞伎、また、歌舞伎の歴史そのものに、真摯に論じ、発展に寄与できるようにがんばりたいと思います。

まずはお礼の口上まで。

大変、大変、ながらくおまたせいたしました!

歌舞伎学会の紀要「歌舞伎 研究と批評 第58巻」がこのほどついに刊行となりました!
拙稿の「平成歌舞伎の発展のために 〜二世中村吉右衛門論〜」が
掲載されておりますので、どうぞみなさまご一読いただいて、
忌憚のないご感想・ご意見などを承れば幸甚に存じます!

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目次はこちらからごらんください。
そして先生方の特集・劇評なども掲載されております。
(吉田弥生先生、お写真ありがとうございました!)

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まだ私の手元には掲載誌は届いていないのですが、
とてもドキドキしております。

吉右衛門さんファンのみならず、たくさんの歌舞伎ファンの方々、識者のみなさま、
歌舞伎ファン以外の読者の方々にもおよみいただき、
平成歌舞伎とはなにか、またご興味をいただくきっかけになれば幸いです。
どうぞよろしくご高覧のほど、お願い申し上げます!

http://www.yuzankaku.co.jp/products/detail.php?product_id=8356

まずは、関係各位、お世話になった先生のみなさま、ありがとうございました!!

ファビオ

きのうは、渋谷のNHKホールにて、NHK交響楽団のCプログラム定期公演に行ってきました。
指揮はファビオ・ルイージ。コンサートマスターは、篠崎史紀。ピアノはベアトリーチェ・ラナでした。

まず最初は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番 ハ短調 作品15。
ラナのピアノが終始優しいタッチで弾かれており、心が和みました。ルイージの指揮もまろやかで穏やかだったので、こういう指揮をされるのかな?と思っていました。でも、中盤にさしかかって、ラナがトリルを駆使して、超絶技巧を披露し、ルイージがそれをリードする形になっていました。最後の大団円まで一気に聞かせてくださいました。アンコールあり。

そして、次がお待ちかね、ブラームスの交響曲第4番 ホ短調 作品98。
大変有名な第1楽章の哀愁あふれメロディーを、篠崎以下N響がロマンティックに演奏します。時のうねりを象徴しているかのようです。この第1主題が繰り返し現れます。
第2楽章は一転して、華やかで壮麗なファンファーレに。ホルン、ファゴット、オーボエ、フルートがみごとな演奏を聴かせてくれました。ここで演奏される主題が大変ドラマティックで、うっとりするような仕上がり。ルイージの指揮も激情を秘めており、かれの卓抜した指揮を改めて堪能しました。オーケストラも壮麗なメロディーを高らかに演奏し、満場の客席を魅了しました。弦楽器の濃密な演奏がまた一層魅力的です。
第3楽章、哀切をおびた曲に転調します。ブラームスがこの第4番を作曲したとき、きわめてメランコリーの精神状態にあったといわれていますが、その心情がよく表れた曲調となっています。N響が非常に深い共感をもって、熱情あふれる演奏を披露しました。
第4楽章は、一気にクライマックスになります。ルイージの指揮はいっそう烈しさを増し、別の人格が乗り移ったかのよう。時に微笑み、時に威嚇し、オーケストラを最高の状態に持っていきます。演奏し終わったとき、ホールのあちこちから「ブラーボ!!」と歓声があがり、大興奮な状態になりました。

ルイージは、写真でみるとナイーブそうに見えますが、ことブラームスの4番になった時の激情ぶりが素晴らしく、大変情感あふれる指揮になっていました。また、今回初めて気づいたことですが、全体のリードを、やはりコンサートマスターの篠崎がよく行っていて、すぐれたオーケストレーションを現出していました。
ほんとうに完成度の高い演奏で、大変満足しましたし、5月、6月の定期公演も指揮者の方はまた変わりますが、大変期待したいと思います。

今日の演奏は、22日(土)も15時から同ホールで聴けますので、ぜひたくさんの方にこの感動を味わっていただきたいと思います。

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きのうは、二度目の四月歌舞伎座を昼夜で拝見してきました。前回いろいろ注文申し上げたところもあったのですが、さすがといおうか、見事にみなさんクリアされ、すばらしい舞台成果をあげました。大変満足して帰ってきました!お席をとってくださった方にお礼を申し上げます。

四月歌舞伎座2017年


さて、やはり特筆すべきは「傾城反魂香」通称「吃又」でしょう!前回みたときは、吉右衛門さんの驚異的な若々しさに驚きましたが、今回は、美しくもやさしい愛の奇跡の物語に収斂し、いっそう登場人物がみな「愛」でつながっていることを感じました。それは、又平(吉右衛門さん)と女房おとく(菊之助さん)の夫婦愛、又平と師匠土佐将監夫妻(歌六さん、東蔵さん)との師弟愛、又平の出世をまた喜ぶ弟弟子の修理之助(錦之助さん)との友愛、そして、又五郎さん扮する雅楽之助も、とらわれの姫を助けるために奔走する、愛にあふれた人物です。

又平の無骨な芸術家としての魂が、人々の中に眠るちいさな善意をよびさまし、やがて、手水鉢又平の自画像が反対側に抜ける、大きな奇跡が起きるという構成の見事なこと!何百年ものあいだに醸成され、21世紀の現代においても、人々のくらしの営みに、こうした普遍性を見出すことに成功しています。己が芸術の可能性を信じ、将監に、修理之助にすがり土佐の苗字をもとめる又平は、愚直で不器用かもしれませんが、その中には、こわれやすく繊細なこころが息づいています。その魅力にひかれ、尊敬している女房おとくの献身的な愛もまたふかい感動をよびました。夫婦とは、男女とは、芸術とは___永遠の人間の命題に「吃又」が不滅のスタンダードとして歌舞伎戯曲の中でも息づくことでしょう。

吉右衛門さんがますます若々しく、一途な又平を熱演され、臺頭の舞では、天下一品の味わいをみせ、駘蕩悠然たる風情で魅せてくれました。菊之助さんのおとくは、大変母性に満ちた、愛情豊かな女性像を魅力的にみせ、「吃又」に現代的な風を呼び起こしました。歌六さんは峻厳たる父の面影を宿しつつ、又平をじっとみつめ、芸術の至高の世界に導く毅然さをたたえていました。また、東蔵さんは観音菩薩のような穏やかさをもって又平夫婦を見守り、かれらの成功を喜ぶ素直な感性をみせてくれました。錦之助さんはやはりこうしたさわやかな二枚目ぶりが匂うような魅力を発揮。又五郎さんもきびきびとした動きで、アンサンブルのよさに彩りをそえていました。また、この舞台では、ワキの吉三郎、吉五郎、吉兵衛らもよく、しっかりと一座のチームワークの良さも感じさせ、気持ちの良い舞台鑑賞となりました。まるで美しい森で木漏れ日の日差しをあびているような、そんなすがすがしい感動を呼ぶ「吃又」でした。

昼の部では、「伊勢音頭」が非常にすぐれた成果を挙げました。まず、格段に良くなった「追駆け」「野原地蔵前」。テンポもよくなり、特に 橘三郎さん・橘太郎さん・隼人さんのトリオが楽しく事の発端を魅せてくれました。「忖度」など現代の言葉も飛び出すなど、サービス精神も旺盛で、観客は大喜びです。「二見ケ浦」の、染五郎さんの貢、秀太郎さんの万次郎、それぞれニンに合い、若々しく、だんまりも大変面白く見ることができました。

そして、いよいよ「油屋」「奥庭」となります。染五郎さんの貢は、前回は仁左衛門型の型を追うのに終始していましたが、今回は、かなり自分の色を出してきており、彼独特のユーモアの感覚を打ち出したのが、とてもよかったと思っています。御師(おんし)といえども、青春真っ盛りであり、恋に煩悶する若者としてのリアルな感覚を見せたのが成功のカギでしょう。猿之助さんの万野も、貢とのある意味の「あ・うん」の呼吸をもった色町のおんなとしてのあだっぽさもあり、かといって、底意地のわるい女の複雑な一面も垣間見せ秀逸です。ふたりの関係がとても面白くなったので、いっそうドラマがリアルな感触を持ってつたわってきます。このポンポンとしたテンポの良いやりとりが、物語をいっそう現代の私たちに身近にせまってくるのですね。

萬次郎さんのお鹿もおろかでみにくいのではなく、愛嬌をたたえ、本音をポンポンいう女として造形され、これも楽しくみることができました。梅枝さんのお紺が、錦絵のような美しさで魅了します。かれの古風なたたずまいこそ、江戸のおんなの魅力の源泉でしょう。米吉さんのお岸も可憐で愛くるしく、万次郎への愛と貢へのやさしさにみちた女性として好助演。さまざまなおんなたちを、かれらがリアルに演じることで、一層共感をよびました。

松也の料理人喜助が小気味の良い快演。いずれ、貢もかれで見てみたいような気がします。由次郎さん、桂三さん、錦一さんがそれぞれお手柄。千野役の京妙さんも見事でした。

夜の部のみものとして忘れられないのは、「奴道成寺」です。猿之助さんが、輝くばかりのスター性を発揮します。謡ガカリとなり、おごそかに踊り始めるときの威風と、『まずは春は花の本』と、狂言師左近になってからの明朗な個性は、誰にもまねのできない独壇場ですね。手毬をついて楽しむ様子の身体のやわらかさ、おかめ・ひょっとこ・お大尽の三つの面を使った超絶技巧の踊りなど、つぎつぎに舞踊の楽しさを魅せてくれます。猿之助さんの狂言師左近には、大変な愛嬌があり、その愛嬌が彼自身の魅力にもつながっています。

所化では、右近・隼人・米吉・種之助・男寅・龍生(初舞台)・弘太郎・蔦之助らがたのしく軽妙に踊り、こちらも未来のスター候補がそろいました。特に、隼人と米吉のならぶ姿は絵姿のよう。いいコンビになりそうですね。

前後しますが、昼の部の「熊谷陣屋」も忘れ難い風格を備えた舞台となりました。幸四郎さんの熊谷は、赤ッ面で芝翫型。でも衣裳や基本的な演技は團十郎型という折衷型で、武人としてのつよさをリアルにみせた造形となりました。また相模の猿之助さんは母としての情愛をぞんぶんに魅せました。染五郎さんの義経も、音遣いを工夫して、御大将の品格をあらわし、左團次さんの弥陀六もすばらしい成果をあげました。高麗蔵の藤の方。松江の堤軍次。宗之助の亀井六郎など。

そして、夜の部の「帯屋」では、上方歌舞伎の魅力が横溢する、名舞台となりました。藤十郎さんの長右衛門、扇雀さんの女房お絹がそれぞれ好演。また、なんといっても白眉は、長右衛門と恋に落ちる運命の女・お半と、丁稚長吉を演じ分ける壱太郎さんのすぐれた感性です。長吉では抜群のコメディ感覚をみせ、客席を大いにわかせたとおもえば、おさないお半で、恋に一途な娘のうぶさをあらわし、藤十郎さんとのコンビも違和感なくみせたのは立派です。染五郎さんの弟・儀兵衛も意外な大ヒット。花道の引っ込みまで、まったくあきさせずに、「帯屋」のもつ、京都の商家の雰囲気をだしたのでお見事です。寿治郎さん、上村吉弥さんが好助演。こうしたワキの存在は大切ですね。

最後になりましたが、昼の部の「醍醐の花見」。わたしが前回申し上げたことは、わかってくださった役者さんもいたようでよかったです。それぞれの動きが洗練され、みごたえある場となりました。特にすばらしかったのは、笑三郎さんの前田利家の妻・おまつ。たおやかなたたずまいに、女形の品格がよく表れます。右團次さんの石田三成も剛毅さがありました。鴈治郎さんの秀吉は、歌舞伎ではないですが、「独眼竜政宗」の勝新太郎さんの秀吉を思い出す、権力の座にありながら庶民性をもつ天下人の一面をのぞかせてくれました。扇雀さんの北政所もりんとした風格があり、おだやかさもあり見事。壱太郎さんの淀君、尾上右近さんの三條殿、笑也松の丸が可憐です。修羅の姿の秀次を松也さんがここでも好演し、門之助さんの門跡が豊臣一族の運命を見守ります。歌昇さん、種之助さん兄弟が華やかに踊ります。

ほんとうに、まさに百花繚乱、かぶきのまことの華、時分の華をぞんぶんに味わうことのできた、歌舞伎座昼夜でした。さわやかな初夏の風が、東銀座にふいていました。


いま出版社に問い合わせましたら、拙稿の掲載されました、「歌舞伎 研究と批評58巻」は、今週末に刊行となるそうです\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

みなさま、大変お待たせして申し訳ありませんでしたが、無事に刊行の運びとなり、とてもうれしいです!
ありがとうございました(^_^)/(^_^)/

いやはや、本当に長い道のりでしたが、みなさまのご助力、はげましのおかげで、どうやら大団円となりそうです。感謝にたえません!

どうぞ楽しみにおまちくださいませ〜(^_^)/

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きょうはご近所に買い物に行ってきました
完全にオフデーです

いろいろお買い得な買い物ができてうれしかったのですが、
バラの花束がとってもオトクに売られていたので、買ってきて、家に飾りました

花があると、気持ちがなごみますし、はなやかな気持ちになれます

ところで、きょうは、なんとヤフーニュースに、渡辺保先生が、ご著書の「戦後歌舞伎の精神史」について、こう書いておられましたのでご紹介します

「歌舞伎と現代演劇の決定的なちがいは何か 戦後歌舞伎の精神史」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170416-00051284-gendaibiz-bus_all

また、長谷部浩先生が、このほど4月21日に「権力と孤独 演出家 蜷川幸雄の時代」という蜷川幸雄さんに関する御本を出版されます。こちらも大変楽しみです!

http://natalie.mu/stage/news/228509


お休みの日であっても、なにかしら歌舞伎や芝居に関するニュースがでますし、情報収集は欠かせないですねほんとうに、この世界は、日々勉強です

さて、もうちょっとしたら、晩ごはんのしたくをします
下ごしらえはもうできたので、あとは、どんな食材を組み合わせるか、考えるのがたのしみです





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きょうは、シアターコクーンの舞台「フェードル」を見てきました。ジャン・ラシーヌ作、岩切正一郎・訳、栗山民也・演出。「いままさに古典が必要な時代」という栗山民也の意図は見事に生かされ、今年の演劇界の注目を集める傑作舞台の誕生となりました!

ギリシャ悲劇を題材に、王妃フェードルの邪恋から、すさまじい人間の愛と憎悪が交錯し、やがて人々を破滅へ向かわせるラシーヌの名作を、大竹しのぶ、平岳大、今井清隆、キムラ緑子、谷田歩、門脇麦らが熱演。特に、大竹と平の、凄絶な演技のつばぜり合いは、後世の語り草になるでしょう。

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舞台にぽつんとおかれた、赤いマントと長椅子。そして、下手から十字架のように、一筋の道がながれ、上手の扉の向こうから、まばゆい光がさしている。

行方不明となった、アテネ王テゼ(テーセウス、今井)を探すため、息子イッポリット(ヒッポリュトス、平)は国を出ようとしていた。ひそかに愛する敵国の娘・アリシー(門脇)を思いつつ。しかし、そのイッポリットに道ならぬ恋情を抱くのが、テゼの妻にしてイッポリットの継母のフェードル(パイドラ、大竹)。フェードルは病み衰え、絶望の淵にいた。

ヴィーナス(アフロディテ)のしかけた愛の呪いに煩悶し、フェードルは、テゼの死の知らせを受け、思い切ってイッポリットをかき口説く。衝撃を受けたイッポリットはフェードルを侮蔑する。アリシーとイッポリットの恋を知ったフェードルは、嫉妬にかられ、生還した夫・テゼに、イッポリットの恋を知らせる。激怒したテゼは、アリシーと国を去ろうとするイッポリットに、神々の呪いを祈るのだった・・・・・。


フェードル1


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なんといっても、人間の極限の愛情と憎しみを体現し、神々の呪いにあがらいつつも、運命に翻弄されるフェードルを演じる大竹しのぶの演技が圧巻です。時に老女のごとく叫び、時に悪魔のごとくうなり、時に少女のように恋を語る大竹の七変化ともいうべき鬼気迫る演技が、見る者へ大きな衝撃を与えます。彼女の舞台での演技は初めて見ましたが、あまりのすさまじさに、身も凍る思いがしました。このフェードル役で、さらに彼女の女優人生が大きな転機を迎えたことは間違いなく、文字通り彼女の代表作になりそうな予感がします。

また、イッポリットの平岳大が、こちらも大変なカリスマ性とスケールの大きさで舞台に輝きを放っています。亡き父・平幹二朗もギリシャ悲劇を演じて右に出るものがなかったのですが、岳大もまた、父以上に繊細さを秘めつつ、堂々としたギリシャの王子を演じ切り、「野蛮にして高雅」なイッポリット像を魅力的に演じました。フェードルの狂った愛におののきつつ、アリシーとの清冽な恋に生きる姿を激烈な個性で演じ切ったことは、演劇界において、新たなるギリシャ悲劇役者の誕生を祝し、泉下の父も喜んでいることだろうと思います。

そして、悲劇の発端をつくるアテネ王テゼを今井清隆が威風堂々と演じ、豊かな朗誦術でラシーヌの名台詞を聴かせます。これを機にどんどんストレートプレイへの進出もはかってほしいところです。妻への不信になやみ、息子への愛憎に苦しむ英雄を、人間くさく演じて共感をよびました。

イッポリットの愛を受ける娘・アリシーを門脇麦が好演。そして、フェードルの罪の恋をしりつつ、テゼへ讒訴するエノーヌをキムラ緑子が、ぞっとするような気魄で熱演しています。イッポリットの末路を語るテラメーヌ役の谷田歩も、悲劇を一層盛り上げます。演技陣の息詰まるような緊迫感を、栗山民也の演出が冷徹なまでに引き出し、成功しています。

栗山演出作品は、いつも人間にふりかかる巨大な運命の鉄槌を描きますが、「フェードル」で描かれているのは、男女の愛憎だけでなく、権力が暴走したときの争いのすさまじさと苛烈さです。その最後はあまりにも凄惨で、神々の呪いに打ち勝つことのできない人間のおろかさ、よわさ、もろさを露呈します。しかし、絶望の中で一筋の光が差し込み、次の世代への希望が服部基の照明によって現出されます。

今年の演劇界に、まさに嵐のように旋風を巻き起こすであろう傑作「フェードル」を、ぜひたくさんの方にお見逃しなきようにとねがいつつ、帰途につきました。

30日(日)までシアターコクーン。5月3日(祝・水)りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・劇場、5月6日(土)〜7日(日) 刈谷市総合文化センター、5月11日(木)〜14日(日)兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホールにて上演。


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