このたびの東日本大震災は直接に甚大な被害を受けた日本人のみならず世界の人類に大きな課題を投げつけた。

  一つには自然の持つ力に対して人はどれだけの『想定』をしてきたのか?ということである。我々は地質学や古代史あるいは歴史に残る記述や近年はじまった観測データから地球上に将来おこる可能性を、あまりにも安易に推測してきたように思える。地球の歴史が45億年であることを考えれば、人類200万年はあまりにも短い。人が母なる地球に科学的関心を持ち始めたのは、人類の歴史から見ればごく最近で、知り得た知識はまだ微々たるものにすぎない。にもかかわらずこれまで立ててきた『想定』は自然を知り尽くしたかのような過信に基づく『空想』であり、人間だけの利益から見た傲慢な思い込みに過ぎない気がする。過去に世界で起きた最大の地震はM10であるという『定説』も大陸を日々移動させている巨大な地球のエネルギーを考えれば、『これまでの人が経験した』とカッコつきで表現されるにすぎず、かつて地上のほとんどの生物が死滅するほどの出来事が繰り返されてきたことを知るべきであろう。

 二つめは、快適さを求め続けることが新たなリスクを生み出すことに人類はどう対処すればいいのか?ということである。
 このたびの震災では地震が巨大津波を引き起こし世界で最も厳しい安全基準で管理されてると言われてきた日本の原発が深刻な事態を引き起こし、被害は事業者や政府が説明してきた範囲をはるかに超え多くの住民が故郷を奪われ不安は世界まで広がっている。電力事業者の『想定』に基づく安全神話と補償金で人の心を縛り付ける問題点は別にして、今われわれに問われていることはもっと根本的な選択である。 
 現在世界の30カ国で432基の原子力発電所が稼働していて全世界の電力の15パーセントをまかなっている。日本では54基の原発が使用電力全体の30パーセントを占める。大震災が発生する前まで、原発は二酸化炭素を出さずクリーンで安定したエネルギーとして各国は推進する方向で動いていた。今後、急成長を続けている新興国や発展途上の国々で電力の需要が急増するのは確実である。しかし、水力や限りある地下資源でこの需要を賄うのに無理があり同時に地球の環境破壊につながることは誰もが知っている。これらに代わるエネルギーが必要であることも。
 わが国の国民一人当たりの家庭における電力消費量は世界一である。オール電化の住宅がもてはやされ宇宙から見て最も明るい国と言われている。そして停電によりその便利さは一転、いかに我々の生活が電気に依存しているのか思い知らされる事態であった。 日本において、30パーセントの節電が原発の必要をなくするとすれば、それが生命と財産を守る限界使用量であるとすれば我々はどんな選択すべきであろうか?

  とりあえず、原発に依存せざるを得ない現状を考えれば、 緊急の取り組みとして電力会社任せの危機対応ではなく国家の責任において考えられる限りの対策を取らなくていけない。同時に、国も電力会社も建前やポーズでなく、本気で再生可能エネルギーの研究開発を進める必要がある。