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山科音羽山から出る石英斑岩、山科石
「秀吉が方広寺大仏殿や伏見城を造営するにあたり、石材を山科の大塚や醍醐、三井寺領藤尾などから切り出していたことは『(浦庵)太閤記』の記述にある」、とされています。
参照 ふるさとの会会報「ふるさと通信」

今年6月京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20150619000045
歴史ファンでもない私は「そーなんや」くらいの思いで読み流していました。

詳細  http://iseki-hakktsu.com/investigation/index22.html

7月中頃、この指月城の石積みに山科石が使われているとの情報が入り、興味を抱いた私は発掘現場を見学させていただく機会を得ました。現場の担当者、研究家の方に案内いただき石積み見学

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ぱっと見で白川石を確認。チャートは醍醐系という話、確かに上醍醐寺で使われている記憶有り
個人的憶測ですが、宇治石が極少数使われているのでは?
で、山科石ですが、藤尾石との区別ができず完敗!
当時の運搬事情も考慮すると近場から採取できる主にこの5石で積まれているのでしょう。

この指月城遺跡、発掘調査以降、マンション建設のため再利用される数石を残して埋戻されてしまいます。
そんな状況下、関係各位のご協力のもと、山科石を故郷に残そうという働きかけがあり、3石が山科に帰ってくる運びとなりました。
据わるのは音羽山麓、大塚天神社境内。ご縁をいただき緑輝造園が施工を賜りました。

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上段3石が帰ってきた山科石。境内に転がっていた山科石も用いて極力加工せずに積みました。
埋もれた歴史に人が集まり、山に活気が生まれ、荒れた山がちょっとでも美しくなればな~と妄想。
この石積みがそのきっかけとなれば、植木屋冥利に尽きます。