松尾貴史のちょっと違和感
「女性がうまずして」 日本外交の顔の発言とは
毎日新聞 日曜版 2024/5/26 02:02(最終更新 5/26 02:24)
スクリーンショット 2024-05-26 114749
松尾貴史さん作

 静岡県知事選で応援演説をした上川陽子外相が、自民党推薦候補の当選に向け、「この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」と発言したことが問題になっている。本人は「真意と違う形で受け止められる可能性がある」と撤回したけれども、「真意と違う」とは何だろうか。

 「文脈を考えずに部分的に切り取られた発言で印象操作だ」と反発する自民党の支持者も少なからずいる。しかし、数々の差別発言や差別表現をしてきた自民党の杉田水脈衆院議員についても同様のことが言えるが、問題発言をした政治家をむりやり擁護しようとして、「切り取りだ」とする言い草には限界があるだろう。

「この候補者を知事として誕生させたい」という文脈なのは小学生にでもわかるが、その上で問題だと指摘しているのだ。報道も発言の趣旨を紹介した上で問題視しているのだから、切り取りだから誤解だという言い逃れはできない。

 「女性」を主語にして「うまずして何が女性でしょうか」と言っているのだから、女性の存在意義を「出産」に特化した表現であって、そもそもこういう精神であるからこそ出てくる言い方でしかない。応援した候補を知事として誕生させるという意味ならば、「女性が」とつけるのはおかしい。女性が多く集まる場であったとしても、そして切り取りであったとしても、真意を誤解するという要素はない。趣旨は確認した上で、こういう感覚を心底持っているという事実がバレてしまったということに他ならない。

 こういう表現が問題だと理解できない政治家とその支援者たちの感覚ではセーフなのだろうが、さすがにこの表現はアウトとしか言いようがない。「今は使ってはいけない表現だ」と上書きされない頭で政治家を続けているとこうなってしまうのだろう。

 しかし、ここで「産みたいのに産めない人の気持ちを考えるべきだ」と主張するのも少し感覚がずれていると思う。それは思いやりの問題であって、勝手に上川氏を嫌えばいいだけだ。ここは単純に、客観的に見て差別表現であること自体を問題にすべきだと思う。

 2007年、柳沢伯夫厚生労働相(当時)が「女性は産む機械」と自民党県議の集会で発言して問題になった。その時は「15から50歳までの女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、機械と言うのは何だけど、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」という内容で、エクスキューズを挟んではいたものの、仰天の発言だった。

 限定的だが、上川氏の発言に性差別の要素はないという非常に好意的な解釈をする人もいるが、それには無理がある。もし「この知事を私たち男性がうまずして何が男性でしょうか」と言われたら、私は大いに違和感を覚える。「出産を指したのではない、うむというのはそれだけではない」と主張する人も多いけれども、「女性」を主語にして「うまずして」という言葉の選び方は、女性としての役割を十分に意識したものである。

女性だけが「産む」という生物学的事実と、「うまずして何が女性か」という評価のあり方は別問題だが、女性であることと「うまずして」とを短文の中で直結させること自体に抵抗を覚える思考回路がないと、現代では要職につく資格がない、と言わざるを得ない。

 少なくとも公人である国会議員、それも現職の閣僚がこんな表現を使ってしまうのはあまりにもずさんで軽率過ぎる。この程度の表現力と感覚の持ち主が、国際社会に対する日本の外交の顔であるという事実にも、暗たんたる気持ちにさせられる。

 女性や性的少数者の人権が十分に守られない日本の状況を「差別が日本全体にある」として、日本人女性のカップルがカナダで難民認定された――。そんな報道があったのは、つい最近のことだ。(放送タレント、イラストも)=5月21日執筆