ラジオ放送100年
戦争あおった過ち いま教訓に
しんぶん赤旗主張 2025年3月22日(土)

「ああ、あー、聴こえますか」。1925年3月22日、この第一声からラジオ放送が始まって100年です。
戦前は、日本放送協会(NHKの前身)がラジオ放送を独占していました。天皇制政府・逓信(ていしん)省の検閲下にありましたが、文化・教養や娯楽番組をはじめ、甲子園や相撲中継などの放送も始まり、約半数の家庭に普及しました。
しかし、「ラジオが戦争をあおり、日本を戦争に駆り立てた」(NHKラジオ放送史)とされるように、戦争に協力し、国民を動員する大きな役割を果たしました。
この歴史にどう向き合うのか、あらためて問われます。
■軍に積極的に協力
31年、中国侵略の開始とともに、政府は軍事機密保護のため軍発表以外の軍事報道を禁止しました。ラジオは軍発表をそのまま国民に伝えるだけでなく、次第に国威発揚の国策番組を多くしていきました。
37年、日中戦争が本格的に拡大すると政府は、国民を戦争に総動員するため、「挙国一致」「尽忠報国」などをかかげる国民精神総動員実施要綱を閣議決定しました。その「実施方法」に「ラジオの利用を図ること」が明記されました。
逓信省は、国民を戦争に動員するためにラジオを最大限に利用したナチス・ドイツからも手法を学びました。
重要なのは、放送協会が自らすすんで積極的に侵略戦争に協力したという事実です。
放送協会会長は「ラジオは絶えず政府と協力し、…国民精神総動員運動の趣旨の徹底に努め、かつ実行運動に参加している」(38年元日)とあいさつしました。
戦争を扇動する放送をさんざん続け、敗戦間際になっても「百年でも二百年でも戦争する覚悟だ、とラジオが絶叫している」と仏文学者・渡辺一夫氏が日記(45年7月14日)に記しています。
■圧力かけた自民党
メディアの戦争協力―これは過去の話ではありません。
「戦争法」を推し進めた安倍晋三政権はメディアへの圧力を強めました。「放送法」の解釈を変更し、個々の番組ごとに「政治的公平」について判断できるとし、高市早苗総務相(当時)は「電波の停止もありえる」と国会で脅しました。これには、放送の自由の侵害だとの批判が高まりましたが、当時、多くのキャスターが降板しました。
「権力がメディアを支配しようとすればどこまでやるのか。そして、メディアはどこまで腐り果てていくのか。戦時ラジオ放送は私たちに教えている」(大森淳郎『ラジオと戦争』)のです。
逆にいえばメディアが戦争協力を拒否し、平和の声を発信しつづけるかぎり、政府は戦争への道をすすめることができないのです。
ラジオ放送は、今日も親しまれ、多くの役割を果たしています。NHK放送文化研究所の調査では、国民の36%が聴いています。ネットメディアの時代にも、独自の役割を担っていくと期待されます。
ラジオ100年の歴史は、メディアが国民に応えるために、決して忘れてはならない教訓を刻んでいます。