日米で殿堂入り 「イチロー」は伝え続ける
東京新聞社説 2025年1月23日 07時14分
米大リーグなどで活躍したイチローさん(51)=本名鈴木一朗=が、日本と米国で立て続けに野球殿堂入りを果たした。「野球の本場」で数々の歴史的記録を打ち立て、日米通算で28年も活躍した功績から見れば、当然の評価だが、さまざまな分野で世界に挑戦する日本人を勇気づける存在だったことも確かだろう。
米国の野球殿堂の表彰は1936年に始まった(日本は59年に創設)。技術や記録だけでなく、スポーツマンシップ、競技振興といった点も考慮した野球記者ら約400人の投票で決まる。イチローさんは史上2人目の満票に1票だけ足りなかったが、アジア人で初の栄誉がかすむことはない。
92年にオリックス入り。高卒3年目でプロ野球初の200安打を達成した。渡米後も1年目から活躍し、首位打者、盗塁王、新人王、リーグ最優秀選手(MVP)を獲得。2004年には大リーグの年間最多安打記録を塗り替え、10年連続で200安打以上をマーク。日米通算4367安打は米国の生涯安打記録を上回る。王貞治さんが「ボールとバットの芯を結ぶ天才。人間業じゃない」と舌を巻くのもむべなるかなだ。
引退後の近年は、日本各地で高校球児を指導し、女子の親善試合も催している。「野球を通じて、社会に出てからの(生き方の)きっかけをつかんでくれれば」と語る。甘やかさず、しっかりあいさつができない、など「(野球を)ナメた子供は叱る」という。夢や目標にたどり着くための過程は異なっても、懸命に物事と向き合う姿勢は不可欠だと考えている。
今年、ともに日本の野球殿堂入りを果たした一人が、中日ドラゴンズ一筋の投手、岩瀬仁紀さん(50)だ。1002登板、407セーブはともにプロ野球最多記録。プレッシャーの強い場面で登板し続けたが、その心持ちを「前だけを向いて日々過ごしていた」と語ったのは印象深い。
イチローさんが引退時、「自分の限界をちょっと超えることを繰り返す。その積み重ね」と振り返った言葉と重なる。ともに、大股の飛躍というより、小さな研さんを倦(う)むことなく繰り返すことで、記録にも記憶にも残る高みへとたどり着いたといえるだろう。ユニホームは脱いだが、今後も、野球を通じてその生きざまを伝え続けてほしいレジェンドたちである。