No Nukes 原発ゼロ

初代「No Nukes 原発ゼロ」 の後続版です。 政治・原発問題などを中心に、世の中の「気になる動き」をメモします。

福島原発事故

東電元役員の賠償否定 不問にできぬ事故の責任
毎日新聞 2025/6/10 東京朝刊
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 株主代表訴訟の控訴審判決で、東京電力の旧経営陣に13兆円超の賠償を命じた1審判決が取り消され、心境を語る原告・弁護団=東京都千代田区で2025年6月6日午前11時42分、幾島健太郎撮影

 事故の責任が明確にならなければ、地震大国で原発を稼働させることへの不安は拭えない。

 東京電力福島第1原発事故で、元役員らの賠償責任を否定する判決を東京高裁が出した。4人に対し、13兆円余を東電に支払うよう命じた1審判決を取り消した。
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東京電力福島第1原発事故を巡り、東電株主が旧経営陣の責任を問う株主代表訴訟で控訴審判決が言い渡された東京高裁の法廷=2025年6月6日午前10時57分(代表撮影)

 株主が経営責任を問うために起こした裁判だ。津波による事故を予想できたかどうかが争われた。

 事故の9年前、政府が地震予測の「長期評価」を公表し、巨大津波を起こす地震が発生する可能性を示していた。これに基づく東電の試算でも、敷地の高さを大幅に上回る津波が想定された。

 だが、旧経営陣は外部の専門家に改めて確認する方針を決め、対策を先送りした。

 高裁は、長期評価は十分な根拠が示されていなかったり、異なる見解もあったりしたと指摘した。

 事故を防ぐには原発を停止させるしかなかったとした上で、それほどの切迫感を抱かなかったのは、やむを得ないと認定した。取締役としての職責を怠ったとは認められないと結論づけた。

 長期評価の信頼性は高く、津波の襲来は予想できたと認めた1審の判断を覆した。旧経営陣の刑事裁判でも、今回の判決と同様の考え方により、最高裁で無罪が確定している。

 しかし、原発でひとたび事故が起きれば、放射性物質が広範囲に飛散し、甚大な被害を招く。運転する電力会社の経営陣は、万が一にも起こさない措置を講じなければならない。

 高裁は、福島の事故を経験した今なら、取締役は一層重い責任を課されるべきだと付け加えた。

 ただ、津波の正確な予測が難しいことは、事故前から分かっていたはずだ。あらゆるリスクを想定し、より安全な対策を取ることが経営陣の責務だろう。高裁の結論には疑問が残る。

 事故から14年が経過しても帰還困難区域が設けられ、多くの人々が避難生活を送る。廃炉の見通しは立たず、除染ではぎ取った土の最終処分地も決まっていない。

 こうした課題に東電は正面から向き合うべきだ。刑事上や民事上の責任を免れたとしても、人々の暮らしや故郷を壊した社会的責任を不問に付すことはできない。

東電株主訴訟 原発事故の責任どこへ
東京新聞 2025年6月7日 07時04分
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 東京電力福島第1原発事故を巡る株主代表訴訟で東京高裁は旧経営陣の賠償責任を認めなかった。刑事裁判の無罪確定に続き、当時の幹部が誰も法的責任を負わないことになる。到底納得できず、原発への不信は増すばかりだ。

 一審の東京地裁は、過去最高額とみられる13兆円超の賠償を命じた。正反対の判決となったのは、巨大津波を予見できたか否かの判断が分かれたためである。

 東電は2008年、国の地震予測である長期評価を基に、津波が最大約15メートルに達するとの試算を得たが、旧経営陣は原発を停止せず、津波対策を先送りした。

 高裁判決は、長期評価には積極的な根拠が示されておらず、信頼性が不十分だと結論付けた。「巨大津波は想定外」という旧経営陣の主張を丸のみした形だ。

 しかし、長期評価はトップレベルの専門家らがまとめた見解である。地震や津波の研究には未知の領域が多いとはいえ、それに基づき対策を進めるべきだった。

 原発事業者が、他企業とは比較にならないほど重い安全義務を負うことも忘れてはならない。重大事故が起きれば地域社会が崩壊し、国全体も揺るがす。

 原発事故後、福島の多くの人々が故郷を離れざるを得なかった。避難中に死亡したり、自殺した人もいる。事故処理費用の一部は電気料金に組み込まれ、全国の家庭や企業が負担している。旧経営陣を免責した今回の判決は、国民の感情を逆なでしている。

 旧経営陣が対策を先送りした背景には、目先の利益優先の姿勢がある。建屋の水密化などに相応の費用がかかり、運転停止で収入が見込めなくなるからだ。

 一方、東電が背負った事故処理費用は廃炉や除染、被災者への損害賠償などで計23兆円余と天文学的な金額に上る。経営判断を大きく誤ったのは明白だ。

 経営者が常に正しい判断ができるとは限らない。判断を誤った際に、絶対に償うことができない巨大なリスクを抱えていることが、原発の不条理の証しである。

 原発事業の未来は明るいとは言えない。安全対策費用は膨らみ、事故時の住民避難計画は実効性に乏しい。核のごみを処理する核燃料サイクル計画も破綻している。

 国は「原発回帰」に舵(かじ)を切ったが、矛盾が膨らむ現実を直視すべきである。

福島の除染土 社会的な合意へ熟慮を
朝日新聞 2025年6月4日 5時00分
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福島県大熊町の中間貯蔵施設。奥は東京電力福島第一原発
=2025年2月15日、朝日新聞社ヘリから

 東京電力福島第一原発の事故の後、除染作業で出た膨大な土をどうするか。政府が、再生利用と福島県外での最終処分に向けた基本方針を決めた。ただ、受け入れ先を見つけるのは難しく、道筋は描けていない。社会全体で向き合うべき重い課題だ。

 福島県内の除染土は復興の妨げにならないよう、原発周辺に設けられた中間貯蔵施設に集められた。量は東京ドーム11杯分にのぼる。政府は地元の理解を得ようと、2045年までに土を県外に運び出して最終処分する方針を示し、県知事は「苦渋の決断」として受け入れた。

 県外処分を「国の責務」と定める法改正には、国会で多くの会派が賛成した。深刻な環境汚染やふるさとを失う苦しみを背負わされた被災地への約束は、重い意味をもつ。

 ただ、実現性を疑問視されるなか、政治主導の見切り発車だったのも確かだ。

 処分の期限まであと20年、当面は最終処分の量を減らすための再生利用が課題になる。総量の約4分の3にあたる放射能濃度が1キロあたり8千ベクレル以下の土を各地の公共事業に使う計画だ。今回の基本方針には、国が率先する姿勢を示すため首相官邸での活用も盛り込んだ。植え込みで使うという。

 政府は安全性を十分確保するため、工事の作業員らの被曝(ひばく)を国際基準以下に抑え、土の飛散や流出の防止策などもとる、としている。とはいえ科学的な安全を強調するだけでは、理解は進まない。

 環境省は首都圏で実証事業を計画したが、近隣住民の反対で頓挫した。最近も再生利用基準への意見公募に不安や疑問が多数寄せられた。

 原発事故に伴う放射能のリスクをめぐっては、農産品や処理水放出でも鋭い意見対立があった。政府はお仕着せの発信ではなく、自治体や市民との丁寧な対話を通じて懸念を払拭(ふっしょく)し、社会的な合意へ努力を尽くす責任がある。

 その先の最終処分も、議論を本格化させる時だ。再生利用も含む費用や負担、完了後の原発周辺の地域像など、課題は多い。

 除染土の扱いは、事故の処理でとりわけ大きな難問だ。環境省の調査では、県外処分の方針を知る人の割合は福島県外で4人に1人で、県内の半数強と差が大きい。

 14年前の大事故は「安全神話」のもと、日本社会が原発を使い続ける中で起きた。福島第一原発の電気は主に首都圏で使われていた。その後始末を全国で受け止め、どう解決につなげていくのか、熟慮する必要がある。

東電と原発事故 責任貫く道筋を示せ
朝日新聞 2025年5月26日 5時00分
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東京電力の看板

 原発事故を起こして国の管理下に置かれた東京電力の再建が、不透明さを増している。業績は目標に届かず、再建計画の見直しも遅れる。

何十年も続く後始末の責任を、まっとうできるのか。政府と東電はいまの枠組みを検証し、原発に頼らない持続的な道筋を示す必要がある。

 14年前の福島第一原発事故で東電は経営危機に陥ったが、損害賠償や除染・廃炉に支障が出ないよう、政府が実質国有化して延命させた。事故処理費用の想定は総額23兆円あまり。賠償費を国が立て替え、後から全国の電気利用者が払う料金で実質的に回収する制度をつくるなど、異例の政策支援を続けてきた。

 国が認定した再建計画は年4500億円の利益を目標に掲げるが、近年の実績はほど遠い。設備投資の支出がかさみ、厳しい資金繰りが続く。事故処理や脱炭素、供給力強化に必要な資金を安定的に稼げるか、懸念は強まる。

 いまの計画は24年度内に改定する予定だったが、今年度にずれ込んだ。業績向上の柱と期待する柏崎刈羽原発をいつ再稼働できるか、見通せないためという。だが、原発頼みそのものに無理がある。

 1基が動くと年1千億円の収支改善効果を見込む一方、安全対策費は計1兆円を超え、重荷になっている。不祥事が相次いだ東電への地元の不信は根強く、再稼働に必要な新潟県知事の同意の手順ははっきりしない。テロ対策施設の建設も予定より4~5年遅れ、期限に間に合わない見通しだ。現実的な再建計画へ、見直しは避けられない。

 東電は原発事故の被害者への償いと福島復興の使命を成し遂げるため、存続を許された特殊な企業だ。経営陣の社会的責任は重大で、業務効率化の徹底はもちろん、成長分野である再生可能エネルギー拡大や新たな収益源の開拓、他社との事業再編など、あらゆる努力が求められる。

 事故処理の枠組み自体も点検が欠かせない。もともと政府が急ごしらえしたもので、実現性や責任のあいまいさなど、多くの問題を抱える。

 処理費用は上ぶれを繰り返してきた。特に廃炉は、どれほどのお金と年月がかかるか、誰にもわからないのが実情だ。東電の株価も低迷し、国有化から抜け出す展望は開けない。

 その場しのぎを続ければ、事故処理の基盤は揺らぎ、国民負担がいたずらに膨らみかねない。計画見直しは、めざす姿と必要な手立てを練り直す好機だ。政府と東電は、各自の役割と説明責任を果たさなければならない。

震災と原発事故から14年…今こそかみしめるべき
日刊スポーツ 【政界地獄耳】 2025年5月16日8時0分
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★13日、参院議員会館講堂で市民と国会議員の映画上映会実行委員会主催によるドキュメンタリー「決断 運命を変えた3・11 母子避難」が上映され、国会議員、地方議員、秘書、避難に関わる多くの人たちや支援者が集まった。

映画は11年の東日本大震災、東京電力福島第1原発事故により、それまでの普通の生活が奪われ、人生最大の「決断」を迫られ日本各地に避難した10の家族のエピソードを7年かけ追いかけている。

昨年の春公開されたものだが、震災と原発事故から14年。記憶が薄れている今こそ、風化どころか普通の生活が奪われた多くの人たちの戦いの記録は改めてかみしめるべきだ。監督は安孫子亘。同作は米国「国境なきドキュメンタリー国際映画祭」(2025)を受賞した。

★原発から30キロ圏内に住んでいる全住民に避難指示が出る。その区域に入らない人たちは自主避難者となる。映画は彼らを中心に描かれる。国や東電からの情報がない中、子供を守るために安全なものを食べさせたいと福島の地を離れる「決断」をするが、夫は仕事や経済的な理由から土地を離れるわけにはいかないと家族が離れ離れで暮らす様子や、そのために離婚した者、複数の病気を発症した人、新たな土地で原発避難者として地方議会選挙に臨む者。

全国の避難者が住む市営住宅や公務員住宅から自治体が追い出しをかける動きが進み、その責任は国と東電にあるという「権利裁判」が全国で行われているが、その原告として活動する人。彼らは多くの「決断」と理不尽な決定に人生を狂わされ、その都度「決断」を強いられる。

★当の福島県は言うに及ばず、全国の行政に住まいを追われ、司法が行政に加担し退去判決を出す。そうした彼らの基本的人権を守るのは政治しか残っていない。政府や東電は「復興」ばかり言うが、今でも地元に戻ると激しく、基準値をはるかに超えたガイガー管が鳴るという。

最近では避難した人たちを「過剰避難」と言い出す向きもあるという。会には社民、立憲、共産、れいわ、無所属の議員が駆け付けたが、復興などと軽々に言う議員は1人もいなかった。(K)※敬称略

旧経営陣の無罪 原発事故不問にできぬ
2025年3月13日 08時04分
東京新聞2023-07-28 085056
 東京電力福島第1原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された旧経営陣の無罪が確定した。「レベル7」という最悪事故の刑事責任を不問に付しては重い教訓になり得ない。原発事故が再び起きかねないと懸念する。

 同原発は2011年、東日本大震災の巨大津波で冷却不能に陥り炉心溶融や建屋爆発で大量の放射性物質を放出。旧経営陣は、避難を余儀なくされた福島県内の病院の入院患者ら44人を死亡させたなどとして強制起訴されていた。

 最大の争点は、東電が巨大津波を予見できたかどうか。無罪とした一、二審に続き、最高裁も「予見可能性があったとは認定できない」と結論付けた。

 東電は08年、国の地震予測である長期評価を基に津波が最大約15メートルに達すると試算したが、最高裁は、長期評価は信頼度が低く津波の現実的な可能性を認識させなかったと判断。「想定外」という東電側の主張をそのまま認めた。

 では何のための長期評価だったのか。地震予測は不確実さを伴うもので、長期評価を信頼度が低いと一蹴するのは適切ではない。

 特に原発は、ひとたび事故が起きれば重大な被害をもたらす。原発事業者は、たとえ不確実性があっても真摯(しんし)に受け止め、万全の対策を講じるべきでなかったか。

 しかし、東電は津波対策を先送りして重大事故を起こし、原発周辺の住民から命と故郷を奪った。

 同原発の元所長は、政府事故調査委員会のヒアリングで、防潮堤の建設費用を数百億円と想定して「一番重要なのはお金」「最後は経営はお金」と人命よりコストを優先する企業体質に言及したが、結果的に事故処理に膨大な費用と年月を要することになり、経営判断を誤ったというほかない。

 旧経営陣を相手取った株主代表訴訟では、東京地裁が「長期評価には相応の信頼性があり、津波は予見できた」という正反対の判断から13兆円の支払いを命じた。

 民事裁判に比べ、刑事裁判の立証は難しい側面はある。JR西日本の福知山線脱線事故でも、業務上過失致死傷罪に問われた経営陣は無罪に終わった。

 同罪は個人にしか適用できず、企業など組織の刑事責任を追及しやすくするため、組織罰の導入を求める意見もある。組織としての安全意識を高める効果も期待できる。検討課題とすべきだ。

3・11から14年 原発止める、故郷への責任
<東京新聞社説>2025年3月12日 07時11分
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佐藤勝十志さんと妻の恵里子さん

 「福島から避難した娘が成人して、無事に巣立ったことがうれしい」。東京電力福島第1原発事故で被災し、滋賀県栗東市に避難した佐藤勝十志さん(64)の14年は、家族の安心を求め、事故を風化させまいとほかの被災者とともに歩んだ時間でした。

 2011年3月11日。佐藤さんは中学生の娘の卒業式を終え、福島県相馬市の自宅にいたところを激震に襲われました。

 原発から40キロの市内で、父が創業した設備会社を経営していた佐藤さんは翌12日朝、顧客工場の被害復旧のため、原発がある双葉郡大熊町に向かいます。

 しかし、検問中の警察官に「原発を点検中だ。万が一のことがあるといけない」と制されて引き返していたとき、原子炉建屋の爆発をラジオで知ります。

 建屋爆発という異常事態にもかかわらず、避難指示はありませんでした。原発の状況を知らせる情報もなく、被害を小さく見積もるような報道さえある状況です。

 仕事上、原発事故時にはまず、被ばくを避けるという知識があった佐藤さんは、娘だけでも先に弟が住む栗東市に避難させようと決意。車で14時間をかけて東京駅まで送り、新幹線に乗せました。

 東京からの帰り道、ニュースは原発がメルトダウン(炉心溶融)を起こしていると伝え、2度目の爆発が起きました。家族全員の避難を決め、地元の病院に入院中の父をやむを得ず残して、妻と母の3人で栗東市に向かいました。

◆事故によりPTSDに

 栗東市では避難者に用意された団地に入居できましたが、妻の恵里子さん(63)に異変が現れます。車の赤いテールランプをみると「パトカーが来た」「原発が爆発した、早く避難」と叫ぶ。風呂場の浴槽に福島から持ってきた服を浸し、「放射能を洗わないと」と言って呆然(ぼうぜん)としている。

 事故による心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断されました。福島に帰ることはリスクを高め、自殺の可能性があるとして即入院。1年後に退院しましたが、今も週1回、夫に付き添われて通院しています。

 こんな一家に、国や東京電力は冷淡です。相馬市が避難指示区域外であることを理由に補償は対象外。事故の影響で取引先を失い、経営が悪化した会社の立て直しに奔走しましたが、県にも支援を断られ、倒産しました。

 佐藤さんは、福島からの避難者が国と東電を集団で訴えた原発賠償関西訴訟の原告。83世帯234人の原告に妻や娘も含まれます。国と東電は妻の病気を「事故前からだ」と主張、会社倒産も事故との関連を認めようとしません。

 相馬市も佐藤さん一家の避難を通常の「転出」とみなし、避難者としての配慮はしていません。

 歴史と豊かな自然、住民が助け合う風土がある。そんな故郷に佐藤さんは背を向けたいわけではありません。学生時代を過ごし、働いていた横浜から相馬市に帰ったのも、自分らしく生きられる場だと考えた積極的な選択でした。

 だから、事故が収束したら帰りたいけれども、妻の健康などを考えると帰れない。人間は簡単に動かせる駒ではないのです。

 佐藤さんが原発事故に遭ったのは働き盛りの50歳。妻は健康を損ね、娘は友だちと離れて進路を変えました。でも、避難は自己責任とされて補償もない。貯金も取り崩して底をつきました。

 原発事故から避難できなかった住民が福島に大勢いることは知っています。それでも佐藤さんが避難し続けるのは、家族の命を守るためだったのです。

 全国各地の原発賠償訴訟で、避難の相当性をはねつけ、それぞれの家庭の事情が顧みられない判決が続いています。

◆犠牲を押しつける構図

 しかし、住み慣れた町を離れた原因は、原発事故の放射能以外にありません。救済対象を機械的に線引きした国の避難指示区域を盾に補償を拒む被告の主張を認めてしまえば、再び事故が起きても住民の被害はなかったことにされてしまいます。それでは原発事故の教訓は残せません。

 国は放射性物質を含む原発の処理水を海に放出し、除染した汚染土を建設資材に使おうとしています。事故の責任を取らず、国民に犠牲を押しつける構図です。

 事故が起きれば、原発に対する賛否に関係なく、誰もが被ばくするリスクがあります。「原発を止めよう」。避難者たちの訴えは原発とともに暮らしてきた福島県民の故郷への責任でもあるのです。

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