No Nukes 原発ゼロ

初代「No Nukes 原発ゼロ」 の後続版です。 政治・原発問題などを中心に、世の中の「気になる動き」をメモします。

福島原発事故

東電の事故から15年
脱原発の土壌 再エネをさらに
朝日新聞社説 2026年3月12日 5時00分
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原子炉建屋が爆発した東京電力福島第一原発4号機
=2012年5月、福島県大熊町、本社ヘリから

 思い出してほしい。東京電力の過酷事故で恐ろしい思いをした日々を。炉心溶融、建屋の爆発、原発の暴走を抑えられなかった。首都圏を含む広い地域で、避難が必要になるとも指摘された。

 あれから15年、政府は忘れたかのように「原発回帰」に前のめりだ。事故後の2011年7月、朝日新聞は社説特集で「原発ゼロ社会」を提言した。拡大を訴えた再生可能エネルギーは15年で格段に増え、政府も主力電源化を掲げる。脱原発と再エネ拡大を、着実に進めるべきだ。

 ■「原発ゼロ社会」のいま

 原発を一気にゼロにすれば生活や経済が打撃を受ける。提言では、無理せず着実に減らすことが現実的として、ゼロの時期は「20~30年後がめど」とした。分散型で地域密着の電源として「希望の星は自然エネルギー」と訴えた。しかし、政府は原発の活用へと舵(かじ)を切り、60年超運転を認める制度もつくった。

 5年後の原発ゼロは難しいが、前進はしている。

 再生可能エネルギー(大型水力をのぞく)の電源構成に占める割合は、震災前の約2%から、23年度に約15%まで拡大した。事業用太陽光発電の買い取り価格は、12年度の1キロワット時あたり40円が十数円に低下した。政府は40年度の電源構成で再エネを最大の4~5割と掲げる。拡大の土壌は育っている。

 災害が多い日本の原発リスクは大きい。ひとつは予想外の災害が起きることだ。警戒度が高くない地域で大地震が起き、原発は想定を超える揺れに見舞われた。インフラ老朽化など社会変化も新たなリスクとなる。1基で大量の電力を供給する原発頼みでは、止まった時の影響も大きい。

 さらに、原発を動かす事業者にリスクを真摯(しんし)に受け止めない体質が残る。中部電力浜岡原発で、想定する最大の地震の揺れを示すデータの不正が発覚した。運転させるのに都合がよいデータの解釈は続き、業界の病巣は根深い。

 ■非現実的な回帰政策

 震災の前年、政府はエネルギー基本計画で原発の活用を進め、原発や再エネなど二酸化炭素を出さない電源比率を「30年に70%」と掲げた。事故後に大幅に見直し、昨年策定の計画は原発の割合を「40年度に2割程度」とした。

 この2割の達成には、地元が一部廃炉を求める東京電力の柏崎刈羽原発の全基と、地震リスクから原子力規制委員会が不許可にした敦賀2号機を動かし、建設中の大間原発や東通原発などの完成が必要だ。長期運転も常態化する。現実的な目標と言えない。

 安全確保の砦(とりで)である原子力規制委員会の変質ぶりも気になる。60年超運転では政府の方針に沿って性急に制度を変えた。テロ対策施設では事業者側の事情で、設置期限を延ばそうとしている。

 自然災害と原発事故の複合災害が起きた際の避難対策など、様々な課題が置き去りのままだ。ウクライナで顕在化した原発への武力攻撃のリスクも未解決だ。「核のごみ」の最終処分が見通せないことは、15年前と変わらない。

 足元の中東情勢の悪化はエネルギー自給の重要さを再認識させた。当面は天然ガスなど旧来のエネルギーに頼らざるを得ない。欧州では脱原発の機運がしぼむ動きもあるが、需給の逼迫(ひっぱく)を原発回帰の理由とせず、将来を見通した施策を練る機会とすべきだ。

 世界の投資の潮流は再生可能エネルギーだ。輸出も含めて原発を推進しているのはロシアと中国などに限られる。

 ■将来の危機を防げ

 原発も石炭火力発電も今ある設備を使い続ければ、帳簿上は電力会社の利益につながり、「安価な電力」として生活や産業を支援することにもなる。しかし、問題とコストの先送りに過ぎない。安全を確保し、子孫に負担を先送りしないことが重要だ。目先の利益を優先すべきではない。

 再エネは、政策の誘導で拡大の余地は十分にある。潜在的な供給量は、予想される40年度の電力需要を上回る規模がある。すべて活用できると限らないが、いまは送配電や蓄電の問題から、使える再エネさえ無駄にされている。

 持続可能な社会をめざす一般社団法人「プラチナ構想ネットワーク」は2月、「50年の全エネルギー需要の8割を再エネでまかなうのは技術的に可能」で、経済的にもメリットがあるなどとする構想をまとめた。他にも複数の民間団体が、原発ゼロや再エネの主力化を提言する。

 再エネという純国産資源の活用を広げ、脱炭素とエネルギー自給、世界に売り出せる技術開発で経済も後押しする。この好循環を生み出すことこそ、政治の役割だ。

 15年前の弊紙提言は「好きなだけ電気を使う生活を楽しんできた」としてエネルギー政策の国民的議論も訴えた。

 事故後、家庭でも街でも節電の知恵を絞った。その認識は薄れ、世論調査で原発再稼働の賛成が多数となった。国民的な議論も進んでいない。

 電気を使う誰もが自分の問題と考え、声をあげ、行動していくことが欠かせない。

原発事故で「東北の鬼」に
武藤類子さんの15年 「誰も責任を取らない」
裁判が終わっても、抗い続けるのは
東京新聞 こちら特報部 2026年3月10日 06時00分

 「私たちはいま、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」

 2011年、東京電力福島第1原発事故の半年後に東京で開かれた集会で、福島県三春町から参加した武藤類子さん(72)が約6万人の聴衆に語りかけた言葉だ。

 その後、東電旧経営陣の幹部3人を刑事告訴した告訴団団長として、数々の原発訴訟の法廷に足を運び、事故の責任を問い続けてきた。各地で再稼働が進む今、何を思うのか。武藤さんの15年を追った。(片山夏子)

◆「国は国民を守らない。私たちはすてられたのだ」

 2011年9月19日の「さようなら原発集会」。東京・明治公園を埋め尽くした人たちを前に、武藤さんはこう呼びかけた。「福島のみなさん。どうぞ一緒に立ち上がってください」

 福島県内や避難先から何台ものバスを連ね、被害に遭った自分たちこそ「原発はいらない」と声を上げようと、誘い合って会場に来た人たちだった。
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「さようなら原発集会」で脱原発を訴える作家の大江健三郎さん(中)。右端が武藤類子さん=2011年9月19日、東京都新宿区の明治公園で

 「みなさん、福島はとても美しい所です。(中略)3.11原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降り注ぎ、私たちはヒバクシャになりました」

 「毎日、毎日、いや応なく迫られる決断。逃げる、逃げない。食べる、食べない。(中略)さまざまな苦渋の選択がありました」

 事故から半年たって鮮明になってきたこととして、武藤さんは言葉を継いだ。

 「真実は隠されるのだ。国は国民を守らないのだ。事故はいまだに終わらないのだ。(中略)大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ。私たちはすてられたのだ」

 事故から15年がたつ今、このときの自分の言葉が武藤さんの胸によみがえる。

◆悲しみや悔恨、絶望が入り交じった猛烈な怒り

  2012年、福井県の関西電力大飯原発3号機が再稼働する際、首相官邸前は子どもを連れた母親や若者、会社員など、危機感を持った人で埋め尽くされた。だが今、国は原発を最大限活用するとし、各地で再稼働が進む。

 「あんなすさまじい事故が起きたのに、たった15年で忘れられていく。考えてみると、あのときもう今の状況を感じていたのかもしれない」

 明治公園の集会で「東北の鬼」という言葉を使うかは悩んだという。事故から半年の自分の心情をどう伝えたらいいのか。
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原発事故前まで喫茶店をやっていた所で事故から15年を振り返る武藤類子さん=福島県田村市で

 武藤さんがスピーチの内容を考えていたとき、頭によぎったのは、全国各地の民俗舞踊を習う中で、かつて見た岩手県北上地方を中心に踊られてきた「鬼剣舞(おにけんばい)」の躍動する舞だった。

 原発事故でぼうぜんとした後、襲ってきたのは悲しみや悔恨、絶望が入り交じった猛烈な怒りだった。

◆搾取され蹂躙されてきた東北、象徴するのが「鬼」

 「その怒りを表現したのがあの言葉だった。東北は歴史の中で貧しく、中央から虐げられた土地だった。電気だけでなく、人やさまざまな物が搾取され、いろいろなことで蹂躙(じゅうりん)されてきた。『鬼』は東北が中央からどう扱われてきたかという悲しい一面を象徴していると思うのです」

 火にはさまざまな表情がある。まきの表面をなめる炎は濃い赤で激しく動く。やがて明るい朱色のなめるような炎となり、さらに中心が火の玉を抱いたように白くなるという。

 「時間がたつにつれますます困難を極める福島の中で、エネルギーを内包したおき火のような冷静で静かな怒りを、私たちの生きる尊厳を奪うもの、命をないがしろにするものに、ぶつけていかなければならない」

◆里山喫茶で意識するようになった「コンセントの向こう側」

 武藤さんが原発問題に取り組み始めたのは、1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ(チョルノービリ)原発事故だった。

 「そのころ姉が骨髄性白血病を発症した。私たち姉妹が育った時代は米ソの核実験の最中だった。もちろん因果関係の立証はできないが、私が原発に向き合う一つのきっかけになった」
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 チェルノブイリ原発事故後、反原発運動は各地で盛んになった。武藤さんも「脱原発福島ネットワーク」を結成し、自治体や東電との交渉をしてきた。1988年に東京であった2万人デモでは、延々と続くデモ隊の列に「世界は変わるかもしれない」と感じた。しかし、原発は増設されていった。

 無力感と絶望感に襲われる中で、自分にとっての脱原発とは何かを考え、暮らしを見つめ直した。田村市の自然豊かな里山で喫茶「燦(きらら)」を始めた。夏の日差しを遮るよしず、太陽光発電、まきストーブ…。この電気はどこからくるのという「コンセントの向こう側」を意識するようになった。

◆「長い間恐れていたことが現実になった」

 だが福島の事故で生活は一変する。かすかな山鳴りの後、木造の家がぎしぎしと音を立て食器が割れた。そして夕方、約45キロ離れた福島第1原発での「全交流電源喪失」をラジオで知る。
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原発事故前まで喫茶店をやっていた所で見送ってくれる武藤類子さん=福島県田村市で

 「長い間恐れていたことが現実になった」

 メルトダウン(炉心溶融)という言葉が頭の奥でこだました。子どものいる友だちに「逃げた方がいい」と伝え、吹雪の峠を家族と避難した。

 1カ月後に福島に戻ると現実が待っていた。山の恵みも出していた喫茶店は「安全な食材を提供できない」と閉めた。

 「放射線健康リスク管理アドバイザーと呼ばれる専門家が安全キャンペーンを繰り広げ、国は事実を隠し、被害を矮小(わいしょう)化していた」

 事故の真実が明らかになり、責任が取られれば少しは事態は変わるのではないか…。

◆「真実と責任が明らかにならなければ同じことが起きる」

 2012年、武藤さんは仲間と「福島原発告訴団」を結成。原発事故の責任を問い、約1万4000人で福島地方検察庁に当時の東電経営陣や政府関係者、学者ら33人を刑事告訴、告発した。だが2013年9月、全員不起訴処分に。東京の検察審査会に不服申し立てをした。
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原発事故前まで喫茶店をやっていた所で事故から15年を振り返る武藤類子さん=福島県田村市で

 「個人を訴えるしかなかったが、人の罪を問うのは怖かった。でも真実と責任が明らかにならなければ同じことが起きると思った」

 2014年7月、東京第五検察審査会は東京電力旧経営陣3人を起訴相当の議決。喜んだのもつかの間、2015年1月に検察は再び全員不起訴に。2回目の検察審査会が開かれ、3人は強制起訴された。

 「東電が大津波が原発を襲う可能性を把握し、いったんは対策を検討していたことなどさまざまな事実がわかってきた」

 武藤さんは全公判で法廷に足を運んだ。だが東京地裁と高裁で無罪判決が出され、昨年3月、最高裁の上告棄却で確定した。

◆誰も責任を取らず終わった裁判…それでも

 多くの人の人生を根こそぎ変えるような原発事故が起きたのに、被害者の十分な救済がされず、誰も責任を取っていない。
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東京電力旧経営陣2人の無罪が確定することを受け、記者会見する福島原発告訴団の武藤類子さん=2025年3月6日、東京・霞が関で

 「これで裁判での責任追及は終わってしまうのか」

 ぼうぜんとした。準備から13年走り続けてきた。事故後、ずっと何か考えているように頭が休まらず、夜中に何度も目を覚まし、眠れたのかわからない日々を過ごしてきた。大好きな音楽も聴けなくなっていた。

 国は今エネルギー基本計画で「原発の最大限活用」とし再稼働を進める。福島第1原発からは処理水の海洋放出が始まり、国は除染で出た8000ベクレル以下の汚染土を各地で再利用しようとする。

 「福島の復興のための再利用? とんでもない。放射性物質をあえて拡散するなんてありえない。15年で福島の事故を忘れ、原発の最大限活用とは堪え難い愚かしさと思う。理不尽で絶望的な現実の中でも、現実を見つめ、その中に小さくても光が見いだせると信じて、諦めずあらがい続けたい」

◆デスクメモ

 原発事故後に取材した福島出身の女性は、母子で自主避難した知人女性が自死をしたと明かし「不条理」と話した。この国が原発を手放さず再稼働を進める後ろに置き去りにされた人々の思いがある。コンセントの先はどこにつながっているか。首都圏に暮らす私たちも問われている。(恭)

除染土処分の工程表 画餅にせぬ取り組み必要
毎日新聞  2025/9/4 東京朝刊
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除染土などが保管されている中間貯蔵施設。
奥に東京電力福島第1原発が見える
=2025年2月15日、本社ヘリから撮影

 東京電力福島第1原発事故で生じた除染土は福島県外で処分する。それは被災地との約束である。

 政府が除染土の再利用や最終処分に関する工程表をまとめた。放射性物質で汚染された宅地や農地からはぎ取った土で、汚染レベルが低いものは再利用を進め、高いものは県外で最終処分する。

 2045年3月までに処分を終えることが法律で定められている。現在は、福島第1原発に隣接する中間貯蔵施設に、東京ドーム11杯分の約1400万立方メートルが保管されている。

 このうち、放射性物質の濃度が一定レベルを下回る土は、安全性に問題がないとの判断から、公共事業などで再利用する方針だ。濃度が高い土を埋め立てる最終処分場の候補地は、30年ごろから5年かけて選定する。立地条件や処分方法は、近く設置する環境省の有識者会議で議論する。

 難題は、搬出先の住民の理解をいかに得るかだ。

 再利用では、通常の土で周囲を覆って除染土の飛散や流出を防ぎ、放射線を遮る。しかし、実証事業を環境省が東京・新宿御苑などで進めようとしたところ、住民の反発を招き頓挫した。
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福島県外で再利用する最初の事例として、首相官邸の前庭に
運び込まれた東京電力福島第1原発事故に伴う除染土

=東京都千代田区で2025年7月19日、手塚耕一郎撮影

 政府は安全性をアピールしようと、7月に首相官邸の庭に除染土を埋め、9月からは順次、省庁の敷地内で利用を進める。道路の盛り土や民間企業の土地造成などにも利用を広げたい考えだ。

 これまで原発のリスクは立地自治体が一手に引き受けてきた。事故によってふるさとを追われただけでなく、中間貯蔵施設のために所有地を提供した被災者も多い。

 福島第1原発で作られた電気は主に首都圏で使われてきた。負担を立地自治体だけに押し付けるのは身勝手というほかない。政府は説明を尽くし、国民の理解を得る努力を続けなければならない。

 除染土の中間貯蔵施設への搬入が始まってから10年が経過した。地元自治体には、県外最終処分の工程表が絵に描いた餅になってしまうのではないかという危機感がある。

 福島第1原発を巡っては、廃炉作業も大幅に遅れており、見通しが立っていない。ふるさとの再生に向け、国は前面に立って課題を解決すべきだ。

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移動させても汚染土は汚染土

石破内閣が8月26日に新たな方針を決定した。

NHKは次のように伝えた。
来月から霞が関で除染土再生利用
政府がロードマップ正式決定

「東京電力福島第一原子力発電所の事故後に除染で取り除かれた土の再生利用と福島県外での最終処分について、政府は26日、今後5年程度で取り組むロードマップを正式決定しました。」

記事は次のように報じている。

「政府は、この最終処分の量を減らすため、放射性物質の濃度が低い土については全国の公共工事の盛り土などで再生利用する方針で、7月には福島県での実証事業を除いて全国で初めて総理大臣官邸の敷地内で再生利用しました。

政府は26日の会議で今後5年程度で取り組むロードマップを示し、再生利用については、9月から霞が関の中央省庁の花壇などで始めたうえで、地方の出先機関などでも検討するとしています。」

この記事で用いられている「除染土」とはいったい何のことか。
小出裕章氏が明快な解説を示してくださっている。
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小出氏による解説を紹介させていただく。

2011年3月11日、東北地方太平洋沖大地震によって東京電力福島第一原子力発電所が破局事故を引き起こした。

この事故によって15万人を超える人々が猛烈な放射能汚染地(概略1平方メートルあたり60万ベクレルを超えるセシウムの汚染地)から強制避難させられた。

福島原発事故は敷地内にも敷地外にも膨大な放射能汚染を引き起こした。
放射能雲となって敷地外に流れ出た放射性物質は大地を汚染した。

そのため、住宅の敷地周辺や学校の校庭などから「除染」と称して土がはぎとられた。

このはぎとられた土がフレコンバッグに詰められて福島原発敷地周辺に造られた「中間貯蔵施設」に運び込まれた。

「除染」とは汚染を除くという意味だが、汚染の正体は放射能で、人間には放射能を消す力はない。
したがって、言葉の本来の意味における「除染」はできない。

やってきたことは、ある場所にあった放射能を別の場所に移しただけのこと。

小出氏はこれを「移染」と称した。

政府は中間貯蔵施設に「移染」した「汚染土」を30年以内に福島県外に運び出すと言っているわけだ。
しかし、放射能で汚れた「汚染土」を引き受ける場所などどこにもない。

そこで、国はこの「汚染土」を「除染土」と呼び出したのだと小出氏は指摘する。

放射性物質の取り扱いについては法令で厳密に規制されている。
セシウム137の場合、1キログラム100ベクレル以下になるまでは放射性廃物として厳重に管理しなければならないというのが日本の法令。

しかし、国は特別措置法を制定して、1キログラム当たり8000ベクレル以下の汚染なら、放射性廃物として管理せずに全国にばらまくとした。

国は公共事業など管理された状態で使うから問題ないとしているが、8000ベクレルが100ベクレルまで減衰するには190年かかる。

国はどのような体制で190年にわたって「除染土=汚染土」を管理するというのか。

小出氏は放射能は発生源でできる限りコンパクトにし、集中的に管理するというのが原則であると指摘する。

ところが、政府はこの原則に反する行動を示している。
その理由は「汚染土」を全国にばらまいて見えなくして、福島事故をなかったことにしてしまおうとしていることにあると小出氏は指摘する。

放射能に汚染された土。

その汚染された部分をはぎ取った土は、はぎ取ったあとも紛れもない「汚染土」である。
「除染されていない」から「除染土」ではない。

誰でもわかること。
この「汚染土」を全国にばらまくなど、正気の沙汰でない。

福島原発事故が発生したのは2011年3月11日。

この日に政府は「原子力緊急事態宣言」を発令した。
この「原子力緊急事態宣言」はいまもなお発令されたままなのだ。

メディアは「汚染土」を「除染土」と言い換える「詐術」に対して何もものを言わない。

なしくずしで悪行をゴリ押しすることに市民が抵抗を示さなければ、市民は知らぬ間に地獄に突き落とされることになる。

デブリ回収の大幅遅れ 現実直視した廃炉計画に
毎日新聞 2025/8/5 東京朝刊
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事故を起こした東京電力福島第1原発。(左から)1号機、2号機、3号機。デブリの本格的な取り出しは3号機から始まる
=2025年2月、本社ヘリから

 実現困難な廃炉工程に、いつまでもしがみつくのは無責任だ。これでは地域の復興を待つ住民の不安が募るばかりである。

 東京電力が、福島第1原発事故後の廃炉作業の工程を見直した。溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の本格的な回収開始時期を、当初予定の2030年代初頭から37年度以降に遅らせる。
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東京電力福島第1原発2号機から取り出した燃料デブリの一つ=日本原子力研究開発機構提供

 11年の事故では、1~3号機で炉心溶融(メルトダウン)が起き、推計880トンのデブリが生じた。放射線量が非常に高く、廃炉作業の最難関とされる。

 最初に作業を始める3号機では、原子炉上部から挿入した特殊な装置でデブリを細かく砕き、横から取り出す。

 ただ、この手法が可能かどうかの検証に1~2年かかるうえ、原子炉建屋内部の放射線量を下げたり、装置設置のために隣接建物を解体したりするのに10年以上要することが明らかになった。

 回収作業がいつまで続くのか、東電は明らかにしていない。原子炉の内部の状況が把握できておらず、取り出したデブリの管理方法も決まっていないためだ。1、2号機に至っては、回収工程をこれから検討するという。

 理解できないのが、政府と東電の姿勢である。廃炉工程表で掲げる51年の完了時期を「変更しない」としている。だが、通常の原発の廃炉でも約30年かかる。デブリ除去に手間取れば、完了は遠のくばかりだ。

 原発3基が同時にメルトダウンするという前代未聞の事故である。ごく少量のデブリを試験的に取り出す作業も難航し、約3年遅れた。計画通りに進まないとしても不思議ではない。

 当初から、専門家は51年完了は難しいと指摘していた。「100年以上かかる」との試算もある。

 地元自治体では住民の帰還が始まっているが、今も立ち入りが制限される地域が残る。廃炉の見通しが立たなければ、地域の復興や暮らしの再建を進めるうえで障害となる。

 廃炉のカギを握るデブリ回収作業が大幅に遅れることになった以上、スケジュールを再考する必要があるのではないか。政府と東電は、住民が将来を見通せる計画を示さなければならない。

東電元役員の賠償否定 不問にできぬ事故の責任
毎日新聞 2025/6/10 東京朝刊
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 株主代表訴訟の控訴審判決で、東京電力の旧経営陣に13兆円超の賠償を命じた1審判決が取り消され、心境を語る原告・弁護団=東京都千代田区で2025年6月6日午前11時42分、幾島健太郎撮影

 事故の責任が明確にならなければ、地震大国で原発を稼働させることへの不安は拭えない。

 東京電力福島第1原発事故で、元役員らの賠償責任を否定する判決を東京高裁が出した。4人に対し、13兆円余を東電に支払うよう命じた1審判決を取り消した。
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東京電力福島第1原発事故を巡り、東電株主が旧経営陣の責任を問う株主代表訴訟で控訴審判決が言い渡された東京高裁の法廷=2025年6月6日午前10時57分(代表撮影)

 株主が経営責任を問うために起こした裁判だ。津波による事故を予想できたかどうかが争われた。

 事故の9年前、政府が地震予測の「長期評価」を公表し、巨大津波を起こす地震が発生する可能性を示していた。これに基づく東電の試算でも、敷地の高さを大幅に上回る津波が想定された。

 だが、旧経営陣は外部の専門家に改めて確認する方針を決め、対策を先送りした。

 高裁は、長期評価は十分な根拠が示されていなかったり、異なる見解もあったりしたと指摘した。

 事故を防ぐには原発を停止させるしかなかったとした上で、それほどの切迫感を抱かなかったのは、やむを得ないと認定した。取締役としての職責を怠ったとは認められないと結論づけた。

 長期評価の信頼性は高く、津波の襲来は予想できたと認めた1審の判断を覆した。旧経営陣の刑事裁判でも、今回の判決と同様の考え方により、最高裁で無罪が確定している。

 しかし、原発でひとたび事故が起きれば、放射性物質が広範囲に飛散し、甚大な被害を招く。運転する電力会社の経営陣は、万が一にも起こさない措置を講じなければならない。

 高裁は、福島の事故を経験した今なら、取締役は一層重い責任を課されるべきだと付け加えた。

 ただ、津波の正確な予測が難しいことは、事故前から分かっていたはずだ。あらゆるリスクを想定し、より安全な対策を取ることが経営陣の責務だろう。高裁の結論には疑問が残る。

 事故から14年が経過しても帰還困難区域が設けられ、多くの人々が避難生活を送る。廃炉の見通しは立たず、除染ではぎ取った土の最終処分地も決まっていない。

 こうした課題に東電は正面から向き合うべきだ。刑事上や民事上の責任を免れたとしても、人々の暮らしや故郷を壊した社会的責任を不問に付すことはできない。

東電株主訴訟 原発事故の責任どこへ
東京新聞 2025年6月7日 07時04分
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 東京電力福島第1原発事故を巡る株主代表訴訟で東京高裁は旧経営陣の賠償責任を認めなかった。刑事裁判の無罪確定に続き、当時の幹部が誰も法的責任を負わないことになる。到底納得できず、原発への不信は増すばかりだ。

 一審の東京地裁は、過去最高額とみられる13兆円超の賠償を命じた。正反対の判決となったのは、巨大津波を予見できたか否かの判断が分かれたためである。

 東電は2008年、国の地震予測である長期評価を基に、津波が最大約15メートルに達するとの試算を得たが、旧経営陣は原発を停止せず、津波対策を先送りした。

 高裁判決は、長期評価には積極的な根拠が示されておらず、信頼性が不十分だと結論付けた。「巨大津波は想定外」という旧経営陣の主張を丸のみした形だ。

 しかし、長期評価はトップレベルの専門家らがまとめた見解である。地震や津波の研究には未知の領域が多いとはいえ、それに基づき対策を進めるべきだった。

 原発事業者が、他企業とは比較にならないほど重い安全義務を負うことも忘れてはならない。重大事故が起きれば地域社会が崩壊し、国全体も揺るがす。

 原発事故後、福島の多くの人々が故郷を離れざるを得なかった。避難中に死亡したり、自殺した人もいる。事故処理費用の一部は電気料金に組み込まれ、全国の家庭や企業が負担している。旧経営陣を免責した今回の判決は、国民の感情を逆なでしている。

 旧経営陣が対策を先送りした背景には、目先の利益優先の姿勢がある。建屋の水密化などに相応の費用がかかり、運転停止で収入が見込めなくなるからだ。

 一方、東電が背負った事故処理費用は廃炉や除染、被災者への損害賠償などで計23兆円余と天文学的な金額に上る。経営判断を大きく誤ったのは明白だ。

 経営者が常に正しい判断ができるとは限らない。判断を誤った際に、絶対に償うことができない巨大なリスクを抱えていることが、原発の不条理の証しである。

 原発事業の未来は明るいとは言えない。安全対策費用は膨らみ、事故時の住民避難計画は実効性に乏しい。核のごみを処理する核燃料サイクル計画も破綻している。

 国は「原発回帰」に舵(かじ)を切ったが、矛盾が膨らむ現実を直視すべきである。

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