No Nukes 原発ゼロ

初代「No Nukes 原発ゼロ」 の後続版です。 政治・原発問題などを中心に、世の中の「気になる動き」をメモします。

社会

子どもの自殺 女子急増の背景に目を
朝日新聞 2025年10月28日 5時00分
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小中高生の自殺者数の推移

 子どもの自殺が深刻な状況にある。厚生労働省の「自殺対策白書」によると、昨年は小中高生529人が亡くなり、過去最多だった。全世代では減少基調なのに子どもだけ多いままになっている。早急に手を打つ必要がある。

 気になるのは、2020年ごろから中高生の女子、特に高校生女子が顕著に増えていることだ。もともと自殺は男子の方が多かったが、中高では逆転した。厚労相指定法人の「いのち支える自殺対策推進センター」による分析では、2023年までの5年間の中高生女子の自殺死亡率は、18年までの5年間の倍近くに跳ね上がっている。

 自殺対策に取り組む人の間で背景の一つとみられているのはSNSの普及だ。コロナ下の巣ごもりで接触時間が増えた。特に若い女性の心の健康に及ぼす影響が大きいとの研究もある。自殺や自傷に誘う投稿やコミュニティー、SNSを介した性被害の影響も懸念されている。

 もう一つは若い女性に多いとされる市販薬などの乱用、オーバードーズの広がりだ。若者の自傷や自殺未遂の手段で最も多いのが過剰服薬で、自殺リスクを高める要因といえる。ドラッグストアも増えて薬が身近になった。そのうえ、これもまたSNSに売買を含めた情報があふれる。

 改正自殺対策基本法には、ネットで流通する自殺関連の情報が及ぼす影響について取り組みを進めるとある。犯罪につながるような情報はプラットフォーマーの協力も得て削除を進めるなどして、若者の接触機会を減らせないか。

 さらに、「薬物や自殺をモチーフにしたコンテンツが注目され、さらに視聴者が集まるという構造もある」と自殺対策NPO「OVA」の伊藤次郎代表理事は指摘する。

 ネット空間はもろ刃の剣だ。匿名のつながりに救われる人もいる。心が弱った時に逃げ込めるサイト作りも官民で進む。広がりを期待する。

 NPOなどのチャット相談への訪問者は女性が多い。自傷行為による救急搬送も女性の多さが目立つ。裏返せば、把握したリスクを適切に支援につなげられれば救える可能性は高まるはずだ。もちろんそれは性別に関わらず、誰にでも当てはまるだろう。

 学校、家庭、塾や習い事、ネット空間。子どもの世界は重層的だ。一つ一つを見ているだけでは危険の芽を拾いきれない。把握したリスクを教育委員会、警察や医療機関、民間団体などの関係機関で共有し、必要な支援や治療につなげる。各自治体でその仕組み作りを急いでほしい。

人命救助の恩をヘイトで返す日本人
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韓国人留学生はホームから転落した日本人男性を救おうと線路に飛び込んだ。
=JR新大久保駅 撮影:田中龍作=

乗降客でごった返す夕刻のJR新大久保駅で泥酔した男性がホームから線路に転落した。

居合わせた韓国人留学生の李秀賢(当時26歳)さんと日本人カメラマン関根史郎(当時47歳)さんは、男性を救うため危険も顧みず線路に飛び込んだ。

3人ともホームに入ってきた電車に轢かれて死亡した。2001年1月のことだ。

世論は騒然となった。平成の天皇(現上皇)が死亡した韓国人留学生の両親を、皇居に招待して慰労したほどだ。
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町はコリアタウンの雰囲気が漂う。=新大久保 撮影:田中龍作=

それから10余年。韓国料理店などが立ち並びコリアタウンの異名をとる新大久保の町は、ヘイトの嵐が吹き荒れるようになった。

移民排斥を叫ぶレイシストたちが徒党を組み、「朝鮮人は日本から出て行け」「中国人は出て行け」などと叫んで歩くようになったのである。

最近では「日本人ファースト」を売りにする国政政党が好んで街宣をする。

日本人を救おうと自らの命を投げ出した韓国の留学生に顔向けできないではないか。
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韓国人留学生と日本人カメラマンの勇気をたたえたレリーフ。
=JR大久保駅構内 撮影:田中龍作=

間違った政策で日本は貧しくなった。にもかかわらず「貧しいのは移民のせいだ」と責任を転嫁する風潮が目に付くようになった。

「外国人の不動産取得に制限を」「外国人に健康保険を不正利用させるな」…排外主義を唱えれば選挙で議席を伸ばすのだ。極右政党でなくとも排外主義を唱えて国民の心を上手にくすぐる。

恩を仇で返す。いやヘイトで返す。いつから日本人はここまで醜くなったのか。

近隣諸国との融和を唱える石破首相は訪韓した際、李秀賢さんの墓前に献花した。せめてもの救いだった。

 ~終わり~


池上彰×吉永小百合 昭和100年
2025年9月28日

RH Production
チャンネル登録者数 14.2万人
昭和100年となる今年、“昭和を知って未来へ繋げる”をコンセプトにこの100年間で日本が歩んできた成功と失敗の軌跡を振り返る特別番組の第2弾。
今回は、吉永小百合が演じた昭和という時代を大きなテーマに、また最新主演映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」で吉永小百合が演じた登山家、田部井淳子の生涯なども振り返りながら、未来へとつなぐキーワードを探る。

私にとっても永遠のヒーローです、
親子2代にわたってファンでした―。
しんぶん赤旗きょうの潮流 2025年9月28日(日)

 私にとっても永遠のヒーローです、親子2代にわたってファンでした―。朝ドラ「あんぱん」が終わり、改めてアンパンマンに寄せる思いがSNS上などであふれています

▼なかには、生みの親の漫画家やなせたかしさんの人柄がアンパンマンと重なって見えたとの声も。戦争を体験したやなせさんが生涯をかけて追求した逆転しない正義。それを体現したアンパンマンにはもう一つのテーマがありました

▼自分の顔を食べさせて飢えた人たちを救うという自己犠牲です。やなせさんは絵本の後書きでこう語っています。「ほんとうの正義というものは、決して格好のいいものではないし、そのために必ず自分も深く傷つくもの」だと

▼誰かを助けようと思ったら、自分も傷つくことを覚悟しなければならない。捨て身、献身の心なくしては正義は行えない。たとえ自分は弱くても…。そういう信念が、愛と勇気のヒーローを生み出しました

▼自分の何かを他人に与えるという自己犠牲は、必ず愛情を含んでいる。相手にささげた犠牲は回り回って自分に戻ってくる。哲学者の真下信一さんがそう説いていたことがあります。誰かの幸せは自分の幸せでもあり、愛による犠牲は自分自身を豊かに成長させることにもなると(『自由と愛と』)

ともすれば自分さえよければいいという風潮が強まる世の中で、困っている人々を助けるために飛び続けるアンパンマン。今も、みんなに呼びかけています。「なんのために生まれて なにをして生きるのか」

特集 治安維持法施行100年
「共産党員は殺してもいい」 
父が克明に記録した特高警察の言葉
毎日新聞 2025/9/22 06:00
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京都大に入学した頃の真殿久治さん=真殿天童さん提供

 <私は、拷問と斗(たたか)って、組織を守った。留置場の看守は、名なしの共産主ギ者を、「おい」という言葉でしか、よべなかった>

 父が残したノートには、特別高等警察(特高)から浴びせられた暴言や暴力の数々と、それにあらがう様子が詳細に記されていた。
息子が「覚書」に目を通したのは、父の死後。父の存在が息子の背中を押し、治安維持法の検挙者たちを顕彰する活動へと駆り立てた。市井の人々の暮らしにも容赦なく降りかかった弾圧の一端から、無名の人たちの闘いに思いをはせたい。

「私は、二月二十二日を忘れない」
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父・久治さんの思い出を語る真殿天童さん=大阪市阿倍野区で2024年5月17日午前11時36分、石川将来撮影

 「人間を扱ってるんと違いますからね、あんなのは」。父が受けた特高からの拷問を説明しながら、そう話すのは、大阪市阿倍野区の真殿(まどの)天童さん(78)。
国に謝罪などを求める人権団体「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(国賠同盟)」の大阪府本部副会長などを歴任したが、ここ数年は全身の筋肉に力が入りにくくなる病気を患うなど体調不良が続き、活動にも顔を出せなくなった。

 健康不安が高まり、父・久治(ひさじ)さん(1908~90年)と自分を重ねるように。「おやじが死んだんが82歳やから、もうちょっとや。それまで生きられたらいいけど……」。
久治さんは生涯で4度、治安維持法違反容疑で逮捕された。時にいわれのない疑いをかけられ、時に激しい拷問で命の危機にさらされた。思い出すのは、後遺症に苦しみ床に伏せる父の姿ばかりだ。


 「おやじは投獄されて劣悪な環境に置かれた影響で肺や腸を患い、それが引き金となって戦後も脊椎(せきつい)カリエスなどいろんな病気にかかった。寝たきりに近い状態でした」。長く手つかずだった遺品を10年ほど前に整理し、大量の段ボールに収められた130冊のノートに初めて目を通した。タイトルは「病閑記」。久治さんの生き様をよく表していた。
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真殿天童さんの父・久治さんが治安維持法違反容疑で
逮捕された時の様子などをつづった「病閑記」
=大阪市阿倍野区で2025年8月18日午後2時48分、石川将来撮影

 ノートは63年12月~77年12月の14年間に記された。戦前の体験談などが回想的につづられ、久治さんが取り組んだ非合法下の労働組合活動や特高による弾圧の様子、国家権力への怒り、息子への思いなどが書かれていた。


 <私は、二月二十二日を忘れない>

 中でも真殿さんが息をのんだのが、激しい暴行を受けた33年2月22日の2度目の逮捕の記載。特高による集団的拷問を経験し、生涯悩まされる後遺症を負った。「病閑記」と、生前に久治さんが真殿さんに語った証言から、忘れ得ぬ「その日」を再現したい。

激しい拷問に無言を貫いた父

 東京・上野駅前――。雪解けの寒い朝だった。治安維持法の弾圧が続く中、久治さんは労働組合に関わる情報を秘密裏に共有し合う「街頭連絡」をしていた。突然、数人の特高に囲まれ、荒縄で全身を縛り上げられた。車内に連れ込まれたかと思うと、雪にぬれた泥靴で顔を踏まれ、署へ連行された。


 署の椅子に腰を下ろした途端、つえで首の後ろを打たれた。8時間にも及ぶ拷問の始まりだった。「共産党員は殺してもいいというお達しだ」と特高は威嚇した。
2日前には同法違反容疑で逮捕された作家の小林多喜二が拷問死しており、「多喜二死す」の報は久治さんにも入っていた。

 「名前を言え」。特高内部では、共産党や組合に関わっているとみられる人たちを令状なしに検挙し、拷問交じりに取り調べて組織の全容を割り出す捜査が横行していた。
無言を貫く久治さん。5、6人からあらゆる暴行を加えられ、久治さんのオーバーや背広は裂かれた。床に押しつけられ、右腕を首筋までねじ上げられた時に一度気を失い、脱糞(だっぷん)した。

 拷問は続いた。手錠をはめられ、両足を縛られた。特高は留置場の入り口まで久治さんを移して髪をつかむと、コンクリート壁に頭をぶつけた。「名前を言え」。口を割らない久治さん。特高は言葉を発しない久治さんに差別用語をぶつけ、すし詰め状態の留置場へ押し込んだ。そんな拷問が翌日も翌々日も続いた。
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2度目の逮捕の様子を伝える「病閑記」には、「共産党員は殺してもいいというお達しだ」という特高の言葉などが克明に書かれている
=大阪市阿倍野区で2025年8月18日午後2時51分、石川将来撮影

 「病閑記」にはこうある。

 <「敵に対しては無言!」これだけである。最初の、敵の訊問(じんもん)と攻撃と拷問を、これで、はねかえさなければならない。(略)組織を守るためには、命をかけることもまた当然である>

 <堂々と生き、堂々として死すること。生も一つ、死も一つである。真実をもって生死を埋めつくすこと、ここにこそ、生命の真価がある>

 「特高はひどいな、と感じたが、それ以上に仲間や組織を裏切らないおやじの生き様に共鳴した」と真殿さん。久治さんの右腕の関節は伸びなくなったが、満身創痍(そうい)でも息子には体験を誇らしげに語ったという。

暴虐きわまりない戦時ファッショ
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父・久治さんが書き残したノートなどの資料を前に治安維持法について語る真殿天童さん=大阪市阿倍野区で2025年8月18日午後3時48分、石川将来撮影

 信念を貫いた代償は大きかった。起訴後、劣悪な環境下に置かれたことで結核を引き起こし、入院。本人が「(容疑を)でっち上げられた」と主張した44年5月の4回目の逮捕では、検挙から約1年間も未決勾留され、不衛生な監獄で「疥癬(かいせん)」と呼ばれる寄生虫の感染症を発症して重篤な状態に。移動した病室は名ばかりで、久治さんは「殺人部屋」と表現した。結局、敗戦直前に何の説明もないまま突然釈放されたが、全身を寄生虫にむしばまれた体は傷口が化膿(かのう)し、歩けないほどに衰弱した。

 「病閑記」には、国家権力への憤りが見て取れる。

 <軍事的、警察的天皇制の、暴虐きわまりない戦時ファッショ弾圧の典型であろう。殺さなかったのが、寧(むし)ろ不思議とさえも言える。(略)激しい怒りを覚えて盡(つ)きることがない>

 「差別や人権を巡る問題に厳しく、正義感の強いおやじでした」。生前の姿を思い浮かべ、真殿さんは言った。

 久治さんは兵庫県たつの市生まれ。貧しい家庭で育ち、進学を諦めていたが、成績優秀なのを惜しんだ先生が家族を説得し、旧制姫路高校へ。恩師との出会いで「人間はいかに生きるべきか」との思索を深めて哲学にのめり込み、マルクス主義思想などを吸収。京都大経済学部に入学したが、直後に学資の援助者から「共産主義的思想を支持するが如(ごと)きは、小生の断じて許さざるところ也(なり)」との書簡を受け取り退学した。

 「働く人たちが主役となる社会を」。本格的に労働運動に関わるために上京し、30年8月に共産党と関わりの深い労働組合に加盟。共産主義の教えに倣い、侵略戦争への反対活動に関わる中で4度逮捕され、後遺症を負った。

 真殿さんが小学生の時のことだ。自宅療養を続ける久治さんがたらいに硫黄成分の入った湯を張り、斑点の残る体にこすりつけるように浴びる様子を度々目にした。白い斑点が背中などにあるのを見て「これはなに?」と尋ねると、勾留中に患った疥癬の痕だと教えてくれた。「疥癬は死ぬまでおやじの体で生き続けた」。目を閉じれば、今もあの光景がよみがえる。

親族にも「アカ」のレッテル

 治安維持法は検挙者の親族の人生をも狂わせた。配偶者や子どもも「アカ」「国賊」「非国民」とレッテルを貼られ、「村八分」にされたとの報告も多い。

 「おやじが逮捕された影響で、おやじの姉と妹は生涯結婚しないままだった」。独身だった真殿さんのおば2人は、共に生活保護を受けながらの暮らしが続いた。
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治安維持法制定100年に合わせて8月に大阪府吹田市で
開かれた資料展では、同法の犠牲者にまつわる資料として
真殿久治さんが書き残した「病閑記」も紹介された

=大阪府吹田市で2025年8月23日午前10時33分、石川将来撮影

 真殿さんも貧しい家庭で育った。久治さんを看病し、家計を支えたのは母・政子さん(13~75年)だ。幼い真殿さんを親戚に預け、政子さんは勤めに出て食いぶちを稼いだが、料金未払いのために電気が止められろうそくの明かりで食事をしたり、市民税の未払いで家財道具を差し押さえられたりした。

 69年に真殿さんが造船会社へ就職した際には、事前に会社の人事担当が何度も自宅周辺を訪ね、身辺調査を重ねたと後に知った。「検挙者の息子と会社が把握し、警戒していたのかも」と真殿さん。
入社後も「労働組合についてどう思うか」とのテーマで論文を書かされたこともあり、「思想調査をやっていたんやろな」と振り返る。

 久治さんは生前、正しい生き方をしている自負を抱きつつも、親族への影響を気にかけていた。真殿さんは理想とする社会の実現のために筋を通した父を誇りに思っている。

日の目を見た「魂の言葉」

 真殿さんは仕事が落ち着いた10年ほど前、国賠同盟大阪府本部から「組織の中心メンバーになって治安維持法犠牲者の思いを伝えてほしい」と懇願された。久治さんも生前、よく似た依頼を受けていたが、健康状態が悪く、「堪忍してほしい」と断っていた。
「病閑記」に込めた父の思いを感じ取っていた真殿さんは、当事者らが次々と鬼籍に入る中で自らの役割を考え、依頼を引き受けた。

 2017年3月、府本部は大阪にゆかりのある犠牲者の名簿づくりを進める調査・顕彰委員会を発足。真殿さんも加わった。特高の活動を記した旧内務省の「特高月報」などさまざまな資料を突き合わせ、検挙時や拷問の様子、その後の処分など1597人分の情報をまとめた。

 4年がかりの作業の末に21年に発刊したのが『時代に抗して光を求めた人々』だ。久治さんの名も刻まれた。多数のエピソードから「オイコラ警察」と言われる時代の空気感や無名の人々の闘いぶりが伝わる。
「自分たちが記録しなければ伝え継がれない話ばかりやと思う」。夜遅くまで大量の資料と向き合う骨の折れる作業だったが、父親譲りの強い信念で真殿さんらも向き合った。

 19~21年には「侵略戦争に反対し治安維持法で検挙・投獄された父」と題し、久治さんの波乱に満ちた生涯について、府本部発行の機関誌『不屈』に30回にわたって連載。「病閑記」に刻まれた魂の言葉がここに再現された。

 「100年前に制定された治安維持法が、廃止までの20年間でどれほどひどい弾圧を重ねたかを知ってほしい」と真殿さん。
「書き残した記録が二度と同じ世の中をつくらない一助になればうれしい」と話し、平和な社会が続くことを願う。【石川将来】

松尾貴史のちょっと違和感
「お亡くなりになられた」「させていただく」
不自然な表現が横行
毎日新聞 2025/9/21 東京朝刊
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松尾貴史さん作

 人が死んだ際に敬意を示す言葉遣いとして、「亡くなった」がある。「死んだ」はあまりに直接的言い方だから、「亡くなった」は当人や周囲に配慮し敬意を込めたえん曲表現として用いられている。ところが気遣いを強調したいのか、「お亡くなりになられた」と言う人がいる。「亡くなった」を「お亡くなりになった」にして、さらに「なられた」で締めるという表現は不自然だと思う。

 テレビのバラエティー番組で料理を紹介する時、アナウンサーが「ゲストの皆さんもお召し上がりになられてください」と発言していて、こそばゆくなってしまった経験がある。丁寧であれば苦情が来ないだろう、という心理なのかもしれない。


 最近は、テレビ画面に向かって「何だその日本語は」などとブツブツ文句を言うことが以前よりも増えてしまった。若い頃から目指している「クソジジイ」に近づいているので内心満足なのだが、不快感を与えてはいけないので、周りに誰かがいる時にはテレビを見ないようにしている。そんな気遣いをしているようではまだまだ「クソジジイ」の域に達していないのかもしれないが。

 以前も書いたが、アナウンサーやリポーターの「私」連発にもうんざりしている。なぜこうも「私」「私」「私」を連呼するのだろう。「私」はとっても不思議だ。先日も大雨の中継で、現場にいるリポーターが一つの文章の中に5回も6回も「私」を入れ込んでいて、執念すら感じた。全国ネットに映る機会を逃すまい、という意識が働くのか、台風よりも自分の爪痕を残したいのか、自己愛が強すぎるではないか。


 そして、何をするにも「させていただく」のである。誰かに何かの許可をとったわけでもないのに、どう「させていただく」のだろうか。「では早速この私も、やらさせていただこうと思いますけれども」などだ。「やらさせて」の「さ入れ言葉」も気持ち悪いが、わざわざ「と思います」と追加するのは、万が一失敗した時の責任回避か。

おまけに逆の意味が後に続くはずの「けれども」まで添えている。口が慣れている文字列を、つい発音してしまうのだろう。緊張のあまり、深く考えなくても発音できる言葉に逃げ込んでいると推察する。

 昨今は情報が氾濫する状況にあるが、外来語がカタカナ語として多用されることに違和感を覚えるのは私だけではないだろう。リソース、ソリューション、マストアイテム、キラーコンテンツ、コンセンサス、エビデンス……。挙げればキリがない。日本語のままでも伝わるはずなのに、あえてカタカナにするのは「できるやつ」と思われたいからだろうか。それとも、せっかく覚えたので使ってみたいという衝動なのか。


 テレビ番組を見ているうちに我々も既に耳になじんでしまっているのは、司会者がよく使う「まず最初は」「一番最後は」だ。「先ず」はその字の通り「先」だから「最初」は余計で「まずは」だけでいいし、「最初」が言いたいのなら「まず」はいらないだろう。「一番最後」も同様だ。一番後だから「最」の字がついている。歴史ある風習について語るときに、「古来より」と切り出す人もいるが、「古来」には「古くから」という意味があるから、「より」はいらない。

 かくいう私だが、実は妙ちきりんで変てこな日本語を叫んでいた時期がある。かつてテレビの「ASAYAN」という番組でナレーターを務めていた時、耳目を集める激しい言葉が無遠慮に使われ、私も職人として多用していた。「この後、1次審査通過者を大大大発表!」などと、日本語をかき乱すような行為に加担していた。今も忸怩(じくじ)たる思いが残っている。


 その番組の中で、何度も出てきたのが「○○(出演者の名前)、号泣です!」というものだ。画面上は涙がひとしずくこぼれただけで、大声で泣いてなどいないのに。(放送タレント、イラストも)=9月16日執筆

猛暑と熱中症 命守る重点支援を急げ
朝日新聞 2025年9月14日 5時00分
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9月になっても暑い日が続く。仙台市では2日、強い日差しを避けようと、多くの通行人が日傘をさしていた=2025年9月2日午後1時40分、仙台市青葉区、三村悠撮影

 夏の厳しい暑さは長期にわたって日本列島全体を襲い、熱中症被害は深刻化の一途をたどる。命を守るため、政府は重点的な支援を踏み込んで検討するときが来ている。

 今夏は統計史上、最も暑かった。気象庁によると、6~8月の全国の平均気温は平年より2・36度高かった。9月下旬まで、気温がかなり高くなる見込みという。

 常態化した猛暑は、多くの人の命を脅かす。熱中症による全国の死者は昨年、2千人を超えた。消防庁によると、今夏は8月末までに9万人超(速報値)が熱中症で救急搬送された。

 熱中症患者の多くは高齢者だ。政府は、危険な暑さに達した際に公民館などを開放する「クーリングシェルター」や、自治体による高齢者の見守りなどを支援。電気、ガス料金の軽減策もとっている。

 だが、対策の程度は自治体ごとに異なる。

 エアコンの購入費を補助する動きは都市部を中心に、近年目立つ。地方でも、新潟県魚沼市や福岡県芦屋町などで対応している。

 高齢者宅の見回りを強化する自治体もある。東京都は今夏、エアコンの積極利用を促すため、都民の水道の基本料金を無償にした。

 対策が、自治体の財政の余裕度合いなどで左右される状況は危うい。求められる人に確実に支援が届く、持続可能な対策が必須だ。

 都によると昨夏、屋内で熱中症で死亡した人(23区)の6割がエアコンがあるのに使っていなかった。高齢者は暑さを自覚しにくいとされるだけに、きめ細かな支援が欠かせない。

 国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、2020年に全体の13%だった一人暮らしの高齢者世帯は50年に20%になることが見込まれる。高齢者が孤立しないよう、周囲からの働きかけは一層重要となる。

 環境省は来年度の重点事業の一つに、高齢者が適切に冷房を使えるようにする取り組みを挙げる。喫緊の課題だ。そして高齢の人には、誰もが積極的に声をかけたい。

 冷房の保有率は地域によってばらつきがあり、設置の後押しも検討する必要がある。電気、ガス料金の軽減のような富裕層も含めた一律支援ではなく、対象を絞った深度ある支援が求められる。

 酷暑下の7月の参院選では全員が対象となる減税や給付に焦点があたる一方、熱中症対策はほぼ話題にならなかった。次期政権は命に関わる問題として、即効性のある対策を優先的に議論してほしい。

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