中江兆民

2012年01月16日

岡本 寧浦

高知の旅

今回は、ここに向かいました。
中央に石碑が見えますね~
わかりますか?

石碑の後ろに洗濯物が干されていますが・・・・・・

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ここは,陽明学者の岡本 寧浦(おかもと ねいほ)の塾があった場所です。
岡本寧浦は土佐にとっての吉田松陰のような存在の方だと言われていて塾生は、1000人はいたそうです。
塾生の中に清岡道之助、河田小龍、奥宮慥斎、岩崎弥太郎、中江兆民がいました。
そして、吉田東洋や武市瑞山といった要人との交流がありました。
幕末から明治にかけて活躍した人物など多くの人材を輩出した。
また、岩崎弥太郎の母の姉の夫が岡本寧浦だったそうです。

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ryomanatabi at 15:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年12月27日

中江兆民と武市半平太の石碑

高知の旅

このようなかんじの所にあったのでちょっと迷って辿り着きました。
左に見えてきた石碑は、、「東洋のルソー」と呼ばれた人物・中江兆民の誕生地です。
中江兆民の父、元助は足軽でしたが兆民が14歳の時亡くなりました。母に育てられながら藩校文武館に入り、
藩から留学を許された長崎ではフランス語を平井義十郎について学ぶとともに龍馬さんや後藤象二郎、岩崎弥太郎たちとも知り合ったそうです。
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近くの道には、兆民通りと付けられていました。
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こちらの石碑は、武市半平太の道場跡地です。
高知城下で剣術の技術を高めた武市半平太は、安政2年(1855年)の春に自ら道場を立ち上げました。午前には武市の妻の叔父が槍術を、午後からは半平太が剣術を教え、一時期は120名もの門下生がいたそうです。その中に中岡慎太郎、岡田以蔵らがいました。親戚で旧知の仲と言われる龍馬さんもこの道場をよく訪れたとの事です。
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実際にあった場所は、このちょっと先に行った所だったそうです。
近所のおばさんが話し掛けてきてくれていろいろと教えてくださいました。
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ryomanatabi at 22:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)