吉田松陰

2010年12月16日

吉田松陰拘禁の跡

宝福寺を進むと下田屋旅館があります。

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下田に来た吉田松陰・金子重輔の二人がはじめに宿をとった旅館・岡村屋跡です。
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また、少し歩くと吉田松陰拘禁の跡があります。
吉田松陰と金子重輔はペリー艦隊での密航を企てたが失敗してしまい自首しました。下田奉行所によってこの場所(長命寺(廃寺))に拘禁されました。

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石碑の横にあった案内板より、
幕末の志士吉田松蔭は海外事情を学ぶため鎖国の禁を犯し密航することを決意した。長崎に来港したロシア船への便乗を佐久間象山に勧められ急行したが間に合わず、翌嘉永7年(1854年)3月再航したペリー艦隊を追って弟子金子重輔と下田へ来た。機をうかがい夜中柿崎より小舟でペリー艦隊ポーハタン号に漕ぎ着け、渡米を懇請したが、ペリーに拒絶された。壮図空しく破れた松陰等がいさぎよく自首して拘禁された場所が、ここ長命寺(廃寺)であった。さらに平滑(ひらなめ)の獄に移され、同年4月11日には江戸伝馬町の獄に送られた。松蔭等が下田に滞在した期間は24日の短いものであり、また海外渡航は失敗に終わったが、その行動は幕末開港の歴史に欠くことのできない重要な1頁を刻むものであり、後に与えた影響は大きかった。

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ryomanatabi at 02:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年07月14日

松下村塾

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以前、東京都世田谷区にある松陰神社の吉田松陰先生の銅像を紹介しましたが、
今回は、お墓と松下村塾を紹介いたします。
この鳥居は、木戸孝允(桂小五郎)によって寄進されたものです。

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吉田松陰先生は安政6年10月27日、安政の大獄に連座し江戸伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死されてしまいました。
文久3年、吉田松陰先生の門下生であった高杉晋作や伊藤博文などによりこの世田谷区若林の地に改葬されました。

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松下村塾です。
本物は、山口県の萩にあります。
この松下村塾からは、高杉晋作、伊藤博文、久坂玄瑞、山縣有朋など多くの逸材を輩出させました。

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ちょっと失礼して、のぞかせて頂きました。
龍マッキーもこの塾で勉強したかったぜよ!がはは

ryomanatabi at 02:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年07月02日

松陰先生

東京都世田谷区若林4丁目35-1
に、松陰神社があります。

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吉田松陰先生とは、1830年9月20日生まれ
長州藩士 
思想家、教育者、兵学者
永7年(1854年)1月、ペリー2度目の来航の際に長州藩の金子重之助とともに密航計画を企てるも失敗し萩の野山獄に幽囚された。

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叔父の開いていた私塾・松下村塾を引き受けて主宰者となり、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、吉田稔麿、前原一誠など、維新の指導者となる人材を育てました。

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地震で鳥居から落ちちゃった扁額です。

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安政6年10月27日、安政の大獄に連座し江戸伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死されました。

松陰先生は、龍マッキーの好きな人の一人です

ryomanatabi at 23:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)