御所

2013年01月18日

西陣

龍マッキーファミリー京都の旅

この大きな西陣と刻まれた石碑は、西陣織会館の建物の出入り口にありました。
西陣織で有名なこの「西陣」とは、応仁の乱で西軍総大将である山名宗全が堀川よりも西に陣をおいたとされたことが由来であるそうです。
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こちらの石碑は、従是東北 足利将軍室町第址
室町幕府、花の御所の西南の角に当たる場所です。
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ここは、御所内です。
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紅葉が、とっても綺麗でした。
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向こうに見える山には、大文字焼きの大と言う文字が見えました。
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ryomanatabi at 17:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年06月20日

開かずの門

今日は、日曜日。夜の8時が待ち遠しい
そうです、龍馬伝です。
今日の龍馬伝にもでてきた

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京都にある御所の九つあるうちの一つ蛤御門です。
この蛤御門は、開かずの門だったのですが、1788年(天明8年)に京都を襲った天明の大火の時に初めて扉が開かれました。
その様子が火に掛けられて口を開く蛤の様だった事から「蛤御門」と呼ばれるようになったそうです。
後に禁門の変(蛤御門の変)が勃発しました。
禁門の変とは、池田や事件が引き金となり会津・桑名・薩摩藩らと長州藩が衝突して長州藩が敗走
この後、長州藩は朝敵となり幕府による2回の長州征伐を受ける事となる。


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現在は、このように開いていて出入りができます。

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その当時の弾痕が今もこの様に残っています。

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 中に入っていきま~す。


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最後に残った長州藩久坂玄瑞は鷹司邸内で自刃した。(享年25歳)

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現在は、建物がなく碑だけがたっています。
久坂玄瑞についてほんの少し解説
天保11年(1840年)5月 生まれ
医学および洋書を学んだのち、17歳で九州に遊学し吉田松陰の名を耳にすると、帰藩後、松下村塾に学び、高杉晋作、吉田稔麿と共に村塾の三秀といわれました

ryomanatabi at 22:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)