東首塚

2012年04月17日

関ヶ原の戦いを歩く 3

東軍の田中吉政の陣地

徳川家康の最後の陣地のすぐ近くにありました。

黒田隊らとともに石田三成の陣を攻撃し、合戦後は佐和山城攻めに従軍。
また敗走した三成を捕らえたのは吉政の家臣でした。

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大きな道路には、関ヶ原の戦いに参戦した武将達ののぼりがずらずらっとたっています。
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こんなのぼりもあります。
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関ヶ原の戦いの後、徳川家康が竹中重門に命じて、戦死者を首実検した後、葬ったものです。
昭和6年に国指定史跡に指定されています。
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徳川家康が首実検をする前に血を洗ったとされている井戸がありました。
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東首塚の横には、
徳川四天王の一人で赤揃えの井伊直政・徳川家康の四男松平忠吉陣跡があります。

慶長五年九月十五日の合戦の役に、中山道の敵を目標とする福島・藤堂・京極隊、北国街道を黒田、竹中、細川等の隊、その中央にあたるこの地に家康四男松平忠吉、後の彦根藩主井伊直政が約6千の兵で陣を構えた。午前八時頃、軍監、本田忠勝より開戦を促され、直政、忠吉を擁して前進し宇喜多秀家の前面に出たが、先鋒は福島正則であると咎められ、方向を転じて島津義弘の隊に攻撃し開戦の火蓋が切られた。
(案内板より)
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ryomanatabi at 22:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)