「寒いから、呑みながら待ってて」

 大迫さんはそう言いながらトレンチコートを着て、レジで店員に、

 「クルマ取ってすぐ戻ってくるから。
あの女の子、ひとりだから一応気を付けてあげて」

 と、声を掛け店を出た。

 中国人とおぼしき店員は、一瞬驚いたような表情を浮かべて、すぐに小刻みに何度か頷いた。


 どうしてあんなに気が利くんだろう。

 
 大迫さんが、少し離れたコインパーキングまで車を取りに行く間、店の中でビールを少しずつ呑みながら、そう考えていた。

 私はお店にとっては確かに一応、お金を生み出す商品なわけで、そしてこの吉原のソープ街は凄く入れ替わりが激しくて、そして狭い業界だ。

 人気の女の子が他のお店に移った、というのはよく聞く話だ。大迫さんのような男性従業員が店長やもっと怖い人達から、私たちのことを丁寧に扱うよう厳重に注意されていることは想像できる。

 それにしても。

 どうして、大迫さんの気遣いは、あんなに心地良いんだろう。
もちろん恋愛感情では無いのだが、
信頼感を強く持たずにはいられない。



 店の前に見慣れた黒い車が停まって、大迫さんが出てくる。
中華料理店の自動ドアが開いて、私の向かい側に再び座った。

 「ありがとうございます」

 私がそう言うと、大迫さんは表情を変えずに小さく横に首を振ってテーブルの上の伝票を手に取り、

 「もう行くんで、大丈夫?」

 と、私に訊いた。
 私が頷くと、伝票を掴んだ側と逆の手で、隣の椅子の背に掛けてあった私のコートを、私に差し出した。




      
            *




 吉原周辺から私の住んでいるマンションまでは、車で大体三十分かかる。

 「横になって、寝てていいから」

 いつも通りそう言われ、後部座席に座らされる。

 もちろん横になることはないが、気付くと座ったまま後部座席で眠っていることはしょっちゅうある。
 
  今日もいつも以上に疲れは溜まっているが、なんとなく眠る気にはならない。

私はバックミラーに映る大迫さんの鋭い目を、なんとなく見続けていた。



 「大迫さん、奥さんと息子さんにはどのぐらい会ってないんですか?」


 気付くと、私はそう話し掛けていた。

 大迫さんは黙ったまま窓を開けて煙草の煙を吐き、外に少し灰を落とした。


 「もうすぐ二年近くになっちゃうね」

 いつも通りの淡々とした声で、大迫さんがそう言った。

 「長いですね・・お子さん、幾つになりました?」

 そう訊いて、私はすぐに後悔した。
 
  疲れと酔いが相まって、判断力が鈍くなっている。

 ヤクザのような、そうではないような、でも、限りなくそれに近い場所で生きてきた人に対して、立ち入り過ぎたことを訊いてしまった。



 「八歳だね。小二。でかくなってんだ。写真で見るだけでも分かるよ」

 大迫さんはいつもより明るい声で、少し笑みを浮かべながら言った。
 私は内心ほっとして、

 「奥さんから写真は送られてくるんですね」

 と、明るい声を作り、言った。


 また大迫さんが、外に向かって煙草の煙を吐いた。
 
それからしばらくして、

 「そうだね。別に、すげえ仲悪いってわけでもねえんだ。何なんだろうな、これ」

  強面の彼が、
  細い目を更に細くして、笑った。


 本気で笑っている大迫さんを初めて見た気がして、なんだか嬉しくなった。

 「ガキには会いてえけどさ、何喋っていいのか分かんねえな・・『宿題やってるか?』とか、くだらねえ事しか思い浮かばねえ」

 いつもより饒舌な大迫さんの様子を見ながら、私はふと自分の人生について考えていた。



 私は高校生のとき、百円ショップでアルバイトをしていたが、学校もバイトも適当にさぼって、よく体を売っていた。

 一日も早く、
お金を貯めてあの家を出たかった。

 私が中学二年生の時にパパが突然事故で死んでから、うちは地獄になった。

 母親はいつも怒っているか泣いているかのどちらかで、一人っ子の私は、母にとって感情をぶつける対象でしかなかった。



(続く)

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