2015年06月17日

人間的な彼らのなんと魅力的なことか/2009年6月13日からの三沢光晴

みさわさん受け身の達人と称されたプロレスラー・三沢光晴さんが、
2009年6月13日、リングの上で急逝した。あの日リング上で何が起きたのか。
あれから三沢光晴さんはあのアクシデントの目撃者にどんな影響を与えたのか。
7回忌に振り替えるノンフィクションは、ミステリー小説のように証言のパズルを組み立てていく。
目撃者たちに影響を与え続ける、2009年6月13日からの三沢光晴。
「2009年6月13日からの三沢光晴」はスポーツライター・長谷川晶一さんのノンフィクション作品。
ただし作品内に長谷川さんはほぼ出てこず、証言を積み重ねることにより、
三沢光晴さんの誠実でちょっと笑えて、でも頼もしい実像や、
「2009年6月13日」当日とそれ以降を克明を解き明かしていく作品。
まるで映像ドキュメンタリーを読むような臨場感を伴う、非常に読みやすい一作でありました。

運命に乗せられるように「2009年6月13日」を目撃し、「2009年6月13日」を起点に何かが変わる。
おもな登場人物は以下の通り(敬称略)。

■鈴木鼓太郎
プロレスラー。三沢光晴の付け人。三沢の読む漫画雑誌を買い揃えたり(だいたい全部)、
駅弁や水などをセッティングする役割。2009年6月13日は100パーセントリンゴジュースなどを用意した。
この年、本来は太田一平が付き人の代なのだが、怪我のため前付け人の鼓太郎が担当していた。
なお、「鼓太郎」のリングネームは三沢が命名。

■小坂健一郎
東京スポーツ、ノア担当記者。サッカー、相撲を経てプロレス担当になった。ノア担当は3年目。
実は子供のころからプロレス好き。大学時代にはプロレス研究会に所属。
当時、大学祭に三沢光晴を呼んだことがある。
2009年6月13日、新幹線で広島入り。大会後は記者として初めてノアの九州巡業全戦に帯同する予定となっていた。

■落合史生
週刊プロレス専属フリーカメラマン。幼少時はプロレスラーになりたいと思っていたほどのプロレス好き。
身長が伸びなかったことからカメラマンに進路を変更。
月刊および週刊ゴングを経て週刊プロレスへ。2代目タイガーマスク時代から三沢とは旧知の間柄。
救急救命士の資格を持ち、クリスチャンでもある。しかしそのことが2009年6月13日を境に彼を悩ませる。

■会田忠行
同じく週刊プロレス専属フリーカメラマン。落合を尊敬する後輩。
元「ナイタイ」カメラマンであり、三沢からはよく「変態カメラマン」と呼ばれいじられていた。
一方、会田にとっての三沢は「リング上で最も怖さを表現するレスラー」だという。
週刊プロレスには当時8名のカメラマンがいたが、2009年6月13日の会場には落合と会田の2人が撮影に出発した。

■寺内清
フリーディレクター。CSサムライTV中継のため2009年6月13日、広島へ。サムライでは旗揚げ当初のノア中継も担当。
2009年3月29日に日本テレビの中継番組が打ち切られ、サムライでの中継が復活したばかりだった。
中継車に乗車し指示を飛ばす立場だが、虫の知らせか
ひょっとしたら現役最後のタイトルマッチになるかもしれないと、三沢の試合だけはモニター越しでなく生で見ていた。

■平木太郎
モバイルサイト「プロレス/格闘技DX」、速報担当。モットーは「一秒ごとに損失が生まれる」。
2005年から担当し、4年目。一時は人間関係から仕事をやめる決意をしたが、それを救ったのが三沢だった。
「いじめられてるの? 何か言われても『三沢社長がOKって言ってました』と言っていいから」。
2009年6月13日。独占速報権を持っていた彼に様々な判断が迫られる。

■武田研と二宮一郎
ともに福岡在住の若き医師。プロレスファン。三沢をはじめ、ノアの選手とも懇意な間柄。
同じ高校、大学を出ているが、縁が深くなったのは卒業後、プロレス会場で顔を合わすようになってから。
2009年6月13日はリングドクターとして、リングサイドに座っていた。
武田は奇遇にも、後述する貞森医師の妻と同級生で顔見知りだった。

■潮崎豪
約1か月前に三沢からタッグ結成を打診されたノアの若きエース候補。
三沢とのタッググローバルリーグ優勝という結果を出し、
2009年6月13日、ついにタイトルマッチへ。
対戦相手は第17代GHCタッグ王者。齋藤彰俊&バイソン・スミス組だ。

■貞森拓磨
広島大学病院助教授。集中治療部勤務。
高度救急救命センターであるこの病院の2009年6月13日、夜の担当者。
プロレスにも明るいが、この日、広島でプロレスの試合があることは知らなかった。
この日の担当が貞森であったことが、また運命を回転させる。

■浅子覚
柔道整復師。ノア専属トレーナー。元三沢の付け人であり、元プロレスラー。
トレーナーへの道を進めたのは三沢であり、浅子にとって三沢は恩人としか言いようのない存在。
2009年6月13日。三沢の体調の悪さに気付き欠場を進言。「俺が休むわけにはいかない」と返された。
この日、AED(自動体外除細動器)を使うことを指示したが、そのAEDは三沢が導入を決めたものだった。

■西永秀一。
レフェリー。2009年6月13日、広島大会。最後の試合をさばき、そして最後の言葉を聞いた人物。
またプロレスリング・ノアにおける渉外役でもあり、大会終了後はマスコミ対応も行った。

■佐久間一彦
週刊プロレス編集長。東京にいたが、2009年6月13日、決意と覚悟を迫られることになる。
自身もノア担当記者だったことがあり、アマレス経験があることから三沢とは技術論をかわすほどの間柄。
6年後、三沢光晴の書籍を作るという大義をもとに、当時のあの決断は正しかったのか。
また、なぜ自分はあの日広島にいなかったのかの答えを求め、関係者を訪ね歩く。

■大月融
CSサムライTVプロデューサー。前述のディレクター・寺内清をプロレス業界へ誘った人物。
三沢光晴とは誕生日が一緒という縁もあり親しかった。
2009年6月13日。この日から映像を貸してほしいという電話が、民放地上波各局からかかってくることになる。
あの試合、あの瞬間。貸し出すべきか。貸さざるべきか。苦悶は始まった。

■齋藤彰俊
プロレスラー。背中に死神の入れ墨がある。2009年6月13日、最後の対戦相手。最後に投げたレスラー。
あの日以来、ファンからは心無い「人殺し!」の声が飛び、自宅に嫌がらせも続いた。
一度は自決へ心が傾いたが、それは自己満足であり現実逃避だということに気付き、
「自分が悲しみや怒りの矛先になる」と生きていくことを決めた。

一般的にあの日に起こったことは「技のミス」「受け身の失敗」などと思われているのでしょうが、
本書ではいくつかの事実からこれを否定。また「永年のダメージの蓄積から」という見地も否定しています。


表題である「2009年6月13日からの三沢光晴」の章は、佐久間一彦さんを主人公にパズルが組み立てられていきます。
2009年6月13日という日付は、まるで三沢さんの必殺技「エメラルドフロウジョン」のように目撃者を揺さぶります。
ありえなかったことが目の前で起こった、という事実は、それぞれの登場人物に決意と覚悟を迫るのです。
あの日を起点に別の仕事に携わるもの。あの日を起点に別の団体に移籍するもの。
あの日を踏まえて同じの仕事を続けるもの。運命と対面した人間的な彼らの、なんと魅力的なことか。

そして忘れちゃいけない証言者。永遠のライバルと言われた小橋建太。
小橋選手もあの日を起点に、プロレスファンなら誰もが知る決断を迫られます。

2009年6月13日から始まる物語。それは三沢光晴という人物がさらに好きになる。
そして“受けて受けて、それでもまた立つ”、というプロレス独特のカッコよさがグッと愛しくなる物語です。
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この記事へのコメント
ミステリー小説っぽい紹介の仕方ですね!
うーん、この謎解きの真相は。


三沢さんがいたら、対鈴木軍も圧勝できるのになあ…。
Posted by みどりの窓口 at 2015年06月17日 22:56
随分と書き込みしていませんでした。なんとか生きています(苦笑)。
あの日は職場から帰ってインターネットを見ると、信じたくない記事が。
家族に知らせると三沢選手の悲報は、不意打ち状態で、凄まじい衝撃でした。
NHKの定時ニュースでは、朝5時から9時まで報じていたっけ…。
この本、何があっても読まなくてはならない。今でも三沢選手を好きだから。

最後に、忘れてはならないのは、今日書き込みしている6月18日は、衆議員にて臓器移植法の改正A案が通過した日であるという事です。
ありがとう三沢選手。知るベき事が多いのは我々プロレスを見る者の務めだ。
Posted by アニマル仲代 at 2015年06月18日 04:06
あの日は翌日草刈りが有って早く起きなきゃならないのに、たまたま「Google急上昇ランキング」を観たら、三沢さんの名前が一位に。大抵何かやらかすか、亡くなったか。早く寝なきゃいけないのにスポーツニュースとか観て。ショックでした。
あれから、7年ぐらい経つのか。現場で何が起きたのか?宝島社に出来んなあ。
某女性声優さんはプロレス好きで特に三沢さんの大ファンだったのです。亡くなった時はブログのコメントにはファンから沢山の追悼コメが来て。見てて辛いか後にコメは削除したけど、自身はブログで追悼コメを書いてました。それで一昨年に彼女の所属事務所の社長さんが亡くなって。超がつくくらい有名な声優さんだったけど命日が三沢さんと同じだったんですよね。単なる偶然ですが、好きなレスラーと尊敬する社長さんが同じ日とは偶然とは。
Posted by 通り菅井 at 2015年06月18日 06:58
それって… 2代目セーラーヴィーナスの伊藤静なのでは? あの人も三沢光晴のファンだったからなぁ…。
Posted by チハル at 2015年06月18日 18:18
三沢光晴の死後、ノアは変わった… 仲田龍の金正日化、レスラーの大量離脱、マイティ井上と泉田純のノア内部暴露、新日本プロレスの傘下団体化、ROHの関係終了、そしてプロレスリング鈴木軍に名称変更、あの団体潰しの川畑輝鎮を入れたせいでノアは潰れたんだ… もう三沢光晴も天国で泣いていると思うよ… プロレスリングノアは終わった… フジテレビは死んだ… 全日本プロレスもレッスルワンもやがて沈む…。
Posted by タツヨシ at 2015年06月18日 18:28
テッド・タナベ、マイケル・ジャクソンが亡くなったのもお忘れなく!
Posted by スペルマ・イルカ at 2015年06月18日 18:31
●みどりの窓口さんへ
馬場さんもそうですが、ポスターの中にいると興行に信頼感が生まれるこの不思議。

●アニマル仲代さん、通り菅井さんへ
ホント、あのときは信じられずしばらく放心状態でしいたね……。

●スペルマ・イルカさんへ
忘れてませんが、本の中に出てこないのに、一読を薦める文章で書くのもおかしいでしょう(笑
Posted by 漁師JJ at 2015年06月21日 11:51