August 15, 2014

お盆に想うこと

お盆の墓参のおり、ふとあと何回ここに来れるであろうか、と思った。こんな思いはこれまで感じた事はなかった。それは二十年前に逝去した人の著作に触れていて、「人は亡くなっても、その人の記録・記憶は永遠に残る」と思っていたからかもしれない。
昨年夏、蔵書を処分した。残したのは、明治維新と先の敗戦に係わる物と特定の評論家の物であった。その評論家の一人は、山本七平氏である。その未発表の作品として本年七月に上梓された「日本はなぜ外交で負けるのか 日米中露韓の国境と海境」を読了。
私が、この評論家に傾倒したのは、「もし自分が軍隊生活を余儀なくされた場合、いかなる生き方をするであろうか」と考えた時、この人の「私の中の日本軍」「一下級将校の見た帝国陸軍」の著作に最も多く啓発されたからである。四十五年前のことである。「あの頃は若かった」とあらためて思う。
この遺稿集によれば、「現代日本の外交問題,すなわち尖閣・竹島も、対米戦略、捕鯨問題も、とっくに予見されていた」のがはっきり判る。その先見性に敬意を表したい。
特に日韓関係、両民族の感覚、感受性ね価値観の違いは、「戦後の歴史認識のありよう」かどとは別個の、それこそ歴史的に秀吉時代から存在するものであることが、鋭く指摘されている。


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ryosuke_hara at 20:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

August 03, 2014

日本とドイツの違い

富永 望著「昭和天皇退位論のゆくえ」を読了。
著者は「歴史にイフはない。が、もしも昭和が三十年前後で平成に替わっていたら」と説き出す。
敗戦という大転換期に、日本は陸海空の軍隊は放棄したが、天皇制を維持し、統治機構としては大日本帝国憲法の継承のカタチをとった。国民の「平和ボケ」と自認するほどの意識の変化に比して、諸外国からは「変化なし」と見られた。(ドイツでは、統治機構のみならず、戦前のマスコミの経営陣も一新した。我が国の新聞界はその経営陣もそのまま残存した)。それが今日までも「歴史認識が・・・」と言われる理由であろう。
天皇制は世界に誇るべき日本の伝統文化の淵源であるが、あの戦後の転換期に、戦争への道義的責任を取る形で「退位譲位」があったなら、今日の政治状況は、大きく変わっていたであろう。当時、そのことは識者の間で真剣に議論されていたのである。一回目は第二次世界大戦敗戦直後 二回目は東京裁判判決前後 三回目は講和条約発効前後 四回目は皇太子立体式またはご成婚の時である。
平成の今日、憲法改定が議論され始めた。日本国憲法は大日本帝国憲法の改定であるから、昭和天皇の存在そのものが憲法改定を封じる最大の要因であったとも言える。
気になったこと。憲法学者の宮沢俊義が「天皇の人間宣言に際して、行き過ぎれば天皇の天皇たる所以を損なうことを憂慮する」と指摘していることである。「平成」以後の天皇制・皇室の在り方に危惧を覚えるのは、私のみか。


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ryosuke_hara at 20:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

July 23, 2014

政策提言小説

久しくブログを更新出来なかったのは、左手の麻痺が進行し、パソコン操作が不自由だったからである。先日、「国土交通省が団地複数棟の改築の要件緩和を検討開始」との記事があった。それに関連する政策提言小説の事を記したいと思った。
楡 周平著「ミッション建国」を読了。
現実の存在する人物を彷彿とさせる登場人物による近未来小説である。
国民的支持の高い二世政治家が,総理大臣経歴者の長老から「日本を滅ぼすのは外圧でも戦争でもない。人口減少こそ最大の国難である」との指摘を受け、その打開策を探る。
若手の官僚や政治家またIT実業家等との勉強会を立ち上げるが、議論を深めれは深めるほど その危機は目前に迫っている、との現状認識を共有する。
オリンピック選手村の子育て住宅への転用、大規模オンライン講座の活用、第二新卒構想などの政策を発案していくが、党の重鎮長老からのやっかみからの抵抗に遭遇する
結局、もうひとつの国家に相当する東京のトップ、知事に就任し、これらの政策実現の一点突破を図らんとするのである。
橋本が大阪府市でやらんとしたこと、それが困難な状況となったのは、それは国民の関心が移り気であり、またそれが大阪という地方であったのも一因であろう 
読後気にかかること 主人公に擬せられた青年局長が マスコミから雲隠れしていることは、妙にこの小説との連動を予感させることである。


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ryosuke_hara at 14:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

July 04, 2014

泣きたいのは誰?

今朝の新聞によれば、号泣した県議への苦情・抗議の電話が、一日で600件を超えたとのこと。テレビのコメンティタ―は「議会職員や監査役は何をしていたのか」と解説する。
その対応に追われた県庁職員こそ、泣きたかったであろう。
議会や議員に関する事は、議会事務局や監査役は、対応する立場にないのである。これはあくまで議員が自主的に決定するべきことであり、事務局は指摘すべきことは指摘出来ても、議員側の意思を変更させる権限はないし、それは本来許される事ではない。
今回の政務活動費の報告に関しては、これは議員個人が議長・知事に報告すべきものであり、その間に介在し検証出来る者は、議員側以外に存在しない。そこに介在出来るものと言えば、議員の集団である会派だけであろう。議長への報告を会派として検証、訂正すべき事を指摘し、それでもなお訂正しなければ、会派から離脱させる権能を持つからである。
今後は、政務活動費は、会派に支給するべきものとし、会派から議員個人の政務活動に対して預託する、とすべきであろう。その会派とは、各個人議員が、その政治信条に従って同志として結合したものだからである。その原則からは、いわゆる「一人会派」は認められない。有権者の付託を受けた議員の自主的検証は、議員相互でなければ出来ぬ、からである。では、何人から会派として扱うか、その数は議会で決定したら良いのである。


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June 17, 2014

無頼化とは?

神戸新聞の記事内容とその投稿者の代表作品名に触発されて、水無田気流著「無頼化した女達」を読了。
「あらゆる価値基準を自己責任で決定する」。これはまさに小泉政権以来の規制緩和政策の目玉であり、現安倍政権の成長戦略が、女性の登用拡大を岩盤規制解消の一環として打ち出したタイミングであった。
著者が言う「無頼化」とは「世に頼むものがなく、一人で生きていくこと」である
現代日本の根源的問題は、「理念としての平等」と「経済的な不平等」の矛盾であり、それが最も顕著な現象が、「少子化の責任は、結婚せぬ女性にあり」とする安易な視点であろう。
1985年男女雇用機会均等法成立し、それによって女性被雇用者のうち正規雇用は7割てあったが、99年同法改正さらに派遣法改正を機に、男女を問わず非正規雇用化に拍車がかかり、所得格差が拡大、「勝ち組・負け組」が言われ、特に女性には、働く必要性に迫られているにもかかわらず、育児・介護・地域活動などの分野は専業主婦という前提の社会環境は変わらないという矛盾、(我が国の暗黙の了解事項として女性を守るのは基本的に社会という公的領域ではなく、家族という私的領域でり、子供の健診や予防接種は役所の受付時間内としている如く、「育児=専業主婦仕様」の体制を基本としている事)が「女性の無頼化」の原因である、というのである。
読後感として、女性の問題は、歳をとれば仕事をしていようが結婚していようが「老後はおひとりさま」すなわち、65才以上の女性で配偶者なしは55%、80才以上では83%という数字であり、さらに、晩婚化については「高齢主産育児の体力が心配」「子供が成人するまでの経済的負担」と言われるが、本質的には「共に生きる時間が短い」ことを指摘すべきあろう。
「昔は全て良かった」とは言わぬが「三世代同居が当然」の時代を懐かしむのは、歳のせいだけであろうか。





ryosuke_hara at 22:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)