July 2007

July 30, 2007

自民大敗

選挙も戦いである以上、「弁解、言い訳」に終始するようでは、戦いにならない。

最近は、異常気象で局地的集中豪雨がよくおこるが、自民党にとって、まさに、集中豪雨であった。

しかし、その原因の地球温暖化も我々人類が招致したものだから、まさに、「自ら転んだ」ということか。

健全な二大政党制・政権交代への過渡期か?


選挙も戦いである以上、「敗北のけじめ」は、つけるべきだ。

初めての組閣人事も「身内の論理」で批判を受けたが、「続投宣言」も「身内の論理」だけでないのか?

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ryosuke_hara at 19:00|PermalinkTrackBack(0) 雑感記〜日々私が思うこと〜 

July 29, 2007

童話作家は未来の預言者

長かった選挙戦を終えて、大丸百貨店での「星の王子様」展(7月末まで)を見た。

この本は、ベストセラーというよりも、ロングセラーである。

「大人は昔、みんな子供だった。しかしそのことを覚えている大人は少ない」

「本当のものは、目に見えない」等、懐かしく思い出した。

これだけの挿絵の原画は、初めて見たものである。


ノバーリスの「青い花」の扉の言葉

すべて詩的なものは童話的でなければならぬ。

真の童話作者は、未来の預言者である。

あらゆる童話は、到るところにあって、どこにもない、かの故郷の世界の夢である。



サンテクジュペリに贈る言葉としては、これにすぎるものはない。

中 勘助さんの童話にも、その味がある。

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ryosuke_hara at 12:00|PermalinkTrackBack(0) 雑感記〜日々私が思うこと〜 

July 27, 2007

人を見たら、ドロボウと思え

古くから日本では、「安心」は地域社会の財産であり、生活の保障であった。自分の属する共同体の構成員はみな一蓮托生であり、他人に悪さをする人などいないと信じていた。
皆が「身内」であった。

人的交流、情報や物資の流通が複雑化する現在では、個人が親密に関わる範囲と、社会人として関わる範囲との間の乖離が広がる。ミートホープ社の経営者にしても、まさか「身内」には偽装食品を提供しなかっただろうが、工場生産品が送り出される市場は「身内」として思いやる範囲を超えていたのだろう。

「信頼の文化」が育っていくか「不信の文化」が育っていくかが重要なのは、それが経済や社会の効率的な運営を可能にするかどうかに大きな影響を及ぼす。

「人を見たら、ドロボウと思え」  これをどうとるか


「他人を信頼することが、本人にとって有利な結果を生み出す環境」
「他人を信頼しないことが、有利な結果を生み出す環境」

そのいずれの環境も我々自身が作り出すのだ。

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July 25, 2007

バブルに踊ったか、踊らされたか

田中森一著「反転−闇社会の守護神と呼ばれて−」を読了。

極貧から苦学して、検事という「正義の番人」になり、その後、
「悪の守護神」となった男の自伝である。

たたき上げの検事であるが故に、「プールのきれいな水の中だけで泳いでいるエリートには、ドブの世界(アンダーグラウンド)はわからない。」という自負と、それだけの仕事をしたという自信

それが、「国策操作」と言われるエスタブリッシュメントからの圧力で
退官せざるを得ず、アウトローの世界の弁護をする事情

検事と弁護士の違いは、物事をどちらの側から見るかという立場の違いにすぎない。表から見るか、裏から見るか。

駆け出し検事時代は、検察こそ正義だ、と信じていた。
しかし、強引に操作の型にはめ込んでいく検事よりも、弁護士の立場で事件に関わる方が、より本質に近づけるとして転身した。

しかし、屈折した心理のもと、彼はバブルに踊らされたのか、
はたまた踊ったのか。

スタンダールの「赤と黒」の主人公ジュリアン・ソレルを想起させた。

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July 23, 2007

「移ろうもの」と「変わらぬもの」

[倫風]8月号の宏話の題は、上記のものである。

松尾芭蕉は、「不易流行」こそ、俳諧の本質だと説いた。
今の「流行」を求めつつ、変わらぬもの「不易」即ち、本質を守り続けること。

静けさや 岩に染み入る 蝉の声
古池や 蛙飛び込む 水の音

いづれも「静けさ」を強調する句である。
「蝉」も「蛙」も、移ろい、その場を去る。
しかし、「岩」も「古池」も、ずっとその場にあり続ける。
即ち、「静けさ」の大本は、「岩」であり、「古池」であって、
それを強調するものとして、「蝉」であり、「蛙」であるのだ。

即ち、「移ろうもの」と「変わらぬもの」であろう。

「変わらぬもの」を自らのうちに確立すること。

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July 21, 2007

「死を見つめる」ことの必要性

熊谷達也氏の「生を語るために死を見つめる」は、命の大切さを説いたものであった。
核家族になって、祖父母・家族の死を、身近に感じる機会が無くなっているのが現実である。
テロや無差別かつ猟奇的な殺人、あるいは未曾有の大事故や災害といった、死を扱うニュースが、メディアの発達によって際限なくブラウン管から吐き出されている。おびただしい死が頻繁に身の回りに生じていることを、これだけ正確に認知できる時代は今までなかった。しかしながら、そこに確かにあるはずの「死」という現象は、電波に乗って空中を飛び交ううちに、しょせんは他人事、バーチャルな世界の
出来事として、単なる記号と化しているふしがある。

「生と死」はあくまでも表裏一体のものであり、「命の大切さ」を語るためには、「生を語る」だけでは不完全であろう。どうやら現代とは、襟を正して「死を見つめる機会」を、あえて意図的に設けなければならない時代であるのかもしれない。

山本周五郎のというより、黒澤 明の映画「赤ひげ」で、新人医師が小石川養生所で老人の「壮絶な死」を見つめることから「医師としての使命」に目覚めるシーンを思い出す。

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July 19, 2007

「ことば・会話」の力

神戸新聞情報文化懇話会の7月の講師は、元NHKアナウンサー、松田輝雄氏であった。

講演要旨は以下の通りである。

「電子的な情報・データ」は早くて便利だが、冷徹なものである。

「目だけで意が通じる」のも一つの形だが、それは思いこみだけではないのか。

今、「知らない人から声をかけられても返事しないように」と教えられている子ども達…

「ことば・会話」は表情を伴い、温もりがある。

他者に声をかけるのは、その他者に対する期待と愛情の表れである。

夫婦・家族同士の会話こそ、家族と地域を創る力である。

さすがに、しゃべりのプロであり非常に説得力があった。

独特の「間」の取り方と、眼光に異常な力を感じた。



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July 17, 2007

「灘・夢ナリエ」

台風4号で、順延された「灘・夢ナリエ」が、また雨で中止となった。

子供たちやお年寄りが描いた絵で作った行灯や酒瓶オブジェの明かりのもと、模擬店や音楽クラブの演奏もあり、盆踊りもあって、地域の交流を深める催しである。

官製のルミナリエが、他地域の人を楽しませているのに対して、「灘・夢ナリエ」は、地域の人々の交流の場であり、手作りの温かみのある計画であったが、地域の人々の善意も、天候には勝てぬ。

16日昼、新潟・長野に震度6強の地震が発生した。

被災地に心からのお見舞いを申し上げると共に、「自然には勝てぬ。」とつくづく思う。

それに関して思ったこと。

「海の日」が、あるのに、どうして「山の日」がないのであろうか。

我が国は、海と山との自然に恵まれている。海と山の両方の幸に恵まれている以上、
「海の日」があれば当然、「山の日」もあるべきであろう。

自然に感謝する「山の日」を国民の祝日とすべきでないのか。

一年のカレンダーからみれば、国民の祝日がない月は、6月のみである。そこで、私は6月の然るべき日を、「山の日」とすべきではないかと思う。

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July 15, 2007

拉致問題

久方ぶりに、有本恵子さんのご両親と共に、街頭活動を行った。

県議会に設置している「北朝鮮拉致問題早期解決議員連盟」と「救う会・兵庫」との共催であった。

この問題についての、私の基本的考え方は以下である。

アメリカの大統領の記憶に残る演説の一つに、ケネディ大統領の就任演説がある。

Ask not what your country can do for you

ask what you can do for your country.

格調の高い名演説であった。


ただこれは、国家が形成・発展途上にある場合、国民に求める姿勢である。

それから四十年、国民の納税の義務を始め多大な貢献・協力によって現在の成熟した国家が成立している。

ならば、今こそ国家はその善良なる協力者である国民を、守らなければならない。

即ち、故なくして国家主権を侵害し、国民を不当に拉致されたことに、国家は最大限の努力をし、原状回復に努めるべきであると


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July 13, 2007

古池、その後

日本文芸家協会編 『老いたるいたち』読了
その中で、長谷川 櫂の「古池、その後」が印象に残った。

  古池や蛙飛こむ水のおと   芭蕉

この句は、ふつう古池に蛙が飛びこんで水の音がしたと解釈されてきた。
しかし、ほんとうは蛙が水に飛びこむ音を聞いて、心の中に古池が浮かんだという句。つまり、古池の句は詠まれてから300年間、  誤解されてきた名句なのである。
 二つの解釈の違いは「間」があるかどうか。

「古池に蛙が飛びこんで……」という従来の解釈は古池も蛙も水の音も現実のものなのに対して、「蛙が水に飛びこむ音を聞いて……」という新しい解釈では、蛙と水の音は現実のものだが、古池は心の中にある。そこで現実の「蛙飛こむ水のおと」を聞いて、心の中に古池を思い浮かべるまでに一瞬の「間」が生まれる。

 この「間」こそ、いわば日本文化の鍵なのだが、では、なぜこの国では「間」を大事にするか。
 日本の文化は、衣食住や人付き合いで「間」を重んじるのも、夏を涼しく過ごすための方策だろう。物と物、人と人とが近すぎては暑苦しい。
 古池の句も「古池に蛙飛びこんで……」という「間」のない解釈では、簡単な話、暑苦しいのである。


今、青少年問題の一つに「3つの間」が欠けていると言われている。すなわち、「遊ぶ時」・「遊ぶ空」・「遊ぶ仲」だと。
これも暑苦しさの表れの一つか。

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