September 2007

September 30, 2007

議会・議員の責任

大幅な税収減が見込まれる。それに伴い、事業の凍結や繰り延べを余儀なくされる事態が発生した。

こうした事態が発生した場合、議会・議員の責任は、どうであろうか。
当局の税収見込みの甘さを追及するだけで良いのだろうか。
議会・議員は年当初予算案を可決した。予算とは、本年度どれぐらいの収入があり、それをこのような事業にこのように使いますと、県民に約束したものである。

その予定事業が、一部実行不能になった場合、先ずそれを約束した県民に対して「遺憾の意」を表するのが、第一の義務であろう。そして、その姿勢を明確にしない当局側を追及するのが「県民の為の県政運営」に責任をおう議会・議員の責務であろう。

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ryosuke_hara at 17:00|PermalinkTrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

September 27, 2007

新政権の課題

福田新内閣は「背水の陣内閣」と自称して出発した。
ご祝儀相場もあるだろうが、割合評価が高い。

佐藤健志 著「本格保守宣言」を読了。
「保守は本来、既成のシステムをなるべく維持したがる立場、左翼は改革を推進する立場。ところが今は保守派が改革を叫び、左翼がそれに抵抗する。」
「改革は必要だが、成功しない改革に意味はない。抜本的な改革であるほど、慎重に進めなければ失敗する。この点をわきまえるのが
『本格保守』」
「急進主義(過去や現在の全否定)に陥るのを避けつつ、社会の急進性に適応し、社会システムの望ましい方法を見出すこと」と。

これは、「左でありながら右であり続けること」ないし、「全力で走りつつ、ゆっくり歩こうとする」に等しい?

「背水の陣」とは、逃げるべき後がないこと。
逆に言えば、後ろ(身内)から攻撃される心配がないこと。である。

「背水の陣内閣」の成功を祈るのみ。

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ryosuke_hara at 18:19|PermalinkTrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

September 25, 2007

新総理・総裁誕生

昨夕の総理の辞任釈明会見のあと、マスコミ各社からコメントを
求められた。
憔悴された様子は、一年前のハリのある姿勢とは全く別物であった。
「美辞麗句の理念が先行し、それを真に実現する施策や意志に欠けていたという謗りは免れまい。辞めた人・去った人については、言挙げないのが日本人の美徳である。一日も早い健康回復を祈るのみ。」と。

それより一日経過した今日、
突然の辞任発表は「ただ辞めたい」という事だけではなかったか。
昨日の釈明会見も「政界復帰のための布石」だけではないのか。
という憤りのようなものが、湧き上がってくるのを禁じ得ない。

政治家・トップリーダーの責任とは?

実態のない「熱気」に浮かれ過ぎた…。
より「リアリズム」を求める、その想いが新総理・総裁誕生を誕生させた理由か。

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ryosuke_hara at 18:57|PermalinkTrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

September 22, 2007

世襲議員

21日の毎日新聞の発信箱に、中村秀明記者が「この期におよんで」と題しての投稿があった。
「首相になれなかった元外相の子であり、元首相の孫でもある現首相の後釜を、元首相の子と元首相を義理の父に持つ元首相の孫が争う。舌をかみそうだ。ついに首相の世襲も進むのか。いや世襲そのものではなく資質こそが問われるべきである。」

「世襲でも資源でもなく、本当の問題は、話を聞く前から大半の国会議員が態度を決め込むという緊張感のない自民党にあるのかもしれない。」

選択9月号に、日本とイギリスの世襲議員数についての記事がある。

「政治家の子供といえば一定の尊敬を持っている日本に比べ、イギリスの政治家二世は皮肉な、批判的な目の対象となる。様々な視点から政治家や政策を検証し批判するメディア、政策を中心に票を投じる成熟した選挙民の存在。すなわち政治家の候補者選抜制度の違いだ。決め手は公開演説の説得力と地元の活動家からの支持がポイントだ。」と

まさに世襲そのものではなく、資質こそが問われるべきだ。


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ryosuke_hara at 20:00|PermalinkTrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

September 20, 2007

人の評価の難しさ その

小松哲史著「主を七人替え候」を読了した。
「忠臣二君に仕えず」と言われる。それを七人も主を替えた藤堂
高虎は「ゴマをするなら藤堂高虎」と言われるように評判はよくない。
その彼の復権を説く本である。
「サムライとは、生きるか死ぬかで、死ぬ方を選ぶ者。わしは、
死ぬ気で関ヶ原に進んだ。おぬしは生きるつもりで関ヶ原で
待ち受けた。その違いだ。」(家康と光成)
「外様であろうと譜代であろうと、信用できる者は信用できるし、
裏切る物は裏切る。人をはかるには、まずその力量と技量ではかれ。
次にその姿勢と人柄ではかれ。そして最後にその人間が勝つこと
だけではなく、負けることを知っているかどうかではかれ」
(家康の高虎評)

関ヶ原の後、家康・秀忠・家光の三代で、126の大名家が改易
された。
それを生き残ったのは、加藤清正・黒田官兵衛と並ぶ「城作りの
三名人」であったからだけではなく、その生き様・覚悟が単なる
「世間巧者」だけではなかったろう。
高虎は、「数年、昼夜奉公を尽くしても、気のつかない主人であれば、譜代であっても暇を取るべし。うつらうつらと暮らすのは意味が
ない。」と遺訓している。

それらのことを、現代ビジネスの世界に身を置く著者が、
「日本の終身雇用制」に代わる生き方として提示したものである。


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ryosuke_hara at 17:30|PermalinkTrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

September 18, 2007

青春の重苦しさ

藤原カムイ×大塚英志 著「アンラッキーヤングマン´◆廚鯑瀕察
新聞の書評に惹かれて購入したが、マンガ本であった。
マンガを読む?見る?のは、何年来のことであろう。
しかし、マンガと言うよりも、鮮烈な映像の世界であった。
1960年代「戦後日本の青春」の叙事誌である。
戦後の混乱期から、経済発展を迎える中での「昭和の若者」が
共有していた「どこか真摯で重苦しいまでの誠実さ」
それが、石川啄木の詩歌を、ムソルムスキーの「展覧会の絵」の
間奏曲のごとく、展開していく。
それは時代が、昭和が平成となっても、若者の心象風景に変わりはないだろう。
我が青春時代とまさにオーバーラップするものであった。

先日の52才の総理の突然の辞任は、この「青春の重苦しさ・挫折感」の
体験による精神の強靱さの欠如の表れであったか?
まさに「柳に雪折れなし」である。



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September 16, 2007

敬老の日に

敬老祝賀会場に掲示されていた『五省』

軍人に『五省』というものがあった。

一、至誠に悖る勿かりしか
  
一、言行に恥づる勿かりしか   

一、気力に欠くる勿かりしか   

一、努力に憾み勿かりしか   

一、不精に亘る勿かりしか 


その会場の『五省』は、

次の通りであった。

一、姿勢に曲がり勿かりしか

一、言動に縺れ勿かりしか

一、栄養に欠ける勿かりしか

一、歩行に縺れ勿かりしか

一、頑固に亘る勿かりしか



これもまた、老人会入会資格を持った私としては、むべなるかなと感じた。

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September 13, 2007

若殿、ご乱心

昨日、全く唐突に総理が辞任された。
一連の「続投宣言」や「職を賭して」という発言からは、全く予想
できぬことであり、「無責任」のそしりは免れない。
政治家の発言の重みを、改めて痛感させられた。
「けじめ」は、成果を挙げるために身を処することである。その
「けじめ」にもならない。
全ての言葉が、虚しさに通じるだけだ。
「大いなる期待は、大いなる落胆」に繋がる。
「絆創膏内閣」とでも名付くべきか。
本格政権という評であったが、それは過大評価だった。

今回のことは、総理総裁への不信感だけに止まらず、自民党だけでなく政治そのものへの不信感を募らせるのではないか。

「体調不良がその背景にある」という官房長官の発言は、老練な
政治家の気配りの救いの手だ。
日本人は「身を引いた人」を、論わないのが美徳だ。
ただ「選挙に勝てる総裁」という評価が、一年で逆になる政治の
世界の移ろいの早さと非情さを、痛感するのみ。

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ryosuke_hara at 17:51|PermalinkTrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

September 10, 2007

身体検査

本日より、臨時国会が始まった。
重要な政治課題は多々あるが、まず「身体検査」が話題となる。
安倍新内閣は、一ヶ月の期間を「身体検査」にあて、組閣した。
今その閣僚の「身体検査」が不十分であり、その任命責任を追及
されている。
しかし「身体検査」は任命権者だけがするものであろうか?
任命される者も、自らの「身体検査」を、その間、すべきではなかったのか?その双方の「身体検査」が的確に行われていれば、と
思う。
「自らの身体検査」は、「外からの身体検査」よりも正確ははずだ。
横綱の精神的病の、医者の診断書はいろいろあるが「本当にどうか」は、他人にはわからない。
自らが一番実態を知っているように。

出所進退は「推されて進む」・「退く時は自ら決める」
故に、今回の一連の閣僚の不祥事は、単に安倍総理だけに負わせるものではない。
マスコミも、この観点から議論すべきではないのか?

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September 07, 2007

人の評価の難しさ

藤田 覚 著「田沼意次」読了した。
田沼意次は、江戸時代に賄賂政治を行ったとして批判された人物である。将軍の側用人から将軍の厚い信頼を背景に出世するとともに、血縁・婚姻関係で幕閣人事を独占し、その政治に群がる「山師」たちの親玉であり、金権政治を行った、というのが通説である。

それに対し、彼が試みた新田開発・鉱山開発・蝦夷地開発計画は、
いずれもその当時の「国益」にそうものであった。それが失敗したのは、大火や浅間山の大噴火、また飢饉による食料難が原因であって、その
ツケを一身に背負わされたのだ。

意次は「またうど(正直者)」と称され、特に、晩年になって自らの
藩の人事を、家臣の選挙によって重臣を決めようとした、開明的人物であった。

それらのことから、意次の評価を見直そうという趣旨の本である。
彼の弁明書である、「御不審を蒙ること、身に覚えなし」を副題としているのは、その意である。

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