December 2007

December 30, 2007

一年を振り返って

この一年はあまり良い年ではなかった、という思いが強い。
良きことは、4月の選挙で六選を果たしたこと位である。
その選挙の直前3月に、母を亡くした。
その選挙の最中に、父とも慕った後援会長を亡くした。
7月の参議院選挙では、自民党は大敗し、「ねじれ国会」で混迷している。
兵庫県政では、行財政構造改革を強いられている。
そんな中でいよいよ年末年始を迎えた。
この時期は、施設入所の母を実家に迎え、父の仏壇のある部屋で過ごすのが、ここ10年の習慣であった。母は、夜と昼とが逆転しており、徘徊癖があり、夜、母の手と私の手を紐で繋いで、いつどこに動き出すのか分からぬ事態に備えていた。

その母がいない、初めての年末年始である。

母の葬儀の参列者への御会葬御礼の挨拶。
「全ての記憶を忘れ去った母を、元の母に戻すには、父との再会よりない。
父と再会さえすれば、母は全ての記憶を取り戻し、父には良き妻、私達兄弟には慕わしい母に戻ることが出来る。今、母を送ることは、寂しいことだが、
母にとっても我々にとっても、元の母に戻ってくれたことは、喜ばしいことと思わなければいけない。」と。

この年末年始を迎えた今こそ、むしろ良き年であったと言える。

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December 28, 2007

「世論」か「輿論」か

広辞苑では、
  「せろん」又は「せいろん」と牽くと、「世論」。
  「よろん」と牽くと、「輿論」となる。
しかし、TV画面で「世論調査」と字幕に出しながら、アナウンサーは「よろん調査」と読んでいる。

「世論」とは、世間一般の輪 そこに作為的なものはない。
 軍人勅諭では、「軍人は忠節を尽くすを本文とすべし・・・国連の
盛哀なることを弁え、世論(せいろん)に惑わされず、政治にかかわらず・・・」とあるように、
「輿論」の「輿」という字には、
    例えば「御輿」といえば担ぐもの。
即ち「輿」には、作為的な意味がある。

本年一年、TV・マスコミは自ら仕掛けて「輿論」を興し、それを
「世論」として誘導し、世間に押しつける現象が目立ち過ぎたのではないのか?

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December 26, 2007

少年十字軍

クリスマスに必ず読み返す本がある。
Marcel Schwob(1986〜1905年)のLA CROISADE DES ENFANTS「少年十字軍」である。
これは大学で第二外国語のフランス語の副教材であった。
「少年十字軍」とは、十三世紀初頭にフランスやドイツで自然発生した聖地巡礼を目指す少年少女の集団で、その史実に基づき、托鉢僧、らい病患者、教皇、子供たちに語らせる物語である。
キリスト教の聖地、イエルサレムを奪還しようという熱意に駆られた十二歳未満の子供たち(実に三万人に及んだと言われている)が、武器を持たずに、ただひらすらイエルサレムに進軍する話である。
惨めに斃れるのだが、その姿を見ていた老僧が次のように言う。
「イエルサレムは遠く、あの子らはイエルサレムまで行き着けまい。だが、イエルサレムの方から彼らの許に来るであろう。すべて聖なるものは悦びに終わる。」と。
この他にも、心を打つ子供たちの話がある。

「BLANCHE」・「白い」がテーマであり、これは「あどけない・無邪気な」という意味と「聖なる清浄と病醜と虚無」が結びついている。

37歳の若さで夭折した、薄命の人の薫り高い「魂の救い」の物語である。

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December 24, 2007

健康の秘訣

昨日は、今上陛下の御誕生日であった。
昭和天皇・皇后は、お二方とご長命であった。
その昔、宮内庁病院の医者から、このお二人の健康法について話されたことがある。

「健康の秘訣は、ゴマと塩と梅である」と

「ゴマをする」は、今では、あまりいい意味で使われないが、その昔は、ゴマをすって、いい油を出し、それを日頃、お世話になっている人達に感謝の想いを込めて、献上する。という意味であった。植物性の油は動物性のものより身体に良い。

人の健康状態を問う時に、「どんなアンバイですか?」と聞くが、
このアンバイという字は、塩梅と広辞苑に出ている。
「塩」は出来るだけ控えめにすること
「梅」は身体に必要なもの。
そして、「梅」は、出来るだけ大きい梅の方が良いと言い、小さな梅で良いのは、「赤坂小梅」だけだ。とオチをつけられたのを思い出す。
このジョークを分かる人は少なくなった。赤坂小梅とは、「昔の歌謡歌手」である。

「十年一昔」というが、「昭和」は「ふた昔」ということになる。
まさに「昭和」は遠くになりにけりだ。

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ryosuke_hara at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

December 21, 2007

もういくつ寝るとお正月

もう今年も残り十日。
「こんなにも月日の歩みが早いものか。」というのが実感である。
幼少の頃は、「早く来い、早く来い」と待ちわびる位に、月日の歩みは遅かった。
それだけ毎日毎日が充実し「身につけるべきもの」が多かったのだろう。
60を超えて月日の歩みが早いのは、「身につけたもの」を放出する方が多いからだろうか。

ある人曰く
「一年というものの長さは、年齢分の一だ。
すなわち10歳の子供には、全人生の十分の一。
    60歳のものにとっては、全人生の六十分の一。
老境になれば、一年が短くなるのは当然だ」と。

「90年代の証言 森 喜朗 自民党と政権交代」を読了。
森 喜朗氏は、おおらかな人柄で「ワキ」が甘かった故か、(「モリキロウ」をもじって「シンキロウ」と呼ばれたこともある。)総理
在住中はマスコミから失言を追及されることが多かった。
しかし、自民党が野党時代、独特のバランス感覚、幅広い人脈を
生かして根回しの周到さで、政局を大きく転向させた。
最近は、「政界のご意見番・ご指南役」として出色の人柄である。

それも、永年培ってきたものを 放出しているからであろう。
現在の「ねじれ国会」での発言力はますます増大するであろう。

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ryosuke_hara at 17:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

December 19, 2007

ルミナリエ終了

本年は開催期間を短縮したが、400万人の来場者があった
とのこと。
経費面から見れば、開催費用はざっと6億円。作品の制作費に
2億円超。雑踏警備に1億5千万円。財政難の故に来場者に100円募金を呼びかけた。
来場者の協力ももちろんだが、製作者にも「慰霊と鎮魂」の意味で
協力を求めるべきだろう。

難解な戯曲「ファウスト」の終章は、「瞬間(とき)よ止まれ、汝はあまりにも美しすぎる」である。
その作者であるゲーテの最後の叫びは、「もっと光を!」であった。
確かに光は、人々に希望と慰めを与えてくれる。

ルミナリエは神戸の冬の風物詩として「苦難・悲しみを癒す輝き」
は語り継ぐべき震災の記念行事として定着している。
一方、このクリスマスの時期に全国各地で開催されている「光のページェント」との区別が明確でない。一部の不心得者の行儀の悪さから、会場の清掃に多大の経費を要する。また、「鎮魂の意味を込めるなら、12月ではなく、1月17日前後にやるべきだ」という声もある。

13回目を迎えて、今後どうするか、いつまで続けるか議論をすべき時だろう。

ただ一つ言える事は 
「始める」は易く、「終わり」は難しい。                                     例えば、「喫煙」・「飲酒」     それだけではない。
「結婚」は一時の感情で、「離婚」はそれに倍するエネルギーがいるとのこと。

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ryosuke_hara at 20:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

December 17, 2007

二つのインタビュー

昨日のサッカーのクラブ王者決定戦で、日本チームは3位になった。
その試合で得点を挙げた外国人選手は「日本での最後の試合」で
これを機に帰国する。
その選手のインタビュー(10チャンネル)、
自分の成すべき仕事を成し終えたという満足感と、チームメイトへの感謝の言葉は感銘を与えるものであった。

引き続き放映された、前総理のインタビュー(4チャンネル)。
突然の辞任の真相を打ち明けたものであったが、政治家は、
「結果責任を負うもの」、辞任の理由付け、言い訳は、政界から完全に身を引いて、「回想録」として残すべきもの。
単に、今後も引き続いて政治の世界に身を置きたいという願望にすぎない。
保守本流の主張を今後展開するという発言は、それが正しいものであっても、果たして説得力を持つものであろうか。
いささか自分を客観的に見るという視点が、欠けていると言わざるを得ないだろう。

二人のインタビューには説得力という大きな落差があった。

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December 15, 2007

三ツ星レストラン

先日、東京でのミシュランの三ツ星レストランの発表があった。

神戸新聞の夕刊、「随想」欄に、美木 剛さんの「南仏のパラソルの下で」という記事があった。
美木さんは神戸の「ジャン・ムーラン」という店のオーナーシェフであった。本当に美味い店で多くのファンを持っていた。
急に店を閉じてフランスにロングステイした人である。
「百貨全書が生まれた国だけに、物事を微に入り細をうがち区別する。区別と差別はわずか一歩。この差別こそ、フランスの特徴。
自由・平等・博愛は、フランス革命のテーゼだが、そんなものがないから、スローガンになったのであり、それは今も同じ。フランス人はひたすら差別。レストランの格付け、ワインの等級から超大学の存在等、よくこれだけ差別するものと。当然、日本人もその中に入っている。これを忘れては暮らせない。」と。

イギリスも、貴族階級と労働階級は明らかに区別されている。
アメリカも、明確な格差社会である。
日本は、「金太郎飴・羊羹」型の均質社会である。

「格付け」などにこだわらなかった、この美木さんは、この度ミシュランの格付けレストランをなんと受け止めたか聞きたいものである。

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December 13, 2007

本年の漢字

日本漢字能力検定協会が公募で選んだ、本年一年の世相を代表する漢字として「偽」が選ばれた。

老舗菓子店から一流料亭まで及んだ食品偽装を初め、年金問題や防衛省の汚職、また横綱の品位やボクシングの大言壮語など外見と内実の無惨な落差など、「偽りのもの」であり、人々を呆れさせた今年は、確かにこの字しかなかろう。

昔、国語の先生に教わった事
人偏に「為」と書いて、「偽」となる。人の行為は偽りが多いというのが「偽」の字源であると。


そんな中で「生命之光」12月号の後ろ扉に掲載された詩
「ひもの音」
年末になると毎年とどく、実家からの小包。
正月のための丸餅、漬物、地酒。
そして母の得意な、がんもの煮物・・・。
段ボール箱にすきまなくつまったふるさとの味。

その小包を開く前に、私は必ずやることがある。
縛ったひもを指ではじく。
パン、パン。
「うん、いい音。母は、今年も元気ね」
私はそんなひとりごとを言う。

荷造りの仕上げに、
ひもをぎゅっと縛る
母の姿が目に浮かぶ。     (町山峰子)

この母からの小包は、ブランド品はなくても真心がこもったもの。
「偽」のものなどあろう筈がない。

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December 10, 2007

民族の歴史として

12月8日は、66回目の「太平洋戦争の開戦記念日」であった。
各マスコミとも、この事に触れたものはなかった。
この戦争が自衛戦争であるのか、侵略戦争であるのか、その事の
論議は別として、この日、我が国が全世界を相手に戦争を始めた
事実を忘却していいのだろうか。

優れた文明評論家の山本七平は、「空気の研究」で
日本では、「空気」が出来てしまうと、みんながその方向に行ってしまう。戦争がそのいい例だ、と指摘している。

8月15日の敗戦の日には、大々的に戦争の悲惨さを取り上げる。
しかし、戦争を始めたその日を、民族の歴史として忘れぬように
論及する事こそ必要ではないのか。
戦争に至った「空気」への反省こそ、この日にすべきではないのか。

「民意もあやまつ」
「全員一致は、まず間違いと心得る」
これらは、ユダヤや西欧の知恵だけではない。

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ryosuke_hara at 08:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜