February 2008

February 29, 2008

宝石箱

児童福祉、特に家庭的に恵まれない子供を預かる施設の責任者として、永年献身された享年88歳の女性の葬儀があった。
この方とお目にかかるのは年に数回であったが、園児やお世話する人への訓辞(それは訓辞と言うよりも、この人の生き様そのものを語るものであった)は説得力に満ちていた。

姿を見るだけで、その人の生き様を感じさせる人がいる。優しい眼差しの人であり、品格を持った「慈母」というにふさわしい雰囲気の人であった。

その基本的な姿勢は、信仰に裏付けられており、常に言われたのは、
「子供は玉(たま)である。磨けば磨くほど宝石になる。立派な宝石はそれにふさわしい宝石箱が必要である。宝石箱(子供の育つ環境)をこしらえるのも、玉を磨くのも、大人の責任である。」であった。

教育の成果が挙がるか否かは、「教える側」の問題にかかっていると思うが、本日の葬儀に参列して、更にその想いを強くした。


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ryosuke_hara at 16:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

February 26, 2008

ゆとり教育と学力

「15の春は泣かせない」というスローガンのもと、高校入学が緩和され、その流れを受けて、文部科学省の鳴物入りで「ゆとり教育」が導入された。
昨年43年ぶりの学力調査で、我が国の学力が低下しているとのことが明らかとなり、「ゆとり教育」を見直そうという動きが出てきている。

「学力」とは? 単なる知識の集積ではなく、直面する具体的課題を解決する「対応力・応用力」であり、その基盤となるものであろう。
その具体策として、教員の免許更新制や研修が言われているが、あくまで教育の基盤である人間性に関わるものが問題であろう。
「学力」は、結局のところ、「教える側」の問題でもある。教員の質の問題のみならず、家庭・地域を含めた「教える側」である。

このたびの調査で、日本一の学力は秋田県である。ちなみに秋田は学習塾の少ない県であるのは、象徴的である。
世界一の学力はフィンランドである。
くしくも共に雪の多い地域である。逆境が知恵を生み出したと言えようか。

極端から極端へ動くのが、日本人の習性だが、「ゆとり教育」の見直しが「あせり教育」にならぬよう冷静に対応すべきだ。
教育は何にもまして、未来への準備であるからだ。


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ryosuke_hara at 17:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

February 23, 2008

論点の欠如

イージス艦と漁船の衝突事故が発生。
漁船が操業している海域を、自動操舵の運行が許されるのか。
漁船員の救助体制は速やかに講じられたのか。
事故発生後の、報告体制は万全であったのか。
事故発生後の、被害者側への対応は万全であったのか。
防衛大臣の責任論をはじめ、色々論ぜられているが、最も重要な論点が欠けているのではないか。

今回の場合、なんら敵意のない漁船であったが、これがもしテロリストをはじめ敵意のある相手である場合、こんなに簡単に衝突を許せば、国防上の大問題をきたす。
その認識が、イージス艦側に、また自衛隊にあったのか。
如何に日本国内領域の運行であったとしても、そういう外敵の存在は、常に念頭にあるべきだろう。

イージス艦は最新鋭の装備艦だという、それは国民の財産である。それを預かっている認識が欠けていると言わざるを得ない。
如何に最新鋭の装備であっても、それを操作する人間の心構えこそ問われている論点であろう。


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ryosuke_hara at 18:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

February 21, 2008

現代版の「徒然草」

養老孟司 著「養老訓」を読了。
学者として「分」を守って生きてきた人の老境の心境の吐露である。
私利私欲・我を捨てて、感覚的に生きる事を説いている。
今の日本人は同じ固さの平地しか歩いていない。
田んぼを歩けば、田んぼの中と、あぜ道と、草の生えている所と、裸の土地と、霜柱と、全部感覚的に違う。それを感じ取ることこそ求められている。

「戦後の日本は、本当の意味での「市民」を作るのに失敗した。
作られたのは「市民運動」だけだ。ここで言う市民は、「自分の力で生きている人たち、即ち、自分たちの身の回り、地元の事はなるべく自分たちでやっていこうという人たちである。
本来の市民運動の市民も、こういう状況を目指している人たちであろう。
ところが日本では、自営業が少なく、ほとんどがサラリーマンだということも、市民の不在と関係があるのだろう。

「昭和30年代あたりまでの日本には人情があった。」と最近よく言われるが、それは個人の資質の問題ではなく、その頃にはそういう世間の構造が残っていたという事だ。
昭和30年代の人が温かかったのではなく、まだ世間、つまり古い共同体の名残・市民の存在があったということである。
現代日本の課題の一つは、個人の「利益追求」のあまり、原理主義にこだわって共同体意識を捨て去った事に起因している。
今後日本で新しいタイプの共同体をどうして作り上げていくかが、問題である。
一読して、兼好法師の「徒然草」を彷彿させた。


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February 18, 2008

アメリカ大統領選挙 −其の供

民主党のアメリカ大統領候補として、ヒラリーとオバマが激しい争いをしている。
大方の予想によれば、三月はじめに行われるオハイオ州・アラバマ州で、オバマが一つでも勝利すれば、雪崩現象が起きるとのことである。

慶應義塾大学の故 中村菊男教授の「政治家に必要な資質」の指摘
強いエネルギーを持っている(健康でエネルギッシュ)
感受性が強い(世論・国民のニーズを敏感に感じ取り、意見を集約する)
折衝力や交渉力に長けている(政策遂行のための調整力)
弁舌や文章力など自己表現力に優れている(啓蒙や説得、人心掌握)
組織力に長けている(人を集め活用する力、豊富な人脈)

更に政治家本人の性格上の資質としては、親しみやすさ、О匕掘△魏辰┐討い襦親しみやすさがなければ、指示を得られないし、威厳がなければ馬鹿にされてしまう。

その点から言えば、オバマに勢いがあるように思われる。

一方、人間には、暗記力や運動能力といった「流動的知性」と、それらを統合して、自分の経験・知識などに照らし合わせながら、その場に相応しい結論を導くという「結晶性知性」がある。もしこの「結晶性知性」が本人に備わっていなくても、それを自覚して、自分に足りない「結晶性知性」を自分以外の人間、つまりブレーンに託することで、大きな仕事をやり遂げることができる、というのである。

ブレーンという面から見れば、ヒラリーには前大統領のそれを引き継ぐことができる。
その点、オバマのそれは、未知数である。「CHANGE」の中身が未だ明らかにされていない。という不安感はある。

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February 16, 2008

アメリカ大統領選挙

昨日の神戸新聞情報文化懇話会2月例会は、東大教授藤原帰一氏の「次期大統領選挙に向けたアメリカと日米関係」と題する講演であった。
アメリカ政治史の大学講義そのままの熱弁であった。
特に共和党・民主党の支持母体の変遷を中心に、次期大統領選挙の動向を見据えたものであった。
現政権の政策継承は、全ての候補者が否定している。
「CHANGE」がキーワードだが共和党政権が続こうと、民主党政権が、ヒラリーになろうとオバマになろうと、アメリカ国内政治は大きく変化するであろう。それ故に政治学者として大いなる興味なる対象であるが、国際政治の観点から見ると、大きな変化は生じない。とのことであった。

イラク戦争の膠着状態が続く限り、ヨーロッパのアメリカ離れは益々進むであろうし、アジアにおいて米中関係が重視されることは間違いない。
アメリカの対中投資の現状からみると、米中関係の大きな変化は有り得ない。
対北朝鮮関係についても、中国の意向が重視されるであろう。

そのような中で、日本はどう対処すべきなのかが問われている。

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February 14, 2008

育て、見守る姿

先日、委員会の視察で、淡路景観園芸学校を訪ねた。
これは、学校教育法の適用を受けない県立の教育研究機関として10年前に開設されたものであり、花と緑による、ゆとりと潤いのある美しい環境の創造を目指し、人と自然が共生する美しく安全・安心かつ快適なまちづくりに寄与することを設置目的としている。
有能な人材を育成し、世に送り出したが、卒業生の資格という意味では正当な評価を得ていない。この度、この学校は専門職大学院化を目指している。10年間の実績をふまえて是非とも実現させたいものだ。

日本の庭園美は、内向きのものである。美しい庭を塀で囲ってしまう。これに対して、外国のそれは、外向きであり、通行人もその美を鑑賞できるようになっている。美しい町づくりとは、そうあるべきであろう。
マンションの窓に洗濯物・布団が干してあるより、花が飾られている方が遙に生活の余裕を感じさせる。

医療・介護に「音楽療法」の有効性が言われているが、同様にこの「園芸療法」も認知されるべきであろう。さらに小中高の生徒達の情操教育にも役立てるべきであろう。

キャンパスを案内し、この学校の特徴的システム(少人数・全寮制・実習主体)を説明する石原校長の姿。彼こそ、この学校の創設の発想者であり、その校庭に立つ姿に、JAMES HILTONの「GOOD-BYE,MR.CHIPS」のCHIPS先生の姿(校長退任後も、学校の側に住まいし、生徒を見守った。)を彷彿とさせた。

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February 11, 2008

建国記念日に

日本人は世界でも稀な平和愛好民族であることは、各国の国歌を比べて見るとよく判る。
アメリカ国歌は4番まであり、
「狼煙の赤き炎立ち 砲音宙に蠢く中耐え抜き 旗は猶其処に在り」
イギリス国歌は6番まであり、
「その強き祐けにより 勝利をもたらしめむ 乱を制しめむ 轟々たる濁流の如くして」
フランス国歌は2番まであり、
「武器をとれ 市民らよ 組織せよ 汝らの軍隊を
いざ進もう!いざ進もう!汚れた血が 我らの田畑を満たすまで」
中国国歌は、
「起ちあがれ!奴隷となることを望まぬ人びとよ!一人ひとりが最後の咆哮をあげる時だ。敵の砲火をついて進め!進め!進め!進め!」
いずれの国歌も戦いを前提とし、その敵を打倒する心意気を表している。

一方、我が日本の国歌は、
「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」
ここには、敵もなければ、戦争もない。

21世紀、日本が生き残れるかは、その覚悟次第であるが、これら敵の存在を当たり前と思っている国々と、今後どううまく付き合って行くかが大きな課題であろう。

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February 08, 2008

21世紀

先日の日本経済新聞に、東大の山内 昌之教授が投稿している。
「20世紀は血なまぐさい状況の続く時代だったが、経済の実質ベースは未曾有の進歩があった。
一人あたり国内総生産(GDP)は、16世紀から19世紀までの400年間で、約50%だけ増えたのに対し、19世紀から20世紀の100年間で、6.5倍にも膨張している。
経済力の伸長に反して、20世紀が極端な暴力・戦争の世紀であったのは何故か、その理由として
複数の民族が混交しながら平和に生活していた地域でも、政治的に分離が進んだために、対立感情が助長されたこと。
経済成長にばらつきがあり、物価や雇用状況が急激かつ大幅に変化したせいで、社会と経済の両面で、緊張が高まったこと。
20世紀の初頭に世界を支配していたヨーロッパが、「西欧の没落」で崩壊し、アメリカ・ソビエト・ドイツ・日本などの新勢力が台頭したこと。
こうした状況は、そのまま21世紀に繋がる特徴となるであろう。」と。

その指摘は、正しいと思うが、加えて
21世紀の担い手として、新しく中国とインドが台頭するであろう。
21世紀の世界人口は78億人と推定され、その数字を100人とすると、人口比で中国人は19人、インドは17人、アメリカは4人、日本は1.5人である。
大国が興るときは必ず大きな国際紛争が起こる。
人口爆発による、食料・エネルギー・環境面ですでに、その兆候がみられる。
アメリカは軍事大国として確実に生き残れるが、日本はどうであろうか。
その覚悟次第である。

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ryosuke_hara at 17:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

February 06, 2008

剣の極意と易の卦

好村兼一著「侍の翼」を読了。
大学在学中に剣道指導のため、フランスに渡り37年。58歳にして剣道8段の著者の書き下ろし作である。
「雲水の、行方定めぬ、草枕、見果てぬ夢や、いざ立ち行かん。」
「雲水の、行方定めぬ、草枕、夢の限りは、無しとこそ知れ。」
この両句の間にある、「死への覚悟」と「生への願望」が、この作品のテーマである。

剣道の極意と、易の卦の二つの観点から「人の生き方」を問うたものである。

易の卦の一つ、「天雷无妄(てんらいむぼう)という言葉。无妄とは妄り无し、即ち偽りも迷いも無い、ありのままの状態を言う。天の運行は晴曇風雨と、様々な象となって現れ、そこになんら天の作為は無いのに、地上の我々は得てして慌てふためき、作為をもってそれに反応してしまう。天に対して作為は要らない。ありのままの応ずるだけだ、とする心境。

若くして夭折した兵庫二区の、奥谷とおる議員(剣道有段者)が県議在職中、剣の極意について触れたことがある。
「剣道の極意の一つに「守破離」がある。最初は、師からの教えをしっかり守る。そして基本を身につけ、やがてその壁を破り、ついに、師から離れて自分の独自の境地を開く。」と。

この著者も、剣道の極意から離れた心境になって、これを書き上げたのであろう。

ありのままに生き抜く。そこに人生の不思議がある。
その生き方をした人間に、自由に生きる「翼」が与えられる。それが「侍の翼」という題名となっている。

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ryosuke_hara at 18:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜