March 2008

March 31, 2008

帰るべき所

「挨拶をきちっとすることが人間の基本である。」
このことは、卒業式や入学式、入社式でよく言われる。

亡き母と妻の共通の趣味で、私は毎朝「御点前」を頂く習慣がもう40年続いている。
茶道の世界で、「一期一会」の教えの中で、挨拶の基本が説かれている。
家を出掛けるとき、「行ってきます」
家に帰ったとき、「ただいま」 と言う。
本来のそれは、「行って、無事に帰ってきます」・「ただいま、無事に帰ってきました」である。即ち、「無事に帰るべきところ」、それがその人の最も大切な所である。

それぞれの人の最も大切な「帰るべき所」、それは「家庭」であり、「家族」であろう。
その想いの希薄さが、社会不安の一因であろう。


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March 28, 2008

作家と作品を支える人

「人情もの」・「下町もの」の庶民生活を描く第一人者に、山本周五郎がいる。
その山本周五郎の研究家に、竹添敦子がいることを最近知った。
彼女は本来ドイツ文学の研究家だが、すっかり離れてしまい、山本周五郎の研究に打ち込んでいる。

彼女の分析によると
「山本周五郎の作家人生を支えたのは、二人の妻である。」と
いわゆる糟糠の妻であった、きよい夫人は四人の子を育てながら、彼が作家として一定の評価を得られるところを見届けた。しかし、高等教育を受けた彼女は、黙って従うだけの妻ではなかった。作品の中には凛とした、しかし自分を失わない女性が数多く登場する。代表作の一つの「日本婦道記」に登場する妻たちは、彼女の生き様の影響であろう。
きよい夫人は30代の若さで亡くなった。敗戦直前のことである。その後、きん夫人と結婚した。下町育ちのきん夫人は、前夫人とは全く違ったタイプだったらしい。「おたふく物語」など、いわゆる「下町もの」の傑作は、きん夫人との再婚がなければ、作想できなかったろう。

周五郎の最晩年の著作、「長い坂」で、主人公を支える「つるとななえ」の二人の女性は、まさに「きよい夫人ときん夫人」の象徴でもあったろう。

彼の二人の妻への「究極の愛情表現」が、名著を産んだと思う。

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March 26, 2008

歴史の疑問点

信長是非に及ばず (文藝書房文庫)


柴山芳隆著「信長−是非に及ばず−」を読了。
著者の、信長の心情分析である。
「宣教師から聴くヨーロッパの偉人や天才たちは、ひとしく普遍性への意思をもっている。普遍性への意思が天才の必須の条件であるのだ。そして、自分の場合は、天下布武こそがそれに当たるのだ。
天才は、知らず知らずのうちに針のようなものを放射し、毒を含んだ鬼気のようなものを発散しているのだ。
そして、天才の放射する見えないその針、毒を帯びたその鬼気に耐え得る者はまた、天才ただ一人であると信長は悟った。」
その為、残虐非道な行為も顧みることなく、天下統一を実現せんとした。
その望みが、光秀によって絶たれた時、「是非に及ばず」としたのである。

これら戦国武将の物語を読むときに、不思議に思うこと。
歴史家は「誰が先陣であったとか」、「誰が裏切ったのが勝敗を分けた」の分析はしてくれるけども、大軍団の戦闘に先立つ食料の確保や寝泊まりするところの手配とか、特に5万人とか10万人という大軍団の排泄物の処理を如何にしたか、について触れていない点である。

誰か、これらの疑問に答えてくれる人はいないのか?

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March 23, 2008

保育園の卒園式で

「皆さんは卒園証書を頂く時、大きな声でハイと返事し、アリガトウゴザイマスと挨拶できました。もう立派な一年生になれますよ」

「保育園にないものが小学校には沢山あります。これから小学校に行くと今までよりも学校も運動場も大きくなり、お兄さん・お姉さんもお友達も増えます。お勉強することも沢山増えます」

「しかし、保育園にあったものが、小学校に行くとなくなるものが、あります。それは保育園では神さま・仏さまに毎日ご挨拶をしましたが、小学校では、それはありません」

「小学校に行っても、お父さん・お母さんと神さま・仏さまにご挨拶する事を忘れないようにして下さいね」と

日本の公教育では、宗教について一切触れないことになっている。これが現在の社会の最大の問題点であると思うからである。

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March 21, 2008

通貨

堺屋太一は「チンギス・ハン」の中で「人類の文明」の要素として、六点をあげている。
人類は先ず弓矢を持つ事で優れた戦闘力を備え、組織行動を修得した。
火を加えて土器を作り、食べ物を調理する事を知り、加工の技術と習慣を得た。
   おそらく蓄蔵・貯蔵の発想もここから生まれた。
牧畜により他の動物を意に従わせる術を知った。
   この発想と技術によって、人間社会の階層化へと発展させた。
農耕、これにより文明は飛躍し、人類は暦と数学の概念を持った。
文明の発明、これにより記憶と叡智と怨念を蓄積し、歴史と情報の共有が出来た。
通貨の発明。これによって物財や役務の交換が確実になった。
   これにより国家運営が確立された。  としている。

特に大軍団を組織し、各地を転職する為には、「通貨」の存在は不可欠であったろう。なぜなら長期遠征には、兵員の補充・武器の補充が必要である。
特に食料の補充について、現地調整・略奪だけでは不可能で、「通貨」が無ければ出来ない。「通貨」によって、領民の民心を安定させ国家運営が可能となるからだ。

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March 18, 2008

スタートの躓き

兵庫県の平成20年度予算が成立した。(正式議決は21日である。)
厳しい財政運営を強いられている自治体として、行財政構造改革元年のスタートの予算である。
平成19年度の大幅な税収減から、構造改革を余儀なくされ、平成20年から10年間で、財政の健全化を図ろうとする、スタートの年の予算である。
当初の当局案は、経済成長率を全国の経済成長率と同率で見込んでいた。議会側の働きかけにより、全国と兵庫県の経済成長率の乖離率(0.85)に改訂させた。

ところがそのスタートの本年の昨今、急激なドル安や円高により、1ドル=100円を12年ぶりに割り込むような趨勢になっている。これは日本経済にとって大きな成長阻害の要因になるであろう。急激な株安により、個人消費の伸びは落ち込むであろうし、税収見込みは、見込み通りにはならないだろう。
行革スタートの年から「見込み違い」となり、平成19年度と同様の財源措置を取らざるを得なくなるのではないか。減収補填債を活用するとしても、借金は借金である。
借金を減らす為の「行財政構造改革」が、更に借金を増やさざるを得ない事態からスタートするのは、皮肉なものである。

行財政構造改革については、毎年度のフォローアップが強く求められる次第である。

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March 15, 2008

偉業と、それを支えるもの

堺屋太一著「チンギス・ハン全四巻」を読了。
13世紀の広大なモンゴル草原で、各部族が小競り合いをする限界を痛感した、チンギス・ハンが「人間に差別無し。地上に境界無し。」のスローガンのもと、史上最大の大帝国を築き上げる物語である。

即ち、身分・人種に関係なく人材を登用し、目標実現のために「情報」・「通商」という新しい価値観を活用、中世的な伝統や因習を破壊し、強力な中央集権を実現させ、グローバルな帝国を築き上げたのである。
「情報」の重要性を知り尽くす旅芸人、「通商」を担う隊商を率いる商人との出会いは、印象的である。

その発想法は、四段階を踏んでいる。常に目指す理想(ビジョン)、実現の概念(コンセプト)、実現する筋道(シナリオ)、象徴的手段(シンボル)の四段階である。
これらは、今の実業の世界でも通用するものだ。

それに加えて、この偉業を支えたものは、「補給」という概念であろう。

著者は
「豊臣秀長」で、天下統一の第一線に立つ秀吉の後方支援役の、秀長を描き、
「峠の群像」で赤穂浪士の討ち入りの宿願を支えた人々を描いた。
いずれも、「後方支援・補給」の重要性に着目した歴史小説である。

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March 13, 2008

「<である>ことと<する>こと」

岩見隆夫さんが、世界と日本を考えるエッセー集の中で、「一発かます」「なめられてたまるか」として日本外交の不甲斐なさを論じている。
その中で政治思想史のオーソリティーだった丸山真男教授が「時効」について「<である>ことと<する>こと」の違いの解説を引用している。

「金を借りて催促されないのをいいことに、ネコババを決め込む不心得者がトクをして、気の弱い善人の貸し手がソンをする結果になるのは、不合理な話だが、権利の上に長く眠っているものは、法律の保護がないのだ。」と。
「請求する行為によって時効を中断しない限り、自分は債権者であるという地位に安住していると、ついには債権を喪失する」のが時効制度だが、現在の日本外交にも当てはまるのではないか。

債権を「日本の平和」に置き換えてみるといい。気の弱い善人の日本国は、平和「である」ことに安住して、いかにして平和を守るかという議論を「する」ことを怠っていると、ついには時効がやってきて、「日本の平和」を喪失する、という警告である。

アメリカと同盟関係に、全てを委ね(イザという時に本当に日本を守ってくれるのか)、今、我が国は何を主張し何を守るべきか、またその為に何を成すべきか、気概を持って議論する事のなさを嘆いている。
彼が自称している「小言幸兵衛」の面目躍如である。

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March 10, 2008

「挑戦」する「謙虚さ」

大相撲の春場所が始まった。
その日にマラソンの女子五輪代表選考レースが行われた。
期待の高橋選手は、意外な惨敗であった。
体調不良もあったろうが、序盤で優勝の望み(五輪代表)はなくなったが、最後まで完走した。随分辛かったろう。
先日、もう一人の挑戦者、福士選手も期待されながら、終盤で失速し、望みを絶たれたが、最後まで完走した。これも随分辛かったろう。

両者とも、五輪出場の望みを絶たれた段階でも、レースを棄権せず完走し、「完敗を認め、挑戦しえたことへの感謝」を表明した。
マラソンという競技への畏敬の念を表し、勝つ事の難しさを感じさせた。
望みを絶たれても、完走する事によってむしろ、勝利しえた事への感謝と幸運を改めて知るからであろう。

「お帰りなさい」の横綱は、「勝つ事」しか知らぬ故、「謙虚さ」がない事が問われているのであろう。

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March 08, 2008

男まさりの「タンカ」

_SL500_AA240_[1]内館牧子著「お帰りなさい朝青龍」を読了。
真に大相撲好きな作者の痛快・爽快なエッセイ集で、男まさり・江戸っ子気風の薄っぺらいマスコミ・世論への「タンカ」で、一気に読ませた。

横綱審議委員としての「覚悟」のほどは「言うべきことは言い、伝えるべきことは伝える、そのために通年で自分の席を買いしっかり見る。ろくに大相撲を観戦しない委員に、力士をとやかく言う資格はない。」に尽きる。

大相撲は「神事」に裏付けられているから「勝つ」という勝負性を「縦糸」とした上に、さらに「横糸」がある。これが面倒くさい「品格」だの「歴史」だの「伝統」だの「文化性」だのというものだ。
それが国技として、単なる競技スポーツと違うことを認められている所以である。

問題の横綱に対しては、基本的姿勢として
力士としての運動能力・スピード・技の切れ味を高く評価しつつ
「外国で稼がせてもらい、外国で暮らし、外国で恩恵を受けているのに、外国に対する敬愛の念がまったく見えない事」この一点に尽きる。

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