April 2008

April 30, 2008

歴史家の視点 怜悧な目と熟れた手

半藤一利 著「日本国憲法の二〇〇日」を読了。
この人の歴史家としての出発点。それは、東京大空襲の悲惨な体験である。
戦争体験の全くない戦後生まれの知識人達を、永井荷風をして「笑う可し」と言わせ、この著者をして「能天気なことよ。」と言わせるのである。

それにしても、半藤一利さんの「引用の妙」は、独特のものである。夥しい資料から、意外な話、納得させられる話、馬鹿馬鹿しい話、胸打たれる話を、自由自在に引いてくる。それらを単につなぎあわせるだけでなく、大きなタペストリーに仕上げている。
このタペストリーの太く強靭な縦糸は、歴史の流れを見通す透徹した眼差しによって紡がれている。そして無数の横糸は、人生の機微に通じ、市井の喜怒哀楽を丁寧にすくいとる指先が練り合わせたものである。

「怜悧な目と熟れた手」・・・この特質が、半藤一利という人物を、司馬遼太郎亡き後、一級の日本の近・現代史の語り部として、また、昭和史研究家・作家としているのである。

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ryosuke_hara at 18:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

April 28, 2008

独立記念日

昭和27年4月28日は、日本が第二次大戦の敗戦による 6年間の占領から解放され、国家としての主権を回復した日である
この日から日本への検閲や強制はなくなり、国旗「日の丸」が掲揚できた日である
この事をほとんどの日本人は忘れ去っている

「建国記念日」が、日本の誕生日であるならば「独立記念日」は新生日本の再誕生日であり、現在の我々は、その再生・新生日本の成果を享受しているのである
マスコミは 8月15日の「終戦記念日」に戦争の悲惨さを強調する
「独立記念日」を認識することこそ、真に過去の歴史・戦争という愚行を反省することではないのか・・
「終戦記念日」よりも「独立記念日」のほうが、遙に大切であろう
「独立記念日」こそ 新たな出発点であり その時の決意が今どう生かされているか検証すべきではなかろうか

以来、約60年の検証として、昨日の山口2区の選挙の結果は、わが国の「官僚制度」への不信感の表れが、その一因であったように思われる。

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ryosuke_hara at 16:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

April 26, 2008

「優しそうな人」と「強い人」

わが妻が、意気込んで話しかけてきた
内館牧子さんが、こう言っている
「女たちには取っておきの言葉がある。この言葉は脚が短かろうが、ファッションセンスがハチャメチャであろうが、どんな男にもピタリとハマるほめ言葉があるのだ。『優しそうな人ね』これである」。
『友達があなたのこと、優しそうな人ねって言ってたわ』と伝えられたら、それは『ほめようのない男』ということに等しい」と
まさに『優しそうな人』とは、あなたの事よと、

それに対してのお返し
お前が嫁に来たとき、後援会長が、「こんなおとなしい人が政治家の嫁が務まるだろうか、と案じたが、今は、そのヒヨコが充分にメンドリになった」と

私に言わせれば「メンドリどころか、シャモ(軍鶏)になった」と

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ryosuke_hara at 09:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

April 23, 2008

法三章

昨日の光市母子殺害事件の差し戻し控訴審での、元少年への死刑判決
当然の事と思う
「人権擁護」の掛け声の下、加害者の人権のみが尊重され、本来保護されるべき被害者側の人権が、あまりに無視されている風潮に対する警鐘として受け止めるべきである

法律は、(税制も含めて)簡明であればあるほど分かりやすいのが原則
これが古代以来の人間の知恵であり、これを「法三章」という
  一 人を殺した者は、死刑に処す
  二 人を傷つけた者は、その程度によって傷つけられる
  三 人の物を盗んだ者は、その程度によって取り上げられる   これである
ちなみに、蕪村の句に「畑打ちや法三章の札の下」というのがある。(農民がのどかに春の野に出て仕事している平和な光景。フト傍らを見ると法三章の記された高札がある。この平和と幸福はこのおかげなのだな、という趣旨の句)

今回の裁判について特に思う事
弁護士は「依頼された加害者の利益」を最大限に優先するのが当然としても
被害者側の心情への配慮は、それ以上にあるべきではないのか

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April 20, 2008

現代版「仇討ち」

_SL160_[1]東野圭吾著「流星の絆」を読了。
ある人に薦められて「手紙」を読んでから この作家に興味を覚えた。
「手紙」は 犯罪加害者の身内と言う重い宿命を負わされた主人公を通じて 見せ掛けの善意・形式的な道徳の虚しさを描き上げたものであった。
今回の「流星の絆」は、両親を惨殺された三兄妹が 真犯人を追及せんとする姿を描いたものである。
犯罪被害者の家族という重い宿命を負わされながら、三兄妹が力を合わせて生きようとする姿、ゲーム感覚の知恵とユーモアで挑む姿は、共感を呼ぶものであり一気に読ませるものであった。
文学賞落選記録15回と自称する作者の、その間味わった経験を生かしたものであろう。
書評に『老舗料理人 熟練の一皿』とあったが まさにこの物語のキーワードは 「ハヤシライスのレシピ」である。

ジェフリ・アーチャーの「百万ドルを取り戻せ」と相通じるものがあった。

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April 18, 2008

人の評価の難しさ

飯田全紀著「節斎」を読了。
奈良地方が生んだ幕末の儒者、森田節斎。吉田松陰が師と仰ぎ、わざわざ訪れた程の人物。幕末混乱期に、松陰は桜のように美しく散った。そして名を残した。節斎は命を重んじた故に逃げ回り、そして裏切り者と罵られた。
その節斎の生き様を描いた小説である。

「命を大切にする国づくり。これが私の願い。武力で勝ち取った政権はいずれ崩壊する。武力で民を幸せに導くことはできぬ」 これが節斎の本音であり、
「日本人は、悲劇的な死を好み、憂国の死を美化しすぎるのではないか……。
節斎の生き方は、時代を超えて我々に何か投げかけている様な気がする。」
とする著者は、松陰の心理を以下のように分析している。
「松陰は、悲劇に魅惑されていた。松陰はいくつもの挫折を重ねている。脱藩しての東北行きで家禄没収。長崎にではロシア船に乗り遅れ渡海叶わず。下田ではペルリに断られ密航失敗。江戸評定所で幕府の要人暗殺を自ら語り処刑。あまりにも愚直というか狂信的である。劇的な死に憧れていたと言わざるをえない
その松陰の心の闇が、無謀とも言える行動をとらせていたのではないか。それ故に、松陰の悲劇的な死を知った人々は、純粋で無私な行動を賞賛し、神格化したのであろう。」と

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April 15, 2008

母の納骨

我が家の墓は、高砂市の阿弥陀という、ありがたい地名の場所にある。
父の没年は、昭和57年、66歳であった。その葬儀の喪主は、長男の私であったが、当時、私は40歳前であり、「家の事・先祖の事」は、専ら母に任せきりであった。
先祖伝来の墓所に、新しく父の墓を建立したのは、昭和61年であった。
それ以来、四半世紀ぶりに、墓石を開けての、母の納骨であった。
思えば、実に母は四半世紀に亘り、いわば一人で父を、家を守ってきた事になる。
その後半、母は認知症に見舞われたが、先日の母の納骨により、父と同じ場所で永遠の眠りにつく事になった。
その昔の「よき妻・よき母」、なによりも子供達にとって、懐かしい母に戻ってくれたように思う。

納骨に立ち会う事
人の世にあって、その機会は少なければ少ないほどよい。できれば、父と母のみでよい。
「今その人の世の大事を、私は終えた」、という安堵感……。

「お墓の中に私はいません」(千の風になって)も真実。
しかし、家族の統合の象徴としての「お墓」は厳然としてある。

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April 12, 2008

教育の始め

211XKP6WK0L[1]幼稚園の入園式に参加して思った事

まずは、入園児の数よりも付き添いの父兄の数の方が多かった事。
特に、父親の姿が多かった事に、時代の推移を痛感した。

3歳・4歳の子供達にとって、長い時間じっとしていることは不可能であった。在園児が「歓迎のあいさつ」を贈ったが、1年間の教育の成果ははっきり見て取れた。

中村正直の『西国立志篇・自助論』を想起した。

「一母アリ 四歳ノ子ヲ懐ケルガ 牧師ニ問ウテ 何レノ時ヨリ
教育ノ事ヲ始メテ 宜シカルベキカト。牧師曰ク、汝今ヨリ教育ノ事ヲ
始メタリアレバ 汝ハ コノ四年ヲ失イシナリ。コノ小児ノ顔ノ上ニ
汝ノ笑フ光ノ 始メテ照セシ時ヨリ 汝ガ教育ノ機会ハ 始マリシナリ」と。

願わくば、この子供達の「教育の始め」が、学園側に全てを委ねるのではなく、親にとっても「子の教育の始め」とならん事を。

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April 09, 2008

神戸開港の恩人

神戸港は開港140年の歴史を持つ。
日米和親条約締結交渉は、アメリカ側はハリス、徳川幕府側は岩瀬肥後守忠震で成された。
ハリスが要求してきた新規開港・開市地は、大坂・長崎・平戸・京都・江戸・品川・日本海側の二港・九州に一港と合計十一であった。
それに対し、岩瀬はこれを四港に絞り込んで、神奈川・長崎・新潟・兵庫とした。眼目は二つある。一つはハリスが予想していなかった神奈川(横浜)であり、もう一つは、京都に近い大坂を断固拒絶して、これまた予想外の兵庫港(神戸)を浮上させたことである。

ノンフィクション作家 戸崎千吉氏が、「横浜開港の本当の恩人はだれ」という一文をものしている。
横浜駅近くの「本覚寺」は初代アメリカ領事館跡であるが、その寺に岩瀬忠震の顕彰碑がある。
神戸市民は、神戸開港に貢献のあった岩瀬忠震に、如何なる感謝を捧げているのか。

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April 06, 2008

落首二題

野口武彦著「井伊直弼の首」を読了。
徳川幕府は、京都朝廷と尊攘派勢力の圧力に屈し、不可能と分かっている攘夷を実行すると公約し続けることで、自ら墓穴を掘った。
その象徴として、大老・井伊直弼の暗殺の事実を隠し続けた。

政権移動時には、妙な利権が動くのは世の常か?
その一例として、当時の京都で流布した落首が紹介されている。
「世の中は欲と忠義の堺町、東はあずま、西は九重」
  京都御所の正面から南に下がる堺町筋の東側にあった太閤は、江戸幕府派。
  西側にあった関白は、京都朝廷派。それをからかったものである。

高校で日本史を学んだ時、教えられた落首をもう一題。
「まろ(麿)もまださしたる老いの身ならねば、握りさえすりゃじきに立つなり」
これは決してHな話ではない。
「金さえくれれば、尊皇と攘夷の対立を纏め上げる為に江戸に交渉に行くのに」という貧乏公家の僻みの歌である。
それほど幕末期の京都公家方の貧乏ぶりは酷かった。それにつけこむ金銭による幕府方買収の工作も盛んに行われた証左である。

実行出来ない政策を空約束するのは政治権力の命取りになる。
今の政局の混迷も、この類か?

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