May 2008

May 30, 2008

地域の掲示板に

我が事務所近くに、稗田地域福祉センターがある。
そこにカンガルー子と題して、以下の詩が掲示されている。

子供はかわいいものです
どんな子供でも
親にとっては「掌中の玉」です
だからこそ
ついつい強く強く握り締めてしまいます
その玉が身動きできなくなって
苦しみもがいていることも知らずに
だからといって
五本の指を開きぱなしにしていれば
その玉は 掌からすべり落ち
行き先が分からなくなって路頭で迷ってしまう
途方もないところへ、転げ落ちてしまう
親や先生が
だいじなだいじなこの玉を
五本の指でほどよくつつみ支えてあげよう
それでも転げ落ちる玉があったら
何度でもやさしく拾い上げ傷を癒してあげよう
肌の温かみが冷え切った 心の「芯」にやわらかく伝わるまでに

子育ての場は、家庭・学校・地域である。
こういう掲示版がある地域は、まさに子育ての「ふるさと」であろう。

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ryosuke_hara at 09:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

May 27, 2008

物作りの伝統

文芸春秋6月号の「零戦と戦艦大和―世界最高兵器の栄光と悲惨―」と題する特集。
それぞれの分野で活躍する歴史家や研究者の対談は面白いものである。
「零戦と大和」は、当時の兵器技術のトップレベルであったが、
兵器はまさに日進月歩、それらを継続的に改善改良する熱意と余裕を欠いていた。また、戦いの勝敗は、その兵器を運用する人・組織で決定する。その面でも欠けていた。

物作りの伝統は
  「大和」の遺産は、敗戦からわずか十年、昭和三十一年に造船業          世界一に
  「零戦」の遺産は、飛行機製造が禁止されたために、自動車産業に            引き継がれ、また、「新幹線」技術にも繋がっている。
  「遅れていた管制」の遺産は、エレクトロニクス(例えば、ソニーや、            松下電器)に引き継がれた
戦後日本の経済発展の源は、これらの物作りへ情熱が遺産となって結実した結果であろう。

「日本人は、キャッチアップは、うまいが独創性にかける」といわれるが
金融のソウトウェアの世界は、いまだ苦手である。これからはこの分野での日本の「もの作り」の熱意の結集が求められている。

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ryosuke_hara at 19:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

May 25, 2008

アメリカ大統領選

日高義樹著「アメリカ狂乱―次の大統領は誰か―」を読了。
在米四十年、大統領選挙を十数回に亘り、経験した外交専門家の分析である。
日本のマスコミの観点とは、一味違う論点からの分析は、それなりに説得力のあるものであった。
我が国では、民主党側は「女性初の大統領」「黒人初の大統領」と一方的に持て囃されており、最近の報道ではオバマに決まりそうだ。一方、共和党側は「史上最高齢の大統領」であり、話題としては「初物」の方がマスコミ受けする故に、民主党サイドの報道に偏重し過ぎている。という。

「アメリカの政治は古い」、アメリカの憲法は200年変わらない。
これは民主主義国家の中で最も古い体制であり、大統領選出方法も古く難解である。
それ故に「変化」というスローガンが、一般受けするのだが、それが実態とどう結びついているのか。

アメリカにとって「アメリカは負けない・強い」という自尊心を満たす候補として、軍隊経験のある共和党のマケインは無視できぬ存在だろうという。

如何なる結果になろうと、米中関係はより強化され、その中で、日本はどう生き残るのかが、最大の課題であろう。
限りある資源(特に石油)の権益の争奪戦の中で、高騰する価格の先行きへの指摘は、示唆に富むものであった。

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ryosuke_hara at 18:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

May 22, 2008

ありがとう地球

先日ある会合の講演で、ミネハハの「ありがとう地球」のCDを聴いた。
映像は、月面から見た地球の出、地球の入であった。誠に感動的なものであった。
今、神戸の地で環境大臣会議が開かれようとしている。そこで何が決められようと結局は一人一人の人間が、この「ありがとう地球」という想いを持つことこそ最も大切なことであろう。
地球に住んで地球で働き地球で愛を育み生活している我々がそれが当たり前だと思っている。そういう問題提起から始まり、この地球を壊していくのも人間なら、元に戻すの人間であることを歌い上げている。
澄んだ歌声で歌う彼女は「まず、自分のために歌うのを止めました。」とHPに示している。
「一人でアフリカを3ヶ月旅したことがあります。バケツ一杯で体から顔、頭、歯、すべて洗います。その時、『口に入るものと、雨風をしのげる屋根さえあれば生きていける』と気づき、それからの私の中のすべての価値観がガラッと変わりました。誰のためにというわけでもなく、『ただ、歌わせていただいています』という感じです。『生かされたのだから、生かしきりましょう』という地点に立った時、人々の心の深い琴線に触れることがわかったのです」と・・・・・。

ちなみにその歌詞は以下である。
木は黙って切られ 黙って倒れる 人が空を汚しても 黙ってそこで呼吸する
私たちは利用するばかりで この地球に感謝したことがあっただろうか
ただの一度でも心込めて「ありがとう」と言ったことがあっただろうか
傷つけても 傷つけても 傷つけても 黙って耐えてたこの星に
何かを返したことが あっただろうか

土は草を育て 草は生き物を育てる
自分のためとか何かのためじゃなく そこに生きてそこに朽ち果てる
そうやって何年も何百年も 何億年生きてきたルルルル・・・

※空が青い この地球 海がきれいな この地球
 緑あふれる この地球 ふるさとの星 この地球
 ありがとう ありがとう ありがとう 地球

 地球は愛を育て 愛は人を育てる
 地球の前では敵も見方も自分も他人も上も下もない
 そうやって何年も何百年も 何億年生きてきたルルルル・・・
※リフレイン
 みんなが空で みんなが海で みんなが緑で みんなが地球で
 人が汚したこの星を 必ずきれいにして返すから ララララ


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ryosuke_hara at 18:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

May 20, 2008

世論調査は、信頼できるか?

昨日の内外情勢調査会5月懇談会の講師は、政治評論家・早大教授の田勢康弘氏であった。
まず、日米の統治機能制度の違いを指摘した。
「アメリカは、大統領が誰であろうとそれを支えるスタッフを含めて評価する。
例えば、俳優出身のレーガン大統領の評価が高いのは、レーガン個人よりもそのスタッフの力である。
我が国は、それに対して、首相のリーダーシップそのものを問題にしすぎるのではないか。」という。

内閣支持率等の世論調査を、マスコミ各社それぞれに頻繁にやるが、これは世界にまれなことである。
世論調査の実態は、コンピューターが無作為に抽出した電話番号で、
約1000件に電話する。
しかし、その相手は、いわゆる固定電話で、しかも調査時間は日中である。
それ故に、回答者は固定電話で日中家にいる人が相手に限定される。
まさに、テレビのワイドショーを見ている人達に限定されるのではないか。
直前に行われた他社の世論調査に、誘導されやすいのではないか。
会社勤めや携帯電話の人達は調査対象から外れることになる。
これで、正確な世論動向の反映結果の数字といえるのであろうか

これは、「世論調査の大きな落とし穴ではないのか。」との指摘であった。


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May 17, 2008

地域の歴史

播磨学研究所編「稀代の軍師 黒田官兵衛」を読了。
生野銀山を含めた経済的な側面、農産物をはじめ物資の流通的な側面、海運を含めた軍事的・地理的な側面から、中核的な地域としての「播州姫路」を歴史に登場させた人物。
秀吉が、自分の後「天下を狙う人」として、最も警戒し、歴史上の「軍師」と評される人物だが、「軍師」の上に「誠実な」という一見矛盾する形容詞がつけられる人物
妻子を多数もうけて政略の具とした戦国武将の中で、一人の妻を生涯大切にした態度は、キリシタンであったせいもあろうが、近代的な合理主義を身につけた文人。

編者の一人の、加来耕三の説く歴史の見方は示唆に富む。
1、「右手の法則、左手の原理」
右手で演じられる手品のネタは、反対側の左手にある。しかし、上手なマジシャンは反対側を見破られるようなヘマはしない。
2、「未発の発芽」
物事には、奇跡や偶然はない。「そういえばあの時・・・」という前兆が必ずある。未来は過去と現在をつなぐ線上にしか存在しない。

歴史にもニュース報道にも、この観点から見つめなければならないと説くのである。

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May 14, 2008

政治の行き詰まり

雑誌「選択」5月号に御厨 貴の「日本の政治家はなぜダメになったか」と題するインタビュー記事がある。
「政治家というものは、どこか普通の人間と違っているもの。性悪で意地悪で本音を言わない。それでいて、この人物は何かをしでかす、という風圧を感じさせるもの。」
「最近の政治家」は、「長期的な射程でモノを考える余裕のある政治家がいなくなった」。
「中選挙区制が消えたこと、これによって、政治が本来持つべき射程距離の長さが失われた」と述べている。

「民主主義は最悪の制度だ。只いままでのどんなものよりましというだけだ」と言ったのはチャーチル。国民の総意で物事を決めていくという方法は、「国民一人一人が成熟した判断力を有する」という場合は最良の制度であろう。問題はこの前提条件が、かつていかなる国においても満たされなかったし、今度も満たされそうにないと思われることである。

小選挙区制は「口のうまい小人物しか出てこない」
中選挙区制の効用は、々駝韻寮爾より正確に国政の場に反映できる。   ∋屬鬚發辰真型佑打って出やすくなる。   信念に従って行動する政治家に活躍を与える。 である。

暫定税率が復活し、かねてからの課題であった道路特定財源の一般財源化が進もうとしている。
与野党の対立による不毛の「政治の行き詰まり」の状況から、「中選挙区制復活論」が叫ばれるのは当然であろう。

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ryosuke_hara at 10:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

May 11, 2008

母の日に

母を亡くして二度目の「母の日」を迎えた。
「子供は自由に、伸び伸びと個性豊かに育てなければならない。」、これは一面の真理である。
しかし、現実の社会生活には、絶対的な自由などはない。
むしろ、あえてそれを望まない場合もある。
例えば結婚である。夫婦お互いに譲り合わなければならない。自由気儘という訳にはいかない。
さらに、結婚によって子供を授かる事は、さらに不自由になる。
零歳児は一人では生きられず、その面倒をみる事は、両親の自由を制約する事になる。
即ち、結婚し、子供を授かる事は「不自由になれ。そこにはそれ以上の幸せがあるのだ。」これも一面の真理である。

自ら進んで自由を制約し、この「不自由になれ、そこに幸せがある」を実践する姿こそ、「母」であろう。

「母の日」に母を偲んでそう思う。

しかし、最近の世相は、結婚も子を産む事も求めない人達が増えている。
それは、個人の価値観の問題であろうが、
果たして「真の自由とは、真の幸せとは」、何であろうか。

閑話休題
この日にちなんだ、古くからの「ナゾナゾ」を一つ
「チチにはあわず、ハハには二度あうもの、なーんだ?」

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May 08, 2008

諫言 

「雑誌Will」の5月6月号の西尾幹二氏の投稿は、「諫言」である。
永井路子氏は、幕末の「天皇」について、触れている。
『当時の人々は、天皇について何も知らなかった。京やその周辺では、御所においでになる天子さま、天朝さまを多少知っていただろうが、全国の庶民は、公方(将軍)さま、殿さま、お代官さまほどに知っていたとは思えない。
当時(1868年10月)京都府が人々に出した告諭がある。
「お前たちの住むこの国はありがたい国だぞ。天孫がこの国を開いて以来、皇統はずっと続いている。外国のように王朝が度々変わるようなことなかったのだぞ」
「諺に云、挑燈(ちょうちん)借りし恩は知れども、月日の照し給ふはしらぬといふに同じ」   言葉の皮を剥けば天子さまの御恩になど与った覚えはない、という人々が多かったのが、その実情である。』と

以来、天皇制は明治・大正・昭和という帝国主義の列強対立の時代の「富国強兵」の役割を経て、第二次大戦の敗戦を契機に、役割は、「象徴」と変化し、我が国の精神風土に密着した存在となった。

「開かれた皇室」として定着したのだが、今後の皇室の在り方についての諫言である。

幕末の欧米人は、我が国の政治風土についてこう指摘している。
「日本には不適当なことを<内分>Naibunに行う習慣がある。この便利な方法の下で、貴人はどんなことでも行うことが出来る。」と。

今、我が国の「公」の姿を見つめる時、「内分の暴走」が、目立つのではないか。

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ryosuke_hara at 22:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

May 06, 2008

歴史とは

永井路子著「岩倉具視〜言葉の皮を剥ぎながら〜」を読了。
人生を終わろうとする(と83歳の本人が書いている)著者の歴史観である。
「一台の馬車につけられた数頭の馬が、思い思いの方向に車を引っ張ろうとするように、一人一人が主役のつもりで犇めき合い傷つけあううちに、いつの間にか流れが変えられていく。」、それが歴史の現実。
そこには勝者への惚れ込み過ぎの賛歌も、敗者への過度の挽歌も、歴史をまともに見つめたことには、ならない。

コトバ・スローガンは、思いがけない程虚偽の衣装を纏っていることが多い。
例えば、つい6,70年前、日本には「大東亜共榮圏」「八紘一宇」「聖戦完遂」などの言葉が乱舞した。敗戦によって、これらのコトバは衣装を剥ぎ取られ、姿を消した。
しかし、「明治」を語る言葉は、まだ衣装を剥ぎ取られていない。
幕末、「尊皇攘夷」「錦の御旗」が、コトバ・スローガンであったが、その衣装を剥して実態に迫ろうとするのである。

「岩倉具視を書きたい」と想いを抱いて40数年、その間の人生経験を踏まえて岩倉具視の実像に迫ったものである。

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