July 2008

July 30, 2008

堰堤の機能

鮎が遡上する都市河川として、ふるさとの誇りでもある都賀川で、集中豪雨による突然の増水。水遊びをしていた子供たちを含む5名の人命が失われるという悲しい事件が発生した。
山から海まで約2劼50mの落差であるゆえに、突然の増水は避けられぬところであるが、対策はなされていたのであろうか。この河川の管理は県であるがゆえに深刻に受け止めざる得ない。

上流域には砂防堰堤が設置されている。これらは全て、砂が満杯になっている。それらの砂を例え1mでも掘り下げていれば、局地的な豪雨に対しての一時的保水場所になり、下流に対する鉄砲水の危険の程度を下げることが出来たのではなかったか。
堰堤には、砂防と治水の作用があるが、現行法では砂防堰堤は国の管轄、治水堰堤は県の管轄となっている。
都賀川流域だけで砂防堰堤は45基、設置されている。これでも、60%の設置率だそうだ。
警報装置の設置等のソフト対策と共に、素人考えだが、今後の対策として堰堤に砂防と治水の両面を兼ね揃えた機能を持たせるような発想が必要ではないか。

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ryosuke_hara at 09:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

July 28, 2008

漢字

大相撲の夏場所は、もう一方の横綱の全勝優勝で終わった。
「動きの速さで相手に何もさせず圧倒する相撲」よりも「相手の動きを受けて、それを上回る技で圧倒する相撲」の方が「本来の横綱相撲」であろう。
今場所の白鵬は、久方ぶりに「横綱の風格」を感じさせた。

ちょうど文芸春秋7月号に塩野七生が「漢字の美しさ」について書いている。
「漢字が美しいのは、絵画や彫刻と同じく、見る人の想像力を刺激するからである。その証拠に、漢字には書道があるのに、アルファベットにはない。文字は意味を伝えるだけでなく、想像力を刺激することで世界までも広くするからだ。」と。
例えば、地方へ行ったとき、ローマ字や仮名表記の駅名は趣を欠く。漢字の駅名は、その地名の由来を想像させるように。

大相撲の力士の四股名は、出身地の故郷の「山・川・里・海・洋」をつける人が多かった。
ところが現在では、幕内力士の四割は外国人力士である。
当然のことながら、故郷の地名をとった四股名は少なくなっている。
これも現在の大相撲の人気が、今ひとつの一因ではないのかと感じた。
春夏の甲子園の高校野球が隆盛なのは、応援する人の故郷意識の現われでもあるだろう。

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July 26, 2008

地域の力

秋葉原無差別殺傷事件以来、通り魔的事件が続発している。
人が人に害意や殺意を抱くのは、対人関係の中で相手方との関係が濃密過ぎて、それが錯綜した時に初めて、その特定の相手に「害意・殺意」を抱くものであろう。
それが全く無関係の人に「害意・殺意」を抱くとは、どういうことであろうか。
評論家は、「社会」や「境遇」を事件の背景としている。
しかし、「社会」や「境遇」は、自らがどう関わっていくかで、実態が生じるのだ。
「誰でもよかった人を殺したかった。」「目立ちたかった。」「親を困らせたかった。」云々と言う。
これはパソコンやゲームの感覚でしかないのではないか。

先日の朝日新聞の神戸版に、喫茶店のママが登下校の子供たちに「本を読んだり、あやとりをしたり、サッカーをする子供たちの面倒をみている」という記事があった。
この子供たちは、この登下校の集いの場で、ママやお客さんたちと、「社会」や「境遇」の関わり方を学ぶのだ。
即ち、自分一人ではなく、「社会」に守られているという実感と安心感である。
子供の成長は、第一次的に親が責任を持つべきだが、こういう地域社会の善意の人々によって支えることも必要だろう。

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July 24, 2008

親の責任は?

秋葉原の無差別殺傷事件以来、通り魔的事件が続発している。
そのことに対して、本日の読売新聞の『編集手帳』が芥川龍之介の「暗中問答」を引いている。
「暗闇のなかで声が問う。お前がこの世でなした行為の責任は?『僕』が答えて言う。<四分の一は僕の遺伝、四分の一は僕の境遇、四分の一は僕の偶然、だから僕の責任は四分の一だけだ> その返答に、暗闇の声が告げた。<お前は何と云う下等な奴だ!>
その背景として、「社会」・「境遇」などをあげているが、いかに恵まれぬ境遇も、何の罪も落ち度もない人の命を奪う言い訳にはならない。「僕の責任」は四分の四である。」と。

同時に八王子通り魔事件も含めて、これらの犯人の親の責任は如何であろうか。
両事件とも、親は子の仕出かしたことに対して、まるで他人事のような対応であった。成人した子の責任を親が負うことへの議論はあろうとも、少なくともマスコミが報じるこれら事件への親の対応は、被害者に対する謝罪の表明はなく、自らの家族中心で、周囲に対する配慮は感じられない。
「この親にして、この子あり」か?

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July 21, 2008

「取り戻すべきもの」

昨週末、大学駒場時代の語学の先生の傘寿のお祝いを兼ねてのクラス会に約40名が集った。
40年ぶりに旧交を温めたのだが、皆、第二の人生に踏み出していた。嬉しかったことの一つは?頭髪の後退ぶりにおいて、自分より進んだ奴の方が多かったことである・・・?
その行き帰りの新幹線の中で、ジェラルド・カーティス『政治と秋刀魚−日本と暮して45年−』を読了した。
彼の来日は、昭和39年であったそうだ。まさに私の上京・東京生活と重なるものである。
あの頃の東京は、オリンピック開催に向けて、エネルギーが溢れていた。まだまだ発展途上で貧しかったけれども、「将来ある者」を守り・育てる心配り、配慮、人情味があった。
著者が日本政治の分析の専門家として大成出来たのも、若者を包んでくれた街の懐の深さ、更に国政選挙の密着ルポでは、しっかりと機能していた日本の地域社会があったからだ。
その彼が、この本の文末において「日本は、大人たちが若者の道を邪魔しない国であってほしいと思います」と述べている。
日本人の本来の、次の世代を育てるという思いやり・人情味を取り戻すことこそ、現在日本の急務だということであろう。
我が青春の若さは取り戻せぬが、「取り戻すべきもの」として強く共感する。

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July 18, 2008

ホールインワン政局


神戸新聞情報文化懇話会、七月例会の講師は政治評論家、浅川博忠氏であった。
前触れとして、現在の政局は「ホーインワン政局」である。ホールインワンの場合、パットはいらない。すなわち、「パットしない政局」である」と指摘した。また、
平成になって20年、その間、我が国の総理は13人。その内5年を小泉純一郎が担ったのだから、15年間で12人の総理が誕生したことになる。一人平均1.2年ということになる。
サミット毎に新人総理が登場するのだ。これでは、国際社会の中で日本の地位は低下するばかりである。と
さらに直面する政策課題として、六つの「K」を指摘した。
々渋げ革、過密と過疎の是正、7法改正、す餾盜弩ァ↓ザ軌蕾革、Ε灰灰蹐畔顕修侶兢機,任△襦と

それに関する私見
『外交を上手にやらないと、日本は「世界の孤児」になる危険性がある。だから、「国際貢献」をしないといけない。』として、我が国はお題目のように「国際貢献」を説くのだが、しかし「国際貢献」を国の目標にしている国が日本以外にあるだろうか。
世界各国はいろんな貢献をしているが、目的は貢献ではなく、自国の力と影響力を増すことができると判断するから貢献するわけである。しかし、日本では「国際貢献」をすれば、世界に評価され、「孤児」になる危険性が少なくなると考えられ、国際貢献自体が目標になる。
しかし、誰もが反対できない「全うな主張」は、誰も反対もしないが、誰をも引っ張っていけない。単なる秀才・変人の「独り言」としか評価されないのが常だ。

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July 16, 2008

賑わい鳥か閑古鳥か

昨夜、小売市場連合会の総会が開催された。
小売市場の現状が分かるだけに、挨拶は大変難しいものであった。
国内の観光地でも勝ち残り競争が論ぜられている。
我が国の観光旅行は、古くは「お伊勢参り」、戦後は、教育的見地からの修学旅行が始まりであった。それが、経済発展に伴い「大きい事はいい事だ」に象徴されるように、団体旅行の流行を契機に、個人旅行客も大量に受け入れる為に、旅館・ホテルも大型化に走り、画一的サービスとなった。即ち全国に「○○銀座」が増え、山の中の宿でも、海のサシミから始まる食事などである。
それを脱却したところ、その土地のオンリーワンの魅力を発信できるか否かが、「賑わい鳥か閑古鳥か」の生き残りの鍵である。

昨今偽装問題で、「老舗」が廃業に追い込まれる事件が多発している。
「老舗(しにせ)」から、信用の「し」を取れば「にせ」になるのだ。
地域の小売市場でも同様であり、対面販売による客との信頼関係が生き残りの鍵であろう。

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July 14, 2008

「横綱」 でも「横」の意味は?

大相撲七月場所が始まった。
五月場所の千秋楽、横綱同士が「睨み合う」という不祥事の後だけに視聴率も相当上がったのであろう。

「横綱」は力士にとって「強さ」の最高位だが、同じ「横」の字を使う「横暴」・「横着」・「横柄」などは好ましくないコトバでもある。
「横車を押す」・「横紙破り」は、常識や善良な習慣に反して、無理に自分の考えを押し通すことである。
モンゴル出身の横綱は、「横」のつく行状が目立つ。
勝負の場では土俵外になかなか出ない(負けない)が、道理の枠からは、はみ出し易いようだ。

ところで、一方の横綱は、初日に「らしからぬ」負け方をした。
どうも今までの「強さ」が「横」になってしまったような印象である。

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July 11, 2008

ゆっくり流れる時間

ここに一冊の絵本がある。
“Me, All Alone, at the End of the World” (僕は、たった一人、世界の果てで)である。

ケータイ、ネット、ゲーム、勉強と、一刻の余裕もない環境に取り巻かれ、何事につけ「はやく、はやく!」と急かされる今の子どもたちに対し、何を取り戻さなければならないか、この絵本は、大事なキーワードを提示している。
すなわち ・一日一日が、ゆっくりとすぎる。
      ・だれもいない世界で、ひとりきりで。
      ・自然界で自分で遊びを見つける楽しみ。
      ・自然界の風の音や風景を愛する。
      ・ひとりで本を読む時間。
      ・レジャー施設での遊びの疲れと拒否感。
      ・レジャー施設による自然破壊への拒否感。
一冊の絵本で、これだけのことを語っているのだ。
これは今の日本の子供たちにというよりも、大人・現代社会への警告でもある。

サン・テグジュペリが「星の王子さま」の中で
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。肝腎なことは、目に見えないんだよ」と語っている。
「目に見えないもの」は「ゆっくり流れる時間」の内でしか見えないのだ。  

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July 09, 2008

内観

柳田邦男が『「気づき」の力』の中で、「内観」の体験に触れている。
「内観とは、1940年代に、僧侶の吉本伊信師が創始したもの。昔から浄土真宗の一派に伝わる「視調べ」という厳しい修行法がある。その「視調べ」を、現代人が「己自身をみつめなおす」ために、特定の宗教色をなくし、誰でもが受けられる修行法として開発したものである。修行といっても、禅宗の心を無にする座禅とは全く異なる。
その方法とは、半畳の衝立の中に座して、ひたすら自分の記憶を掘り起こし、幼少期から現代に至るまでの自分の成長の歴史を見つめ直すのだ。具体的には、自分にとって身近な順に(多くの場合母親から)、,修凌佑砲靴討發蕕辰燭海函↓△修凌佑砲靴栃屬靴討△欧燭海函↓その人に迷惑をかけたこと、の三点について、幼少期から年齢に沿って、エピソードを思い出すのだ。」
彼は身内の不幸を克服するため、自ら進んでこの内観を体験した。

多くの場合「人にしてあげたこと」は覚えていても「人にしてもらったこと」は忘れ去っている。しかし「自分を見つめなおすこと」によって、多くの人に「してもらったこと」によって、いかに自分が支えられていたかに気づく。  そこに大きな転換点がある。

今求められているもの、それはまさに価値観の転換であり、心の持ち方の転換だ。それ以外の他にものでもない。其の事に「気づく」必要がある。


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ryosuke_hara at 09:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜