August 2008

August 31, 2008

勝負どころ

最近、局地的集中的豪雨による災害が頻発している。
臨床心理学者の河合隼雄(元文化庁長官)は「100」について3つの考察をしている。
 100%正しい忠告は先ず役に立たない」
  責任を取る気もなく100%正しいことを言うだけで、人に役に立とうとする人がいる。そんな忠告によって事態が良くなるのなら、その100%正しい忠告を先ず自分自身に適応すべきであるから。    
◆100点は時々で良いのである」
 常に満点を目指すと疲れきって肝心な時に満点をとれなくなるから。      「100点以外はダメな時がある」
  努力を続けて常に80点の成果を上げる人がいる。確かにその人は人並み以上の成果をあげている。しかし、80点では評価されない場合もある。例えば、消火や災害の危機管理・人命に関わる時などである。

評論家と実践者との違いを指摘したものである。

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ryosuke_hara at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

August 29, 2008

「まさか」の坂と「よもや」の靄

豪雨で冠水した市道で乗用車に閉じ込められて水死した事故について、読売新聞・編集手帳が触れている。
『〈まさかそこまでは・・・という「まさか」の坂が越えなれない〉。
〈よもやそこまでは・・・という「よもや」の靄が抜けられない〉。
「まさか」の坂を越えられず、「よもや」の靄を抜けられず、思慮の不足を悔いの種に変えながら人は生きている。とはいえ世間には無理にでも坂を越え、あらん限りの思慮を動員しなくては成り立たない仕事もある。』と

災害現場の混乱があったとはいえ、救助の出動を怠った批判は当然であろう。
市民の安全と安心を保障する為に存在している警察や消防が「パニックに陥って・・・」では話にならない。
一般公務員の「全体の奉仕者として・・・不偏不党かつ公正に・・・」という任官宣誓に対して、より危険に直面する警察・消防・自衛官の宣誓は
警察職員は「何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず・・・」
消防職員は「人命および財産を火災より擁護するためには、危険をも省りみず・・・」
自衛官は「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め・・・」であり、職務の重要性・特異性を表している。

「初心を忘るべからず」

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ryosuke_hara at 10:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

August 27, 2008

北京オリンピックを終えて

『「Shut up(黙れ)!」。16日あった北京五輪のテニス女子シングルス準決勝。敗戦しコートを去る中国の李娜選手が観客席に向かい英語で叫んだ。海外での試合経験豊富な彼女は自国開催の五輪に違和感を抱き続けた。応援マナーの問題だけでない。過剰なまでの愛国心が塊となり、のしかかる重圧を感じていた。群れになり同じ方向へ走り出すと止められない同胞の気質を突いたとの見方もある。』(毎日新聞「巨龍はどこへ」より)

北京五輪は、功罪評価が分かれても間違いなく五輪史に残る大会であった。通常オリンピックは、開催地の地名を冠して呼ばれるが、今回のそれは「北京オリンピック」というよりも「中華オリンピック」であり、国威発揚大会であった。
そこに「中華思想」を連想するのは私だけであろうか。

アメリカと中国は似ている。
何かあると、かたや星条旗に、かたや共産党の旗の下に、あっという間に結集する。徹底的に個人主義で、それでいて全体主義への傾向が非常に強い。
それに対して、日本とヨーロッパは、個人と国家の間に、地域共同体や同業者集団のような、家族主義的な小集団が存在する。その中でお互いの利害を調整する生き方・知恵を学んできたからである。
それによって結束力は弱く見えても、持久力のある安定した社会であろうと信じる。

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ryosuke_hara at 09:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

August 25, 2008

地蔵盆

我が故郷灘区には、お地蔵さんが百箇所以上祀られている。
週末にそれぞれの場所で地蔵盆が催され、浴衣姿の子供たちがお供えのお下がりをもらうべく、地蔵めぐりをしている昔ながらの風景が見られた。
それぞれのお地蔵さんには歴史があり、それぞれの願いの対象でもあるだろう。
お地蔵さんには「涎掛け」が奉納されている場合が多い。これは母親が亡き子の体臭を思い起こして我が子の涎掛けをお地蔵さんの首に奉納し、「この匂いの我が子を極楽浄土へ導いて下さい」という母親の信仰であり、亡き子への母性愛を表している。
これらのことを神戸歴史クラブ理事長の豊田 實さんが灘大学で取り上げている。

その中には神戸の大水害の犠牲者の慰霊の地蔵もあるであろう。
今回の都賀川の悲しい事故を思うとき、この地が度々の風水害に見舞われた歴史も語り継ぐべきであろう。
神戸新聞の神戸版に、「naddist」のボランティアの呼び掛けで「事故を受け古くから水害に見舞われてきた神戸の歴史の再認識しようと、都賀川沿いを巡る」との記事があった。

まさに地域の気候風土の歴史の伝承であり、「地域力」の現れである。

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ryosuke_hara at 09:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

August 21, 2008

実名か匿名か 少年法の問題点

大相撲の幕内力士・若ノ鵬(20歳)が大麻所持で逮捕され、本日、解雇された。
「柔道」と「Judo」が異質のように、外国人力士が増えた故にか、「相撲」が「Sumou」(強ければよい・勝つことが全て)となっていないか。
本人や親方の処分のみならず、相撲協会全体の体質改善が必要なのではないか。
それ以上に考えさせられたのは、この不祥事へのマスコミの対応である。20歳未満の犯罪を実名報道した。
マスコミは「少年法の精神を尊重し、容疑事実の発生時未成年であれば、その後成人に達しても実名報道を控えることを原則にしています。しかし今回のケースではー礇遼欧大相撲の幕内力士という公知の地位にある日本相撲協会が実名を出しておわび会見したH生当時の年齢が成人まであと2週間の19歳11ヶ月だった――ことなどから総合的に判断し、実名で報道しました。」としている。
私は、この判断は正当だと思う。何故なら
ジャーナリストは役人とは違う。役人はまず法規を考え法規に即して事案の処理に当たる。これに対してジャーナリストは、まず現実を見つめ法律の枠組みから外れていても、現実を社会的正当性から表現するべきであると、考えるからである。

犯罪の低年齢化の今日、少年法61条の規定は検討すべきであろう。

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August 18, 2008

オリンピック前半戦の印象

お盆休みであったので、水泳・体操・柔道をTV観戦ができた。
日本選手は、勝者も敗者も「それなりの物語」を残してくれた。
ただ、疑問点として
/絮砲侶莨,昼間に開催されたこと。
決勝は大会の華だから、地元の人々が観戦・TV観戦できる時間にすべきであろう。地元北京の所謂ゴールデンタイムに開催せずに、昼間に行われたのは、時差の関係でフェルプス8冠に沸くアメリカのゴールデンタイムに合わせた。TV放映権の関係で、まさに資本の論理ではなかったか。

◆孱蝪do」は「柔道」か
「judo」は日本発の国際競技として採用されたのだが、特に軽量級の「judo」 は、「柔道」であろうか?と思われた。「柔道」は、「組み合って技を競い合う」ものと思っていたが、「勝つための駆け引き」に重点が置かれすぎていて、本来の「柔道」とは、全く異質のものになってしまっている。いわば「着衣のレスリング」で、相手を倒すためのポイントの取り合いになってしまっていないか。

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August 15, 2008

終戦の日に

_SL160_[1]半藤一利・保阪正康著「昭和を点検する」を読了。
半藤は、司馬遼太郎亡き後の、昭和史の語り部の第一人者。
保阪は、昭和史の実証的研究による各種事件の分析家。
この二人が「昭和」という時代の日本人のメンタリティーを、次の五つの「キー・ワード」で語り合うのである。
?「世界の大勢だから」(大勢順応)
?「この際だから」(便乗)
?「ウチはウチ」(総合的判断放棄)
?「それはお前の仕事だろ」(責任回避)
?「しかたなかった」(言い訳)

これは、昭和戦前という時代を、理解するキー・ワードであると、同時に現在の日本人、又、日本の組織にも当てはまるものであろう。

「日本人は水と安全はタダであると、思っている唯一の民族である」と喝破したイザヤ・ベンダサンの山本七平が、「空気の研究」で解明したものと、共通するものであろう。


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August 12, 2008

男の涙 

北京オリンピックの前半戦を観ての感想として、
男子水泳の北島康介の100m平泳ぎの連覇の涙
男子体操の団体優勝の中国人選手の涙
両者共に「勝つこと」を宿命づけられた人間の、宿願を果たした姿として、感動的であった。
特に北島選手の連覇の後の第一声は、涙で「何も言えない」であった。アテネの優勝の際の「超きもちいい!」と言った時の目の輝きは、最近の日本の若者にない爽やかさと力強さを感じさせ、国民的ヒーローとなったが、今回の勝利の後の彼の姿は、この四年間の「勝利を宿命づけられた男」の苦悩を表すものであったろう。

それにしても中国人選手への声援の凄さは、国民が一体となっている発展途上の国の力強さを感じさせる。44年前の東京オリンピックの際の日本とも共通するものであろう。
但し、人権の問題や言論の自由の裏づけがあるかどうかが相違点であることを忘れてはならない。

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ryosuke_hara at 16:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

August 09, 2008

「家族」を取り戻せ

_SL160_[1]関川夏央著「家族の昭和」を読了。
「文芸表現を『歴史』として読み解きたいという希望が、かねてからある」という著者が、「家族」を切り口として、戦前から戦後への推移を追いながら、「昭和」という時代を見ようと試みる。
「家族の物語を日本人がもとめ、つくりあげ、それがピークを迎えのちに急速に終焉した時代全体が、昭和と呼ばれたのである」と
戦前は家族でにぎわい、戦後に移って高度経済成長による人口の都市集中、核家族化により、人の賑わいの消えた茶の間の姿を、その時々の小説・映画・テレビドラマを読み解きながら、「昭和の家族」のありようと移ろいを描いている。

平成に入ってはや20年、
「昭和は遠くなりにけり」であり「家族も遠くなりにけり」である。
その茶の間の賑わいのある「家族」を取り戻すことこそ、今必要なのではないか。

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August 06, 2008

乃木愚将論その2

福田恆存がその事について触れている。
『近頃、小説の形を借りた歴史読物が流行しているが、それらはすべて今日の目から見た結果論であるばかりでなく、善悪黒白を一方的に断定してゐるものが多い。過去を現在から見遥かし、ああすれば良かった、こうすれば良かったと論じる誘惑に駆られる。
しかし現実は当事者はすべて博打を打っていたのである。丁と出るか半と出るか、一寸先は闇であったはずである。
歴史家は当事者と同じ「見えぬ目」を持たねばならない』と

それにしても現在は、「先見の明」は手放しの褒め言葉として使われている。
先見の明などない人間であるにも拘らず、無茶苦茶やってきて気がついてみたら、案外うまくいっていたとか、先見の明がある人間が熟慮を重ねた末でやったにも拘らず、結果は惨憺たるものであったとか・・・・・・
この「にも拘らず」が歴史の曲者なのである。
それが当事者の苦悩であり、逡巡を生む姿である。
それを共感することが、歴史に密着するということであろうと思う。


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