April 2009

April 30, 2009

「改革」の実態

「改革」という言葉は、日本政治において国民の支持を取り付ける呪文である。
「改革」という言葉には、その実態を吟味させずに、世の中が大きく良くなるような錯覚に陥らせる力がある。
選挙制度改革の際には、本来は選挙制度自体の善し悪しが議論されるべきである。ところがこれに政治改革という冠をかぶせてしまったため、政治改革に賛成か反対か、という議論にすり替わってしまった。政治改革「推進派」対「消極派」という構図では、ほとんどが「推進派」になる。その結果、「政治改革」はなんら反対を受けることなく、小選挙区比例代表並立制の導入となった。それが今日の「衆・参ねじれ現象」となり、自民・民主両党とも連携する少数政党の政策との整合性に苦慮する結果となっている。
その政治改革から約十年後に小泉純一郎が「構造改革」を唱え、国民の強い支持を得た。それが今構想改革のマイナス面の是正を迫られている。
「教育改革」についても「ゆとり教育」の見直しを迫られている。

「改革」というコトバの呪文から解脱すべき時であろう。

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April 27, 2009

政治の矮小化  その

田崎史郎著「政治家失格」を読了。
永年の政治記者としての経験から政治家に必要な六つの力を指摘している。
 嵒圧力」   政策目標を実行する気迫。
◆岷人冦蓮廖  \策実現のため議会・官僚を総動員する知恵。
「デザイン力」 政治の流れを作り上げる構想力。
ぁ峽鎧嬶蓮廖  \治課題を実現するための戦略と戦術を構築する力。
ァ崛狃栂蓮廖  ‥材を適所に配置する “人を見る目”。
Α峺斥嬶蓮廖  々駝韻棒治課題を的確に訴える力。  である。
「この力が政治家に失われたのは、何ゆえか」については
中選挙区制では全体の二割の得票で当選できるので、政治家は特定の分野の専門家として専念しうる。しかし、小選挙区制では有権者の半数近くの支持を得る必要がでてくると、より多くの有権者の利害にかかわるため、政治家はオールラウンドプレイヤーになることが求められるようになった。
ある分野に詳しい議員とは、言い換えれば族議員である。利権誘導をはかる族議員がいなくなるのは一見、政治の浄化にとって良いことに思える。しかし、実際に族議員が少なくなった結果起こったことは、官僚が政治家を操作しやすくなったという現実である。議員の側に専門性がないから、官僚が作った法案をチェックすることなく、官僚の言いなりになってしまった事がその一因である。とするのである。

今日、世襲禁止の議論がなされているが、問題は政治の世界にいかに有能な人材が参加しうるかであろう。

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April 23, 2009

政治の矮小化

矢野絢也著「黒い手帖」を贈呈された。
宗教の絶対価値観と政治の相対価値観のぶつかり合い、二大政党制の中での、少数第三党の存在の重要性、並びに危険性の指摘でもある。

政治と宗教の関わりという事で、伊藤昌哉の「自民党戦国史」を再読してみた。
戦後の自民党政治史の中で、宗教家として最大の影響力を持った参謀、伊藤昌哉を思い出したからである。

この両著の違いは、宗教と政治がそれぞれの「分」を守る自律性、またそこに「私心」の有る無しであろう。
今日の政治状況は、政治家が、側近・学者・ジャーナリストで「自前のブレーン」を形成し、政策を磨き「重厚さ」を身につけて、最高権力者への階段を上がって行く、それだけの時間的余裕を与えない。また、それだけの器量を持った政治家もいなくなってしまった、「政治の矮小化」を痛感せざるを得ない。

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April 19, 2009

日本の原点

アメリカの鏡・日本アメリカの対日占領政策は、世界の成功例の一つであろう。
しかし、占領期間中マッカーサーが発禁処分とした唯一の論文は、ヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡・日本」であった。
彼女の説くところは「アメリカの文明文化を押し付ける、日本の固有の伝統文化の良さを否定してしまう。」である。
彼女の持論は「日本国民は、決して戦好きではなくて、むしろ良い伝統を二つ持っている。
一つは、貧しさの中に美しさの幻を見る能力であり、もう一つは、狭い土地にひしめき合っているだけに、人と人との間の細やかな気配りやマナーが行き届いているという点だ。
こういう良い点を抹殺しようとしている占領軍の教育方針は、今は日本が大暴れしたすぐあとだから当然のことだと考えられているけども、やがて日本をメチャクチャにし、世界に珍しい日本文化という貴重な財産を失わせることになるだろう」という主張であった。

日本は、今一度彼女の指摘した原点を見直すべきであろう。

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April 15, 2009

昭和史の裏面

有馬哲夫著「昭和史を動かしたアメリカ情報機関」を読了。
太平洋戦争から占領終結直後にかけての昭和史の分析である。アメリカの公文書や書簡といった記録資料を丹念に解読し、戦時情報局や戦略情報局など、インテリジェンスとプロパガンダを扱う情報機関が果たした役割に新たな光を当て、歴史の裏面を鮮やかに描き出した。
戦争は単に武力の対立だけではなく、軍事戦、政治戦、心理戦からなる。
戦争の最終的目標は、政治的成果であって軍事的成果と外交的成果はその手段に過ぎない。
特に政治戦で成果をあげるために心理戦が必要になっていく。つまり、相手国の国民の世論や兵士の士気をある程度コントロールできなければ政治的成果はあがらない。
また、心理戦に成功しなければ、一時的に軍事的・政治的勝利を収めても、相手は屈服せず、敗北を受け入れず、やがてまた立ち上がって、戦いに挑んでくる。アメリカやロシアや中国のイスラム勢力に対する戦争、その後のテロ行為の勃発を見ればこのことは明らかだ。
その意味でアメリカの対日占領政策は成功したものの代表であろう。
それを受け入れる素養が、我が国にあったと言うべきでもあろうが、無批判に受容しすぎた弊害が、今問われているのであろう。

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April 11, 2009

「米・中 暗黙の同盟」

鈴木美勝著「いまだに続く敗戦国外交」を読了。
アメリカ一極集中が終わりを告げ、国際政治のダイナイズムは劇的に変化した。国家のパワーが低下し、複合企業体、反グローバリズムを唱えるNPO 、宗教色の強いテロリスト、そしてインターネット空間でつながる群衆が割拠し始めた。即ち「衆愚の時代」・「混迷の時代」が始まった。

日本では「国連」こそが世界連邦国家への第一歩との、考え方が根強くある。しかし国連はそれ自体が世界を統治する国際組織ではなく、その時々の国際政治において演じられるパワーゲームを反映する場・「常設された外交表舞台」にしかすぎないのが実態である。
数年来、日本の国連常任理事国加入が課題とされたが、それに対しての米中両国の本音は「反対」であったし、又今回の北朝鮮ミサイル発射への国際社会の対応も、我が国から見れば「冷ややか」であった事も忘れてはならない。

太平洋を挟んで向き合う二つの超大国が結託しながらアジア太平洋地域をいかにマネジメントするかが、米・中両国の最大の戦略課題であり、弱肉強食の国際政治を生き抜く米中両国の間に「暗黙の同盟」が存在する事を忘れてはならない。

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April 09, 2009

ベースキャンプとしての家庭

昨日より新学期が始まった。
実践倫理の会報5月号の倫理宏話より。
『某大手学習塾の広告、「秋田に学べ」というキャッチコピーには「秋田の子供達の生活習慣に学びたい」とある。秋田県は本年度の学力・体力テストで、何れも優秀な成績であったが、その原点は「早寝・朝起き・朝ごはん」という生活習慣がもたらしたものであるとの分析からである。』

人を動かすもの。それは崇高な理念でもあろう。しかし現実に人を動かすものは、もっと身近なものである。
例えば暗い室内で火災が発生し煙にまかれた時、遠くから「非常口はこちらだ」と救いの声を掛けられても、煙にまかれて方向が解らない。その際手を取って非常口まで導いてくれる人こそ必要なのだ。

日頃の生活習慣こそ、真に教育の目指す「知・体・徳」に直結するのである。
その生活習慣の原点は家庭にある。高い山に登るにはベースキャンプが必要である。
家庭こそ人生のベースキャンプと言うべきであろう。

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April 06, 2009

百万一心

百万一心
北朝鮮のミサイルが発射された。
それ自体は北の思惑通り?の結果であり、我が国に被害がなかったものの、むしろ我が国の危機対応体制に混乱が生じたことは、誠に遺憾なことである。
一部識者は「オリンピック初出場の選手が重圧に負け一回戦敗退したようなもの」・「危機管理には、見送り三振より空振り三振の方がまし」と言うが、今回の事態は相手投手が投げる前に空振りする事態であり、今後に課題を残したと言うべきであろう。

自国民を飢餓状態に置きながら、国威発揚のために国際世論に反する行為を強行する「北の将軍様」に聞かせたいコトバ。
それは、「生命之光」2009・4月号の戦国大名の毛利元就の逸話である。
『彼の居城拡張した折のこと。いくど城壁を築いても崩れてしまう。そこで普請奉行は、「これはもう、人柱を立てる以外にない」と提言した。しかし、元就は次のように家臣たちを諭した。「一人の人柱によって城は建つだろう。しかしわれらが領地はいまだ小国である。家臣・領民すべてが心を一つにし、力を尽くしてこそ生きられる。皆の心こそ堅き城なのだ」
人柱の代わりに元就が用意した石柱には、「百万一心」と刻まれていた。その四文字は、「一日 一力 一心(日を一つにし、力を一つにし、心を一つにする)」とも読めるように刻んであった。城の礎にこの石が据えられてから、毛利氏の勢力は躍進した。』である。

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April 03, 2009

議会の父

松浦 玲著「坂本龍馬」を読了。
司馬遼太郎が取り上げた龍馬像は、素浪人が幕末日本を切り開く痛快な青春物語の主人公というイメージである。
筆者は龍馬の歴史的意義として、新国家日本に「公議」を持ち込んだことを高く評価するのである。
古くから我が国には官僚制支配はあったが議会制の伝統はない。
ところが龍馬は「船中八策」によって、「天下ノ政権ヲ朝廷ニ」した上で「上下議政局ヲ設ケ議員ヲ置キテ(略)万機宜シク公議ニ決ス」二院制の議会をもった国家を構想した。この龍馬の構想が、この国に議会制を導入させた。
明治以降の我が国は官僚制支配によって、いわば「上からの民主主義」によりそれなりの成果を挙げてきた。
平成の日本はその官僚制支配が行き詰ってしまった。それ故に龍馬が導入した議会制の原理に期待をかけざるを得ない。
主権者である国民による政治・議会制に立ち帰らねばならぬ。と言うのである。

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