May 2009

May 30, 2009

耐用年数

平成21年度補正予算。参院で否決を経て、衆院の優先規定により成立した。
後は、予算関連法案が「三分の二条項」により成立を待つのみとなった。
次は衆議院の総選挙であるが、現在の状況からすれば「三分の二条項」は適用しがたくなるであろう。さすれば、我が国の政治は「衆・参ねじれ現象」により何事も決められない状況になっていかざる得ないであろう。

船や飛行機にも金属疲労があるように、すべてのものには耐用年数がある。当然、政党にも耐用年数があるだろう。
組織が常に信頼を獲得し存続し続けうるには、「古い伝統と共に、新しい時代に対応する柔軟な思考方法や人材を補充できているか」にかかっている。
そういう面で長く政権を担当した自由民主党は、今最大の危機を迎えていると言わざる得ない。即ち「新しい時代に対応しうる人材を、自らの組織から締め出し相手方に送らざる得ないという、小選挙区制の弊害をまともに蒙っている。」からである。


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May 27, 2009

「実務家の見方」

加藤 廣著「空白の桶狭間」を読了。
「桶狭間の奇襲はなかった!」・「謀略によって圧倒的に不利な状況を打開した!」との構想のもと、尾張の信長・秀吉・家康の天下統一事業を実現させた「影の人々」の役割の描き出した物語である。

この著を読む動機は、佐藤 優氏の「日本人の手による本格的インテリジェンス小説として推薦する」との書評であった。
が、私にはこの著者の、尾張の三傑(信長・秀吉・家康)による天下統一の実現の原因分析の方に興味を抱いた。
それは、“張地方は洪水被害が多発し、農業生産よりも養蚕による繊維産業が中心であり、これが商業活動としての「楽市楽座」として全国へ普及する一因となった。
∩^飮唆箸禄子労働が中心であり、男子を常備兵として雇用し「兵農分離政策」をとり更に武器の近代化(鉄砲)により全国統一を実現した。 とするのである。

まさに60歳から創作活動に入った著者の前歴は、金融業界の実務に従事したものであり、その専門的見方がこの分析の基礎となっているのであろう。

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May 24, 2009

世襲

「世襲」問題が次の選挙の争点となるようだ。

我が国の伝統社会は世襲社会であった。
それは「世襲」が「家族という私生活」と「職業という公生活」とを受け入れ易く結合させていたからである。
後継者に「他人のメシを食わせて」修行させるという「丁稚奉公」という形態があったが、経済成長と高学歴社会の今日、その形態は失われてしまった。
しかし、成功者がその事業を自らのジュニアに継承させたいとの願望は、人の世の常である。
その意味で、文藝春秋6月号の「正しい二世の育て方」は面白い問題提起である。そこで紹介されている「キャバレー太郎」の異名をとった福富太郎の「現代版丁稚奉公とは?」。
それは「ジュニアを後継者としたければ、自分の身内の会社や大企業に就職させるな。倒産寸前のボロ会社で苦労させろ。ボロ会社の方がはるかに本人の将来に役立つからだ」である。

自民党が「世襲」に甘いのは、自らをボロ会社と認めているからか?
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May 21, 2009

「下山の覚悟」

五木寛之著「人間の覚悟」を読了。
この作家の「青春の門」は、戦後混乱期の日本の若者の青春の物語であり、当時の時代風潮を描き出していた。
その作家が人生遍歴を経て到った心境の吐露である。

「締める」とは投げ出す事ではない。「明らかに究める」こと。
即ち、期待感や不安などに目を曇らせる事なく、事実を真正面から受け止める。そのように「覚悟する」という決断が必要となってくる。
今、我々は「覚悟を決める」べき地点に立っているのだ。 と説き、更にその「覚悟する」べき心構えの一つとして「下山の哲学」を持つべきと言う。

我々、日本人は厳しい山を登りつめてきた。これからは「山を下る」覚悟をし、静かに着地する場所を探すべきであり、その着地点に「何を持っていくのか」を考えるべきである。  と説くのである。

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May 18, 2009

「四人の総理の通信簿」

文藝春秋6月号・「4年で4人の総理の通信簿」という記事での片山元鳥取県知事の評より。

小泉…ちょっと慢心して勉強しなくなった生徒。
安倍…意欲と意気込みだけは旺盛だけれども
   いかんせん勉強不足。それに加えて体力・気力が足りない。
福田…自分が何のために勉強しているのかが判っていない生徒。
麻生…もともと勉強する気がない生徒。
   明るくお調子者で努力無しで世間をスイスイ渡ろうとする生徒。

大変、辛辣な評である。
対する民主党の代表の交代があった。
民主党の代表候補二人には少なくとも「勉強しよう」という真面目さと・一途さと意欲に燃えている事はたしかであろう。

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May 15, 2009

松本清張

徒々に日々に送る。本年は、松本清張の生誕百年との事で、彼の一連の推理小説の文庫本版が目についた。
私の記憶するこの作家は、昭和30年よりの週刊誌の発刊ブームの際、それらに同時に違った作品を連載するという多作振りであった。
推理小説の作風は修飾語は余りなく単刀直入のストレートな表現で、それがかえって物語をたたみかけ盛り上げる効果を挙げていたように思う。

今、「わるいやつら」を再読したがその印象を再認識したが、作品の構想に時代の移り変わりを感じざるを得ない。
人と人のすれ違い、連絡方法の欠如が事件の鍵になっているのだが、携帯電話が必需品となっている今日では「事件の鍵」は虚構になってしまっている。

あらゆる物は時間・歴史という制約の内にある。それ故にそれを越える存在を人は芸術や文化に求めるのであろう。

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May 12, 2009

「一度しか来ない列車」

学士会第876号の本田由紀(東大教育学研究科教授)の投稿より。
「日本の若年労働市場は教育機関の出口において正社員ルートと非正規社員ルートが分離してしまっており、この二つのルートは永久に溶け合うことがない」という現実に対して。
どの年にどの教育機関を卒業するかによって、就ける仕事のチャンスが大きく影響する事のタトエとして「日本の若者は、一度列車に遅れると、もう二度と列車が来ない状況に置かれている。他の国では、一度遅れても、列車は次々にやってくるのに…」という外国マスコミの評を紹介している。

これから新しく社会人としての第一歩の踏み出しにおいて、本人の何等関知せぬもの(自分の卒業時期がいかなる景気状況か?)に左右されるというのは不合理の極みというべきであろう。

雇用側の自己都合による「内定取り消し」などは論外として、これら「新規学卒一括採用」にも更なる検討が必要であろう。

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May 09, 2009

「人づくり」

伊藤昌哉著「池田勇人 その生と死」を読了。
本著は絶版になっており、県立図書館からの貸し出しである。
「総理になってから、最も総理らしく成長した人」として評価の高かった池田勇人総理と、政策・政略の軍師であった伊藤ブーチャン秘書官の精神的交流の物語である。その一体感は感動を呼ぶものであり、茫々50年前の事象であるが、当時の政局は現在のそれに比べて、はるかに重厚味のあるものであった。

池田内閣といえば、「所得倍増計画」であるが、それに続いての「人づくり」政策の唱導は忘れられている。
その「人づくり」は単に「高度工業社会の生産の担い手の養成」ではなく、また「経済的な繁栄は精神的退嬰を生むが、それへの対策」だけではない。「精神の独立」「自我の確立」こそ、近代国家の要素であり、最も深いイミでの「国づくり・国防の原点」あるとするのである。
そういう面で池田内閣の唱えた「人づくり」は、いまだ未完である。 との著者のコトバは忘れてはならない。

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May 06, 2009

自主憲法制定

ヘレン・ミアーズはアメリカの日本文化研究家であり、GHQの一員でもあった。
1948年に「アメリカの鏡・日本」を出版し、アメリカは日本を裁けるほど公正でも潔白でもないこと、また列強はいかに日本の権利を認めず孤立化させ戦争へと追い込んでいったのかを主張し、マッカーサーから唯一の発禁処分とされたのである。
彼女が外国人として、日本人に気付かせてくれたものとは何であるのか。それは日本の「生きざま」である。我々は日本の「生きざま」と正面から向き合い、日本はなぜそういう行動に出たのか、何が悪かったのか、何が間違っていたのか、何が正しかったのかをしっかりと理解し、悪かったことを反省し、同時に間違っていなかったことは正々堂々と主張し、国際社会から理解されるよう努力しなければならないという事である。

彼女がこの著作で論じている敗戦直後の混乱期には、決して日本人の自主的な意志決定は出来る状態ではなかった。
憲法は、その国民の真に自由なる環境の元に決定されるべきものであり、その意味で「自主憲法制定」は日本人の当然の主張であろう。

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May 03, 2009

「で」と「を」の食育

「自由民主」5月号の、森 隆夫(日本教育文化研究所所長)の投稿より
本年4月から、新しい学習指導要領が始まった。
その改定点の主なものは「伝統と文化の尊重」・「道徳教育の重視」・「授業時数と内容の増加」・「英語教育の新設」等である。注目すべきは「学校における食育の推進」であり「望ましい食習慣の形成」が挙げられている点である。
「食育基本法」では「食育は生きる上での基本であって、知育・道徳及び体育の基礎となるべきもの」とある。即ち食物に対して感謝することは道徳教育の入り口であり、「知・徳・体育」の基礎としての食育をいかに指導するかが重要である。
問題は食「で」指導するか、食「を」指導するのかである。
つまり食の安全とか栄養のバランスといった「食を」指導することと、自然の恵みである食に感謝するといった「食で」の指導とのバランスが必要である。
「食」が道徳教育の基礎とするならば、生活習慣の確立が人間形成の基本であることに注目すべき。と指摘している。
しかし、鉛筆「で」書こうがペン「で」書こうが、何「を」書くのか、その内容こそが問われるのである。

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