June 2009

June 30, 2009

「選挙の結果は誰が負うのか?」

千葉市に続いて横須賀市にも33歳の市長が誕生した。
これは私には大変ショッキングな事であった。なぜなら私はかねてより「各級首長と議員のちがい」について次のように解釈してきたからである。即ち「首長も議員もその地域住民の多様な要望に答えねばならぬが、議員は複数選出されるが故に、専門知識を有すると判断されれば年齢に関わらず選出される事が可能であるが、首長はその地域の唯一の存在であり、その地域住民の最大多数の最大幸福を代表するゆえにオールラウンドな経験知識が求められ、それ故にある程度の人生経験・年齢が求められるのである」と

そういう観点からみれば今回の結果は「来るべき衆議院選で自民か民主か?」という事以上に、国民・有権者の「既成政党不信」・「政治離れ」は進行していると思わざるを得ない。

「各自治体トップはその支持政党を明確にすべきか否か?」が問われている。これに反対する論拠の一つは「行政の中立性・無謬性」にあった。確かにこれまでの我が国には、「政党は間違っても、行政・役人は間違わない」との信仰があった。それが今や「行政・役人は信じられない」のが通説党となりつつある事に、当惑を覚えるのは私だけであろうか?
更に一言付け加えるなら「若ければ…、新しければ誰でも良い」という風潮はマスコミが煽り当てているがその結果責任を問われるのは、有権者・国民であることも忘れてはならない。

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ryosuke_hara at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

June 27, 2009

変わる物・変わらぬ物

2ヶ月を要した入院生活も、今月末にも退院の見通しがついた。
これだけ長期の入院生活は幼稚園卒園時にわずらった「骨の発達不良」以来であり我が人生の二度目である。
長期間病床にある時の唯一の慰めは「読書」である。
第一のそれに答えてくれたのが、父の蔵書であった。  私の生涯に趣味としての「読書」はこの時以来である。今回もそれに答えてくれたのが神戸大学付属病院「やすらぎ文庫」という図書室であった。それはこれまでの入院患者が入院中に読んだ本を寄贈されたものである。

その中にフレデリック・フォーサイス著「神の拳」があり、借り出して読んだ。
著作発表時のイラクのフセイン政権は中東戦争によりあっけなく崩壊したが、イスラム勢力の反米感情は続き、アルカイダーはじめ中東テロ組織の実態も明らかにされていない。
アメリカの一方的勝利のように見えるけれども、「あれ以来15年。なにが変わり・何が変わらなかったのか」  著者は冷戦対決のもと両陣営の駆け引きを独自の記憶力と表現力で顕にしてきた。その冷戦終結と共に、その筆を置いて以来10年「いったいなにが変わったのであろうか」  というのが卒直な読後感である。

強く感じるのは「市場には論理や道徳はない」である。
人間を大量に殺したいと考えている大富豪ないしは金満国家が大量崩壊兵器を入手したいと考えたとき、市場が存在すれば必ずその提供者が現れる。核物質や麻薬、臓器、女性や子供を売買する闇市場と主要都市の為替、金、先物、証券などの各市場が本質的にまったく同じものであることを我々は忘れてはならない。

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June 22, 2009

「説教がましさ」

白石一文著「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」を読了。
本年度の山本周五郎賞受賞作品である。
私は山本周五郎を高く評価し、彼の著作はほぼ全部読んでいると自負する者の一人であるが、この作品は山本周五郎賞に値するのかな?という作風であった。
五十歳前の週刊誌編集長が主人公であるが、この主人公もガンとの戦いの中にいる人物である。政治家のスキャンダル、出版社内の派閥争い等々の生臭いテーマをいかにも週刊誌的に面白く取り扱いながら、数年前にガン手術をし、死と直面した主人公の現実世界、格差問題、機会の平等と結果の平等等、世の中の原理に幅広いテーマをそれぞれの専門家の著作を引用しながら考える姿勢は、或るイミでペタンディックな執拗さを感じさせると共に或るイミで納得させるものであった。

結局、著者と山本周五郎の共通点は、「いささか説教がましい」という事か。

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June 20, 2009

天国のじゃんけん



天国のじゃんけん
「生命之光」6月号の詩より
   子供は神様からの授かりもの。
   そう聞いたある日、
   娘たちに言ってみました。
   「みんなは、神様のところから
   お母さんのところへ来てくれたんだよね」
   次女がすかさず答えました。
   「天国でね、三人でじゃんけんして
   だれが最初に行くか決めたの。
   私が勝ったのに、お姉ちゃんが
   ずるして先にお母さんのところへ
   行っちゃったんだよ」
   そう言って笑う三人。
   私は思わず抱きしめました。     (奥田ミカル)

子供というのは、まず第一に兄弟の中で社会性を養う。そのためには三人以上の兄弟が望ましい。即ち、二人では社会は成立しないが、三人になると社会ができると聞いた事がある。つまり、二人では好きか嫌いかという個人的な問題しか起きないが、三人になると、自分の利益のためにもう一人を抱きこんで、多数派を形成せんとする計画性が生じる。すなわち、それが社会性だというのだ。

この親子の情の微笑ましさ。なりより、真中の娘の「おしゃまブリ」こそ人間関係のつながりの原点である。こういう存在があってこそ、家族・社会・地域のつながりができるのだ。
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June 16, 2009

「100年の一度」だから…。

株価が日経平均1万円台を回復し、経況判断も「上向き」と修正されたが、実感経済はそう楽観出来るものではなかろう。

今回は「100年に一度」という世界同時不況。その原因はアメリカ発であるが、我が国の経済のあり方、即ち外需依存体質により最もその影響を受け、数学的には先進国中で深刻な状況であった。

経済とは、その地域で生活する人達の暮しをより良くする仕組みである筈である。ところが外需依存体質は、企業の収益を最重視する経済システムであり、今、我が国の人々が何を必要としているか、という国内のニーズは二の次になってしまう。
エコ対応の電化製品や自動車の人気が高い。しかし、それ以上に人々が切実に求めているのは、安心できる介護サービスや年金、育児施設や医療サービスなのではないのか。
これら生活に密着したサービス系分野は、料金や質などは本質的改善が永遠の将来課題として「先送り」されてばかりいる。つまり潜在的マーケットは大きいのに、供給体制が貧弱なままなのである。
我が国の経済のあり方、外需依存体質から国民の真のニーズをくみ取る経済システムに変更させること。これこそが「100年に一度」の課題とせねばならない。「アメリカが風邪をひけば日本は肺炎…」はもう卒業せねばならない。

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June 13, 2009

「護民官の遺言」

_SL160_[1]佐々淳行著「菊の御紋章と火炎ビン」を読了。
平成も21年度である。あの激動の「昭和」も二昔前となり「歴史のかなた、遠くなりけり…」との感一汐である。皇族がテロの対象となったり「造反有理」のスローガンのもと暴力革命を実践せんとしていた「極左」が存在していた時代は、「遠い昔の物語」となっている。
その時代にあって著者は「護民官」を自負し、それら「極左」と最前線で対決した「サムライ」であった。退官後は、危機管理のプロとしての実践体験を著作として表してきた。その著者も齢、喜寿を超え、これまで自らタブーとしてきた「皇室」と「沖縄」に関する自らの体験を最後の著作として表したものである。
これまでの彼の著作は、波乱万丈、説得力と痛快さを伴う成功物語であった。が、本来の「功績は人事で処遇される」が官僚の世界の常識が、実際は「男の嫉妬の海」の中に沈められた。その当事者たる著者の、内面の心理葛藤をも描き出した。
時代は大きく変わり「治世の能吏」がもてはやされ、「ノブレスオブレージ」の精神が失われている今日、次代の「護民官」たるべき者への、遺言として敢て触れたものと解すべきであろう。

「神様は公平だ。一生を通じてみると神様は公平な人事を行うものだ」という、著者の最後の述懐は、著者の生き様を知る者として、彼の背負ってきた苦悩と苦渋の大きさを痛感させられる。

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June 10, 2009

「英語と国際人」

本年度より改訂された学習指導要項の一つは、「小学校から英語教育を導入」である。
この措置に反対する論者の一人は、藤原正彦氏である。彼によれば「国際人とは英語がしゃべれる人ではない」からである。
藤原正彦氏の「若き数学者のアメリカ」は、「アメリカ、何するものぞ!」との大いなる愛国心・自負のもと少壮の学者としてアメリカに挑んだ著者の、留学体験とアメリカ人との交流によって「国際人とは?」についての考察である。  その一部に
「バイオリンもチェロもピアノ、フルートも、他のどの楽器とも違う自分独自の音色を持つからこそ、全体として美しいハーモニーを作る。各楽器を同時に演奏したような楽器を人工的に作り出しても、それはオーケストラとしての本来のものではない」とある。

「インターナショナル」とは、その自体存在しない。あくまでも「ナショナル」なものが基礎単位であり、それらが統合結合したものである。
その意味で「日本人が真に国際人になるには、日本人とは何かを自覚する事から始まる」のであろう。それ故に「英語を少しでも早く、よりも日本人としての国語を大切にせよ!」との論理である。

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June 07, 2009

「味気の無い」誕生日

66回目の誕生日を迎えた。
我が人生で最も「味気の無い」誕生日である。
それは、約2ヶ月の入院生活を余儀なくされている最中の誕生日であり、喉元の治療のため、味覚感覚が破壊されており、食欲が無く「味気の無い」生活であり、体重は成人以来の最低のレベルに落ちてしまった。

この間、我が地元では新型インフルエンザが発症し、それに伴う風評被害により神戸経済にも多大の影響があったが、発声に困難を伴うために「モノが言えない」という「味気の無い」気分で適切に対応できなかったことは誠に遺憾である。
今しばらくの治療の結果を見て、自らの出所進退にもついても決断しなければならないというような心境でこの誕生日を迎えている。

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June 03, 2009

独自の多様性

東谷 暁著「日本経済の突破口」を読了。
小泉構造改革は結局、日本破壊活動にしか過ぎなかった事を当初から主張してきた著者の、サブプライム問題発生後の我が国の経済現況の分析論である。
その主張の論拠は「日本という国家・日本人という国民にとって何が良いのか・何が悪いかという観点から判断する事」であるとする。
世界経済が圧倒的勢いで多様性を増加させている今日「我が国はその多様性の一部になるのではなく、我が国内部に多様性を生み出して対応するというのが、我が国の独自の危機脱出法であることを想起するべきである」とし、更に「雑種文化論的に見ても、日本の強さは多様性を抱き込むことにあったわけであり、また生態史観的にも、世界の多様な文明を蓄積してきたことに日本の独自性が位置づけられる」のであり、
更には圧倒的に強大な世界が近隣に生まれた時には、我が国は自国内に独自の世界・独自の組織制度を作り上げ対応してきた事こそ忘れるべきではない。 とするのである。

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