August 2009

August 31, 2009

政権交代

選挙の結果は民主党の圧勝。民主党の勝利というよりも、自民党が自らコケた結果であろう。
今回の「政権交代」を革命的な出来事と言うが、私は、「政治の流通革命」であると言うべきであると思う。
端的に自民・民主両党の主張の違いは、政府が集めた税金を個人に配るのか、組織に配るのかの違いである。(象徴的に子ども手当てを家庭に配るのか、幼児教育の無償化のために保育所や幼稚園に配るのかの違い)
組織に配れば組織の中にいる人間は潤うが国民全体が潤うまでには時間が経過する。公共事業がその典型で、工事代金をもらう人にはありがたいが、その金が他の分野を潤すまでには時間がかかる、中間搾取(無駄使い)もある、又、今日のような財政状況の中では公共事業が少なくなることで潤う組織も少なくなり、他分野にも恩恵がまわらない、これが自民党の限界となったのであろう。
直接消費者に配るのと、問屋に配るのとの違いである。「個人に配るのか」「組織に配るのか」の違いを「政治の流通革命」と言う所以である。

小選挙区制が導入された以上「政権交代」が行われるのは当然のことで、野党に転じた自民党が「いかなる野党として行動するか」、それが日本に「政権交代」を定着させ「政治を国民本位のもの」に変化させる筈である。

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ryosuke_hara at 16:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

August 28, 2009

生き様の貴賤…その

半藤一利著「人物・太平洋海戦」を読了。
昭和44年刊行の、先の大戦に生き残った人物に取材した「生と死のドラマ」の記録であり、今は絶版となっている。

著者の言う「生き残った者は、誰もが、多かれ少なかれ死の危険にさらされていたのであり、死んだ者とは紙一重の差によって偶然に生き残ったのである。8月15日は、この異常な状態に終止符がうたれた日であった。しかし、あまりに大きな体験であったから、その本当の意味をつかむことは、今になっても困難なのではあるまいか。戦争で失われた多くの生命を、生き残った者が、どうして弔ったらいいのか、私たちはまだわからずにいる。それがわからないかぎり、私たちは真の終止符をうったとはいえないのではないか。」との問いかけは永遠のものであろう。

巻末の「靖国神社の緑の隊長」の物語は、靖国神社の一隅で毎年銀杏の苗木を育て、全国の戦没者に送る人の話。
彼は「靖国とは青を立てる」と書く。「全国を緑化することが平和につながる。20年もたてば日本中を平和な緑で飾れるであろう。が、私も20年後にはいないから、この運動もどうなるかね」と言っていた。
しかしその運動は現在も「靖国植樹会」として続けられている。

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August 24, 2009

生き様の貴賤… その?

遙かなり真珠湾阿部牧郎著「遙かなり真珠湾」を読了。
山本五十六に重用された参謀・黒島亀人の生き様の物語。
これ程、人生の前後半で評価の別れる人物も稀であろう。
前半生は恵まれぬ家庭にありながら、異能ぶりから山本司令長官の先任参謀に抜擢され、開戦劈頭の真珠湾攻撃の作戦を担当する。その奇抜な作戦構想と「最後通牒の手交時間と攻撃開始時間の整合性」に考慮するなど、国際人としても第一級の軍人として評価出来るものであるだろう。
山本五十六の戦死以降の後半生は、「人間の特攻兵器化」への発想・推進役の先頭に立ち、多くの若者を無駄死にさすも戦争犯罪には問われず、自己保身の為に記録を改ざん切除するなど、人間としての評価は下げるばかりである。

「緻密な企画力を身上とする半面、黒島は感情に走りやすい性分だった。甲殻のように全身を覆っている合理主義、冷酷さ、非常さにひびが入ると、噴きでる感情がおさえられなくなる。」と著者は評する。
「戦いに必要なのは戦理ではない。闘魂なのだ。やってみなければ分からない。」と突進するばかりでは、周りの人間は大迷惑だ。

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August 19, 2009

生き様の貴賤

_SL160_[1]早乙女貢著「わが師・山本周五郎」を読了。
世間をして「狷介にして頑迷・へそ曲がりの文士」と呼ばしめ、「曲軒」と仇名された山本周五郎の弟子として、周五郎の人となり、作品を概観し若き日の孤独と絶望、又晩年に指向した宗教性に言及したものである。

「職業や身分に貴賤はない。しかし人間として生き方には厳然として貴賤はある」
「小説に純も不純もなければ、大衆も小衆もない。いい小説かわるい小説か、この二種類だけである。」
「いい小説には常に新しい人間の発見がある」とする周五郎。
政治の目も届かない。あるいは道徳や倫理の埒外に置かれた貧しい生活の内で、生き方だけでもまっとうに生きようとする周五郎作品の世界は、敗戦による無一物の灰燼の内から復興に向けて血の涙・血の汗を流した庶民の共感を得るものであった。

周五郎の絶筆となった「おごそかな渇き」が未完に終わったのは、彼の生き様を象徴するように思われる。

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August 16, 2009

官僚改革 その

戦後高度経済成長期の政策は、西欧諸国に「追いつけ追い越せ」がキャッチフレーズであり、先進国のモデルを「より良き改良型」の政策を追求すれば良かった。
我が国の優秀な官僚たちは、諸外国のモデルがあれば、それを改良・改善するのは、得意の分野であり、「世界の奇跡といわれる経済成長」はその成果であった。

政策は役所の官僚が考案し、「政治」はそれを追認するのみであった。その間、「政治」が関与したのは、「指名業者に入れろ」とか「規制の抜け道はないのか」などの枝葉末節のことだといって過言ではなかったろう。

今我が国が直面している少子高齢化等の諸課題は、世界にモデルはない。それ故に「正解のない問題に答えを出さなければならぬ」事態である。
対策を誤れば国民生活に影響は大である。その政策の失敗の結果は国民が負うからである。
政治家は選挙でその責任を問われる。それが「政策選択」というものの実態である。

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August 14, 2009

官僚改革…その

「官僚たちの夏」の主人公はきわめて官僚的であり、ある意味では全く非官僚的であるという複雑な人格である。「俺のしていることは絶対に国のため、国民のためになる」という強烈な自信、それが時として説明不足となり、高圧的にうけとられたりする一方で、秀才官僚にありがちな打算、保身のテクニックを全く欠いている。これら両々あいまって「おやじさん」と部下から慕われる人格を形成させた。
主人公は通産省という自由裁量の予算も少なく許認可権も減少する中で、行政指導のみで各産業界を引っ張っていく役所では、その衝に当たる役人の個性と能力がキーポイントであり、「才能を見出し、それを適材適所に配置する」人事こそ「通産省の命」だと考えていた。
そういう「公益」を重視する「官僚」の人事を「政治」は追認していたのが現実であった。

それが現代の推移と共に「官僚」は「身内の利益・自己保身の利益」のみで人事をするようになった。それは、単に「官僚」側のみに、その責めを負わせるべきであろうか。
「政治」の側のリーダーシップこそ問われるべきであり、今回の選挙の争点となるだろう。

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August 11, 2009

官僚改革…その

次回衆院選の主要テーマは「官僚改革」であろう。
時あたかも、毎日TVで「官僚たちの夏」が放送されている。
これは城山三郎の原作であるが、このTVの内容は独創的な脚本である。
この主人公は、戦後経済の回復・勃興期に、自らの仕事に対する自負と矜持を持つ官僚達である。
確かに、我が国は国民の旺盛な貯蓄率、貪欲なまでの設備投資、高い教育普及度と勤勉性、それらによって「世界の奇跡」と言われる経済的繁栄をもたらしたが、それらを主導したのは、限られた資源・エネルギーを有効配分し、徹底した国内産業保護政策を採り、「全体の奉仕者」としての「護民官」の精神を持ったこれら官僚の存在であった。

原作を読み直すと、この困難な時代には政界にも官界にも「おやじさん」と呼ばれる風格と気骨をもった存在があった。
それは「護民官」として、ノブレス・オブレージュの精神の持ち主であり、それが豊かな社会になった今日、失われているのが最大の問題であろう。

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August 08, 2009

農民にとっての「桃源郷」

下川 博著「弩」を読了。
黒澤映画の傑作「七人の侍」・(悪党の略奪に対抗するため、百姓が侍を雇い自らも武器を持って戦い勝ち抜く物語)の原作かと思わせる小説である。
14世紀の因幡の国での物語。  その地域では特産品を商品化し豊かな地域社会を作り出していた。その地域を元の領主が盗賊となって略奪の戦いを仕掛けてきた。
それに対して「胡人」(蒙古来襲時の渡来人)である侍の協力を得て、百姓が対抗する物語である。その武器が胡の「弩」であり、それが小説の表題となっている。

ちなみに、農民が目指す「桃源郷」とは、「人が年齢の順に死んでいける土地のことだ」

映画のラストシーンは、戦いのあと「村を挙げての田植え」シーンであった。そこには生産の喜びがあり、「侍なんぞ必要ない」とする誇りが垣間見られたが、「農民」は略奪の対象であるとの歴史観が一般的であるが、実は豊かな地域社会を形成していた。のも事実であろうか?

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August 05, 2009

「偉大な悲劇」と「惨めな笑劇」 その

安倍・福田と一年足らずで「政権投げ出し」内閣のあと成立した麻生政権は、国民の審判に基盤を持たず、しかも、ほとんどマニフェスト(政権公約)抜きの自民党総裁選によって成立した政権の混迷ぶりを如実に浮き彫りにしている。
「ただ選挙に勝てる総裁」して選出され、「小泉路線の継承者(小池候補)」に勝った点で、本人は小泉改革路線の転換のフリーハンドを得たが「何をすべきなのか、何をしてはいけないのか」、その規律がはっきりしないままで出発した政権であり、それは「首相の資質」や発言のブレによって「選挙に勝てる人気」が低迷すれば、党内でのリーダーシップを喪失せざるを得ず、それは何より自らの陣営の求心力の弱さとして露呈している。
即ち党内の「人気投票」だけで首相の座にたらい回ししてきたという政権の成り立ちにこそ、政権党としての低迷の真因がある。と言わざるを得ない。

「政権のメルトダウンとともに政権党内部もメルトダウンの様相を呈している」とするのである。
それは我が国にとって「悲劇」になるのか「喜劇」になるのか?

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August 03, 2009

「偉大な悲劇」と「惨めな笑劇」 その

小泉政権と安倍・福田政権の違いについて。著者はある官僚の感想をひいている。それは、「首相が本当にうまく官僚を使いこなしていれば、その政権は官僚主導政権とは決して言わない。そういうものだ。」と。
安倍・福田政権はそれぞれに「お友達」や「側近」が勝手に動き出し、政局全体の決定権が何処にあるのか、判然としなかった。その原因は両者とも各省大臣の経験無く「官房長官として促成栽培」された故に、「官僚を使う」「組織を動かす」という観点からは、総理としてのリーダーシップは発揮できなかったからである。
即ち「お友達や側近」との付き合いは出来るが、国家統治組織としての官僚組織を使いこなせなかった。とするのである。
これに対して小泉政権は「選挙で大勝した」という圧倒的事実とともに官僚組織の司令塔としての一心同体の黒子役(飯島秘書官)が存在し、「いざ、政局の有無」には総理としてエネルギーを集中し、効果的にトップ・ダウンの決断をし、リーダーとしてのオーラを発揮した。
政局政治家としての資質と覚悟と戦略の有無の違いというのである。
ならばその後の麻生政権について、どのように評価するのか?

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