January 2010

January 31, 2010

「キョロキョロ」する日本人

内田 樹著「日本辺境論」を読了
『日本人には自尊心はあるけれど、ある種の文化的劣等感が常につきまとっている。本当の文化は、どこか他の所で創られるものであって、自分の所のは、なんとなく劣っているという意識である。
又、日本人は世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」と言われる。私たちに世界標準の制定力がないのは、私たちが発信するメッセージに意味や有用性が不足しているからではなく。「保証人」を外部の上位者につい求めてしまうからです。
それは、日本人が一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族であるからであり、その辺境人であるが故に「最高の効率で学ぶ技術」を進化させた。』と言うのである。

それが過剰な形をとって現れることがある。
「なんだかよくわからないもの」に遭遇した時、判断を留保し、時間をかけて吟味し、それが何であるかを究明しようとするのではなく。とりあえず宥和的な態度を示す。そのままぼんやり放置しておく。そして、誰かが「これはすごい」と言うと、たちまちそれが集団全体に無批判に受け入れる。という形である。

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January 26, 2010

笑わせて、ホロリとさせて

吉村英夫著「ヘタな人生論より「寅さん」のひと言」を読了。
筆者は「山田洋次監督の全48作の「男はつらいよ」の台本を再読し、山田は易しい言葉で深い思想を表現できるという意味では大衆的な基盤をもった芸術家であり、その一番大きなテーマは放浪と定着の相互憧憬である。」と言う。
主人公の寅は、「放浪」であり、「定着」する観客は、寅のなかにそうありたくない自分や、そうありたい自分を見るのである。即ち観客は、寅と自分とを重ね合わせて自己点検をするのだ。その一体感が48作ものシリーズものとしたのである。

その最後の作品の地に、神戸が選ばれた。神戸があの震災に遭遇した際、お互いに支えあう精神、ボランティア精神こそ日本人の共感を呼んだが、「寅さん」こそ日本人の原点である故に、「男はつらいよ」の最後の作品の撮影現場になった事は象徴的である。

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January 21, 2010

様変わり

日本では「お天道様が見ている」というのが罪の意識であり、「世間様に顔向けができない」というのが恥の意識である。
ところが戦後、ルース・ベネディクトの『菊と刀』の影響で、「欧米は罪の文化、日本は恥の文化」とされ、「日本人には恥はあるが、罪はない」とされてきた。しかし最近の世相を見ると「罪はあるが恥は無い」というように「様変わり」しているのではないか

政権交代が行われた際、民主党の党員や鳩山内閣の閣僚は「自分のコトバ」で政権交代の意義を語っていた。それは新鮮なものとして好感を持って世間に受け入れられた。ところが今はどうだ。総理の故人献金や脱税容疑、また幹事長の政治団体の土地購入問題などでは、民主党の役員も閣僚も一様に「自分のコトバ」を無くしてしまっている。まさに「様変わり」である。

「検察と闘ってください」とは「幹事長を信頼する。それ以上の意味は無い」と言っても、「トラスト・ミー」と言いつつもその相手の信頼期待を裏切った人のコトバはそのまま信じられないであろう。
「責任者のコトバの重み」も「様変わり」である。

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January 17, 2010

せんせ

中勘助せんせ鈴木範久著「中 勘助せんせ」を読了
私の敬愛する作家、中 勘助と実際に「交わり」のあった人達との交流の場、著者はそれを「無宗教的宗教」を基礎としての「無教育的教育」の塾であった。とするのである。
そこに集う人々は、中 勘助を「中せんせ」と呼んだ。「せんせい」といはずに小学校の子供たちが答のでたときに、教壇の先生に手をあげていうときの「せんせ」である
中さんは、その前半生の家庭から、ついぞえられなかった何かを、ようやく晩年にして「静かな時の流れは誠に静かである」との心境に至って、無教会派キリスト教を信奉する若人との「交わり」の中に見出したのであろう。
「無宗教的宗教」は妙な言い方ではあるが、「無宗教」の勘助をも「無教会」の塩田らをも包む精神世界である。既成の宗教や教派とは異なる意味で「無宗教」である。その核心には超越的なもの、しかし単純・純粋なものである。
それは、心の温かさ、思いやり、仏性、真実、誠実、実質、淡白、自由などの言葉で表現されるものである。中さんは、それを決して説教するのではなく自らの生き方で示し、人々はそれを受け止めただけだから、「無教育的教育」の塾であるとしたのであった。

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January 11, 2010

マスコミの怠慢

鳩山一族その金脈と血脈佐野眞一著「鳩山一族、その金脈と血脈」を読了。
昨年最大の出来事は、「政権交代」。祖父の鳩山一郎が誕生させた政党、結党後一貫して長期政権を維持してきた自由民主党を、その創設者の孫である鳩山由紀夫が政権から引きずり下ろしたのである。「歴史の皮肉」というべきであろう。

正月休みに暇つぶしに読んだものであるが、ここで指摘されている事実に驚いたのが実感である。「鳩山家の浮世離れした金銭感覚、対人関係(特に女性関係)」の指摘が事実であるならば、「鳩山は宇宙人的感覚の持ち主」としかマスコミが指摘しないのは、怠慢というべきであろう。
あの田中角栄ですら総理に就任した後は、マスコミは批判の対象として厳しく対処してきた。いまだ鳩山内閣は成立して時間がないとはいえ、「故人献金」等の政治資金規正法違反のみしか言及せず、母親からの贈与脱税について指摘しないのは、マスコミの怠慢というべきであろう。

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January 05, 2010

年の始めに

アメリカの大統領の就任演説は、常に「建国の精神」に立ち返り、それは国民的合意を持って迎えられる。
不幸にして我が国では、「建国についての初期設定」に国民的合意が存在しない。ある人は「敗戦」を。ある人は「明治維新」を。ある人は「天孫降臨」をと。
それ故に危機に直面した時に「外国ではこうだが、日本ではこうだ」のように他国との比較だけで議論し、「時代を超えて継承すべき国民的合意」が存在せず、議論出来ないのである。

NHKの「坂の上の雲」第一部は終了し、第二部は本年末からだそうだ。
その冒頭は、「誠に小さい国が開花期を迎えようとしている」で始まる。
明治の初め、何も無かった我が国は、志ある青年に各分野を担当させ、新しい国創りをスタートした。人々は、「志」「一途さ」「懸命さ」でもって、その任を全うせんとしていた。
まさに「坂の上の雲」を一途に追い求めたのである。
そこに我が国の「初期設定」を定め、「国家の原点」を定めるべきではなかろうか。

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January 01, 2010

新年のご挨拶

御健勝にて新年お迎えのこととお慶び申し上げます。
昨年はまさに激動の年でありました。経済的には「百年に一度」とも言われたアメリカ発の世界同時不況の克服に追われた年でありました。政治的には永年の課題でもあった「政権交代」が実現いたしました。が、政権移行の混乱に加えて円高やデフレ・スパイラルの危惧などの諸課題の「先送り」ばかりであります。
新年・平成22年の干支は「庚(かのえ)・寅(とら)」であります。
「庚(かのえ)」は、汚れを洗い清め償う意味であり、革命による断絶ではなく、「更新により進化させる」を意味します。「寅(とら)」は、人が向かい合う象形文字であり「たすけあう」意味であり、志を同じくする者が助け合う事によって進歩する意味であります。「さんずい偏」をつければ「演」・(のびる)になるのであります。
その意味で激動・激変の年の平成22年が、政治的にも経済的にも人々が立場の相違を超えて「たすけあい」更新進化させるという干支「庚・寅」通りの年となる事を祈念して、新年のご挨拶といたします。

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