March 2010

March 29, 2010

国際金融の闇

手嶋龍一著「スギハラ・ダラー」を読了。
日本初のインテリジェンス小説と評された「ウルトラ・ダラー」の著者の第二弾である。この著者の作品の精華は、どこまでが事実でどこからがフィクションかという、虚実の皮膜にあると言える。
ブラック・マンディ、9・11テロ事件に端を発する金融危機、そしてリーマン破綻等の金融パニックの背後にうごめく存在を探る。その過程で第二次大戦下のナチスによるユダヤ排斥、それによりユダヤ系避難民がシベリアから日本を経て、アメリカ、中国、ヨーロッパへと流浪・苦難の旅に出る。その苦難の旅の中での為替交換の経験が、彼等に金融の知識を蓄積させ、それがデリバティブ、先物取引を利用した現代の金融戦争に勝ち抜き巨万の富を生み出す情報網を築きあげさせた。
その原点である旅出のビザを与えた者としての「杉原千畝」を、インテリジェンス・オフィサーとして評価せんとするのである。
多彩な情報を盛り込んでの著者独特の語り口が、外交の舞台をよりキラビヤカに描き出している。

バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感記〜日々私が思うこと〜 

March 26, 2010

「密約」について その2

塩野七生が文藝春秋に『「密約」に想う』と題して投稿している。
彼女はマキアヴェッリの、「天国に行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである」を引用して、「戦争に敗れて失った地を、交渉によって取りもどすというのは、歴史的に稀有な難事である。「沖縄返還」は誠にその難事であった。その難事を成し遂げるために「他策ナカリシヲ信ズ」として「密約」は結ばざるを得なかった、つまりウソをつくしかなかった当事者は、地獄に落ちる覚悟、断腸の想いでやったことに違いない」、と。
更に彼女は言う
「この密約を非難することは、無駄だけではなく醜悪でさえある。なぜならそれ以降の日本の指導者たちは、他策ナカリシト信じたからウソをついたのではない。自分が先に天国に行きたいという卑しい自己保全か、単なる無知か怠惰で、知らんぷりをきめこんできたに過ぎない。国民もまた冷酷な国際情勢に目をつぶって、無知で怠惰で安楽に過ごしてきただけだから。今「密約」問題を取り上げてトクすることがあれば、国民全員が現実を直視する勇気と必要に目覚めることだろう。」と
「国士」たらんとした若泉 敬さんに献じたい一文である。

バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感記〜日々私が思うこと〜 

March 23, 2010

困った時代

母の命日に月参りしてくださる住職が、その折に持参される浄土真宗の雑誌MIDOsan3月号より。
『最近のお葬式で受付に「香典辞退」と掲示されているのをよく見かける。その理由は「香典返しが面倒であるから」である。
まさに地域社会の崩壊、近隣の人間関係の絆の希薄さの表れである。
本来、香典というのは「故人を偲んでお香をお供え下さい」という意味の一種のお布施である。故に「こちらの都合でお断りする事ができる」ものではないのである。本来の趣旨が判らなくなっている。困った時代である』と。

たしかに「香典返し」には返す方も返される方も悩むものである。「モノ」でしても無用のモノが多いし、「商品券」であるのも御無礼にも感じる。
「香典返し」の対象として社会貢献を目指す公益法人への寄付とすればどうか。
公益法人への寄付によって「故人の意思に沿う」趣旨の「社会への恩返し」にも合致するのではないかと思う。

バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 16:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感記〜日々私が思うこと〜 

March 19, 2010

「密約」について その1

沖縄後藤乾一著 「沖縄核密約」を背負って―若泉敬の生涯」を読了。
「核兵器時代の国家の安全保障」を専門としてきた国際政治学者が、「学者」としてよりも「国士」として国の主権の回復を願い、安全保障への国民の主体的取り組みを願い、それを実現させる「密使」として生きんと決断した。
「沖縄返還」を実施させる為に「核密約」を締結せざるを得ぬまでの舞台裏と、それ以降の進展振り(現実政治の中での世俗的取引や、独立自尊の防衛議論が棚上げにされたまま)等から、一切の人間的交際(学会はもちろん家族親族とも)を自ら拒絶し、国事犯として自裁せんとするまでの精神的葛藤を描ききった労作である。

若泉 敬さんの真情は、こうであったろう
一つは、沖縄県民に過剰な負担を強いた事への自責の念。
二つに、一部国民の狡知傲慢な生き様。その端的な現れは、「アメリカが日本の国益を損なうような要求をするのは、それだけアメリカが『身内』であるからである。だから『金で済む話』は聞いてやればよい」という奇妙な信憑への失望である。

バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感記〜日々私が思うこと〜 

March 16, 2010

全人格的教育

近代日本の礎は明治維新にある。この礎を築いた人々は「忘れられぬ日本人」として、その成し遂げた功績とともに永遠に語り継がれる。曰く江戸無血解放の西郷隆盛、近代国家体制創設の大久保利通、初代内閣総理大臣の伊藤博文、等々である。
その「忘れられぬ日本人」の一人として、吉田松陰が上げられる。彼は何等歴史に残るような功績は残していないのにである。ただ彼は弱冠30才で刑死するまで、幕末明治初期に大きく活躍・活動した長州人に多大な精神的影響を与えた「教師」であったにすぎない。
しかも彼の「教えた内容」は実践にすぐに役立つ実用の学問ではなかった。ただひたすら人間としての「生き様・心構え」を説いたのである。
今、「次世代を荷う若人への教育を見直すべきだ」という議論がある。
その「教育」のためには「教える立場にある人」に、その基礎は学問的知識の充実よりも、教える人その人の「人格的包容力」である事を認識させるべきであろう。

バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 16:29|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 雑感記〜日々私が思うこと〜 

March 12, 2010

「計画」と「見直し」

県会予算委員会での審議より
計画とか作戦は、その実行と目的達成が当然の事ながら前提となる。
そのために途中で障害になるようなものに対しては排除したり、計画そのものの見直しがなされなければならない。
政党にとっては、その計画や作戦に相当するものは政策であり、実現されない政策は「絵にかいた餅」であり、自己満足にしかすぎない。
行政にとっても、その計画や作戦は多々ある。
しかし、一度計画決定しておきながら、長期間放置されているものがある。放置されているだけならまだしも、その計画決定により所有権の処分が制約され対象地域の住民に多大な影響を与えているものがある。
その一つの例として都市計画道路の決定がある。
平成20年現在兵庫県内では2,880kmにも及ぶ街路事業で都市計画決定がされている。
古いものは戦後すぐに計画決定されながら、今日まで60年という長期間事業着手されていないものが残されている。これらの「見直し」対策を問うた。

バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 16:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感記〜日々私が思うこと〜 

March 04, 2010

悪人

吉田修一著「悪人」を読了。
この物語のテーマは二つのフレーズに尽きる。
一つは「私を待っている人が居る。そこへ行けば…。そこへ行きさえすれば私を愛してくれる人が居る。これまでそんな場所があっただろうか」である。
昨今の若い「男と女の交わり」は援助交際とか出会い系サイト等、我が青春時代には考えられなかった状況にあるものの、この物語は不幸な生まれ育ちで、孤独ながらも平凡な生き様の男と女の平成時代版純愛物語と言うべきものである。

二つは物語の終幕で主人公が問いかける「あの人は悪人だったんですよね?その悪人を私が勝手に好きになってしまっただけなんです。ねぇそうなんですよね?」である。
作者の登場人物たちに対する視線は常にクールであり、時に意地悪なまでに冷静である。だがその冷徹なまでの「悪意」には、上から温かく見守るというような知識人の「善意」のような虚構はない。誰もが善人であり悪人にもなりうる現実を見つめる冷徹さである。

バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感記〜日々私が思うこと〜