June 2010

June 30, 2010

「身内意識」と「国技」

ワールドカップ決勝トーナメントへの進出したサッカー界は、国民の熱い応援を受けている。これは国民の身内意識が一体化した開放的な姿である。
一方、国技とされている大相撲界は、不祥事で国民の批判を浴びている。これはその特殊な業界の身内意識の閉鎖的な弊害である。
これは「身内意識」の善悪両面の現れである。

その事から思うに、現在「大相撲は国技」と言えるのか?
その昔、日本男児たるものは心身の鍛錬で「体でぶつかり合う」相撲を体験した。その体験がその道の強者である大相撲に対する尊敬敬意に結びつき、「大相撲は国技」となったのであろう。
しかし現在はどうであろうか。
現代は「野球」や「サッカー」を体験する者に比べて「褌を締めて、相撲」を体験する者は少ない。それはその道のプロに関する関心が、大相撲よりも野球やサッカーが圧倒的に高い事からも明らかである。
大相撲は国民の身内意識から遠い存在となりつつあり、もはや「日本の伝統文化の一つ」としか言えないのではないか。

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ryosuke_hara at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

June 26, 2010

マスコミへのレクイエム

本田靖春著「警察回り」を読了。
著者はその遺志で、葬儀、位牌、戒名は一切無し。遺骨は富士山麓の霊園にある文学者の墓標の一隅に、著作にちなんで「本田靖春、不当逮捕」とだけ刻ませたように、マスコミ人として「金銭、出世、名誉」の三つの欲を超越して生きんとした人物である。
この著は、著者が駆け出しの記者の頃、上野署の裏にあったトリスバーのママさんと、サツまわりの記者たちが織りなす人間模様を縦軸としながら、戦後の混乱期の世相や「言論の自由」を取りもどしたマスコミの有り様を活写している。
しかし、著者はそのマスコミの前途に大きな「落とし穴」をも予見するようになる。
それは、権力を構成するMは、Majority Money Machiavellismであるが、それに加えて多大な影響力を持つようになったマスコミに忍び寄る陰影である。
マスコミが、時の権力をチェックする機能を果たすという本来の機能から、権力の一部となろうとする「権力との癒着」の影であり、そのマスコミへの警告とレクイエムをいち早く言及した人である。

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ryosuke_hara at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

June 23, 2010

燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや

本日は沖縄全戦没者追悼式の日である。
先日、NHKスペシャル「密使若泉 敬・・・沖縄返還の代償・・・」が放送された。
製作者の意図は「密約まで結んで本土復帰させた沖縄返還交渉は、アメリカの思惑通りであり、その代償(基地の自由使用)は余りに大きい」とするものであった。
私は異なった解釈をしている。
若泉さんは「敗戦によって失った領土を交渉によって返還」という難事を成し遂げた事を誇示するような人ではく、むしろ「領土の返還を通して、敗戦によって失われた国民の独立の精神を取り戻す。この実現に自らは黒子に徹す。」として、返還後は世俗から完全に隠遁した人である。
しかし、国民は、「沖縄の痛みを自らの痛み」とせぬばかりか、「国家の安全保障」は論議さえされず「愚者の楽園」を享受するばかりであった。
その事への抗議が「他策ナカリシヲ欲セント信ズ」の発刊であり、それさえもが国民有識者から「無視黙殺」されるに及んで、最後は「結果責任」を負うべく「沖縄県民への嘆願書」を遺書として自決したのである。

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ryosuke_hara at 10:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜 

June 18, 2010

今、政治に問われているもの

塩野七生著「日本人へ リーダー篇」を読了。
外国から観察した日本の現状への警告の書である。
「個々の人間は全員が同じ質の能力の持ち主ではない。第一層は刺激を与えるだけで能力を発揮する人。第二層は安定を保証すれば能力を発揮する人。そして第三層は、刺激を与えても安定を保証しても成果を出すことの出来ない人である。その割合は、二割、七割、一割あたりである。戦後の日本の成功は、生産性に劣っても圧倒的多数のこの第二層を活用しきったところにあった。
しかし、時代は変わった。悪しき平等主義、成果第一主義である。これが無視できないマイナスを併せもたらした。
その最大のものは、安定を保証されなくなった第二層の生産性が低下し、消費の低下というマイナスである」と。

今、我が国に問われているのは、管新総理の言う「最少不幸論」ではなく、国家の中枢をなす中間層が安全に生活しうる社会を実現することであろう。

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June 12, 2010

義の人

門田隆将著「この命、義に捧ぐ」を読了。
主人公根本 博は、終戦時北支那方面司令官として、軍人に課せられた「邦人の命を守る」という最大使命を果たすため、邦人を帰国船に乗せるまで、上層部からの絶対の「武装解除命令」に従わず、蒙古在住四万人の邦人と三十五万将兵を無事に帰国させた。これはスターリンに対し武装解除した関東軍が、多くの将兵にシベリア抑留という悲劇をもたらした事と対象的である。この無事帰国に協力してくれた蒋介石に対する恩義に報いるために、4年後に台湾に密航し国府軍を作戦指導、台湾を共産化から守り独立させた。
その事実は、正式な史実の中では完璧に消されていた。独立への外国人の貢献を消し去ったのは、台湾が持つその複雑な歴史ゆえである。
著者は、その根本の実際の行動を知る人物や、根本ゆかりの人間を探し出す困難な作業に挑戦し、昨年の現地・金門島での「戦役六十周年記念式典」に遺族の招待を実現させ、台湾の歴史家をして「根本さんは人間としての価値を求めて台湾に来た。それは“意義のある死に方”だったのではないか。そういう日本人が現実に存在したことを、台湾人は忘れてはならないと思います」と言わしめたのである。

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June 09, 2010

衣替え・・・その4

管新政権は、好感を持って迎えられたようだ。政権交代以来、迷走ばかりの鳩山前総理が、不意をつく形で「普天間問題と政治とカネの問題により、小沢幹事長を道連れに辞任する」と決断した。「形容詞ばかりで動詞がない」、「総理の資質に欠ける」と評された政治家が示した「散り際の美学」であった。
政権交代の第一幕は「政治以前」のまま国民からアキレハテられて幕を下ろした故に、管新政権による第二幕は「政治の始まり」として評価され、衣替えは成功したと言える。
しかしこの衣替えは、「小沢外し」の貫徹なのか単なる「小沢隠し」なのかは、今後民主党に問われるであろう。

何はともあれ、政治とカネにまつわるダーティーな部分の鳩山・小沢のツー・トップを外しただけで評価が乱高下し、日米関係の混乱や沖縄と本土の亀裂、将来の財政への見通しなしに選挙目当てのバラマキ政策に関しては何も言及せぬ世論、「民主主義」ならぬ「民意至上主義」にはアヤウサを感じざるを得ない。

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June 04, 2010

衣替え・・・その3

管 直人が新総理に選出された。
ローマ史研究家で文明批評家でもある塩野七生さんは、ローマ帝国滅亡の理由として
「軍事力が弱体化したのでも、経済力が衰退したからでもない。皇帝の交代が激しく、それ故に政策の継続性が失われることによる力の浪費の結果としてローマは滅亡したのである。危機の打開に妙薬はない。人を変えたとしても目覚しい効果は期待できない。やらねばならないことはわかっているのだから、当事者が誰になろうと、それをやり続けるしかないのだ。」と指摘している。

我が国の政党は与野党共に、たびたび「表紙」を変えて選挙目当てのバラマキ政策を「やる」よりも、やるべき政策を「やり続ける」こと。とのことであろう。

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June 02, 2010

衣替え・・・その2

鳩山総理はかねて課題の沖縄問題を、あたかもスーツからかりゆしウェアに衣替えする如く前言を翻して、公約通り?「5月末に決着」させたつもりらしい。
この決着は連立与党・地元沖縄・アメリカの三者の合意で始めて効力を持つ筈のものであり、アメリカとの共同声明だけで、肝心の地元の拒否反応が激しければ、この合意に何の意味があるのか。
鳩山総理が日本国のリーダーとして第一に優先すべき事は「日本国民、この場合、負担の大きい沖縄に少なくとも納得してもらう」事である。
その事を差し置いて「アメリカに感謝された」と表明するのは、この総理はどこの国の代表か?という事になる。
鳩山政権発足8ヶ月、この問題は限りなく原点に戻ってしまった。
否、それ以上に「沖縄はまたしても切り捨てられた。」との印象、即ち「本土対沖縄」の対立の構図が出来てしまったことは、取り戻し難い大きなマイナスである。
この一事だけで、鳩山総理自体を「衣替え」せざるを得ないのは当然であろう。

この原稿を作成した直後、総理は辞意表明をした。
「コトバに責任を持つ政治」は踏みとどまれるのか。

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ryosuke_hara at 10:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感記〜日々私が思うこと〜