March 2011

March 29, 2011

「戦後」から「災後」へ

読売新聞の御厨 貴教授の論文より。
『「3・11」は、新生日本の「戦後」に、ピリオドが打たれた日である。「戦後」は劇的な変化のないまま、いつまでも続くと思い込んでいたところに、「3・11」の到来である。大震災と津波さらに原発災害という強烈な体験を迫られた日本は、「災後」の時代に強制的に直面させられている。
「戦後」から「災後」へ。それは、日本が「戦後」ずっと追及してきた“高度成長とその後”の社会――、“終わるべき”と言いながら、遂に脱出できなかった、高度成長型の政治・経済・文化の突然の終焉に他ならない。』との論である。

「一からやり始めなければならない」という「戦後」の出発点に直面した課題、“国土創造”に再び立ち向かうことこそ、「災後政治」の最優先のテーマである。
そして、それは70年前とは別の価値体系での社会構造を発想実現させねばならない。
こうした課題を担えるのは、“正統と異端”の文脈から言えば、従来の発想とは違う“異端”の発想に他ならぬ。
それが成功するか否かは、そのような異端的発想に国民合意が得られるか?による。



バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

March 23, 2011

攘夷の嵐

「天皇の世紀」第四巻を読了。
黒船が渡来し水平線に「異国」が現れた其の時、初めて自分の「国」というものが意識され出した。そこに「攘夷の嵐」が吹き荒れた。
まさに、事改まる時の発熱状態、「攘夷は時代の狂気であった」のである。
この攘夷・時代の狂気を急転変化させたのが薩英戦争を経た薩摩藩。まだ外交の概念すらなかった時代のこの対英交渉を、筆者は若き日に出仕した外務省での経験から特別な思いを込めて資料を観たであろうと察せられる。
これはひとえに薩摩藩には、尚武の国柄がありながら外国の技術を学ぶのも早かった、斉彬のような時代を先取りする名君が出て、長州藩のように直情的に攘夷に熱中することはなく、守旧的な士風の中にも一部に開明的な分別を働かせる空気があったからである。
「内を整えて然るのちに外に向わねばならぬ。国家の為には如何に不名誉は受くるとも苦しからず、一時の事は互いに忍ぼうではないか」という精神があったのである。
結果は驚くほど巧妙な転進であり、これが明治維新として結実するのである。

バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

March 20, 2011

緊急提案

今回の被災で、住宅困窮者は数を知れない。
仮設住宅建設が急がれるが、その絶対数は膨大であり建設には時間がかかりすぎる。かつまた、現地では住宅のみならず生活再建の為のライフライン等のインフラ整備が急がれる。その為には、先ず現役世代が現地の仮設住宅に戻り、これらの生活再建整備に貢献べきである。高齢被災者は被災地が回復するまで、この際遠方であっても安全安心な地域で生活して頂く。この方が結果的に全ての被災者が早く元の生活に戻れるであろう
全国各地からこの受け入れの提案がされている。兵庫県でも公営住宅の提供を申し出ている。
そこで提案だが、公営住宅の空き家だけでなく、我が灘区の六甲山頂の企業の保養施設・山の家が、現下の経済状況により多数休業閉鎖されている。これらはそれぞれが相当数の家族単位の共同生活が可能な施設であり、ここに集団移住して頂ければ被災者の地域社会の絆は保持しうる。この施設を被災者の受け入れ住宅として活用できないか。
各企業に、この協力要請をすべきと提案する。



バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 10:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

March 17, 2011

政治の怠慢

「未曾有の」という形容詞は、阪神淡路大震災に限定されていると思っていたが、今回の東北東日本太平洋大地震、特に津波による被害は壊滅的というべきであろう。
特に、東京電力の被災は悲劇的でさえある。
「計画停電を実施せざるを得ぬ」この非常時に際して、他の電力会社は何故不足の電力を供給してやれないのか。
発電が導入された明治以来 東日本は50ヘルツ西日本は60ヘルツと周波数は異なっており、その周波数変換能力は2006年に一部補強されたが、いまだもって100万キロワットの能力しかない故に、この事態に対応し得ないのである。
これは余りにも怠慢ではないのか
阪神淡路の地震による火災の消火活動の際、全国から応援に来てくれた各自治体の消防自動車の装備している消化栓パイプのノズルのサイズが異なっており、その互換性無きゆえに、役立たなかった事を深刻に反省したのではなかったか
第二次世界大戦後、復興に合わせてこの電気周波数を統一するという構想があったが、復興が急速に進んだ事で実現不可能となり未だそのままとの事である。
まさに政治の怠慢としか言いようがない。  

バナー

クリックよろしくおねがいします。


ryosuke_hara at 09:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

March 11, 2011

福沢諭吉

「天皇の世紀」第三巻を読了
幕末に海外に派遣された人々、この中で積極的に知識の吸収に努めたのは、選抜された諸藩の若い武士達であった。「失礼ではあるが、身分だけ高い人は言葉は通じないし文字も読めず、言わば、盲や聾が西洋を巡礼して来たのも同様で、その実状や真実については、通弁翻訳の役を承った我々でないと、他に物語れるものでない。我々こそ開国する日本に蒔かれる新しい種子となるのだ。」と自負して熱心に任務に打ち込んだからである。

しかし、一年後に帰国してみると「今日の幕府は前日の幕府に非ざるかと疑わるる程に変じたり。されば外国巡回より帰朝したりなどと云う事は禁物にて、海外の事ども猥りに口外いたすべからず」と命令されるほど、攘夷論が強くなっていた

その中で、独立した個人の資格で福沢諭吉が「西洋事情」を著述し、西洋の文明を日本に知らせ、政治上にも社会的にも強い影響を与えたのは、彼が「言論」というもの力の先覚者であったからである。



バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

March 08, 2011

政治家の出処進退

外務大臣が外国籍の人から政治献金を受けていた事により、辞任した。
「あくまで個人の好意による少額の献金であり、これによって政策に影響される様なものではない」が、これを規制する法律の趣旨に反するものであり、しかも外務大臣という立場から見て、何らかの責任をとらざるをえなかったであろう。
何よりも政治家の出処進退は、「いささかでも後ろ指を指されるような事態が発生した場合
自らが判断する」という、原点に戻るべきであろう。
「この程度の事で辞めるのは無責任」との議論はあろうが、「職務の重要性を鑑み、辞任せず」と居座ったケースを、一般国民はうんざりするほど見てきた。。
この速やかな辞任によって、事態の深刻化を防ぎ、何よりもこの問題を追求した側の、追及の仕方が「鬼の首を取る様なやり方」であり、礼節・品格を欠く態度であった事への批判の方が、目立つであろう。、
バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

March 06, 2011

「産み」の苦しみ

「天皇の世紀」第二巻を読了
この巻は、明治維新の蠢動期を扱っており、その主人公は井伊直弼である。
井伊直弼は、十五年間の部屋住みを経て、「突如として石榴の実が裂けたように」政治の表舞台へ出た。「自分の出自に引け目を感じているので、剛直なひた押しの態度」となり、終始「傲慢尊大」と評された。その一方で、直弼は徳川家の安泰のためには死をも厭わぬ、忠義無類を信条としていた。
大老に就任したこの直弼の前に立ちはだかったのは、水戸の徳川斉昭に象徴される尊皇攘夷派の巨大な壁であった。
幕府体制の維持を至上命題とする直弼は、諸外国の進出に対して鎖国政策に決別し開国せざるを得ぬと判断し、反対派を粛清する方針を固めた。
まさに、マキャベリが「君主論」で主張した「力による政治」「恐怖による政治」である。
この二大勢力の対立は日本の近代国家成立への「地熱」の如きものであり、それが爆発するまでの悲劇的な「大獄」があつたのである。
著者は、それ故にこの巻の章名を「地熱」「大獄」としたのである。


バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

March 02, 2011

「護民官」魂

彼らが日本を滅ぼす佐々淳行著「彼らが日本を滅ぼす」を読了。
佐々先輩も 今年80歳と成り リタイア生活に入られたと思っていたが、年の始めに中国の船が 日本の尖閣列島に侵入し衝突事件を契機にこの本を出版したのである。
「大廈将顚、非一木所支也(大廈の将に顚れんとするは、一木の支える所に非ざる也)」の心境になりつつも、「俺がやらねば誰がやる」の「護民官」精神は、「スズメ百まで踊り忘れず」であろうか。
この出版の直接の契機は「衝突事件」であるが、事の本質は「領海侵犯」であり、この本質を理解していない政権交代後の為政者に対する怒りが根本にある。
著者のこれまでの基本論調は冷静沈着なものであったが、さすがにこれが最後の著作なのであろうか、個人を特定しての批判・非難が目に付くものとなった。
我が国が敗戦から再建するまでの混乱期に、治安維持を担当した著者が、これを乗り越える為にいかに多大の犠牲があったか、其の証人としての想いがそうさせたのであろう。

バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 16:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感記〜日々私が思うこと〜