April 2011

April 28, 2011

戦後の終わり

今回の震災は「戦後の終わりを、日本人に突きつけた」と思うべきであろうか。
日本人は、戦後の復興と高度経済成長を経ていささか有頂天になっていたのではないか。政治家は「安心して暮らせる社会を作る」と言い、人々は「欲しいと思えば何でも手に入る社会を実現させ、この生活が永遠に続く」という夢を貪っていた。
近年、特にバブル崩壊後「何処かオカシイ」と思いつつも、戦後の成功体験が身にしみすぎて、発想を転換し価値観や思考方法などを変更する勇気を持てなかったのである。
それ故に、今回の震災は「天の怒り・天の警告」と受け取るべきであり、今後は「国家が全て何とかしてくれる」ではなくて、各人が「自助、公助、共助」が共同社会の原則である事に思いをいたし、負担と受益のあり方を自分で考えて行動しなければならない。
それなくして「ヤレ人権だ、権利だ」と言わない事だし、言わせない事である。



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ryosuke_hara at 15:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 24, 2011

真打ち登場

大佛次郎著「天皇の世紀」第七巻を読了。
ようやく明治維新の真打ちである勝 海舟、坂本竜馬、岩倉具視がこの長編物語に登場してきた。海舟と竜馬は幕府側から、岩倉は西郷や大久保と朝廷側から、新体制へと先導していったのである。
著者は言う、「歴史の流れは、優れた日本人を二人ここで相近づけた。即ち幕府の枠から出難い海舟に伝授された航海術が、自由人としての竜馬を飛躍させた」 また「下級公卿の岩倉は『叢中有鳴虫』によって宮廷社会に新風を吹き込み、新勢力の薩摩と連携することによって王政復古を実現させた」と。

この時代、徳川幕府が財政的に窮乏、精神的に弛緩しきった症状であった(『瓦解一路』の章に詳述されている)、この事態が彼等をして革命家としての活躍の場を与えたのであろう。その年の七月に将軍家茂の死、年の終わりに天皇の崩御と、朝廷・幕府側ともに大きく変化を強いられた事も影響したであろう。


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April 20, 2011

次代を育てる

神戸新聞懇話会四月例会、伊藤淳夫氏講演「どうなる日本政治」に参加。
政党職員として政治評論家として身近に観察してきた「菅 直人の人物論」として、「総理になったら何をする」ではなく、「総理になりたい」だけであるので、現状は「辞めたくない」一心であり、これが国難ともいうべき今回の事態の最大の障害であるとのことであった。
それ故に、「次代を荷なう政治リーダーを、それも先代が元気のうちに育てる」システムの構築することの重要性を指摘した。
そこで思うこと。
石原都知事は78才で都知事に再選された。傑出した政治家であるとは思うが、「次世代を育てる」という点からは、いかがなものか。
女子柔道のヤワラちゃんは五回オリンピックに出場し、金二個銀二個銅一個のメダルを獲得、国民的ヒーローとなり今や参議院議員となり柔道界を離れた。彼女の努力才能は賞賛すべきものである事は間違いない。しかし、この二十年彼女一人が君臨したことによって,この間いかに多くの選手が柔道界から去っていったか。そしてそれが将来の女子柔道界の指導者の育成強化に影響を与えたか? 
「一将功成りて万骨枯る。」ではないか、と。


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April 16, 2011

ジャーナリスト魂

小倉孝保著「大森 実伝 アメリカと闘った男」を読了。
大森は冷徹な目で戦争の本質を見抜き、強い相手にもひるまず真実を問い続けた真のジャーナリストであった。
彼が指摘した米軍の北ベトナムの病院空爆の問題は、日本のマスコミ対アメリカから毎日新聞対大森の問題に矮小化され、誤爆の事実の真実性よりもその記事を書いた大森を毎日新聞は社外追放する事によってアメリカの主張を認めた。日本の大手メディアが腰砕けで、人の顔色を窺う主体性の無さの表れである。

「日本人は米国を実際以上に大きく感じ、一方、米国人は日本の実力を過小評価している」、と言われる如く、この日米間の意識のギャップは、いまだアメリカに対し被占領意識を持ち続け、(今日でも駐留米軍への思いやり予算がアン・タッチャブル聖域化している事に象徴される)、大森が生涯を通じて言い続けた「日本は独立せねばならぬ。」は、いまだ真実なのであろう
相手の立場を尊重しつつ自分の立場を明確に主張することで、お互いの関係は必ず深まっていく。大森の「本当の独立を」という「遺言」は、アメリカとも意見を主張し合える関係を、という事であろう。



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April 12, 2011

思考の転換

大佛次郎著「天皇の世紀」第六巻を読了。
留学以前には英国公使館の焼打ちに参加した過激な攘夷思想の男たちが、ロンドンで暮らせばさすがに攘夷の悪熱が落ちた。藩の危急を知って帰国した時には、まだ漠然としながらも外国と対比する「日本の国」の感覚が生れていた。
また、外国側にも対日観が変化してきた。幕府側の役人は、自分の責任を免れようとする官僚そのもので、問題を誠実に解決しようとしない。反対に外国人に対して生命を賭して戦闘を交えた薩摩や長州のほうが、心情が素朴ながら誠実な点で外国人からは信頼出来るように見えてきた。
そして日本という国が外部から一体と見えながら、政治的には独立した性格を持ち始めた藩が目立ち、幕府の威令の衰微が明白に判っても来た。
日本の幕末・明治維新史のウヲッチャーであるアーネスト・サトウは、幕府を交渉相手とせず諸大名と交渉するという革命的な提議、「英国策論」を発表したのである。
この思考の転換が、「明治維新」の原点となった。



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April 11, 2011

感謝

統一選挙戦、我が後継者はおかげさまでトップ当選できた。
ご支援頂いた皆様に感謝あるのみであります。
既成の政治への不信が新人への期待感となった現れであろう。とは言え「パッと集まったものは、去るのも早い」「ジックリ積み上げたものは、崩れにくい」である。期待感の大きさは、失望感も大きさに繋がると、自戒すべきであろう。
しかし、新しい人材を登場させて頂いたのは 感謝あるのみ。

私には、もう一つ感謝するべき事が、この日にあった。
四年前に始めたブログの訪問者数が、のべ二十万人を超えたのである。
単純に計算すれば、一年で五万人、一日平均百三十人の方に、訪問頂いたことになる。
感謝あるのみ。
今後は 我が余生の一つの生きがいとして日々に感ずる雑感を語りかけていきますのでよろしくお願いします。


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April 08, 2011

古い思い出

久方ぶりに、高峰秀子主演の「二十四の瞳」を、BSのデジタルリマスター版で観た。
古い映画の雨降り画面は全く感じさせぬ様にリメイクされており、昭和二十九年上映当時の雰囲気が再現されていた。なにより娯楽が無かった時代に「文部省推薦映画」として人生で始めて映画というものを見た、我が懐かしい小学生時代を思い出させてくれた。
敗戦の多大な痛手から「もはや戦後ではない」との気分が芽生えつつある時代、人々が貧しいながらも「生き抜こう」と立ち上がる姿勢を示し始めた時代、それらを懐かしく思う世代は少数派になっているのであろう。
物質面では遙かに豊かになっている今日の映画やTVのそれよりも、この映画の登場人物の心象風景の方が、遙かに落ち着いた雰囲気と気分の豊かさを感じさせるのはなぜか?

日本社会は「この時より六十年いかに変化したのか、何を失ったのか?」
それは単に「古き思い出は美しい」だけのものなのか?



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April 04, 2011

時代の変わり目

「天皇の世紀」第五巻を読了。
外様大名が禁裏に接近するのを禁止していた幕府の大方針が守られず、雄藩が公家を介して朝議を動かすようになり、精神界だけの主権者(天皇)に、現実の世界のタイクン(将軍)が隷属の形を取る時代と代わった。
それに呼応して「変乱を謀る、大騒動を起こしたら、その騒動によって幕府が斃れて国家が混乱する。国家が混乱すれば忠臣も顕れ英雄も出てこれを治める。シテ見れば国家を混乱せしめるのは国家を治定する階梯となる訳であるから、我々は誓ってその混乱を促して、その為ならば一身を犠牲にしても厭わぬ」という考えの人間が続出した。(天誅組の実質的首謀者の最後の言葉は 「辛抱せよ、辛抱せよ、辛抱したら世は代わる。それを楽しめ」と言い続けたという。)

徳川幕府全盛期には、いかに器量才覚があろうとその家柄に生まれなければ相応の地位につくことは出来なかった。農民の政治参加などが許される時代ではなかった。
地主の家に生まれ裕福に安穏な生活が約束されていた農民の渋沢栄一が、現状打破の野望を抱き政治活動に目覚めたのは、攘夷の嵐が吹き荒れた時代の変わり目だったからである。


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April 02, 2011

選挙初日に

統一地方選挙の公示日を、タスキを掛けず斯様な心境で迎えるのは約30年振りのことである。
「次の4年間の任期での政策課題は何か?」を自問自答する中で、「明確なものがストンと胸に落ちなかった」ので、「身を引くべき時」と自ら決定したのであるから,自然の流れで何ら後悔は無い筈であつたが、その決定直後にあの東日本大震災が発生し、その復旧・復興対策が最大の政治課題となっている今日、「あの阪神淡路大震災の経験を生かすべき」と人に言われるのには、いささか辛い想いである。
しかしそれは後継者たる者が担ってくれるであろうし、求められれば助言することである。

復興財源が最大の政治課題であるが 公務員(政治家などの特別公務員も含む)が、その給与手当ての一部返上を自ら提言すべきと考える。
勿論、それだけでは膨大な必要経費には遠く及ばぬが、「公務員は全体の奉仕者である」・、「公務員は護民官である」との原点を確認する為にも そうするべきと思う。
その姿勢があって初めて、国民挙げてこの国難に対応する為に全体で負担を共有する合意が形成されるであろう。

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