October 2011

October 31, 2011

ラグビーのトップリーグ開幕

土日の開幕戦をJスポーツTV中継録画で観戦。
素人目にも、昨年の四強の実力は一段抜けている感じだ。特にパナソニックとサントリーは、その攻守の強さの継続性において別格である。地元の神鋼も昨年より攻撃力はあるようだが、いかんせんゲーム後半で昨年同様スタミナにバテがくる点と、初戦に怪我人が続出した点で、今後に不安を残した。
ただ一般紙も含めてスポーツ専門紙でも、その記事の扱いが少ないように思う。ラグビーを「アマチュアスポーツの権化」と思っている者として、もどかしい限りである。(事実上の優勝決定戦ともいうべきパナソニックとサントリーの対戦は実に好試合であつたが、「報道無きに等しい」扱いであった)
八年後にワールドカップが日本で開催される。いま少し国民の関心を高める協力を、マスコミに求めたい。産経新聞の別府解説委員の「あの興奮と熱狂を蘇らせて」の如く。



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October 28, 2011

昭和という時代

保阪正康著「1989年の因果 昭和から平成へ」を読了。
亡き母の月命日に御参り頂く、お寺さんに贈られた文庫本で、その帯封に「崩壊の序章か、新時代の幕開けか」とある。
昭和、特に戦後の昭和という時代は、無一物からの復興、高度成長、飽食と変幻極まりなく変貌が激しかった時代であり、我が国歴史に特記される時代であろう。
その昭和は、昭和天皇の崩御とともに幕をとじた。その時代を代表する人材、歌謡芸能界の美空ひばり、経済界では創業成長の天皇松下幸之助、政界では田中角栄を伴って。
好き・嫌いは別にして、ひばり、角栄はこの時代を象徴する人であった。
「美空ひばりのコノ歌が流行った時、自分はこうしていた」と自らの記憶の琴線に触れるが如く、「ひばりの歌には、戦後日本人の情緒がつまっていた」という存在であり、日本人が、「本音こそ人間本来の正直な姿と言い出し、ナマ身の人間の欲求を丸出しにすることは恥ずかしいことではない」と、振舞うようになったのは、田中角栄の出現以来のことである。節度や倫理というものより、即物的な対応である。
「平成」は昭和天皇というオモシの取れた状態から始まった。と言わんとする。



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October 24, 2011

ラグビーというスポーツ

四年に一度のワールドカップで、開催地のニュージーランドが勝利した。「楽勝か」と思われたが、「世界一となるのは、簡単なことではない」と改めて思うほどの、世界最強といわれたチームの薄氷を踏む勝利であった。
我が国はその予選リーグで敗退した故か、その報道振りは物足りなかったが、私はこの大会を実況中継で見るために契約したほど、ラグビーというスポーツに関心があった。
一般的にスポーツは、決められた時間内や回数内での得点の多少で勝敗が決まり、ラグビーは前者である。他のスポーツは、その決められた時間回数が経過すると審判が「ゲーム・セット」と宣告し終了する。しかし、ラグビーだけは、「ゲーム・セット」といわず、「ノー・サイド」という。
その心は「試合中は両者とも敵・味方とサイドに分かれて争っていたが、終了後はこのラグビーというスポーツの愛好者として一体になる」からである。私がこのラグビーを、アマチュアスポーツとしてを高く評価する所以であった。
近年、我が国でもラグビーの最強チームである企業クラブでも一分プロ選手化が進んでいるのは、いささか残念な所である。



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October 13, 2011

日本人論の読まれ方

ケビン・メア著「決断できない日本」を読了。
日本人は「自分が海外からどう見られているか」を非常に気にする民族であるようだ。
古くは、イザヤ・ベンダサン(この人がユダヤ人か疑問だが)の「日本人は水と安全はタダと思っている」の指摘以来、この種のものは常にベスト・セラーになってきた。これもわが国マスコミがその発言の枝葉末節部分を取り上げて餌食とし、結果的に良き日本理解者を更迭させてしまった、米国外交官の体験に基づく日本人論である。
ここで指摘されている事実は、「それが実態なのだろうな」と思わせる以上に、気になったのは、「平成」になってからの、この種の日本人論の読まれ方・受け止め方である。
「昭和」の時代には、「この指摘はそのとだ」と自嘲しながらも、「いずれ良くなる。いや、むしろそれが日本の良さだ」と苦笑する余裕をもって受け止めていた。例えば「水も安全も日本は恵まれているのだ」と。
しかし今や、日本は政治も経済も「何とか打開せねば」と思いつつ、それでも「決断できない」ジレンマに、その余裕も無くしているという読後感である。


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October 10, 2011

青少年の体力回復

「青少年の体力復活みえた」との記事から思い出した事。聞かされた話より
或るお寺さんが出掛けた時の出来事。
2才くらいの幼児を連れた母親と電車に乗り合わせた。
子供は座席に座り、外の景色を見ていた。
突然の急ブレーキで、子供は頭を窓枠にぶつけ、大声で泣きだした。
母親は子供の頭を「痛いの、痛いの、飛んでいけ」と、撫でていた。
泣きやんだ後の母親の声に、ハッと胸を打たれたと言う。
母親は「坊やも痛かったけれども、ぶつかったこの窓枠も痛かったろうから、一緒に撫で撫でしてあげようね」と、親子そろって窓枠を笑いながら撫でている姿にハッとしたのである。
「坊やに痛い思いをさせた窓枠は悪いものだから、ブッテやりましょう。」というのが今の世相ではないのか と。

体力の復活に負けぬ知力・徳力の回復を。



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