December 2011

December 29, 2011

一年を終えるに当たって

今年読んだものの中で最も印象深かったのは、出久根達郎著「日本人の美風」の一節であつた。
大正12年の関東大震災に際して、渋沢栄一は「これは天譴である」と語った。また第一高等学校校長の菊池寿人は、授業再開の日に全校生徒に次の如く訓示した。
「日清日露戦役前後における国民一般の意気と忍耐とを見てきた我々には、第一次世界大戦の後、西欧諸国の生産力が落ちたのに乗じて、粗製乱造の品を売りつけ好景気に浮かれた我が国の姿は実に隔世の感あり、これが以前の国民かと、見る目訝るようであった。この度の震災は、これら驕慢の源を根本から打破するものである。
幸いに我高はかねてから剛健の意気、他に異なるものがあった、特に今回の事態に処して犠牲奉公の念、更に新なるものある諸君の姿を見て、非常に心強く感ずるのであります。願わくは国家の為、深く深く自重せられんことを切望する次第です。人世には現状の如何は必ずしも問題ではない。前途に望あることが命であるからであります」と。
本年の課題は「戦後復興」と並ぶ「災後復興」であった。
それを担うのは「人」である。「真のエリート教育が、今こそ求められている」と、年の終わりに改めて思う。


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ryosuke_hara at 15:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

December 26, 2011

政策と政局

雑誌プレジデント12月下旬号 飯島 勲の「リーダーの掟」より。
「野田政権の火薬庫三点セットの解決法」として。
いつの世でも、政治家や利害関係者は、腹の中では政局を考えながら、口では政策の話をする。
政権を荷う者として、現在はTPP、社会保障と税、沖縄基地移転が火薬庫的政治課題であり、それに対しては
第一は、政策的な観点から。解決を迫られている政策課題には、必ず反対勢力が存在し、それなりの理由と根拠を持っている。ゆえに長期的観点から国益に叶う政策を決断し、それを世論に訴えて多数意見とするように努める。
第二は、政局的な観点から。課題に対して結論を出さねば政権は弱体化する。当初の意見を度々変更すれば「ブレた」と国民に印象される。それゆえに決断すれば直ちに断行、またはその準備にとりかかるべきである、と提言している。
最終決定権者は決断すること、そしてその結果に対しては責任を負う、「これと引き換えに辞任する」という気概を持つことを提言している。


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ryosuke_hara at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

December 17, 2011

家元ブランド

長山靖生著「天皇はなぜ滅びないのか」を読了。
永い我が国の歴史において、天皇は武力も法的権限も保持したことはない。しかし過去に実質的に政治支配の権限を持った摂関家も歴代の武家幕府も、天皇を廃して自分が天下を取る「易姓革命」は成し得なかった。それはなに故か?
天皇が、日本国の元首となったのは明治時代以降である。
それ以前の歴代の我が国の実質的支配者、特に徳川幕府は天皇との政治的関係の持ち方で苦悩した。結局、天皇のするべき職務を、芸能・学問と限定し、実質的に天皇を制約した。
それを逆手にとって、天皇を取り巻く公卿達は、その頂点に天皇を頂く伝統文化芸能の家元として天皇ブランドを創設し、それを独占することで生計を計った。近代となり生活に余裕の出来た富裕階層は、日本伝統文化の修得が権威となり、それへの憧れが天皇への憧れにつながる構造を作り上げ、今日に至ったと説くのである。
「和を以って貴し]とする 全員の合意による最終意思決定と、この天皇ブランドへの憧れが、かっての軍人さらに現代の政治家官僚の「誰も責任をとらない」という我が国独特の無責任体制に繋がっている。
歴代の天皇一家の記念写真には、「親子孫三代の多数家族」の姿があった。近い将来のそれは、「親一人っ子ペットの犬」となるであろう。これもまた、現代日本を象徴する姿であろう。

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December 12, 2011

歴史的事実の情報公開

先日の神戸新聞カルチャーセンターでの井沢元彦氏の日本史再発見の講座で、「壬申の乱」が取り上げられた。
紛争の勝利者側の編纂した「日本書紀」に記録されていることを正史として、その記述を絶対視する学者の通説に対する反論は、「逆説の日本史」論者として面目躍如たるものであった。特に、言論の自由や出版の機会のなき昔に、「正史」に対する「野史」が存在することは無視できぬとし、その「正史」である「日本書紀」の記述に勝利者側に都合の悪く説明できぬ点があること、さらに当事者である二人の天皇の諡に暗示的な名が付けられていること等は説得力あるものであつた。
ただこの当時(七世紀)既に、我が国は朝鮮半島や中国大陸との諸国と外交関係があり、それがこの内乱に関係するとの推論は、私には刺激的であった。

我が国の情報公開制度は、行政当局に恣意的に運用されている。真実・真相はある一定年度が経過すれば、事の善悪を問わず全て公開するという原則に立ち戻すべきである、改めて思わされた。


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ryosuke_hara at 13:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

December 06, 2011

語り継ぐべきこと

半藤一利著「連合艦隊司令長官・山本五十六」を読了。
過去の戦争への反省はもっぱら8月15日の敗戦記念日に語られる。むしろ12月8日の開戦の日にこそ語られるべきであろう。今年は開戦70年の年。年末に映画化される原作である。
昭和の歴史探偵を自認する著者の、戦争指導者たちの無為無策、根拠のない自己過信、底知らぬ無責任、これは語り継がねば成らぬ歴史の教訓であるとの思いが、込められた書である。
著者の故郷長岡の先輩、山本五十六への敬慕の念が溢れているが、それだけではなく、国家を亡国の戦争へ追い込むのに、「バスに乗り遅れるな」と、国民を煽ったマスコミへの批判とともに、単純な陸軍悪者・海軍善玉説ではなく、日米開戦の直接的原因である南部仏印進駐を推進したのは、石油資源を求めた海軍であることも、指摘されている。
また、開戦の通告が遅れ、結果的に「騙まし討ち」の汚名を国民に負わせた外務官僚のセクショナリズムは指摘されているが、その当事者に後刻叙勲の栄誉を与えたことへの批判はない、のは残念である。



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ryosuke_hara at 10:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

December 01, 2011

日米の違い

先日11月30日のBSテレビで、昼「真昼の決闘」、夜「切腹」と日米の古い映画を鑑賞した。何れも信念に基づく男の生き様を描いたものだが、双方の文化の違いを感じた。
アメリカのそれは、主人公のみが強く正しい英雄であり、その対するライバルは一方的に悪者であり、他の登場人物には存在感を感じさせる人物は描かれていない。
日本のそれは、主人公の生き様更に置かれた状況も説得力があり同情共感を呼ぶものである。これに対立する仇役も、職務に忠実であらんとし、その立場なら「そうせざるを得ぬな」とも感じさせるものであり、全ての登場人物に存在感があった。
そこに、人間に対する洞察の深みの違いを痛感させられた。

特に、主人公の娘婿が主人の遺体へとりすがり号泣した後、瀕死の赤子に向かっての全てを放逐する絶望の呻きのシーンは、強く迫るものがあった。

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ryosuke_hara at 17:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)