March 2012

March 30, 2012

無縁社会

佐伯啓思著「反・幸福論」を読了。
戦後の日本は、個人の自由や様々な束縛からの解放こそ進歩であり、文明化だと考えてきた。特に「イエ」から逃れることが近代化・民主化の不可欠の前提としてきた。即ち、個人の自由を妨げる束縛、つまり「縁」から自らを切り離す努力をして来たのである。
日本人の「縁」とは、何か? 「血縁・地縁・社縁」であろう。
「血縁」の流れは「イエ」から「マイホーム」に代わり、「家族」は「家庭」に代わり、その核家族「家庭」も個人主義によりますます「血縁」は薄れていった。
「地縁」の流れは「ムラ」の繋がりであったが、若者の都市への集中により「フルサト」は喪失され、「先祖代々の墓」さえも放棄されつつある。
「社縁」の流れは「イエ・ムラ」に代わる日本独特の最後に残ったものであったが、それもグローバル市場経済開放により「企業の一家意識や系列会社」は「悪」とされた。
「これらの延長線上に無縁状態が来るのは当然である」と、説くのである。


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March 23, 2012

よのなか学

我々の時代は「坂の上の雲を追い求め、それなりに山頂に達した。これからは下りの時代」という認識であり、安全安穏な老後を願っている。(登山の映像記録は全て頂上に至るまでの記録である。登頂後の下山の様子は公表されていない。登頂よりも下山の方が難しいのが実態であろうに。)
「いかにケガ無く下山するか」については、「幾らカネを用意すればよいか」位しか考えていない。また「坂の上の雲」世代は、「組織に属すること」が全ての思考の原点であった。しかしその組織は、「ピーターの法則(組織は個人を埋没させる)」と「パーキンソンの法則(組織は仕事量に関係せず肥大化する)」により支配されていた。故に、「正解を見つける能力・情報処理力」が最優先されてきたが、今後は「正解の無い問題にアプローチする力・情報編集力」が必要とされる。その為に「55才までにやっておくべき55のこと」との副題がつけられている。
すなわち、「組織の中で・早く・ちゃんと・いい子に」にから「一人ひとり・自分で・自分らしく」の生き方が、これからの成熟社会に求められているという。
著者は民間人から登用された学校長として、「よのなか学」講座を設け、これからは消費者目線ではなく投資家目線で観る、投げるものは愛情と教えた面目躍如たるものである。


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March 19, 2012

発想転換の先進地域

先日、堺市ロータリー・クラブで、卓話する機会があった。
「初対面の人の誕生日を当てる」との切り出しで始めた卓話の内容。
図表を参照しながら、現在我が国は「将来の人口減少の深刻さ」についてであった。
首都圏や大都市は、居住人口は増加しているが、その実態は、15才未満の子供世代はもちろん15‐65才の生産現役世代人口も減少している。その減少を上回る65才以上の高齢者人口の急激な増加の結果である。かって経験したことの無い「高齢化の人口の波」が既に始まっているのである。
「先進地域・後進地域」という場合、既に高齢化率が早く高くなった地域は、郡部・過疎地域であり後進地域だと思っている。しかし、この人口の現象を見るとき、いち早く高齢化が進んだ地域こそ、「人口の波の先進地域」とすべきであろう。今、日本社会の政治経済の先進地域とされている首都圏や大都市部の人口周密地域こそ、今後急速に進行する高齢化社会に対応する、要介護・要支援の為の社会資本の整備を進めねばならぬ。なぜなら現在人口が多いことは、その高齢者の絶対数の急激な増加を意味し、深刻な事態を招くからである。それが「人口の波の後進地域」である現在の先進地域といわれる都市部の政治課題である。とのこと。


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March 14, 2012

下山の楽しみ

:五木寛之著「下山の思想」を読了。
著者は、統計や資料が重視される現代が見落としている「国民大衆の実感」を原点として、今後の日本が進むべき方向を示唆せんとしている。
現在日本人は、「崩壊の予感」を感じつつ、その原因を直視する勇気を持てないで居る。
財政赤字への対応でも、このままでは破綻・増税により借金を減らすべきという説と、国債は国内で賄われているから問題なし・景気対策こそ優先すべきとする設があるように、現代は、専門家でも明確な解答が無い時代である。
世界に誇る経済成長を為し遂げた。しかしその結果格差は拡大し「何の為の経済成長だったのか」が問われている。このように二分法が適応できない、シロとクロが混在する時代なのだ。
これは、頂点を極めた者の避けられぬ宿命であるのだ。「こうすべし」という山頂を目指した、その山頂は一つだが、下山道はたくさんある。日本は降りる道を探す時だから、これからは、周りの景色を楽しみながら転ばぬように下山する、そう割り切るべきとするのである。


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March 08, 2012

厚みのある政治家  その

前尾繁三郎は「自分の趣味だけで書いたもの。読者のことなど考えていない」と前書きしているように、干支の動物の語源・字源の解説は専門学者のレベルの「政治家の徒然草」であるが、役人として政治家として趣味人としての交流関係についての随筆は、著者の人となりを偲ばせるものであり、趣味の域を超えたといわれた小唄・三味線などは、「洋楽が音域の広さに対して、邦楽はその深みに味わいあり」というなど、守備範囲の広さを示している。(のちに「三賢人」といわれたのも当然の文人振りである)。
その中で「占領下の税務の思い出」は印象深かった。
敗戦後すぐ大蔵省の役人として財産税と売上税の研究開始。(賠償には一回限りの大幅な弾力性のある財産税が必要)。GHQからの申告納税に関する無法な要求に対し、我が国の国柄を守る為、占領軍政に対抗すべく辞職し政治家となった原点である。と述隗している。
現在との世相の違いを痛感。今や各地で政治塾ばやりで多勢の参加者があるようだが、安易な職業選択の感あり。
「何の為にという使命感」は薄いように思われる。


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March 02, 2012

風格ある政治家

所属する老人会の会長から所蔵の、前尾繁三郎の随筆「政治家のつれづれぐさ」を借りた。
文人政治家の品格を感じさせるものであり、「逆説結婚式」の一文は面白かった。
彼が銀婚式を開き、そこでの池田総理の挨拶は有名(沢木耕太郎などが紹介している)が、本人が「何ゆえ銀婚式を盛大にせねばならなかったか」、それは、「暗闇の黒牛」と渾名されるほどモノグサであったので、「結婚式は親族のみ、新婚旅行は無し、その代わり銀婚式は盛大にする」との新婚時の約束を、「政治家なら公約を守れ」と迫られたからである。と告白しているのである。
併せて、次のように提案している。結婚式では 「招待者の席次を逆にする。新郎新婦に縁故の深い人をメイン・テーブルに据え、両親しか知らない所謂主賓は末席にする」。また「祝辞は新郎新婦の親の知人である主賓の挨拶は退屈。 本人をよく知る若い人は挨拶が上手くなっており、この方が場は盛り上がる」と。
別の一文で、「日本画の美は、西洋画の如くゴタゴタ塗り捲らず余白の部分にある」。「自分はそのような生き方をする」としているが、「その昔の政治家には風格があったな」との思いを新たにした。


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