May 2012

May 31, 2012

「フルベッキ写真の謎」

加治将一「幕末維新の暗号」を読了。
明治維新の実態の一つは、歴史的な「天皇家の南北朝の対立」による南朝側の、「天皇のすり替え」である。それを「フルベッキ写真」を解明しながら、証明せんとするものである。そのなかで、注視する視点として、
江戸時代、各藩に寺子屋・藩校が多数存在したのは、 教育熱心だけではない。下級武  士を自藩の使い捨てのスパイとして養成する為であり、下級武士もそれが唯一の出世手段であった。
明治政府成立後、岩倉米欧使節団の2年間の長期派遣はフルベッキの立案であり、これは、いかにフルベッキが明治維新の真の演出家であるかを証明するものである。
 江藤新平が佐賀の乱、西郷隆盛が西南戦争で、明治政府に葬られたのは、「征韓論の対立」ではない。「明治天皇すり替え」の掟破り故に、「曝し首」という残酷な刑に処されたのである。 
明治天皇を祭祀する明治神宮に、皇后を皇太后としている。これに対する神宮側の抗議に、宮内庁は訂正しないのは、「明治天皇すり替え」説の傍証である。
幕末に、明治維新推進派(勝海舟も含めて公卿や各藩の志士達四十数名)が一同に会する写真「フルベッキ写真の謎」を解明せんとするものである。


バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

May 23, 2012

龍馬暗殺の謎

加治将一著「龍馬の黒幕」を読了
副題は「明治維新と英国諜報部とフリーメ〜ソン」である。
これまで常識としていた、明治維新の原動力についての、新見解である。
著者は言う。
「歴史上の人物を美化するのは、日本歴史の十八番。西郷隆盛、勝 海舟、坂本龍馬、皆私心がなく、おもいやりがあって、国を憂い、将来を見通し、文武両道に優れ・・・そんなことはありえない」。
「明治維新は、フリーメ〜ソンでもある英国のアーネスト・サトー「英国策論」の筋書き通りに進行」。
「戊辰戦争が一方的になった」。これは、薩長が菊の御紋・錦の御旗を立てたからではない。その前に英国艦隊が地方巡航し威嚇していたから、これを目撃した藩は、幕府側よりもほとんど全て新政府側についたからである。
「龍馬は土佐藩、勝 海舟、達の「無血革命」路線。公卿の岩倉 西郷の薩長連合側は、武闘派「武力革命」路線。  この路線対立は、「大政奉還」策により「無血革命」派が勝利せんとしていた。そこで、焦った「武闘派」が、同藩人として同席していた「武力革命」派の中岡慎太郎に、この路線対立の議論の結果、殺された」。とするのである。


バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 15:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

May 19, 2012

小商いの勧め  その

「人間にとって成長」とは、「生」れる時は平等の人間が、個としての自分を確立、成功失敗を重ねて、上下貧富の格差を付けてバラバラにばらけていき、「老い」によって、そのバラケタ個々が「死」という絶対的平等へと戻って行く。しかし、人間社会(文明社会)は、より便利・快適になるよう発展し続けるべく期待されている。
即ち、人間個人は、成長と老化を繰り返す。しかし人間の社会は、一方通行の発展だけを目指すのである。
「経済の成長」とは、この「人間社会の成長」と同様なのであろうか。
資本主義的な社会システムは、産業資本主義から消費資本主義、金融資本主義に変化し、今日、その最終形態に至らんとしている。
資本主義は、元来経済成長を前提としたシステムであるが、その最も成熟した所謂「先進国」において、金融資本主義経済が数多くの混乱と問題を招来してきている。我が国もまた、この難題に直面しているのである。
発展・成長のみを至上とする観点を、変更すべき時なのであろう。



バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

May 13, 2012

小商いの勧め

平川克美著「小商いのすすめ」を読了。
グローバル資本主義が行き詰まり経済成長神話や原発安全神話が崩壊した今日、我が国の未来像をどう描いたらよいのか。
大量生産 大量消費 欲望と消費の果てしない拡大は、文明の自然発展過程としていたが、「経済の発展イコール富の謳歌」よりも、「貧富や不平等の拡大」という結果を招じている。それは、生産者と消費者の関係に変化が生じたからである。生産者が価値を造り、消費者がその価値を受け取る返礼として代金を支払う。生産者が消費者の満足を喜び、消費者が生産者の労苦に感謝する という関係は、大量生産・大量消費という時代には、両者は全く顔突き合せない別物になっているのである。
キーワードは経済の縮小均衡とヒューマン・スケール(身の丈)の復興である。
金融技術によって膨らまされた経済との対極にある、地に足の着いた、血の通った営み、そんな「小商いの哲学」に日本再生の希望を見る。  
経済の拡大路線の「所得倍増計画」は、「拡大均衡のなかで、貧富の格差や都市と農村の格差が縮小を目指す」ものであったが、日本人の生活意識が、労働中心から消費中心へとした移行した段階で、それを主導した今村 治は、『拡大均衡から縮小均衡へ』を既に路線変更を提言していたのである。また、ソニーの設立趣意書には「経営規模としては、むしろ小なるを望む」となっていた事を想起すべきなのである。
「小商い」とは「身の回りの人間的な小さな問題を、自らの責任において引き受ける生き方のことである。


バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 14:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

May 09, 2012

教育の再建

人間の肉体には食べ物・栄養が必要である。栄養の源の食べ物は、土を耕し種を蒔いて収穫されます。同様に精神にも栄養が必要です。精神の栄養はコトバです。コトバは食べ物同様、紙を耕し種を蒔き、収穫・思考しなければ、精神はやせ衰えていく。鉛筆は単なる筆記用具ではなく、土を掘り起こす鍬のようなものである。
パソコンは計算・通信用の機械であって、字を書くための機械ではない。特に日本語では直接「希望」や「理想」と打ち込むことは出来ず、「Kibou」や「Risou」と迂回することを強いられ、あくまで書字を代行するものにすぎない。
またインターネットの使い方にいくら慣れても、栄養の源の食べ物を作ることは出来ない。上質なコトバも、インターネットで閲覧することは出来ても、作ることは出来ない。上質な文章を作るためには紙に向かって、自ら考え書かなければならない。
だから、小中学生にパソコンや携帯の使い方を教える必要はない。その代わり、筆記用具で紙を耕し、種を植え、その実りを刈り取って栄養にすることを教えなければ、精神は痩せていく一方である。
以上が「鉛筆の持ち方から教育の再建を」との、石川京都精華大教授の提言である。


バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 18:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

May 06, 2012

「縦書き」と「横書き」

学士会会報第894号 書家の石川九楊さんの「縦に書け、横に考えよ」より。
東アジアの言葉は「縦に書き、横に話す」という構造である。「縦に書く」ことは、「上から下へ」向かう、即ち「天」と向き合う故に、覚悟と意志が必要である。「横に話す」とは、「天に向かわず話す」ので宗教性が無く信憑性を帯びない。だから、東洋では、文書を交わさず口だけの約束が破られても「口約束だから仕方がない」となる。
一方、西欧の言葉は、「縦に話し、横に書く」という構造である。西欧人が話す時、天上の神を意識して縦に話している。「縦に話す」とは神に話すことなので、話し言葉も口約束も、神が信用を裏打ちし、強い「信」を持ちます。それに対して、「横に書く」とは、「文字というのは話し言葉を書きとどめたもの」であり、それは「神にかけて」の効力を持つ。
日本の伝統は、「縦書き」であった。それが若い人では、「横書き」が主流である。
昨今の日本人の「横に書き、横に話す」風潮は、「天」への思考が完全に崩壊したことを意味している。「信」即ち言葉の信憑性が完全に消えれば、言葉はその力を急速に落とし、社会は退廃に向う。現在の日本は、そういう局面にきているというべきである。
「希望と理想」を失った今日、これを打破する為に「鉛筆を正しく滑らかに動かし、縦に書くことから、教育を再建すべき」との提言である。


バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 14:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

May 01, 2012

風か吹けば桶屋が儲かる

原発事故の発生以来、政府は「原発再稼動には慎重に、新基準(二次審査)を設ける」としていたが、新基準発表後わずか三日後に提出された再稼動申請に対して、容認する方針のようだ。原発の地元では、「それで良し」とする意見が多いから、だそうだ。
久方ぶりに、三段論法の極致「風が吹けば桶屋が儲かる(大風が吹くと、埃が舞う。埃が舞うと、眼病人が増える。眼病人が増えると失明盲人が増える。盲人が増えると、仕事として三味線を弾く人が増える。三味線が大量に要れば、材料の猫が捕らえられる。猫が減れば、鼠が増える。鼠が増えれば、桶を齧られる。そこで桶屋が繁盛する)」との諧謔を想起させた。
新基準に対しては、「それをカバーする計画があればオーケー」と言うのは「安全だと信じれば安全」と言うのと同じだからである
政府は、この姿勢で「国民を納得させられる」と思っているのか
この論法は、「神国日本では、意思したことは必ず実現する。実現しないとすれば、その意思に対する信念が不足しているからだ」。これは、先の戦争に突入開戦した時の一部軍人の論法と同一であり、国民が最も反省・後悔すべきことでなかったか。


バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 15:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)