June 2012

June 27, 2012

過酷な環境

我が家のペットは、金魚である。餌を遣るのは、私。水の入れ替えや清掃は妻の役割である。当初数匹で始まったが、五年目の今日一匹になってしまっている。先日餌がなくなったので、ペット店に行った時の話。
妻が「一匹では淋しそうだから、もう一匹」と言い出し、それを求めた時に、「水の入れ替え」の話になった。妻は潔癖症で掃除好き故に「殆ど全部入れ替えする」という。店の主人は「お宅の金魚は何年居ますか?五年も居る。それは過酷な環境に耐えて強いですね」と。妻、「ウチはスパルタ式ですから」と、自慢気に話していた。其の時の我が思い。
私の元の後援会長をして「こんなヒヨコ、政治家の妻として大丈夫か?」といわしめた、そのヒトは、「メンドリどころかシャモ」になり、今やペットのみならず、ダンナにも「酒飲むな、運動せよ」と「過酷な環境」を強いているのである。


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June 22, 2012

ゼミ演習のあり方

佐竹隆幸著「地的経営のすすめ」を読了。
最近の世相は、「企業の社会的責任」「コンプライアンス」がしきりに言われ、社会的貢献や法令順守こそ企業の果たすべき最大の使命で、儲けることは二の次三の次であり、「儲けに貪欲だと悪徳企業」とされている。
しかし、企業はNPOではないのだから、企業は利潤を最大にすべく努力するのは、当然の事である。問題は、その儲け方である。
企業の一番の社会貢献は「雇用と納税」であり、それは先ず、ー社の従業員の満足、⇔戮硫饉劼北戮韻気擦襦即ち、地域に根ざした経営こそ、信用力の創造に繋がり、目先の利益つまり短期的経費節減よりも中・長期的な信用を構築することで、強い企業づくりの経営に必要である。
これまで、経営資源として4つ(ヒト・モノ・カネ・情報)としていたが、これからは、情報資源を2つ(チエ・ワザ)に分類し、更にスピードを要素に加え、そしてそれら6つの経営資源を活用する能力、即ち顧客を満足させる人材育成こそ、7つ目の経営資源であり、全ての基本である。と、著者は、自らの大学のゼミ演習を通じて具体例を挙げ演繹・帰納的に実証しているのである。
そのゼミ演習の実態に触れた部分は、その充実振りを感じさせるものであった。


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June 17, 2012

「龍馬が行く」の裏話

「龍馬がゆく」連載から50年として、昨日、大阪サンケイホールで司馬遼太郎記念講演会が開催された。「お別れ会」で、彼の遺言とも言うべき「21世紀の君達へ」の一文が記念品として配布されたのを懐かしく思いながら参加した。国民作家とも司馬史観とも称され、単なる作家というよりも文明・社会評論家としても評価されていた。その彼が健在ならば、「今日の日本をどう観るか?」がテーマであった。
講演で、文学評論家の関川夏央は「司馬は明治という時代を国の青春として、その空気・精神を俯瞰的に把握せんとした。若者が奮闘努力する青春物語を描かんとした」と言い、大竹阪大教授は「バブル期以降、日本人の気質は変わり、努力勤勉よりもウンやコネを重視するようになった」と計数的に指摘した」。
両者の対談では、高齢少子化により必然的に「守り」の姿勢になっているが、所得移転を計るなど次の時代を担う世代に活力を、という「攻め」の姿勢への転換の必要を語った。

「龍馬はゆく」も、夕刊連載終了後「読者の人気無く売れ行き心配」と、その新聞は断り、他の出版社から発刊、後ジワジワと売れ出したとの裏話。「若い時代は不遇、ひたすら努力が必要」の見本か?。



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June 12, 2012

原発再稼動に思う

原発の再稼動、しかも「期間限定なしで」が近い。
今、問われているのは、「科学や技術を信仰する宗教的背景のあるなし」であろう。
「科学技術は人間の自由の拡大と幸福の実現に直結する」「神が自然を人間に役立つように創ったのだから、人間は自らの幸福の為に自然を支配することが出来る」という認識(宗教的信心)は、一神教の世界では通用する。
近代社会は、産業化によって、「徹底して自然を支配し、その内在するエネルギーを最大限に活用する。それによって人間を自然から自立させ、自らの手で富を生み出す」。原発はまさにその象徴であろう。
しかし、我が国は多神教の世界であり、然様な宗教的信念はない。
推進派も、それほど強い信念は無い。「世界的潮流だからーーー」であり、反対派も、情緒やイデオロギー的執念からである。「現代社会を支えるエネルギー政策は、いかにあるべきか?」という対案を持たないのである。

核燃料の最終処理方法・場所さえ未決定である現状では、現実処理対策としての「再稼動」は、あくまで暫定的であるべきであろう。


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June 06, 2012

幸せの青い鳥

五木寛之「新・幸福論」を読了。
著者曰く、「このところ幸福論がブームになっている。人は、不幸のどん底にいる時には、あきらめて無気力になるか、目の前の災難を避けようと必至になって、幸福について考える余裕はない。今我々日本人は、自分が幸福なのか不幸なのか解らない、そこそこの幸せを感じながらも、明日に不安を感じている。そういう不安定のなかにいる。」と。
戦後の日本社会は、敗戦の混乱と瓦礫の中から、必死に頑張り続けた。その成果として、「所謂豊かさを獲得した」と思っていた。「さあ、これから・・・」と思ったら、「その実態はこんなものか・・・」と途方にくれているのが、現状である。
将に、少年少女の童話「青い鳥」の「目出度し、目出度し」で終わる寓話ではなく、その原作であるメーテルリンクの戯曲「青い鳥」は、「苦労の末、見つけ出した青い鳥はすぐに飛び去ってしまい、終幕は途方にくれた状態に戻る」のである。

現代社会では、「絶望の中の小さな幸せ」を人間個々に見出す。そのことの大事さを切々と説くのである。


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