September 2012

September 30, 2012

「第三極待望論」に思う

現在のマスコミはじめ世論は、「決められない政治」、すなわち既成政党は、「出来そうもないことを先約する民主党」、「困難なことは先送りする自民党」として、政治状況の現状打開を図る「第三極」待望論が多い。
しかし、歴史的に観ると、昭和初期の政友会・民政党の二大政党時代にも、既成政党は腐敗堕落、「決められない政治」であった。その際もマスコミは「第三極」を希求し、それが嵩じて青年将校の昭和維新となり、結局軍の独裁となり、民主主義政党政治は衰退・無極化していったのが、歴史である。

今、諭ずるべきは、「第三極とは何か」であろう。
既成政党への失望が、「穢れなき新鮮さ」への期待となり、それが「経験なき未熟さ」への過剰な期待である実態が判明し、政治の現状へ失望に繋がった経験を、国民は味わった今日、求めるべき政党政治とは、どの様なものか、を問わなければ成らない。
その意味で、「天下の公器」としてのマスコミは、政策・理念を明確にする政治グループによる政界再編と、政治に携わる者への登竜門としての選挙制度のあり方をこそ、率先して提言すべきであろう。



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September 23, 2012

官僚機構の陥穽

岡部 伸著「消えたヤルタ密約緊急電」を読了。
終戦、日本はヤルタ密約(ドイツ敗戦後、ソ連は日本と開戦)を知らなかった。そればかりか、そのソ連にアメリカとの終戦交渉の仲介を依頼していた、というのが通説である。
しかし、ソ連参戦の密約があるとの情報は、早い段階で日本は知っていた。その情報は陸軍の中枢部で抹殺され、終戦が遅れた結果、我が国は原爆被災、シベリヤ抑留など未曾有の被害を蒙ったのである。
当時の陸軍の中枢は作戦本部、そこは、自分たちの立案する作戦に不都合な情報は「聞く耳もたず」という、独善的官僚機構の弊害の極致であった。その実態を、海外の機密文書(各国の情報機関が相手国の暗号電報を解読した成果)の綿密な取材を通じて裏付けた著作である。
読後、印象に残ったこと。
 〆8紂▲檗璽薀鵐匹箸陵Чジ鯲をもっと緊密化すべきこと。
◆仝渋紊任皀蹈轡語で「ツシマ」とは、格下の相手に不覚をとる意味。(日露戦争対馬沖会戦の敗戦にちなむ)
 官僚機構の弊害  エリートの陥穽 
自分たちの政策に障害となる真実は握りつぶすのは、エリートの良心。自分たちの思考の外にある情報はノイズとして消すは、エリートの能力が問われる。である。



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September 17, 2012

人口の波

「選択」9月号の松谷明彦教授への巻頭インタビュー。
我が国の最大の政治課題である「少子高齢化」について、「子育て支援」をはじめ「出生率向上」を至上対策とする意見が多い。
出生率が向上すれば、日本の人口・人口構造が維持できる、というのは甘すぎる。我が国の高齢化は他国に例を見ない異様な速度であることを認識すべきであり、日本の人口構造の問題点は、「団塊」と「団塊ジュニア」の二つの大きな山があることではなく、その両世代の間に「深い谷」があること。自国民の人口構造を恣意的(戦後、飢餓への恐怖から産児制限を行い、優生保護法により堕胎を事実上合法化)に変えたのは日本だけである。
その結果、20〜39歳の女性人口は今後50年で「団塊、団塊ジュニア世代」の3分の1まで落ち込む。
即ち、問題点は、「女性が子供を産まない」のではなく、「産む女性がいない」ことである。
この破綻シナリオを打開する策は、現存する人口で「国内のグローバル化」を図ることである、とする。


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September 11, 2012

遠心力と求心力

第三極として、新政党が結成されんとしている。「決められない政治」の現状に対して、「決められる政治」を求めて、「既存のものより新しいもの」への待望、期待論は危なっかしい一面がある。
現代の政治意思決定は、民主主義が原則である。民主主義は、一人ひとりの意思を尊重しつつ、出来るだけ多数での合意を、全体の見解とする多数決が原則である。
「一人ひとりの意思を尊重する」には、バラける遠心力が働く。そして、「全体の意見に集約する」のは、まとめる求心力の働きである。その遠心力と求心力のバランスが取れていて始めて、民主主義がその真価を発揮するのである。
戦後の日本の教育は、「一人ひとりの意思の尊重」する遠心力は強化したが、もう一方の「全体の決定を遵守」する求心力は、放棄等閑視されすぎた。「皆で決めたことは実施するのに協力する」という最小限の共有条項、 これがなければ民主主義はもたない。
その最低限の共有条項は、いずこにありや?
今、問われているのは、日本の求心力の根幹をどこに求めるか、そのことであろう。
政治リーダーには、単純な「感情」だけではない冷徹な「勘定」に基づく判断が求められて居る筈だが、「国民のレベルにあった政治家」「政治家のレベルにあった国民」は、永遠の課題か?



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September 03, 2012

「本能寺の変」

山本兼一著「宣長死すべき」を読了。
久方ぶりの小説である。
「歴史にifはない」。しかし、「本能寺の変なかりせば・・・」日本史は変わっていた。いや、日本の統治体制そのものが、現在のそれとは異質なものとなっているであろう
この著はその「本能寺の変」の背景に、朝廷の陰謀があった、とするのである。
歴史の通説では、光秀は、有職故実に通じた教養人である。その光秀が、突然に主君暗殺を企画した。それは、信長のあまりの暴君振りに耐えかねたからである、とする。
しかし、その光秀の事件後の対応振りは、あまりに無計画ではなかったか。自分が天下人となった後、その後の体制造りの準備(信長に敵対していた他勢力にも連携の要請、天下人としていかなる統治体制をとるのか)さえもないのである。それまでに光秀が統治した領国の統治体制の周到ぶりとは、全く別人の如きである。
それは、この反逆行為には、背後に絶対的な体制を構築できる権威の存在を確信していたからであろう。
当時、「飛ぶ鳥の勢いの信長に反逆する」という思考を発想し、そしてそれを他人にやらせる立場にある存在は、朝廷のトップしかない、とするのは納得させるものである。
著者の登場人物の心理描写の巧みさは、一級品である。



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