June 2013

June 25, 2013

「チカラを抜く」人間論

戦後の日本は、国全体が「坂の上の雲」、即ち「より良きものを求める」という向上への一体感があった時代があった。
それがある意味で頂点に達した時点で、全体で「求めるべき未来」を見失い、個々人がそれぞれに暗中模索するバラバラの状態となった。
この少子高齢化社会にあって、成熟社会を目指して「坂の上の新たなる坂」を登る登山策で新局面を打開せんとする人、「次の坂は下り坂」ゆえに、下山策を充実させ新局面に対応せんとする人と、様々である。
親鸞の生き様に共感し、「下山の思想」を著した五木寛之の著「無力(むりき)」を読了。
著者は説く。「今の自分の存在は、頭では、他力に身を任せると決め納得もしている。だが、体では自力を捨てきれない。そのなかで、楕円形の玉の如く揺れ動く存在と言わざるを得ぬ」、ゆえに「さらばチカラを」がこの末世を生き抜くテーマとして、(むりき)を提言するのである。
「むりょく」と「むりき」の違いは、「むりょく」とは、頼りない状態から動きの止った後ろを向くばかりの姿勢である。「むりき」とは、自力と他力の間を揺れ続ける動的な生き方を肯定し、そのかなで何かを目指そうとする、前向きで自在な姿勢であり、それが人間として一番自然な姿であるからである。


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ryosuke_hara at 15:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

June 18, 2013

文武両道」ともに

プロ野球コミッショナーの『統一球の変更』問題への発言・弁明は、彼の前歴である高級官僚の思考方法を再度確認させた。管理責任者として『「お詫び」せざるを得ない。しかし私自身知らなかったこのだから、不祥事ではない。今後ともこの組織の再生の為、管理責任者として責任を果たすべく辞任の必要なし。』という。彼の前歴は、駐米大使であり大リーグのファンであり、日本プロ野球機構から請われて、コミッショナーとなったのである。
アメリカ大リーグで、今回と同様の事態が発生し、大リーグコミッショナーが同様の発言をした場合、どんな反応・批判が浴びせられるか、考えなかったのだろうか?
先日、日本柔道の組織でも、その管理者が、『疑惑をよんだ組織の再生こそ、管理者としての自分の責任の取り方』と同じ論理である。この人も現役時代、日本一の実力者であった。
まさに、我が国の「文武両道ともに、その世界のトップリーダーにも、「学力体力は鍛えても、人間としての品格において修養なし」教育のあり方が問われるのは、当然の事といわざるを得ない。


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ryosuke_hara at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

June 14, 2013

「名医とは?」

4月半ば、再び体調不良により入院。
6月の我が古希の誕生日にようやく退院を許された。その間が長期に亘ったのは、体調に附合した薬の調整の為の血液検査に期日を要したからである。左手の麻痺は、日にち薬と言われているが、パソコンに向かう気力乏しく、ブログ作成にも手間取ったせいでもある。
その入院中に読んだもので印象深かったものは、日野原重明著「生きかた上手」であった。
百歳にならんとする現役医師である著者は、現在の社会風潮、特に医療現場を憂いて、医者の原点を問い直すのである。
「医師の相手すべきものは、患者の病気ではない。病気の患者である」
「人間の人生に於ける最高のクライマックスは、その人の死である。その死の瞬間を先延ばしにする、その延命措置によって、病気を克服したとして、現在の医者医療が台無しに、すなわち病気ばかりで患者を相手にしていない」、と。
これは、医療に関わる者だけでなく、社会全体として、「人生のクライマックスとしての『死』のあり方、これは同時に『生』のあり方」を意識させる必要あり、と説くのである。



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ryosuke_hara at 17:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)