July 2013

July 22, 2013

或る不安

参議院選挙は政権党が圧勝、「衆参のねじれ」は解消、「決められる政治」、何よりも経済活性化が期待される状態となった。しかし、そこに一抹の不安がある。
それは、中国政府が「成長率が予想を下回った」と発表、それに伴って不動産バブル崩壊とシャドウ・バンキングの問題が表面化したことの報道である。かの国の実態は、政治面経済面のみならず都合の悪いことは発表しないし、特に我が国のマスコミはその種のことは報道しないのが通例であったが、それが為されたのは異例であり、相当深刻な状況と思ったからである。
今読書中の竹森俊平著「通貨『円』の謎」によれば、常識的に危機に見舞われた国の通貨は下落する。しかし、日本は国内経済が危機的状況になればなるほど、通貨『円』は高くなり、余計に経済復興は遅れる、という特殊な状況の謎解きをする。
それは、世界最大の債権国である日本が危機に直面すると海外で運用している資産を取り崩し「円」に還元すると見る海外投資家が「円買い」に走るからであると、説く。
ならば、今やアメリカ国債の最大の所有国である中国が、自国経済再建のためアメリカ国債を『元』に還元するならば、安定通貨としての『円』が買い求められ、昨今の「円安」による日本経済の立ち直り状況が、再び暗転するのではないか?という不安である。


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ryosuke_hara at 14:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

July 13, 2013

東京オリンピック

東京オリンピックの開催の気運が盛り上がってきた。前回のそれは、昭和39年のことである。昭和30年代こそ、日本の歴史に語り継がれるべき年代であろう。
それは、「もはや戦後ではない」とまで戦後復興した敗戦国日本が、痛切に「世界復帰」を願った時代であった。
明治開国以来、「脱亜入欧」をスローガンとして、当時白人国中心の世界に、唯一の有色人種国として、「世界の一等国」となった戦前の如く、しかし、今度は平和裡に、「再参加」したい、それが国民的欲求であり、オリンピック開催はその象徴であった。
また、この年は、戦後史の歴史的な区切りともなったのである。オリンピック以前が高度経済成長前期、重厚長大産業の時代、また家庭では必要な実用製品を揃えた時代である、それ以降の後期は新技術の時代、また贅沢品・豊かさを求めた時代であるとも言えよう。
関川夏知央著「昭和三十年代 演習」は、貧乏臭さと明るい希望とが混在していた、この当時の実相を、具体的な文学作品と事象の読み解きを通して浮き彫りにしたものである
特に、この著の結びの部分で、予てより敬愛していた本田靖春(読売新聞社会部記者)の絶筆となった「我、拗ね者として生涯を閉ず」の記事、「オリンピックは素朴な日本の秋祭り」を引用してあることに感慨を覚えが、次回の東京オリンピックに、今の日本は、なにを期待しているのであろうか?


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ryosuke_hara at 14:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

July 03, 2013

「金の草鞋」を履いてでも

斉藤明美著「高峰秀子 夫婦の流儀」を読了。
母の命日に月参りをして頂いているお寺さんから、小生の退院祝に贈られたもの。
高峰秀子の晩年に、養子となった著者の前作「高峰秀子の流儀」では、高峰秀子という高名な映画俳優の、女優というよりも、人間としての生き様の品格を証ししたものであった。今回のものは、その高峰と夫となった松山善三と秀子の55年の長きにわたる夫婦生活を貫いた流儀を、その節目折々の両者の思いをエッセイ風に表したものである。
当時一本の映画出演料100万円の人気スターの高峰と、月給1万円の松山の突然の結婚は、今風に言えば「逆玉の輿」であり世間を驚かせたが、いかに高峰が「松山家の主婦」として夫を立てたか、また松山が、いかに自然に「松山家の主人」として振る舞ったか、この二人の稀有な夫婦生活のあり様を、収入、食事、子供、喧嘩、老いなどの10のテーマから解き明かしたものである。
松山善三という男が「一つ年上の女房は金の草鞋を履いてでも探せ」のコトワザどうりであることが羨ましかったのと、同時に、闘病生活の看病振りを想うと、最近特に、我が妻も年下ながら「金の草鞋」組かな?、とニヤリとした次第である。


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ryosuke_hara at 15:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)