September 2013

September 30, 2013

「年寄りの冷や水」  その

その兇蓮年寄りのイヤミである。
念願のオリッピック東京開催が決定したのは、日曜日の早朝であった。国民は「テレビの速報」だけでなく、「活字でその詳細」を知りたいと思った。ところが翌日は新聞休刊日で、それは暫くお預けとなった。新聞側は、この日が休刊日であることは以前から決定していたこと、という。この日にIOC総会で開催地が決定すること、そしてそれは国民挙げて待望するニーウスであることも以前から判明していた、
国民から言えば、「有料の新聞は休み」、「無料のテレビはフル稼働」(民報テレビの主体は新聞社であることは自明の理)は納得できるものではない。新聞よりもテレビの方が国民生活に密着し、生活必需品となっている、と言えよう。
ところが、今回の消費税率引き上げに対して新聞協会はいち早く「生活必需品故に低減税率適用を」という運動を始めている。「新聞が生活必需品とは、よくいうよ」
「新聞に休むな」といっているのではない。それぞれの新聞には、「創刊記念日とかに休刊日」を設定すればよい。各紙一斉に休刊するよりも、各社別々の日に休む方が国民にとっても便利だといっているのである。
これこそ、新聞が他団体を一斉に批判する「護送船団方式」そのものではないか。


バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 13:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

September 24, 2013

「年寄りの冷や水」

先日、地域の自治会より「古希敬老記念品」というものを頂戴した。丁度オリンピック東京開催決定と重なる時であった。
この決定を、前回のそれと対比してしまうのは、歳のせいであろう。
政治的には、前回の場合は「国際社会から追放されていた日本が、それに復帰すること」に意義があった。今回の場合は「国際社会の枢要な一員としての責任を自覚する」ことに意義があるのであろう。経済的には、前回は「敗戦によって喪失したものからの回復への期待」であつた。今回は「バブル崩壊・失った20年からの回復への期待」であり、両者ともに、この開催決定を国民一体となって待望したことは同様である。
しかし、両者の背景は、全く異なっている。
前回は開催後20年間毎年110万の人口増という発展段階のオリンピックであるのに対し、今回は開催後20年間毎年80万の人口減が予想されるのである。故に、今回は「少子高齢化社会でのオリンピック開催」の準備対応のモデルケースとする必要がある。
いずれにしても、前回の開催の実態は、「大正・昭和前期生れ」の人々が支えた。今回は「昭和後期生れ」の人々が中心とならなければならない。「年寄りは後ろで観覧するのみ」


バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 11:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

September 16, 2013

「金融資本主義」のサブ・システム

藻谷浩介 NHK廣島取材班共著「里山資本主義」を読了。
日本経済停滞の根本原因は、バブル崩壊によるデフレ不況ではなく、人口の波であると喝破し、目から鱗の思いをさせた「デフレの正体」に続く藻谷の著作である。
20世紀は、経済の中央集権化による「量的拡大」、発展の為の莫大な投資、労働力の集約により、「全体としての豊かさ」を求めた時代である。21世紀は、その「豊かさの内容」の質が問われ、空疎感からの脱出「全体よりも個・地域」の見直しを模索している時代である。
この著は、お金の循環が全ての「マネー資本主義」の経済システムから、お金に頼らないシステムの構築が必要であり、その一つとして、里山の活用を考えるのである。
過疎地域の農林業を活用、「明るい高齢化社会」の実現させた実例を、海外や中国地方に引き、さらに、「少子化問題」についても「マネー資本主義の未来への漠然とした不安・不信が原因」故に、この「里山の活用」は、この問題解決の端緒ともなるであろう。
即ち、「里山」には、年金問題、少子化、無縁社会など現代の諸課題を解決するヒントが潜む故に、この「里山資本主義」を「サブ・システム」とする提案である。



バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

September 07, 2013

忘れてはならぬ昭和史

昭和史資料に追加すべく、半藤一利著「あの戦争と日本人」を読了。
「歴史探偵」に教えられること多し。
  〔声時代「日露開戦」を扇動した「帝大七教授事件」は歴史に残っているが、昭和にも「この戦争は終結すべき。その時期、その交渉相手国はソ連ではなくアメリカ、その交渉の我が方の当事者の適格性、そこでの天皇の役割と責任の取り方のなどに関して、帝大七教授の提案」があったことは、知らなかった(この教授を『曲学阿世の徒』と呼んだ政治家の言は残っているのに)。
◆  崙湛饗癲廚鯣案する大本営の実態と「その産みの親」とされている大西中将の真意(遺書)は、後世に語り継がれるべきものであること。
  終戦時の阿南陸相と米内海相の対立(阿南の「米内ヲ斬レ」との遺言)は、二人の軍人の「敗戦後の国体護持」を巡る見解の相違と両者の性格人柄の違いであったこと。などである。

「あとがき」で語る『明治の栄光のみを背負って苦労の経験の無い者が、戦前の昭和を悲惨なものにした。今日、「叩きのめされた経験で自らを鍛える」こともなく、戦後の右肩上りの繁栄のみを謳歌し、廃墟からの再生の苦闘の経験を全く知らない人がリーダーとなるこれからの日本は大丈夫か?』は、著者の遺言であろう。


バナー

クリックよろしくおねがいします。

ryosuke_hara at 11:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)