April 2014

April 27, 2014

日露戦争 その三

日本海海戦から講和条約へ
「天気晴朗なれども波高し」パルテック艦隊を迎え撃った連合艦隊は歴史的勝利をものにするが、講和条約の不調に国民の怒り爆発、日露戦争とは何だったのか?「大和魂は日本をどこへ連れてゆくのか?」  この著作のダイヤローグに向かう。
戦術戦略が優れていても、後顧の憂いなき政略政策かなければ戦争は収拾出来ない。この我が国の黎明期である明治初期の国民体験の継承が、「買って兜の緒を締める」どころか、
日露戦争での陸海軍それぞれの「神話」が昭和の軍部の陥穽となっていく過程を振り返るのである。
著者は当時の国民民草の熱狂を冷笑するが、私は、三国干渉からの臥薪胆嘗。遅れてきた文明国として、国際社会の認知を受けたい。そのために節度ある行動礼儀国際社会の慣行自らのものとすべく、必死に取り組まんとする明治時代の日本人に、敬意を表したい
明治日本は、日露戦争の勝利によって、近代国家としての「カタチ」を完成させ、民草は国民たる自覚を持つことが出来た、と思うからである。

特に最近の韓国の旅客船転覆事故への、彼の国の指導的立場に立つべき「大人」が存在せず、政府も船員も国民も「三流国家である」との自己反省が報じられている。それ故に此の観を強くするが、「他山の石ともせねば」とも思う。


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ryosuke_hara at 07:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 17, 2014

小学校同窓会

上筒井小学校昭和31年3月卒業生は、今年三月末で全員古希を迎えた。各クラスの担任の先生は全て他界されているので、恩師の御子息夫妻(両者とも小学校教諭)をご招待して、古希記念の同窓会が開催された。卒業以来五十年ぶりの顔合わせの者もいた。
卒業生二百人の内,四十五名の参加であつた。一人九十秒での近況報告であったが、さすがにこういう会合に出席する者は、それなりの人生を送ってきたのであろう、その語り口は自信と自己満足を偲ばせていた。
母校の歴史を調べた司会役が披露したこと。我が母校の給食は昭和19年から始まっていたこと。また学童疎開先は岡山県であったことである。19年といえば戦局は相当厳しい状況であったろうに、給食の内容また疎開先の詳細には興味を魅かれた。
個人的には、多くの同級生から,我が原家の三兄弟ともに、真冬でも短いズボンと靴下で、足は丸出しであったことが印象に残っていると指摘されたことであった。
それは、我が父母の指示であった。今となっては、その厳しさより一介のサラリーマンと専業主婦の家庭が、三人の子供を三人とも大学卒業の学歴を与えたくれたことへの感謝の念を新たにするものであった。


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ryosuke_hara at 11:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 12, 2014

日露戦争史 その

第二部では、戦争は前哨戦を終えて本格的な決戦へ
陸軍も海軍もそれぞれの前哨戦の勝利に陶酔しながらも、その先の巨大な虚無(陸軍は相手方ロシアの焦土作戦による日本軍の補給の限界、海軍は今後投入されるバルティク艦隊の脅威)に怯える指導者。対照的に初戦の勝利にますます熱狂の度を高める国民民草。それらを幅広く各界からの文献資料を引用して示していく。
そこに加えて、第一次世界大戦以後の戦争の如く、大量殺戮兵器による国家総力戦、徹底的な殲滅戦とは違って、悲惨な戦場においても、人間が発揮できる美しさの余地があった最後の戦いであり、両軍兵士の交流 武士道と騎士道の触れ合いのエピソードなど 文献の幅広き収拾読み取り、さらに与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」の発表当時の事情など日本国内の各新聞社の主張の独自性の指摘にも言及している。更にこの姿勢は対立するロシア側にも,皇帝陛下の日記、トルストイの非戦論の発表の受け止められ方などをも書き加えてこの著に深みを加味している。「歴史探偵」の独壇場といえるであろう。
「二〇三高地の争奪戦」の勝利により 「旅順艦隊の壊滅」これが日露戦争の勝敗を決定したという神話は 「歴史の皮肉」であり この悲惨極まりない戦いの意義とは何かを問いつつ、乃木大将論にも繋げていくのである。


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ryosuke_hara at 14:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 05, 2014

指導者と国民の熱狂

半藤一利著「日露戦争史 その1」を読了。
昭和史の歴史探偵を自認する著者が、「国はどのように戦争に至るのか、人はなぜ戦争を始めるのか、近代日本に決定的な転機をもたらした日露戦争を三巻に亘り解説するものである。
豊富な資料の読み取りに、歴史探偵への感銘を新たにする。
特に「明治天皇紀」は、天皇と臣下である政治・軍事の指導者の「君臣の交わり」の深さを示す記、これだけの情報が天皇のみならず政治軍事の各指導者に共有されていたのだ。まさに驚愕であり、この「明治天皇紀」は誰が記録したものなのか?知りたいものだ。
その巻1では、開戦直後までの政府・軍部の積極消極両派の攻防と国民の熱狂を語る。
「ジャーナリズムが煽り世論が形成される。その世論が勢いを持ってくると、ジャーナリズムが世論によって引き回される。それに政治軍事の指導者の判断が影響される。」それが通例である。明治の軍最高指導者層は、いざとなった時の戦費の調達、さらに総合戦力である劣る日本軍の現状をしっかり把握していたのは、太平洋戦争の陸海軍指導者の「なんとかなる」という底知れぬ無責任との対比が、鮮やかすぎる。
「戦争は政治の延長にあるもの」とのクラウデビッツの戦争論を知ってか知らずか、「戦略が政略に先立ってはいけない」こと、また「始めれば終わり所を考える」明治の指導者の気概と責任感を思うのは、それが「語り継がれた歴史の美化」だけではない、それらの人々の資質・度量の違いというべきであろう。


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ryosuke_hara at 08:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)