子供の日に柔軟な思考

May 15, 2014

教育の基本

前日の連休中、父母の分骨を京都の本山に納めた。父の三十三回忌の際、次は母の十三回忌、それまで自分は存在しうるか、と思ったからである。外出する時には、必ず家の仏壇に手を合わせるのが習慣であったが、妻から「キブンは?」と聞かれても、「それはお骨が無かろうと変わらない」。と応えていたのだが、昨日のNHKの「クローズアップ現代」で宗教法人の課題が取り上げられていた。そこで想ったこと。
「お寺さん」の数は膨大である(この理由は徳川幕府のキリシタン禁止政策て、全ての人を寺の檀家としたからだ、と教えられた)。しかし現代、地方村落では信者の絶対数が減少、都市部でも法事葬儀の様式が変化し、「お寺」の経営が行き詰まり,そこによかなる仕掛けをする不届き者が存在する。との報道であった。
私は、「人間には信仰心が不可欠の素養、基本である」、と思っている
私は、私立の幼稚園や保育園での卒園式で挨拶を求められた時には、「小学校へいけば新しいものが一杯ある。しかし、「神様の事」は誰も言わなくなる。ご家庭でお願いします」と言ってきた。
「女性の社会参加の活発化、」などが政治課題化している。「女性にしか出来ないこと、それは子供を産み育てること、特に幼児期には母親の存在は絶対的である」。ならば「この幼児期の教育は、民間の宗教法人に任せる。公教育にも宗教信教についても時間を割り当てる」ということを考えるべき時ではないか?と。


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ryosuke_hara at 10:55│Comments(0)TrackBack(0)

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