April 28, 2006

「感受性プリン」

4-28 今回、「面白いとは何だろ」といろいろ考えてみたのですが、まずは「これが面白いと思わせる」作家の意気込みみたいなものが必要なのかなと。

 もちろん殆どのクリエイターの方が、その一点をめがけて試行錯誤を繰り返しているのですが、「人を驚かす時には、静かに後ろから忍び寄る」とか「気持ちの余裕のあるときの方が笑える」「飛び上がる前には力を貯める」みたいな日常的な「あたりまえ」な作法を作品でも確実にやりとげる事が必要なんだろうと。

 また、「雰囲気を作る」という作業も大切に思えます。別の言い方をすれば「空気を作る」でしょうか。始まりのロゴから、音楽、テンポ、編集等々が、すべて「その作品を面白くする」一点に向かうというのが意気込みなんだと。

 まぁ「意気込みだ!」とはいっても、押し付けがましいコンテンツは不快感とさえなることもありますし、個人的には脱力系で面白い物を作れるクリエイターの人を大変うらやましく思ったりします。ただ脱力系コンテンツであっても、「ゆるいですよ〜」という雰囲気を大切にしていると思います。

 作る空気にかんしていえば、「これはどんな作品なんだろう」という観客にとっては「0」のステップから、「面白かった」というステップまでに引き上げていかなければいけないので、「共有できる雰囲気や記号」を用いてゆく必要もあるかと思います。ある程度、「たのしそう」かっこよさそう」「怖そう」などどいう雰囲気作りには既存の作品の影響が出るのは、「しかたがない」というよりは、こちらの作品に入り込んでもらうために、まずは作品の方が歩み寄ってゆく「必然」なのかもしれないと思います。
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April 27, 2006

「事実には負けない」

4-27 お話を作ろうと頭をひねっている時に、

 「事実は小説より奇なり」

 と言われるとなんとなく気持ちの良くないことがあります。たしかに日々世界では思いもよらない面白いニュースが起こっていますし、それらに目を通すとビックリしたり笑ったりするものも少なくありません。なんでそれらが面白いかを考えた場合にいくつかの理由が考えられます。

 まず、ニュースソースの裾野が広い事。これは、毎日世界中で起こる事件の中から、ふるいをかけられて僕たちの元にまでたどりついてくるという、新聞等のチョイスに選ばれてきている、「今日の面白ニュース世界一位」を目にしているのだろうと。10位ぐらいまででもかなりのものだと思います。

 そして、ニュースという形態が「事実である」裏付けをしてくれる為に、フィクションにはある「もしそれが本当ならなおさら面白い」という点を既にクリアしているという事。さらに「アメリカテキサス州・・・の」というディティールがリアリティとして面白さに貢献している。

 またニュースではなく、実体験に基づいた場合には。さらに「面白い事実であるX自分の身に起こった事」として相乗効果を生み出すのでしょう。ジェットコースターは乗るまで面白くないのと同じような感じでしょうか。

 これらの点を考えてみると「事実はなんで小説よりも奇なりと思うか」というとその圧倒的なリアリティにあるのだと思います。単純に「奇」の勝負であれば、確実にフィクションの方に分があります。「奇をてらう」目的であれば、脳内ワンダーランドでは思いつく限りの事が可能なのですから。
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April 26, 2006

「子供向けの語り口」

4-26 より面白い作品を作るのに、ターゲットを絞り込んでゆくという手段を考えますが、「R指定」というのとは別に、「大人向け」「子供向け」のエンターテイメント作品とはなんだろうと考えます。

 「子供向け」作品というのを考えてゆくと、「子供は子供扱いされたくない」とか「子供をバカにしてはいけない」という考え方をよく聞きます。その意見に従えば大人と子供の区別なく同じものを供給すれば良い事になるますが、実際はそうではありませんし、作り手側の明らかな「親でも子供でも楽しめる」という作り込みのない作品がうまく機能している例もあまりないのではないでしょうか?

 僕個人としてなにか企画を考える時に、出発点としては基本的に「僕向け」です。自分が精神的にどこまで子供かとかは、判断基準がないのでよくわかりませんが、一応「大人向け」といっていいのかと。あまり極端な大人向けの内容を扱わないので、どちらかといえば「万人向け」というスタートポイントで考え始める事が多いです。

 そこで「子供向け」という狙いがあれば、改めて「何を削るか」「何を加えるか」といことを考え始めているような気がします。普段はなんとなくやっている作業なので改めて考えてみたいところです。

 まず「何を削るか」という点では、「説明」かと。作品を鑑賞する時の「心の広さ」は、年齢が下がるほど「狭くなる」のではないかと思っています。小さい子供の「ダメだし」は残酷なほど早い時がありますし。「ここの説明をもうちょっと我慢して聞いてくれると、あとの伏線がたのしくなるんだよ」と言ってる間に、もう見てもらえなくなるんじゃないかと。ですので、極力話を壊さない程度に説明をシンプルにしています。
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April 25, 2006

「熱血という免罪符」

4-25 面白いコンテンツを考えていく上で、「いつも面白い」「ずっと面白い」ものが出来ないかなぁと考えることがあります。利用に過ぎないのかもしれませんが、いつも頭の片隅でくすぶっています。

 「話が古くさくない」とか「今見ても面白い」という理由を考えてゆくと、やはり人間の基本感情に基づいた「動機」がストーリーを引っ張っているのだろうと思います。「目的に対する達成願望」の強い、いわゆる「熱血」なものではないかと。

 個人的な意見ですが、「なんとなく」とか「いつのまにか」「理由なんかない」というキャラクター自身が、環境に翻弄されるスタイルは作品自体が「一過性」というか「刹那的」な空気を持つ反面、長持ちしにくい感じがします。

 「環境に流されて」という状態も、もちろん昔から人間の状況を変えてゆく大きな理由だったでしょうし、「いつの時代でもそうだ」と納得できるものですが、「熱血」と比較してより制作された時代に影響されているのは、その物語の「たどり着く先」が作品の作られた当時の世相に
左右されるからではないかと思います。

 「世間全体が希望の見いだせない時期」と「経済成長のまっただ中」で「理由もなく生きている」主人公が「なにもやる気がしない」「将来に不安を抱いている」としても、環境の違いで翻弄のされ方が変わってくるでしょうし、その過程は「同時代」を生きた人には大きな共感を得るでしょうが、社会状況が変わってしまうと面白みは半減してしまうのかもしれません。そういう点が顕著に出てしまうと「古くさい」となるのではないかと。

 「熱血」は、その「主人公中心に物語を引っ張ってゆく」というシンプルなスタイル、「明確な目的」で話が理解しやすいという利点があると思います。その目的はシンプルであればあるほど共感を得られる幅は広くなります。それ故に、古い映画でも「激しい恋の物語」「成り上がりたいギャング」「スポーツもの」などはわかりやすく、リメイク等にも耐えるプロットラインを持っているのだと思います。
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April 24, 2006

「いじりがいのある歴史」

4-24 個人的に面白いなぁと思う物に「歴史物」があります。その理由として作品の世界観の共通認識を作品自体での説明や日常とは全く別の方向、「教育」で下地が作られているということです。もちろん、ものすごく細かいディティールまで知らなくても、だいだいの流れ、もっとラフに言えば「印象」を繰り返し色々な場面で「刷り込まれている」ということです。

 それらの共通認識のベースに乗っ取る安心感の上で、「説明を排除する」「ディティールを詰めてゆく」「新しい説そのものを話の面白さとして提案する」という展開ができるのも歴史物ならではの楽しみ方ではないかと。

 同じ歴史を取り扱った物でも、提示しようとする観客が「教育されていない」場合。その受け取りかたは変わってくると思います。日本の平安時代の話をヨーロッパのマーケット向けに展開する場合、そこにある当時の政治背景、社会の成り立ち、男女間のモラルの問題等、ある程度の説明が必要になるかと思われます。

 僕たちの多くが共通認識としてもっている織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの登場する戦国時代の話をはしょって語ってしまうと、海外の観客にとってみれば「コスチューム物の戦争もの」「人間描写」としての面白さは感じられるかもしれませんが、僕たちと同じ楽しみ方ではないと。

 「必要と思われる説明」は、「ストーリーを軽快にする為に登場人物を記号化して、スピード感を持たせる」というのとは逆の方向に進みがちな物なので、多くの基礎知識がある事柄であるほど気をつけて取り扱わないといけないのだろうと思います。

 全ての舞台背景が伝わらなかった場合、それらは「未来もの」と同じように、「架空の面白い話」として成り立つぐらいの骨格は準備しないといけないと思います。  続きを読む
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April 21, 2006

「よけいな事を言わないロマンス」

4-21 万人普遍で世界共通なコンテンツに、「恋愛物」と「下ネタ」があります。まぁ「下ネタ」も元をたどれば「異性への欲求」を含む所が大きいので、ここでは「恋愛物」「ロマンス」という物についてちょっと考えてみたいと思います。

 もう人間であれば殆どの人が思春期を迎えると、良いにしろ悪いにしろ、美しいにしろ醜いにしろ、何らかの「恋愛体験」をすることになります。「お腹がすいたからご飯が食べたい」というぐらい自然に発生する感情だと思います。

 子供は生まれた時に両親の異性の方に恋をして、同性の方を恋敵にする。という児童心理学の説もありますし、老人ホームでも熱い恋愛模様が繰り広げられているので思春期だけではなく「生と死」ぐらい普遍的なテーマです。

 それだけに人間に深く関わる問題なだけに、ものすごく古くから様々なパターンで「面白い話」を作る為に趣向を凝らされてきています。日本書紀やギリシャ神話もドロドロです。そこで今、お話を考えようとした場合、どう取り組んでゆけば良いのかなかなか難しい所です。

 基本的には、「ある対象が別の対象に対して好意を抱く」というパターンなので、その「組み合わせ」は既に試行錯誤が繰り返されています。「刺激」や「裏読み」、「障害の多さ」を工夫していったとしても、あまりにベーシックな感情を取り扱う為になかなか「新しい」物を生み出しにくいと事ではありますし、更に言えば「奇をてらえば良い」という物でもないのが、この「ロマンス」というジャンルの特徴だと思います。

 「面白いと言われる恋愛もの」を表現するのに「登場人物の気持ちが痛いほど伝わった」というのをよく耳にします。誰もが心の片隅に抱えている感情に触れれば触れるほど物語と観客の感情がシンクロして、結果「ぐっとくる」のでしょう。では、どうやって「ぐっ」っとさせるのか?「共有」そして「共鳴」のプロセスを考える必要がありそうです。  続きを読む
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April 20, 2006

「カワイイ+α」

4-20 世界中で様々なコンテンツが日々生み出されていますが、アジアのコンテンツの独特の特徴として「カワイイ」ものがあると思います。北アメリカでも「カワイイ」キャラクターは多くありますが、そのほとんどは幼年層に向けたものであり、ハイティーンや大人に向けた物では「デザイン」を重視した物が一部存在するだけのように感じます。ポップなテイストを表に出したものとして扱われる事もあります。また、子供向けのキャラクターでも「カワイイ」というよりは「愛らしい」ものが多いのではと思います。

 テイストの違いと言ってしまえばそこまでですが、アジアでの「カワイイ」の商品価値はかなり重要視されているのでは無いでしょうか。マーケットを重視して購買力の強い、若い女性層を意識したのとはまた少し違う「カワイイ」は、いったい誰に向けられているのか気になる所です。

 色々な所で展開されている「カワイイ」キャラクターは、アニメーション、漫画、イラスト、キャンペーンのマスコットと多くの所で展開され、マスコットキャラクターのいないキャンペーンは、ちょっと「地味」な印象さえ受けます。

 多くの「カワイイ」キャラクターは、シンプルなラインと選ばれた色彩で構成され印象に残りやすい「アイコン」としての機能を果たしていると同時に、「受け入れない理由が思いつかない」ルックスで受け手にアピールします。ちょっとひねくれた言い方をすれば「嫌いと言うと冷たい人だと思われそう」な雰囲気をつくっているのでは無いでしょうか?  続きを読む
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April 19, 2006

「正義のぬるさ&悪の魅力」

4-19 「ヒーロー物」に続いた感じになりますが、「正義」と「悪」の登場する作品というのは、オーソドックスに「面白い」構図になります。「勧善懲悪」というのは「わかりやすい」+「ストレスの解放」というコンテンツの王道なのかもしれません。

 実際には、「ヒーローと悪の組織」だけでなく「良い老夫婦と悪い老夫婦」であったり、「普通の子供とすれた大人」であったり、様々なバリエーションがあります。

 ただ僕の性格なのかもしれませんが、昔からなんとなく「良い老夫婦」に人間味を感じないところがありました。様々な作品に登場する「善」は、なんというか「退屈」なのです。日本の昔話は、良い夫婦は「棚からぼたもち」的な幸運を手に入れて、ご近所さんはねずみをだましたり、スズメを脅迫したりしてなんとか自分達も仕合せになりたいと作戦を実行するのです。

 もちろん「人間、欲を出してはいけません」「他の人を傷つけてはいけません」という教訓的要素を対比によって出しているのですが、お話として考えた場合、「良い老夫婦」の話は一本立ちさせれば「そういう不思議なはなしがあったんだ」というところで落ち着いてしまいますが、「悪い老夫婦」のバージョンでは、もっと話に深みがあるように思えるのです。

 この両者の大きな違いは何かと考えた場合やはり「欲」の差にあるかと。もうちょっと言えば「欲に対しての必死さ」だと思います。「良い老夫婦」も「子宝に授かりたい」とか「良いお正月を迎えたい」という「希望」はあるのですが、けっこうクールに淡々と日々の生活を送っています。それに比べて「悪い夫婦」は、「妬み」「嫉み」を抱えながら「うちだけ良い正月がおくれんのは不公平や!」と激情をぶちまけている印象があります。

 色々なストーリーの中で「正義」や「善」と言われる存在は、物語を背負った「僕らの代表」のようなポジションを課せられた為に、学級委員長のように、「周囲の期待」に答えなければならないという側面もあります。そのために行動を規制され、悪い事と言っても「自信をなくす」とか「すねる」ぐらいしか出来ないキャラクターになっている事さえあります。  続きを読む
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April 18, 2006

「最強のヒーローは薄っぺらい?」

4-18 ジャンルとしては、幅が狭いですが個人的に好きな物として「ヒーローもの」があります。もう「ヒーロー」という存在自体が、「対決構造」故に成り立っている明快さが良いです。

 このヒーローものですが、「面白さ」を考える上でいくつかのシンプルかつ効果的な要素を含んでいると思います。それらは基本的には、

 「悪と戦う」
 「守るものがあり、そして勝つ」
 「成長する」

 という当たりでしょうか。少年向け漫画雑誌がこの手法を繰り返しながら確実に読者層を獲得している事からも、魅力の裏付けが感じられます。ただ最後の「成長する」に関しては「技術的に成長する」「肉体的に成長する」「精神的に成長する」といくつかのパターンがあるようです。

 ここには、「ヒーロー物」のキーとなる「憧れ」と「共感」という要素があるように思えます。「成長する」場合、観客に「努力は報われる」的なメッセージを送るものが多く、「カセ」に比例して勝利の喜びも大きくなります。その姿に「共感」もしつつ「憧れ」もする。

 ただ、それでも中には「ずっと強い」ヒーローも存在します。イギリスの有名スパイ映画のように「はじめっから出来ちゃう人」がそれなりに苦労するけど「やっぱり強い」というパターン。強いから「ヒーロー」なんだという「憧れ重視」という作り。この場合、ヒーローが弱い部分を見せると「あんたのそんなとこ見たくなかったよ」と言われてしまう場合もあります。

 個人的には「完全無欠史上最強のヒーロー像」からどのような物語が作られるのかという点に興味があります。はっきり言ってしまえば「ストーリー的に面白くないかも」という疑問が浮かぶからです。話を盛り上げる為に「敵の強さを強調する」「ヒーローに一部分だけ欠陥を設ける」という手法はありますが、「お話」としてはどうなんだろうと。
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April 17, 2006

「未来物の夢と絶望」

4-17 小さい時買ってもらった本に載っていた「未来の世界」のイラストはものすごく「ワクワクと楽しかった」思い出があります。現代の生活をベースにして、物語の創造性に任せて様々なクリエイションを持ち込んでゆく「未来もの」はなかなか面白さの要素の取り入れやすい物だと思います。

 「未来」の面白さには、「予想出来る物」と「意外性」の混在だと思います。「ここがこうなれば未来は楽しい」というクリエイターの主張が大きく反映できるのも魅力です。

 ただ「予想で」と「意外性」のバランスを考えた場合、「現代とのコネクション」を失ってしまうとその魅力が半減しています。具体的に言えば、「タイヤの無い車」はいいのかもしれませんが、「人間が足を必要としなくなった」までいってしまうと、突然「そこまで飛躍?」となります。

 未来もの自体の持つ「自由度」は、確かに作品の設定の幅を大きく広げてくれます。しかし、その反面、「説得力」をもたすためには、大変多くのイマジネーションを必要とします。魅力的な未来を描く為には、多くの下準備を必要としそうです。

 今の私たちの生活で大きな部分を占めているもの、人間の本能、社会構造、貨幣社会、生と死などのベースを守りながら、「未来っぽいもの」を構成している物ほど楽しんでみることが出来るように思います。また現代にある物の「進化系」とさらには「その進化した物が生活に与えている影響」を描ききっていると楽しさが増します。

 未来物の多くは、その「未来である」というテイストを楽しんでいる部分があると思います。見た事の無い機械や技術、新しい法律、未知の生物というアイテムの登場がおもしろいのかもしれません。おもちゃ箱的な作品の楽しみ方かと。
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