2008年04月11日

ゆかへの課題

ゆかちゃんと

課題図書リレーをやっている。

彼女は高2なんだけども

2年後にスーパー戦略家高校生に

なるために

今やってる。

どうしてか?

彼女自身けっこう悩んでいて

高校が思い描いていたものになっていない

らしい。

それを打破すべく、

全ては自責だと

理解すべく

ゆかは今やっている。

レポートを出してくれるけれども

これがまたまだまだヒドイです。

でも、これは続けていくうちに

まともなものができるようになるというのを

僕は知っているから、

今はまず量だ。

これがやがて、

質に転化するときがくる。

8ヵ月後だ。

8ヵ月後彼女はすごいことになる。

続ければの話だけどね?

楽しみだね。



ryoto1983 at 00:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年03月23日

教え子ケイスケの物語

今日、午前中にスーツを買いに行った。

父が仲良くしてる店長がいる青山ね。

そこで、僕は春モノのスーツを1着選んだ。

結構即決でブラブラしてたら、

見たことある顔がいたもんだから、

「ケイスケ?」

と呼ぶと、

『おぉ!!寺西先生!!!久しぶりっす』

と。

ケイスケ・・・・

僕が大学2年生の頃の教え子。

僕はこれまで見てきた中での天才。

教えてきた子で、コイツは天才だって思ったのは

このケイスケと現在高1のゆーた。

二人とも理系バリバリ。

天才というのは、学力ではなくて、

なんていうか、賢さとかクリエイティブがすごかった。

もちろん学力も彼らは凄かったが。

ケイスケが中二の最後の頃に僕が担当になった

寺西フリーク二期生である。

わたけんの代の一つ下。

つまり、わたけんの代を送り出してすぐに

担当になった代だ。

この代は大変だった。

当初人数は少ないし、学力はひどいし、

態度もひどいし・・・。

わたけんの代を送り出して気分よく

あぁ塾講師面白い〜〜〜なんて思っていたのは

つかの間だった。

で、ケイスケにしてもやたらと自分を過小評価して

「いやー無理っすよー」

っていうのが口癖だった。

彼が中三になって、本格的に受験勉強を始める夏休み前、

教室で話をした。

当時ケイスケは偏差値でいうと52くらいだった。

「せんせー俺もうちょっと頑張って58くらいの南高いきます」

ということを言っていた。

でも、そのレベルで終るわけは無いと僕ら講師陣は

分かっていた。

だから、当初の偏差より15上の県内有数の男子校を薦めた。

「いやー無理っすー。」

なんて言っていた。

でも、僕はケイスケには

『ケイスケは天才肌。今全然手を抜いてさぼっていても

そのレベルなんだよ?きっとしっかりやったらスゴイことになるよ?

やってみない?』

とおした。

眠れる獅子は起きるかな?って講師陣では思っていた。

そんなケイスケも夏期講習が始まると

それなりに頑張るようになった。

どこかフワフワして、

いつもホワイトボードに落書きをしていたけどね。

学力もついてくると質問のレベルも上がってきて

面白かった。

10月位からだろうか。模試で総合偏差が70を超えるようになったのは。

もう楽勝で合格していった。

すごかったね。お母さんとも話をしたけれども。

どこかネジが抜けているんだけども

理解力とか何かを生み出す力とかが長けていて

卒業するとき、

『せんせー今までありがとうございました。

けっこう付き合い長かったと思うスけど寺西先生でよかったです。

高校も適当に頑張って将来は地球環境系の仕事につきたいっす。』

といって、去っていった。

そんなケイスケに今日あった。

高校を先日卒業したという。

進路は国立東京農工大の農学部。

これも楽勝だったという。

恐ろしいことに私立大学も全勝。

しかも、英語以外独学。

これを聞いた時は

やっぱりコイツはすごいって思った。

たぶん10年後とか雲の上の存在になってるかもね。

おまけに背も伸びていてめちゃくちゃイケメン。

話すと照れとかあって、けっこうしょぼいんだけども

モテルだろうね。大学でも。

昔のほっぺたをいつも赤くしていて

かわいらしい面影はなかった。

でも、かわいかったのが、今日

「せんせー、俺入学式のスーツ選んだんスけど、

ネクタイが分からないッス。俺の身近で若い年上って

せんせーだけなんで選んでもらえませんか?」

と来たので選んだ。

お父さんも一緒だったので挨拶して

バイバイしました。

ホント懐かしかった。

月日がたつのは早いねぇ。

ちなみに、もう一人この代で教えていた子で

ケイスケと同じ高校に行った子は

なんと現役で京大へ・・・・。

末恐ろしい・・・。

みんな中学時代は口あいてたけども

しっかり立派になって素晴らしいね。





ryoto1983 at 22:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 大学時代 

教え子わたけんの物語



この時期、昔の教え子達から続々と
進路の報告が来る。

大学1年の頃教えてた子達、
大学2年の頃教えてた子達。

前者は現役で大学なり、就職なり、浪人なり、
後者は今年大学生になったり、就職したり、専門に行ったり。

本当に多くの子達から報告をもらった。

その中で、
わたけん
という生徒のことを書いてみようと思う。

わたけんは僕が大学1年生の頃に初めて
教えた寺西フリークの一期生である。

この代は現役なら大学生になっている学年であるが
彼は高校時代にバレーボールに熱を入れ、
受験は間に合わず浪人した。

浪人するというので予備校の相談などを
受けたりもした。

近所のすかいらーくで予備校選定などもした。

講師選定も、校舎選定もした。

彼はそれに素直に従って浪人していった。

中学時代のわたけんは4月にりゅーじという生徒と
一緒に入塾して新しい風を起こしてくれたわけだが
英語が超苦手で理数系はまぁまぁできる方だった。

授業を聞く集中力というものはハンパじゃなく
眼光を光らせて集中してこちらの話を聞いてくれた。

教室の、一番後ろの席から。

よく、隣にいるなっちゃんに数学を教えたりしている
様子を今でも覚えている。

で、性格はまぁ優しくて、けっこうマニアック。
女の子とは目を合わせてあまり話したがらない(笑

こんなイメージだった。

今は知らないよ?

当時はね。

それでまぁ、宿題はよく忘れてたね。
毎回ギリギリになってやってる。
そんなかんじ。

でも、授業を聞く集中力がさっきも言ったように
すごかったのでぐんぐん伸びていった。

夏休みの最後に、

「せんせー?理数はもう大丈夫です。次の模試で満点とってきます」

なんて普段なかなか見せない自信を見せてくれた。

そして結果はどうだったか?

理数とも満点といかなかったが、

数学満点、理科38点(40点満点)

という驚異的な数字をたたき出した。

そこからは安定して成績を上げていっていた。

もちろん受験も僕ら講師陣はなんの心配も

なかった。

受験直前期にも彼は残って雑談をよくしていた。

余裕を感じた。

このタイプはなかなかいないけれども

変にガツガツしているわけではなく、

でも、きっちりやるタイプ。

そんな感じの中学時代。

で、浪人。

何度かメールやりとりをしたり、

模試の結果を見たりした。

第一志望は千葉大の薬学部だったんだけれども、

前期・後期ともセンターが響いて合格はできなかった。

でも、薬学で有名な私大に受かり

4月からそこで大学生活をスタートさせるという。


おそらく、悔しかっただろう。

3月半ばというと、

ほとんどの受験生が

受験を終えて、大学生になる前の最後の時間を楽しむ。

でも、後期に向けて一気に数の少なくなった自習室に行ったり、

家にこもって勉強していたんだろう。

僕自身がそうだった。

後期の勉強も自習室でやっていたが

そこには高校2年生なんかもいたからね。

きつかった。

それでも、最後の最後まで諦めなかった。

結果として、第一志望には行けなかったようだが

第二志望は、卒業する頃必ず第一志望になる。

わたけんがそこに行くことは運命で、

そこで出会う友達や先生、恋人達は

運命的なんだと思う。

6年間という長い大学生活になるが

彼にとって必ず第一志望の大学になることを

僕は知っている。

いいねぇ。

浪人して、挫折して、痛み感じて。

いいと思う。

人生に色がついて素敵だと思う。

わたけん?

大学生活楽しんでくださいね。

夢である薬剤師に向けて勉強して、

頼れる薬剤師になって、思いやりをもって

そして、立派な人になってください。

浪人お疲れ様。


そして、合格おめでとう。



ryoto1983 at 11:59|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 大学時代 

繰り返しと定期的



僕が東京に来て、

テレアポから始め、出会ったお客さんの数は

何社になるのだろう。

「訪問数」で言えばたぶん圧倒的に一番多いと思う。

でも、実際何社に訪問したのか

というデータを残していない。

最近は既存のお客さんとのやり取りに時間をかけているため

新規での営業はしていない。

だから当然母数がどんどん減ってくる。

今は、それでいいと思う。

なぜなら、既存のお客さんに満足してもらうために

時間をさいて、しっかりやり取りをすることで

まずは対応とか信頼を見ていただく。

そして、きちんと納品までしたところまで持っていく。

この受注〜打ち合わせ〜納品までをしっかり行うことが

一番の信頼につながるだろう。

では、ある程度、しっかり既存のお客さんとのやり取りが

できるようになったらどうするか?

当然その既存先からの他部署への紹介を狙う、

新規営業を再開する。

この2つになるだろう。

新規に関してはプッシュ型営業とプル型営業があり、

会社全体の方向としては後者に重点を置いていく。

何か?2つ戦略がある。

1つはいえない。もう一つは情報発信。

特に1ヶ月後とかね。

どういうことをするか?

それは、キーワードは

「繰り返し」と「定期的」

だ。

今まで訪問させていただいたお客さんのメールアドレスを

全て登録して、管理して、

そして、有益な情報を発信し続けるのだ。

情報発信の仕方としては、

ブログ、メールマガジン、暑中見舞い、クリスマスカード、年賀状、

定期的にトレンドを送ったり、業務効率の方法を送ったり、

企画案を送ったり・・・・・。

こういうのを繰り返して、定期的に行うといいんじゃないか?

ここでは、すぐに受注につながるということを意識するのではなく、

まずは、うちの会社を「覚えてもらう」「脳に刻んでいただく」

ということだ。

そして、お客さんがどこかのタイミングで

案件が発生したときに、

ふと、うちの会社を思い出して、

連絡が来るようなシステムにしておけばいいと思う。

人は、7回接触するとその人を信頼する

という心理学的な報告があるという。

だから、あくことなくこの情報発信というのを

してく必要がある。

必ず結果は出るだろう。

まずは、何を情報発信していくのかを

洗い出して形にしてみる。



ryoto1983 at 08:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 社内ビジネス 

夢に日付を入れ、潜在意識を強くもつ

ワタミの渡辺社長が言ってるけれども

手帳の日記に夢を書き、日付を入れる。

6つの柱があって、

仕事・家庭・教養・財産・趣味・健康

この6つを5ヵ年計画で

考え、それを年間に落とし込み、

それを月間に落とし込み、

それを週間に落とし込み、

デイリーに落とし込む。

それぞれをより具体的に。

数値化して。

それをずっと考えてみた。

5年後どうありたいのか?

1年後どうありたいのか?

来月どうありたいのか?

来週どうありたいのか?

これを繰り返し繰り返し手帳を開いて

見続ける。

1日3回は見る。

売上げ表と同じように1日3回。

これはうちの社長も言っていた。

それを素直に実行する。

僕の大きな課題は

●健康管理

●浅はかではなく深く物事を考える

である。

同期に指摘されている点でもあるので

これをきちんとしようと思う。

もちろん、他のもろもろも。

必ず達成する。


手で書くっていうことが大事だ。


そして、日々の業務に追われて

緊急で大切なものばかり

追いかけると、結局何年も同じコトを繰り返し

ラットレースから抜け出せない。

緊急ではないけれども大切なこと

に重きを置いて

やっていく。

ナポレオンヒルの思考は現実化する

という本にもあるし、

成功者達は潜在意識におけるパワーを

強く説いている。

潜在意識をもっと強く持つ。

顕在意識が1としたら潜在意識は9だそうだ。

フランク教授も言っていた。

潜在意識の強さをきちんと信じるのだ。




ryoto1983 at 00:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 個人的考え