2010年10月09日

第八章・黄泉の龍宮 その6

 泉美は、びくっと痙攣的に身を震わせ、教授と健介を見る。二人の表情には驚きと畏怖があった。泉美は握っている小太刀の刃を見た。研ぎあげた鋼の上に流れる深紅の血。鉄錆の匂いに似た血臭が鼻を打つ。泉美の全身がわなないた。
 咆哮をあげ、渕崎が凄まじい力で身を起こす。跳ね上げられた泉美はかろうじて四つん這いで着地した。渕崎はちぎれた右腕を左手に掴んで立ち上がる。切断された右肘の傷口から、蛇口のように血が噴出する。渕崎は叫んだ。
「ネクタイよこせ!」
部下の一人が、ネクタイをほどいて投げると、渕崎は持っていた右腕を口にくわえ、左手で受け取った。そしてそれを右上膊部に素早く巻き付け、血止めをする。
「俺を傷つけたやつなんて・・・四十年ぶりかな」
凄惨な笑顔で、渕崎は泉美に吐き付けた。
「たいした腕だ。でも、教授やその坊やはただの人間。鉄砲玉をかわすことはできへんやろ。動くな泉美!親父や先輩を撃たれたくないやろ」
 弾き飛ばされた拳銃を拾った男たちが、教授たちに狙いを付けている。泉美は歯を食いしばりつつ、逆鱗の小太刀を構えなおす。
 その時、泉美は目を見張り、小太刀の刃をまじまじと見た。奇妙な響きが、そこにいる全員の鼓膜を震わせる。小さなモーターが回転するような、どこか弓の弦が鳴っているような振動音。
「刃が・・・小刻みに震えている。音叉みたいに」
健介が茫然と泉美の持つ小太刀を見ながら呟いた。
 同時に、悲鳴が上がった。屋敷の老婦人が、隕石を祀った祠にしがみつくように跪いている。
「ご神体が、天から降った石が、血の穢れを見て怒っておられる!」
全員の視線が祠に集中した。小太刀が発する音と明らかに感応して、祠の内部からはさらに大きな振動音が響き始めていた。
 そして共鳴する小太刀と隕石の音が膨れ上がり、耳を聾するほどになっていく。その音響に悲鳴を上げたのは渕崎だ。喘いで目をつぶり、言葉にならない叫びをあげて逃走する。切断された腕を抱えたまま、屋敷の外へ飛び出していく。部下たちも、昏倒した仲間を抱えあげながらそれに続いた。
 その音が苦痛なのは、教授や健介も同じだった。茫然と泉美が掲げる逆鱗の小太刀、その刃が陽炎のように激しく振動しているのを見て、健介が叫んだ。
「その剣を、鞘にしまうんだ!」
(続く)

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2010年10月06日

第八章・黄泉の龍宮 その5

 教授が激しくかぶりを振って抗議する。
「そんなことは許されない。まだ、HFとそちらの協定は有効だ。私たちを傷つけたり持物を奪ったりすることはできないぞ」
「知ったこっちゃないね。水知組はどこまでも氷上の連中とは敵だ。王の居ない今、協定なんぞ、何の意味もない。おまえらみんな湖に沈めて魚の餌にしてもええんやが、正直にすらすらうたったみたいやし、刀をもらうだけで勘弁してやる、言うてるんや。さあ、こっちへ渡せ」
 渕崎の言葉に、拳銃を握った部下二人が泉美ににじり寄る。泉美は澄んだ瞳で二丁の銃を見据えた。どちらも同じ、銃身の短い回転式拳銃。撃鉄は起こされていない。それでも引き金を引けばすぐに発射できることくらいは知っている。その毒蛇の口のような銃口が忌わしかった。ただ、嫌悪感に泉美は支配され、反射的に行動を起こした。
 前に倒れこむようにして上半身を伏せ、袋のまま逆鱗の小太刀を右手一本で振ったのである。電光の一撃、驚異の瞬速。二丁の拳銃は袋に包まれた鞘に弾かれて、火を吹くことなく男たちの手から飛んだ。そして泉美の動きは止まらない。小太刀の鐺で向かって左の男の鳩尾を突き、右の男はこめかみを打ち、一撃で昏倒させると太刀袋を口にくわえ紐を解き、柄を握って鞘から刀身を抜き放ちながら渕崎に殺到する。
 その動きのあまりの俊敏さに、教授や健介、そして渕崎の部下たちは何が起こったのか理解する間もない。
 しかし、渕崎だけは違っていた。彼だけが、接近する泉美の動きに的確に対応し、身構え、地面を蹴って距離を置いた。それでも、渕崎の顔に、初めて驚きの色が浮かんでいた。
「おまえ・・・その動きの速さは・・・」
絶句する渕崎ののど元に、逆鱗の小太刀の両刃の剣先が突きつけられている。
 実は、驚いているのは泉美自身も同じだ。自分がなぜこんなに素早い動きで戦えているのか、夢を見ているような思いだ。
渕崎の顔色は蒼白さを増し、すぐに紅潮していく。さっきまで冷笑を浮かべていた唇がわななき、子どものような泣き顔に見える。
「まさか・・・王の血を貰っていたのか、おれたちのように・・・」
爆発的な動きで渕崎は飛びのきざま上着の裾を跳ね上げ、ベルトに差していた自動拳銃を引き抜く。ためらいなく泉美の顔面に銃口を向けて引き金を引く。鋭い銃声が弾ける。だが銃弾は虚空を裂いただけだ。渕崎の指が引き金を絞ると同時に、泉美は地面にたたきつけるように上半身をのけぞらせていた。そのまま地を転がり、最短距離で渕崎の足首に斬りつける。
 血がしぶいた。渕崎が歯を食いしばり、拳銃を連射するが、その身体はぐらつき、銃弾は地面にめり込むだけだ。輝く刃が垂直に斬り上がり、渕崎の右腕が肘からちぎれ飛んだ。絶叫してうつ伏せに倒れこむ渕崎に馬乗りになった泉美は、左手で渕崎の頭髪をつかんでのけぞらせると、小太刀を逆手に持ち、刃を喉に当てようとする。
「やめろ!」「よすんだ!」
教授と健介はその時になってようやく、叫ぶことができた。
(続く)

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第八章・黄泉の龍宮 その4

その罵声を弾き返す鋭さで、泉美が叫んだ。
「話には順序があるんや!最後まで聞き!」
渕崎が目を見張り、配下の構えた拳銃が泉美に狙いを付ける。泉美は軽く腰を落とし、両足を前後に踏ん張って、凛然と渕崎たちに立ちはだかる。それと意識せずに袋に入ったままの小太刀を左腰に引き付け、抜き打つ構えになっていた。
 ねめつける渕崎の白い目が爬虫類のように感じられるが、泉美は眼をそらさない。怒りと闘志が身体のうちにたぎり、敵意の視線も銃口も恐れていなかった。
「そんなに長い話をするつもりはない。私たちがつかんでいるシコブチ神の足跡はただ、彼女が潜んでいた神戸の石造りの洋館が、ヴォーリズ建築のひとつだったかもしれないということだけだ。彼女にとってそれが、居心地の良い隠れ家であるのだったら、またヴォーリズ建築の石造りの洋館に足を運ぶかもしれない。そんな可能性があると。それだけだ」
ため息をつくように、豊倶教授が言葉を切る。拍子抜けしたように渕崎が首を振り、唇をゆがめた。
「ふん、そんなくらいか。氷上の巫女、おまえはどうなんだ。王と友達づきあいしていて、王が気に入っていた場所とか、行きたいと言うていた土地とか、なかったんか?」
 泉美は戦闘態勢のまま、ゆっくりと口を開く。
「うちらは、そんなにいろんな話をしていたわけやない。ただ、一緒にいると落ち着けた。今日子は、琵琶湖のことをいろいろ教えてくれた。滋賀県の昔の話も、時々してくれた。そして、自分のことを、『私は、私を王と慕う者たちの希望と夢であるに過ぎない』言うてた。今日子は、自分は琵琶湖の底の冥界からやってきたと言うてた。湖の深みの墓場から。でも、どこへ行きたいとか、これからどんなふうにしたいとか、一切、言わへんかった」
「役に立たんな。そんな他愛ない付き合いしかしてへんかったのか」
渕崎が泉美を嘲ると、教授が反駁した。
「その他愛ない付き合いこそ、シコブチ神が心から求めたものだったんだよ。真の仲間のいない、たった一人だけ不死の天人。けれど心は人間だ。人間の求める幸福は、たあいない心のふれあい、安心できて、共感できる誰かと心をつなぐことなんだろう、きっと」
 激しく舌打ちすると、渕崎は再び泉美を睨み据え、耳障りな嗄れ声で言った。
「もういい。おまえらは戯言しかうたわへん。そうなれば、もう一つの目的を果たすまでや。おい、その小太刀、袋のままこっちへ渡せ」
 唐突な要求に眉をひそめ、泉美は低く答える。
「これは絶対、他人にはわたさへん。そやけどなんで、こんなものを欲しがるん?」
渕崎は天を仰いで哄笑した。
「目ざわりやからな。どんなもんより、その刀はけったくそ悪い。隕石と一緒にして、粉々に砕いて湖にほかす。そのために、ここへおびき寄せたってわけや」
(続く)

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2010年10月03日

第八章・黄泉の龍宮 その3

 泉美は、手に提げている太刀袋に目を落とし、呟く。
「この小太刀が、この石から作られた…?」
教授は確信に満ちた口調で続ける。
「恵美押勝や氷上塩焼の怨霊と残党を鎮めるため、隕石は血に染まった琵琶湖畔に運ばれて祀られ、その一部を取って、怨敵を撃ち払う逆鱗の小太刀が作られたのだ。HFには、その情報は伝わっていない。氷上神社氏子衆だけの秘密の口伝だ。だから、私も今まで知らなかった。そして、隕石の位置は氷上神社氏子衆の伝承からもこぼれおちた」
「じゃあ、この隕石の存在は、どこから情報を?」
健介の問いかけに、教授は微かに苦笑した。
「夕べ、教えられたのさ、意外な人物にね。つまり、その人物が、ここへ逆鱗の小太刀を携えて行けと示唆したわけだ」
「それで、隕石から作られた刀とその隕石が出会ったと・・・それに何か意味があるんでしょうか?」
途方に暮れたように健介が問いかけると、それに応えるように奇妙な笑い声が響いた。
男とも女ともつかぬ甲高い含み笑い。
「ようこそ、怨念の地へ。氷上の奴らにはもっともタブーの土地へ」
健介の背筋に冷たい戦慄が走る。悪意と冷酷をにじませたその声は、水知組を率いる蒼白な顔の若頭・渕崎。
 彼と、凶暴な目をした数人の手下の一団が、前触れもなく屋敷に踏み込んでいて、健介と泉美、豊倶教授を押し包んでいた。
「まどろっこしいやり取りは抜きにするぜ。俺は教授が食いつきそうな餌を撒いた。ここへ誘い出したかったからだ。隠れ里の老いぼれたちが、愚図愚図しているのがじれったい。
王の行方について、おまえらの知っていることをすべて吐いてもらう」
 剥き出しの暴力的な威圧感に、健介が額に脂汗を浮かべている。泉美は胸を張って渕崎の前に一歩進んだ。
「そんなこと、里長との話であらいざらい提供したわ。里長に聞いたらええ」
「だからそんなまどろっこしいことはもう沢山なんだよ。氷上の巫女」
渕崎が顎をしゃくると、手下の二人がニッカーズボンのポケットから拳銃を取り出し、泉美と教授に突きつける。
「言え!王がどこへ消えたか、その可能性のある場所を洗いざらい喋れ!」
教授が悲痛に眉を曇らせ、言葉を選びながらゆっくり喋る。
「水中の巨大な生物の背中に乗って、琵琶湖の水面下へ潜って行ったんだ。北湖の海津大崎の岩礁か、葛籠尾崎の入り組んだ湖岸あたりが、巨大生物の棲家にはふさわしいだろう。行く先の一つは、そんな場所だ。
だがシコブチ神が水中を離れ、単独で潜むとなると、彼女の今までの足跡を振り返ることが必要だ。その長い道のりで、滞在してきた場所、それは私たちより、君たちのほうが詳しいはずだ」
泉美が言葉を継ぐ。
「今の今日子が琵琶湖へ戻ってくる前には、神戸にいたって聞いたわ。古い、石造りの洋館で、眠っていたって」
それを受けて、教授が語る。
「石造り、洋館・・・その二つの言葉は、この近江の国に深く関わっている。古来、近江は石造建築物の宝庫なんだ。巨大なイワクラが無数に祀られ、石の馬の伝説を秘める石馬寺、新羅系渡来人が彫ったとされる狛坂磨崖仏、百済系渡来人が建立したとみられる石塔寺の巨石の塔、ここのごく近くにある鴨稲荷山古墳からは、家形石棺が出土している。それら、石の伝統は戦国時代にも、鵜川四十八体石仏や、安土城をはじめとする城郭の石垣を積んだ穴太積みに伝わってきた。
そして、洋館といえば、ヴォーリズの建築だ。彼、ウイリアム・メレル・ヴォーリズこそは、近江八幡を世界の中心と考えつつ、美しい洋館を近江各地にとどまらず、日本全国に
建て続けたのではないか。そして、彼はシコブチ神・今日子と交流があった」
渕崎が吠える。
「誰が講義を始めろ言うた!結論を言え!」
(続く)

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2010年09月09日

第8章 黄泉の竜宮(その2)

 大きなエンジンの音に負けないように、健介が大声で喋っている。
「僕なりに調べたんですがね。今の滋賀県高島市勝野、歴史的呼び方では、近江国高嶋郡勝野・・・といえば、藤原仲麻呂、いわゆる恵美押勝が最期を迎えた地ですね。つまり、彼が反乱の旗印として天皇に立てた氷上塩焼もそこで斬られた。氷上神社氏子衆にとっては、禁忌の地じゃないですか」
「そうかもしれないね」
素っ気ない教授の答えに怯むことなく、健介はさらに言葉をつなぐ。
「勝野の鬼江という浜辺で、仲麻呂一族、塩焼王たちが虐殺されたと一応記録されています。それから・・・仲麻呂の身内にはさらに無惨な運命があったと」
健介はちょっと言葉を切った。泉美には、彼が泉美に遠慮しているように感じられた。
「水鏡、という、平安時代になってから書かれた本に載っている話だし、史実とは言い難いというんですが、仲麻呂には、絶世の美女と呼ばれた娘がいて、彼女もその浜辺で・・・いや、やめます、この話」
唐突に健介は口をつぐんだ。教授は目を閉じて、車の振動に身を任せている。
 左手に湖面の輝きを見ながら、車は湖周道路を南下した。やがて道は湖岸を離れ、田圃の風景が続く。琵琶湖へ流入する小川が幾つもあり、その一つにそって少しさかのぼると、一軒の古い民家の前で、教授は車を停めさせた。
 案内を請うと、いかにも農婦らしい老婦人があらわれ、屋内に招き入れた。屋敷、といっても良いくらい風格のある家で、母屋や農機具を収めた納屋が建ち並ぶほか、中庭は広く、その隅に丁寧に作られた祠があった。老婦人はまっすぐに教授たちをその祠へ導く。
「ご神体と祀ってきたものですが、ええ、これが天から降ってきた石じゃと言い伝えられとります」
 朴訥に語る言葉に頷きながら、教授は祠を覗き込んだ。泉美もその横でほの暗い格子の中を透かす。板張りの半畳ほどの床に、直径五十センチほどの石が置かれていた。全体に異様に黒く、岩石というより金属の塊のように、泉美には感じられた。
「どのくらい昔のものか、お聞きですか?」
教授が丁重な物腰で聞くと、老婦人は眉間にしわを刻んだ。
「さて、私ら無学なもので、いつの時代とも説明できへんのです。ただ、言い伝えでは、悪さをし続けていた鬼を、天から降って押しつぶした石、いうことですわ」
その言葉に、健介がごくりと唾を飲み込む。泉美が不審に思って彼を振り向くと、健介は異様に目を輝かせて教授に言った。
「まさか、これは、反乱を起こして湖西にやってきた仲麻呂が、高嶋の角野(つの)で泊った館に、夜降ってきたという隕石・・・」
教授は頷き、乾いた唇を舐めながら話す。
「記録に残る、日本最古の隕石落下だ。続日本記、天平宝宇八年、だったかな。一二五〇年ほども前になる。そして・・・」
教授は顔をあげて、泉美を見つめた。
「泉美が受け継いだ、逆鱗の小太刀は、恵美押勝滅亡の前兆となった隕石の一部を取って作られた。そういう伝承が、氷上神社に伝わっている」
(続く)

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2010年08月11日

第八章・黄泉の龍宮 その1

 童女は、利発そうな瞳を輝かせて、乙女に笑顔を向ける。
「なんにも、心配なんて、いらへんよ。シコブチ様は死ぬことがないんやもん。すぐにまた、ヒメジャに乗って帰ってくる」
 乙女はかがんで、明るい童女の顔を覗き込み、深く息をつく。
「ありがとう。今日子は・・・ここのみんなには、シコブチ様って呼ばれてるん?」
「そうやで。みんなが待って待って待ち続けた神様なんや。お姉ちゃんはシコブチ様のお友達なんやろ。そやったら、えらい人やん。大事にしたるし、安心してここにおってな」
童女は得意そうに胸を張り、細い手で乙女の肩を叩いた。乙女は疲れた顔に笑みを浮かべて、童女の名前を聞く。
「うちは、三ツ矢ゆめ、いうんや。お姉ちゃんは大学生なんやて?ええなあ、うちもいっぺん学校、行ってみたいわ」
乙女は首をかしげ、童女に問いかける。
「ゆめちゃん、小学校行ってへんの?何歳やの?」
「さあ・・・としなんて知らへん。シコブチ様に血をもろうたら、なんぼでも生きられるようになるんやもん、意味ないし」

 汀を走り去って行く幼い少女の背中を、泉美は見えなくなるまで目で追った。砂浜は焼け、湖面が眩い。梅雨のさなかには珍しい晴天だった。
 砂を踏む足音に、泉美は振り返る。豊倶教授が陽光に目を細めながら呼びかけてきた。
「泉美、許可が出た。車で出かける。支度しなさい」
「車?ここへは湖からしか出入りできないんやなかった?」
「ああ、まず船に乗る。すぐ湖岸に着けて、そこから車だ」
 泉美と教授を乗せて隠れ里を出た船は、15分ほどで湖西の目立たない浜に着いた。そこに、古ぼけたフォルクスワーゲンビートルが待っていて、運転席から野崎健介が招いた。
「安曇川の勝野でしたね。何があるんですかそこ」
車を発進させながら、健介が尋ねる声に、教授は短く答える。
「確かめたいことがあるんだ」
それきり、後部シートにからだを沈めて沈思し始めた教授に、健介が不安そうな表情になる。
今日子が湖に消えてから、教授は日頃の饒舌さを失ったようだ。泉美と共に、人質のような形で隠れ里に滞在し続けているが、彼女ともほとんど会話を交わさない。
 泉美は、教授の横に座りながら、手にした錦織の太刀袋を膝に置いた。父・麻生宮司の言葉に従い、逆鱗の小太刀を離すことなく身に付けている。豊倶教授の視線が、いつのまにかその小太刀に注がれている。


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2010年08月07日

第八章 黄泉の龍宮

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やっと、再開します。よろしく。

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2009年04月25日

第七章 龍のくちづけ タイトル画

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2009年04月18日

第七章 龍のくちづけ その14

 泉美が、何度も今日子の名前を呼んだ。雄哉は魚探を掛けながら縦横に湖面を航行したが、水中に沈んだ今日子と巨大な影は、捕捉できなかった。
「あれや・・・今まで、なんどか目撃情報があったり、水中カメラにぼんやり映ったり、魚探に影が出たりしたけど、確証のない巨大生物、『深みより来るものども』とはまた別の、琵琶湖のUMA(ユーマ)・・・やっぱり、シコブチの使い魔みたいなもんやったんや」
魚探をにらみつけ、雄哉を叱咤しながら、蜷川は興奮した口調で呟いている。
 豊俱教授は深刻にうつむき、泉美に問いかけている。
「お前は・・・気が付いていたのか、彼女の異変に?」
「信じたなかった・・・今日子の服に、汗染みができるようになってた。汗のにおいがし始めた。前に、今日子が教えてくれた、天人五衰やとしたら、今日子は、ひどく苦しんで、死なんとあかんのやて・・・」
 健介は、泉美に尋ねる。ずいぶん久しぶりに、泉美に直接口をきくような気がする。
「不死身のシコブチ神に、寿命があるのか?脱皮すれば、何度でも若返ることができるのじゃないのか?」
「うちは、そんなこと、わからへん・・・」
泣きじゃくりながら、船底へ泉美は座り込んでしまう。慰めることもできず、ただ立ちすくむ健介に、豊俱教授が暗い目を向ける。
「生物としてのシコブチは、脱皮できない場合、死ぬんだ。比留間教授のようにね。それは壮絶な苦痛にさいなまれ、おぞましい死にざまを見せる。比留間教授は、脱皮しかかっていた。出来た筈なんだ。だがそれを彼は拒んだ。おそらくは、鬼室今日子も、脱皮をすれば輝かしい姿を保つことができる。しかし、このところ、彼女はあまりに美しく見えた。まさか、天人五衰を迎えていたなんて・・・」
 教授の、説明とも独白ともつかない言葉に、不意に蜷川が割り込んで嘲笑を浴びせた。
「はは!教授はやっぱり文系の人やね。大体の生き物は、寿命が尽きる直前に華々しく身を飾るのよ。婚姻色って知ってる?繁殖期の魚類に顕著なんやけどね。あのシコブチも、繁殖期迎えてたに違いないわ。汗のにおいに、フェロモンぷんぷんで、男の関心を引き付けてたわけよ」
豊俱教授は眼を上げ、蜷川に低い声で反論する。
「シコブチ神は、生殖で同類を増やしていないはずだ。血を分け与えて、仲間を増やす・・・血が合わずにシコブチになれない人間がほとんどだそうだが・・・」
蜷川が、異様に目を光らせた。
「血!シコブチにとって、血はキーワードの一つじゃない。氷上神社氏子衆は、『深みより来るものども』を血を吸う魔物だと言い伝えてきたでしょ。シコブチ信者は、人間を生贄に捧げて、魔物どもはその生き血を飲んで、不死身の体を保つと」
「それは・・・偏見に満ちた言い伝えに過ぎない」
豊俱教授の声は、弱弱しく、その表情が怯んでいるのを、健介はいぶかしく思った。蜷川は、大きく目を開き、頷いた。
「そうか!こう考えれば、辻褄が合うのじゃない?つまり、シコブチが、衰え始めるとフェロモンを出すのは、生贄を誘うためよ。通常の状態では、何も食べないで済む生き物だけれど、脱皮のためには膨大なエネルギーが必要なわけ。つまり、生贄としての若い人間を喰らい、血を啜ると、脱皮が可能になる!氷上神社の姫を誘惑したのも、つまりは、脱皮のための生贄にするためだったんだ!」
 泣きじゃくっていた泉美が、愕然と顔を上げ、蜷川を凝視する。その唇が震え、絶叫が響く。
「そんなん・・・嘘や!でたらめや!思い付きをしゃべらんといて!」
健介は茫然として、視線をさまよわせ、豊俱教授にすがるように聞く。
「先生、いまの、蜷川さんの仮説は・・・どう思われますか・・・」
教授は顔を伏せ、表情を隠すように背中を向けた。
「検証しないと、妥当かどうかは、それは、結論は出ないだろうが・・・極めて、整合性の高い仮説であると・・・認めざるを得ないな・・・」
 教授もまた、自分と同じように、今日子に惹きつけられた最近の有様を、恥じているのだろうか・・・と健介は思った。
「なあ、先生、どないしたらよろしい?このまま、シコブチの隠れ里へ向こうたらよろしいんか?」
途方に暮れた様子で、指示を仰ぐ雄哉の声が、暮れかけた湖面に響いた。
(第七章おわり)



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2009年04月17日

第七章 龍のくちづけ その13

 緊張をはらみながら、蜷川と今日子は沈黙して向かい合う。雄哉は船を止めていた。わずかに風が出て、船が揺れ、二人の影は波の上に上下した。蜷川がまた、冷笑した。
「なによ、シコブチ、汗の臭い?腋臭(わきが)?もっと天女みたいな生き物かと思ってたけど、わりとケモノ臭いのね・・・」
その言葉に、劇的に反応したのは、泉美と豊俱教授だった。
「やめて!蜷川さん!」
「まさか!天人五衰が始まっているのか?!」
同時に発した二人の声は、悲鳴と絶叫だった。
蜷川と雄哉は、二人の反応に驚いているだけだが、健介は激しい衝撃の中に、一瞬で納得した。
 自分が、こんなにも急に今日子に魅かれるようになったのは・・・
 今日子が今までの、完璧なシコブチ「神」でなくなり、その美貌に翳りと崩れが生じたからだ!汗や体臭を発する、生々しい存在になったからだ!
 今日子は、ゆっくりと手を自分の脇の下へ差し入れて引きだし、鼻に近付けて匂いを嗅ぐ。童女のように当惑し、不思議そうな表情である。泉美が駆け寄り、今日子の肩を抱く。
「嘘や、嘘や!今日子は、いつまでも、綺麗なままで、何百年も生きるんやろ?藤本のおっちゃんの写真館の、あの写真のまんまやん!」
 涙ぐみ、ゆがんだ表情の泉美を、今日子は優しく抱きしめ、すぐに、体を突き放す。その顔に、微かな笑みが浮かんでいる。ゆっくりと今日子は後ずさりし、船の舳先ぎりぎりに立った。
「自分では、わからないものなのね。確かに、このところ、脇の下が変にじめじめしたりすると思った。気分も、どこかふわふわしておかしかった・・・でも、そうか、これが、天人五衰、だったんだね」
歌うように今日子が言うと、泉美は耳をふさぎ、必死にかぶりを振る。
「いやや!なんで、やっと、平和に一緒に生きていこうとするときになって、そんなことになるんや!」
 豊俱教授が沈痛なまなざしで呟く。
「天人五衰・・・永劫に近い寿命を持つ天人といえども、免れない滅びに、囚われているというのか、逝ってしまうのか、君は」
 弾けるように明るい声で嘲るのは蜷川だ。
「なんやの?シコブチ、寿命が尽きたん?そら、もったいないわ、ちゃんとそのからだ、調べつくさな、世界的損失やで。すぐにくたばるんとちゃうやろ?」
 怒りの声をあげて、泉美が蜷川に突っかかる。
「あんたは!今日子を研究材料としか思うてへんのか!」
 そのとき、雄哉が、突拍子もない大声で叫んだ。
「魚探になんか、出た!真下や!なんか、どえらい、どでかい、なんか!」
船が大きく揺らいだ。その揺れに身を任せたように、舳先の今日子のからだが傾き、そのまま湖面に落下する。水音に全員が目を向ける。今日子のからだがまっすぐに沈む。
「今日子!」
絶叫して身を乗り出す泉美を、豊俱教授が抱きとめる。その時船は激しく突き上げられ、船上にいた全員が、船底に転げた。
 健介は何かの予感に駆られ、跳ね起きた。舳先に這い寄り、目を凝らす。
 信じられない光景があった。
 夕日に染まる湖面に、濡れた衣服をまとった今日子が立っている。
「なんで・・・沈みもせず、水の上に」
恐怖の声で雄哉が唇を震わせる。その肩をひっぱたき、蜷川が叫んだ。
「よう見いや!シコブチは、水の上に立ってるんやない!水面すれすれに浮いてる何かの上に・・・」
そこまで言って、蜷川も息を呑む。水を透かして朧に見える巨大な影。今日子が立っている水中の物体は、恐ろしく長く、そして、蠢いていた。
「あれは・・・龍!龍としか思えない!」
豊俱教授が声を詰まらせながら、とぎれとぎれに呟くなか、今日子を乗せた水中の巨大な影は、尾の部分を左右に振り、ゆっくりと進み始める。今日子は彫像のように立ったまま、真北に顔を向けている。落日に照らされた横顔が、ガンダーラ仏のように健介の眼に映った。
 そのまま、スピードを上げ、滑るように今日子は遠ざかっていく。正確には、今日子を乗せた水中の物体が、恐るべき速さで北へ向かっているのだ。
「どこへ行くんや!」
泉美の声に、雄哉が慌ててエンジンを始動する。しかし、今日子の姿は、遠ざかるにつれ、次第に波の下へと消えていった。


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